第2話 5億年1日 〜エンジン〜

「サバトについたら余計なことは言わないでください」

 イリタ・ナタリーと名乗ったその魔女は車のドアをバタリと閉めて言った。ローブのフードをとって彼女はフーッと息をはく。ダークブラウンのショートヘアが静電気でボワボワあそんでいる。寝起きの洋風ちびまる子ちゃん…という言葉がふと頭に浮かんだ。彼女の髪と同じ色の瞳がキッとこちらを見る。

 考えてたこと、バレた?

「それから特に本部長の前では話さないこと。必要なことは全部私が言いますから」

 バレたかはともかく大丈夫らしい。彼女の命令は俺にとっても都合がよかった。人と話したい気分でもないし、別段誰かと仲良くなりたいとも思っていない。とりあえず自分のことを認知している人についていけるならそれでいいと思っていた。安心がとにかく欲しかった。

 車が静かに走り出す。ん?

「あれ、今ってだいたい2500年てことであってますか?」

「2522年」

「これ車ですよね」

「…何か変ですか?」

「何も変じゃないっていうのが変なんですけど」

 ナタリーは首を一瞬傾げた後、閃いたように瞳を大きくした。

「技術が進歩してないじゃんって話?」

「そうですそうです」

 500年も経過しているのなら車の1つや2つ空を飛んでもいいだろうし、この窓から見える風景だってもっと未来的かつきらびやかでいいはずだ。

「馬車はいつから存在したと思います?」

「わかんないですけど。なんの質問ですかそれ」

「紀元前から馬車はあったの。それが車主流になるまでに2000年以上かかってる」

 彼女は柔らかくハンドルを撫でながら語る。

「あー」と返事しつつも、俺は話の筋をよく理解できていない。

「エンジンがなんで車の前方にあるか知ってます?」

「それは…いろいろ都合がいいからじゃないんですか?」

「馬車を引く馬が前にいたから車を引っ張るエンジンも前に置いた。伝統的慣習に基づいて作られた。それだけです」

「つまり?」

「人間の進歩なんて、伝統への足し算がほとんど。500年経ったからって根本から何かが変わるなんてことはないんですよ」

「でも俺が生きてきた20年かそこらはすごい進化してたと思いますけどね。機械とか」

「情報技術はものすごく進化しましたね」

「へえ、どんな風に?」

 魔女は左手をすっとあげると黒く輝く指輪を見せてきた。

「…自慢ですか?」

「リング」

「指輪ですよね」

「あなたの時代風に言えば、スマートリングです。人体の静電気を使って駆動する小型デバイス」

「駆動して何になるんですか。スマートウォッチかなんかですか」

「今私の目にはいろんな情報が見えています。そこに広告、あのボードには天気の時刻、空を見れば天気予報も見える。分かりやすく言えばオーギュメントリアリティ。拡張現実」

 彼女は何もない白い電波塔や、空き地を指差しながら聞きなれない会社の名前を読み上げた。

「ARですか」

「そうですね。もう当たり前すぎて拡張現実というよりは、これが現実だけど」

 自分には何も見えていないので実感がなかったが、見える風景に『隙間』が多いと感じたのは気のせいじゃなかったらしい。本来なら看板があるようなところが全て空白になっているのだ。個々人の趣味にあわせて表示される広告を変えることができるのだという。

「今は一人一人が住んでいる場所をデザインできる世界なんです」

「夢のある未来じゃないですか」

 俺は言葉通りの意味で感動の声を出した。夢のある現実…

「デザインできるならね」

 先の言葉を待ったがナタリーはそこで黙り込んでしまった。どういう意味か聞こうか聞くまいか悩んでいて結局聞かないと決めるまでの数秒。絶妙に気まずい時間が流れて誤魔化すように窓の外を眺めた。そして大声で叫んだ。「うおおおお!!!」

「脅かさないで!」

「すいません!わざとじゃないんです」

窓にはトゥヌキが張り付いてこちらを見つめていた。

「おい!ヤマト!置いてくな!」

トゥヌキは駐車場に置いていったのだ。魔女の総本山まで行って、さっきみたいに大事な特定なんちゃら魔術具を壊されてはたまらない。

「あなたのそれは何ですか?」

「イマジナリーフレンドみたいなものだと思うんだけど。ていうか、何で見えるの?」

「見えるも何も、そこにいるし」

「いつの間にかいたんだよ」

「どういうこと…?」

「ヤマト!開けろ!」

トゥヌキはバンバン窓を叩く。割れる前におとなしく窓を開けて車内に招き入れた。

「置いてくなよヤマト!」

トゥヌキの触り心地は5億年間精神世界にいたときと何も変わらなかった。


 そびえたつでかい水色のビルの近くで車を降りると、ナタリーの後について本部(サバトと呼ばれているらしい)に向かった。さすが魔法使いの総本山。いささか現実社会に溶け込みすぎているようにも感じたが、立派な建物だと感心していた。

「そっちじゃないですよ」

 冷静に言い放つと彼女は隣にあるツタに覆われかけた4階建てのビルに入っていった。俺は残念な気持ちを表情から隠すことができないままついていく。

 エレベーターに乗る。4のボタンをナタリーが押す。ガタガタとエレベーターが鳴るだけの時間。ドアが開いて降りる。事務所スペースのようなところを素通りする。重そうな金属製のドア。ナタリーが全身の力でドアを開ける。階段が見えた。その階段を一段ずつ登る。また扉。開くとそこは屋上だった。

「ここです。ここがサバトです」

 事務所ですらなかった。この屋上からは隣の水色のビルがよく見える。

 最悪だ。

「あんまりネガティブなこと考えないでくださいね」

 そうだ。こいつは俺の心を読み取れるんだっけ。

 ビュワっと鋭く風が吹いた。

「次の生贄を見つけてきたかい?ナタリー」

 声の方を見ると巨大なシルエット。異様に背が高い女性だった。背が高くて細い。顔を見るために大きく上を向く必要がある。いつの間にこんな近くに…?怖い…。

「ネガティブなことは考えないで」

「いいじゃないか。あたしは大好きだよネガティブ」

 そうつぶやくとその巨大な彼女は蛇のようにかがみながら俺の顔を覗き込み、じっと目を見つめてきた。怖いという感情が増幅されていく。怖い、怖い、怖い…。彼女の大きな紫色の瞳を見つめると、瞳の隅に変なものが映っているのに気がついた。あれは何だ…?ああそうか。トゥヌキだ。俺の隣にいるトゥヌキが女の瞳に映り込んでいて、変顔をしている。そういえば、怖いなんて感情は相手にしなくてもいいんだった。そうだった。よく考えたら(たぶん)1億年ほど過ぎたあたりから恐怖という感情を客観視することができていた。怖いと感じている自分を遠くから見つめる感覚。俺は今再びそういう感覚になっていた。大蛇のような女に見つめられている自分の姿を、さらにその女の背後から眺めている。自分と自分の目が合う。客観的に。あくまでも客観的に。ゆっくりと近づいて、女の肩に手をかけた。

「もうやめてくださいよ」と俺は客観的に声をかける。

 女はこちらを振り返るとギョッとした表情で目をピクピクさせた。

 気がつくと俺はさっきまでのように女の目の前に戻っていた。しかし女は背後を気にしていまだに怯えたように目を引きつらせている。

「スカーレット」

 ナタリーがその細長い女性に向かって言った。彼女の名前らしかった。

「スカーレット。これは重要な人物だからあんまり手出ししないで」

「この子、何者?あたしに何をしたの」

 俺はナタリーに言われたことを忠実に守って、何を聞かれてもだんまりを決め込んでいた。

「わからないわ。でもこの人には予測もつかないことが起きている」

「1万年以上生きている私たちにいまさら予測もつかないことってある?」

「ボタンが壊れた」

「え?」

「5億年ボタンが壊れた」

「冗談はやめてよ」

 スカーレットが言い切らないうちに、ナタリーはトゥヌキが粉々にした5億年ボタンの成れの果てを取り出した。

「こんな風に壊れた」

「なんで!?何よりも頑丈なはずでしょ?」

「そう。だから一大事なの」

「今期の生贄は?」

 なぜかスカーレットの視線がチラチラと俺の方に飛んでくる。

「ボタンがこんなんじゃ探しても意味ないわ」

「じゃあどうするの」

「あと1週間。あと1週間以内にどうにかしないと世界が滅ぶ」

「何それ。ここまで来て、それ?」

 ここまで来て…とは?俺は名探偵よろしく推理を始めようとしたが、ナタリーがこっちを向いたので思考放棄した。余計な探索はやめておこう。彼女は安心したようにスカーレットに向き合う。

「滅びないようにすればいいのよ」

「生贄をあっちに送れないってことは、滅びるってことじゃない」

「だから本部長に相談に来たの」

「本部長に!?」

「そう」

「ナタリー、、その手に乗ってるゴミ見せたらあんた殺されるわよ」

「そしたら全員滅びる。本部長は極めて厳格だけどバカじゃない」

「嘘でしょ。また楽しい500年が始まると思った矢先大ピンチじゃない」

スカーレットは絶望した顔を隠そうともせずにあ〜〜と呻きながら屋上の端まで歩いていき、今にも崩れ落ちそうなフェンスにもたれかかった。

「よく耐えてくれました。仙台ヤマト」

「言われた通りにやりますよ」

「あなたは正しい」

ん?なんか格言っぽいことを言われた?とそんなことを考えるだけの時間はあったと思う。最後に覚えているのはイリタ・ナタリーのまっすぐな眼差し。それを真剣に見つめ返そうかどうしようか思ってるくらいの瞬間に、俺は右肩甲骨あたりを尋常じゃない力で押されて多分吹っ飛んだんだと思う。要するにここから先の俺自身の記憶は存在していない。

 簡単に言えば、ナタリーが俺に格言っぽいことを言ったくらいのタイミングで本部長が俺の背後に降臨し、俺が真剣な気持ちになったくらいで拳をファルコンパンチの要領で準備運動させて、俺の右肩甲骨にクリーンヒットさせてバイバイキンさせたらしい。大丈夫。そのことを後から聞くことができるくらいには俺は生きている。今思えばあれは5億年ぶりに味わったまごうことなき痛みだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5億年ボタン押した結果精神力だけが神レベルになって帰還 鳥川 みいし @miishi-torigawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ