投薬治療と定期通院は未来の選択肢を狭める判断になるのだろうか?(統合失調症は何も起こりませんでした)

 今日も特に『統合失調症(本物)』における、不可解なことは起こることは無かった。今日は時間に追われた仕事を少ししたためか、非常に短い就業時間に思えた。それと同時に、普通の人の働き方を、少しかじったような、そんな気がした。


 ツイッターも始めて、積極的につぶやくようになっていった。いつまで続かはわからない。神の偶然性はいつ起こるかわからない。自分がオープンスペースで何かを発言したことによる罪の意識を感じてしまったら、ツイッターも、カクヨムも閉じてしまうだろうと思う。


 僕の統合失調症は一言で言えば、全ての発言、物事が自分に向かって発せられているように感じてしまう病気だ。それで、偶然性のたまたま起きたこと、を関連してとらえてしまう。非常に厄介な病気で、薬で治ることは無い。


 そんなことを書きたいんじゃないんだ。


 帰りの自転車の中で、ぼーっと、書くことを意識していた。5連勤が終わり、賢者タイムにでもなっていたのかもしれない。


 ツイッターで10年前に統合失調症にかかり、寛解した、と言うアカウントがある。統合失調症になって10年もしないと寛解しないの!? と驚くかもしれないが、僕も統合失調症になってから既に丸3年が過ぎていることにようやく気が付いた。


 そして、大学受験で2浪もしていたことも重なり、普通の人が働き始めるよりも5年遅く、正社員ないしは正職員になるための就職活動をしているのだった。


 5年である。


 小学生なら、身長が50センチ近く伸びる、そんな期間である。


 失ったものが多すぎて、しかし、失ったものがあるというのは、かつて失いたくないものを持っていた、ということになる。


 人生は、だいたいは最終学歴で決まるものだと思う。何科に行ったか? どこの高校に行ったか? 大学は? 何か武器になるものを身に付けましたか? それが学生生活ですべきことだったと思う。


 5年は大きいし、3年も何もしなかった。入院3ヶ月、大学半年、何もしないのが3ケ月、就労移行支援が半年、非常勤職員として働き始めてから一年半。その間、なんの資格も取らなかったし、公務員の勉強をしただけだった。そして、面接で落ちたのだから、結果としては何も残せていないに等しかった。


 本当に何でもしてよかったら、何をしていただろうか。大学時代は遊ぶ金が全く無かった。古本屋で漫画を買ってきて、将来作家になるための勉強をしていた。語学ではだいぶ苦しめられた。フランス語の辞書を買うお金がない。単語を覚えないでどうやって第二外国語を学ぶのか、正直全く分からなかったが、結局分からないままで大学を辞めてしまった。


 自由だった当時に、お金さえあれば、もう少しマシな人生になっていただろうか。


 自分は、大した人間ではないと思っていた。そのため、コンサータに出会ったときは未来に希望が持てるようなそんな気がした。


 神は、それを許さず。いや、時が経って許したのか。統合失調症になっていなかったらコンサータを飲み続ける人生にはならなかっただろう。


 これから先、薬と共に生きねばならないので、海外に行くこともなく、せいぜい旅行で関西や関東に行く程度の娯楽になるだろう。いや、そもそも、お金は貯まるのか? 年金が切られはしないか? 自動車免許は不許可が出るのではないのか? 仕事に疲れ切り、長期間精神病院に入院する道を選ぶのではないのだろうか。未来への選択が、自分の可能性を狭めていく。


 発達障害と分かり、コンサータやレンドルミン、アレルギー薬のトラマゾリン、エメダスチンに依存してしまった時点で、病院通いを一生続けるという、将来の選択肢をぐっと縮めてしまう選択をしてしまったのだ。


 夏の終わり、涼しくなった風をほほで感じ、乗り降りた電車の走り去った線路をぼーっと見ながら、そんなことを考えていた。

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