統合失調症で絶望的な貧困を味わうと、お金を趣味に投じることに罪悪感を感じる

 2022年7月18日(月)。海の日。祝日。3連休というだけで、15時41分、昼ご飯を食べたらものすごい眠気が襲ってきて、軽く寝ていた。コンサータを飲んでこれなので休みボケがいかに苦しいかわかる。8月の8連休はどうなるのだろうかと内心不安になっている。


 ブログ運営に関する本が欲しくて、コピーライターの本を読んでいたが、全く面白くなく、眠りに入ってしまった。文章力を上げたければ西尾維新の小説をボチボチ読んでいったほうが、自分の内面を文章に表す際には有効な修行方法なのかもしれないと思ってしまった。


 西尾維新先生はすごい。日本語を新たに創るレベルでいかに読者に今の状況を文章で伝えるかを学ぶには、格好の教育材料だと思う。そこで知ったのは日本語のなかの単語の質をもっと上げることだった。


 あと、文章を短く切っていくことも、西尾維新先生の小説を読んで学んだ。


 繰り返し、同じ人を同じ呼び方で呼ぶことも、小説を書く上では必須であると学んだ。


 なんだかんだ言って、大学時代に学んだことは多かった。教授から与えられるのではなく、自分から学んでいったほうが随分と早かった。カントだけを研究し、カントだけを信じる教授や、アメリカの分析哲学だけを信じる教授など、教授は事細かに学んでいる教材が偏りがちだが、他の哲学者と比較して、どちらが正しい、どちらが間違っている、二つを組み合わせて新たな理論を組み立てる、そのようなことは一切無かった。


 レベルがもしかしたら低かったのかもしれない。東大とかならどうなっていたのだろうか。どんな授業が行われていたのだろうか。120分間聴き続けるというのは発達障害者にとっては地獄のような講義体制だが、やっぱり東大とか行ってみたかったなあ、となんとなく思う。


 なんとなく思っているだけだ。本気で大学へ戻るつもりなど毛頭ない。お金に余裕がなくなると統合失調症が復活してくることは分かっている。今は親のおかげで統合失調症は抑えられていると自覚しているし、お金に自由が戻ってきたことで統合失調症になったとしても心に余裕が持てていることは自覚している。


 お金の使い方の自由と言えば、今朝、何年ぶりだろうか、近所のセブンイレブンでポケモンカードのデッキセットを買った。買っていいのか迷った。稼ぎの少ない自分にという疑問が湧いてきたのだ。買うだけで勇気がいった。買ったはいいが実はまだ開けていない。開けるのが怖いのだ。このまま開けずに、そのうちポケモンカードが値上がりし、売り時になったら売るという先行投資の可能性もあるが、それよりも心理的にという、絶望を味わい過ぎた人間の曲がりくねった心情が、ポケモンカードのデッキセットの開封を拒んでいる。


 もっと他にも買うべきものがあったと思う。スマホとか。しかし、値が張り、しかも親の承諾が無いと回線とかは買えないレベルだ。しかもパートタイマーであり、今のスマホで電話もできるし、ある程度ゲームもできるし、ということで新しいスマホは断念してきた。


 まとめようか。


 統合失調症になり、自由が奪われ、極貧の中を一度でも生きた人間にとって、お金を出して趣味を行うことに罪悪感を感じるということが分かった。親はほとんど自我も無く自分と私を支えるために生きている。そんな中で、私だけ楽しんでいいのか。そんな罪に似た感覚は一生ぬぐえないような気がする。


 追記。


 私がいる都道府県がバレているというか、色々こねくりまわして私が住んでいるところを分からないようにしていたが、コメントで「同郷の者として応援しています」と書かれていたのでちょっと慌てた。ネットリテラシーをちゃんと私が守らないといけないなと反省しています。

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