5億年ボタン押した結果精神力だけが神レベルになって帰還

鳥川 みいし

第1話 5億年経つ

「どれくらいの時間が経っただろう…」

 頭の中で喋っているのか、実際に自分の口が動いているのか、もうそんなことを考えることもできなくなった。

 5億年。

 あの変な魔女にちっこいボタンを差し出され、100万円という賞金に目が眩んだ俺はあろうことかポチリと早押しクイズさながらの形相でそれを押してしまった。

 『精神世界で5億年の時間を過ごしていただいた後、今ボタンを押したこの瞬間に戻ってきて、精神世界でのあなたの記憶は抹消されます。そうしたらあなたに100万円を差し上げます。』

 脳みその中がかき回されるようにぐるぐると世界が回りながら聞こえた魔女の最後の言葉だった。楽勝だろ。そう考えていた。家賃滞納、今晩食べる夕食のお金すらない。友達の家に行ってコメを分けてもらったところで電気が通ってないから炊飯器を使うこともできなかった。ああ、夢の公園生活がもうすぐ始まる。大学の学費を払えずに退学になった俺は、バイト先の焼肉屋が時短営業するとかで真っ先に首になり、10箇所くらい応募したコールセンターもいじめのように全て不採用。気づけば身動きもできないまま部屋の中でうずくまっていた。そんな俺に残された選択肢は消費者金融か役所で保護手当をもらう相談をするかの2つだった。どっちか近い方に行こうとふらふらと街を歩いているときにあの魔女は現れた。

「ボタンを押すだけで100万円!?」

 異様に食いついた俺に彼女はひるんだように見えた。

「押します押します。死なないなら押します!」

 魔女は5億年間死ぬことはないけど何もすることもできない。出口もない。そんなようなことを早口で言って、俺の剣幕から逃れようとしていた。

 そして俺はボタンを押した。

 ポチリ。

 …どれくらいの時間が経っただろう……

 最初はお腹が空かないことに感動した。それだけで神になったような気がした。便意も催さない。食べるものもないくせに便秘で苦しんでいた俺にとって、腹が苦しくならないだけで至高の生活だった。目もよく見えたし眠くなることがなかった。手足をどれだけ動かしても疲労感はやってこなかった。100メートル走のノリで1500メートルを走ることもできた(距離は正確にはわからなかったが)。便宜上俺が飛ばされた場所をと呼ぶが、その部屋の床に尻を強打しても微塵も痛くなかった。頭を床にゴンゴン打ち付けてもたんこぶ1つ出来なかった。昔近所の年上の友達が屋敷しもべ妖精の真似をふざけてやってたことがあるが、これだけ無敵ならさぞかしクオリティの高い真似が出来るんだろうなとウキウキした。

 全能感に満ち溢れていた俺はこの部屋を探検することにした。

 視界に入る範囲に壁は存在せず、見渡す限りうっすら白い床が広がっていた。その果てを探してみようと思った。走っても走っても疲れることがないので異様なスピードで延々走り続けた。しかし壁にはぶち当たらなかった。そんなことを毎日(日にちが経過しているのかは判断できなかったが)繰り返していた。だんだん部屋に色が欲しくなってきた。俺は飛ばされる瞬間の格好をしていたので大学一年の時に作ったオレンジ色のクラスTシャツと灰色のジャージ。黒いスニーカー。ポケットに小銭が数枚入っているだけという貧相な身なりをしていた。目印を置いてみようと思い、ポケットから小銭を取り出して床に置いてみた。すると俺の手を離れた瞬間に小銭は消えた。驚いてポケットの中を探ると元の枚数に戻っている。どうやら俺の身につけているものは俺から離れて存在することはできないらしい。そのあとは実験が続いた。俺の手から直接離れたらアウトなのか、身につけているもの同士が繋がっていればOKなのか。ポケットの中の小銭は俺の体に直接触れているわけではないので、身につけているもの同士が繋がっていれば大丈夫だろうという仮説を立て、ジャージを脱ぎ、ジャージを持ったままTシャツを脱ぎ、ジャージを地面に広げながらTシャツを繋げるように置いて、広げていった。そしてパンツ一枚の俺がTシャツの裾から手を離した瞬間、俺は上下とも服を着ていた。楽しかった。

 そんな馬鹿みたいな時間を無限に過ごしていた。しかし俺が無限だと思っていた時間は5億年のうちのわずかな時間でしかなかった。やがてやることも思いつくこともなくなり、俺は床に仰向けに横たわるだけになった。眠くもならないし痛くもならないので布団がなくても一向に差し支えない。しかし、そんな風に何かが足りないことに意識が向くようになり、空がないだとか、風が吹かないだとか、汗をかかないだとか、そういう1つ1つが俺に虚しさを与えた。そして現れたのがイマジナリーフレンズだった。本来幼少期に見るらしい空想上の友達は、元大学3年生の22歳男の目の前に登場した。

「どれくらいの時間が経っただろう?」

「知らんよ」

「あとどれくらいで5億年だろう?」

「知らんって」

 最初はどれくらい時間が経ったのか聞いてくるだけのやつだった。灰色の姿で背丈は俺の膝くらい。見た目は宇宙からやってきたタヌキと言って伝わるか、なんかツヤツヤしていて目がまん丸な顔をしていた。

「俺の名前はトゥヌキ!」

「タヌキだろ!?」

「違う!トゥヌキだ!」

 やつはトゥヌキという名前らしかった。

「お前の名前は?トゥヌキか?」

 やつは俺の名前も聞いてきた。

「仙台ヤマト」

「仙台ヤマトか。トゥヌキくらいいい名前だな!」

 変なやつだったが妙に安心した。まあイマジナリーフレンドとはそういうものなのだろう。

 そして一匹、また一匹とイマジナリーフレンドは増えていき、俺の周りにはイマジナリーフレンズとも呼べる謎のコミュニティが誕生した。

「お前新入りだな?名前は?俺の名前はトゥヌキ!」

「おいらはトルァ!あいつは?」

「あいつは仙台ヤマト!」

 勝手にイマジナリーフレンドの間で俺の紹介がされるので、聞いているだけでよかった。そうでもしないと5億年という月日に俺の脳みそが堪えられなかったんだろう。日に日にイマジナリーフレンドは増えていき、やがては俺の視界に入らないだけのイマジナリーフレンズが部屋の中に現れた。前まで地平線のように見えていた部屋の先は、花火大会の行列のようなフレンズの頭で覆い尽くされていた。

 そして時はやってきた。部屋よりももっと白い光が白い部屋を包んだ。イマジナリーフレンズたちは宇宙人が感動してるみたいに「ぅぉー」と全員で叫び、俺も多分同じ声を出していた。


 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるグルグルグルグル……


 目の前にはあの魔女がいた。彼女の手には100万円。

「わりに合わない!!!」

 俺は反射的にそう叫んでいた。そう。5億年に対しての100万円はわりに合わない。100万円のことなど4億年以上前に忘れていた自分に、まだ批判する感情が残っていたのだと感動を覚えながら魔女の反応を待った。

「え…?」

「はい?早く100万円くれません?」

「えっと、、お狂いでない?」

「お狂いというと」

「5億年ですよ…?」

 俺は嫌な予感が走った。もしかするとこいつらはハナっから記憶を抹消するつもりなんてなかったのかもしれない。そんな嫌な予想だ。

「お前はハナっから記憶を消すつもりなんかなかったのか!?」

「え?」

「いや、俺じゃないです。え?」

 目の前にはトゥヌキがいた。というか、こいつイマジナリーフレンドじゃないのか?なんで魔女に見えてるんだよ。。

「なんですかこのタヌキみたいな生き物!?」

「トゥヌキだ!」

 トゥヌキはそう叫ぶと魔女が持っていたちっこいボタンを叩き落として破壊した。

「ああっなんてこと…」

「いやいや、そういうのは後回しで、えっと、あなた俺に言いましたよね?帰ってきたらボタンを押す瞬間に戻るし記憶も消えるから100万円もらえるだけだよって」

「えっと、、」

「違うんですか?」

「いや、まずね、言いますけど、精神世界で5億年過ごした分の記憶だけ選びとって消せると思ってるんですか!?記憶って色々、こう、結びついてるんで!!」

 開き直りやがった。

 やつの話はこうらしい。5億年ボタンというのは魔法使い(本当に魔女だった)たちの間ではるか昔に作られた生贄システムの一種(絶対先に言えよこれ!)で、人の魂を5億年間神のもとに送ることでその1千万分の1、つまり500年間の世界平和を保証してもらう儀式らしい。そして俺は本当にたまたまその生贄として選ばれたらしいのだ。しかし5億年ボタンで魂が神に弄ばれた結果、帰ってきたときにはその人は気が完全に狂っていて、そのため根本的に記憶をいじる必要などないのだという。そしてそもそも魔術師にそんな精度の高い技術はないらしい。だから形だけ100万円を渡して野に放ち、その人のその後はあずかり知らないのだという。

「ふざけやがって…」

「まだ謝らないといけないことが…」

 5億年ボタンは確かに魂が5億年間の時間を経験するらしいのだが、それは現実世界で1秒も時間が経過していないことを意味するわけではないらしいのだ。神が平和を与えている時間が魂が弄ばれている時間。つまり、現実世界では500年間経過しているのだという。

「は?」

 にわかには信じがたい。ということは、家賃は完全に滞納しまくっていて大家さんはブチギレてその大家さんももういない。俺の部屋にあるいろんなものは警察やらなんやらに物色されつくし、俺は行方不明者として少し捜査された挙句にそれも打ち切りになって当時の記録も多分残っていない。俺にコメを分けてくれた大学の同期の丸山くんはもうすでに亡くなっている…

 というかこれ、タチの悪い浦島太郎状態じゃねえか…!

「お前ヤマトを浦島太郎にするつもりか!!!」

 トゥヌキが最大出力で怒鳴るや否や、魔女に飛びかかり、ローブを引っ掻きまくった。

「トゥヌキ!もういい…」

 もう俺の精神は狂ってしまったのかもしれない。だってありえないだろ。500年も時が経過してるならなぜ俺の体は500年前と変わらないんだ。きっとこれは夢だ。というか俺の脳みそが狂っていて、実はまだあの世界にいるのかもしれない。いやそれどころか5億年ボタンを押したとかそういうのもすでに狂った俺の妄想なのかもしれない。

「いえ、それは違います」

「はい?」

「すみませんが私はあなたの心の一部が読めます」

「そういう力はあんのかよ」

「そんな力でもないとお金に困って人生諦めかけている生贄候補なんて見つけようがないですから」

「なるほどね」

「そしてあなたの体が500年間保持されている理由。それは簡単で、魔術師たちがあなたの体を老いないように管理していたからです。死んでしまっては魂をつなぎとめるものがなくなりますから、当然の行いです。これまでの事実は全てあなたの妄想ではありません」

「そういう力もあるのね」

「それから重要な事実を申し上げます。今から私は5億年ボタンを押してもらう生贄候補を探そうとしていました。あなたが生贄になることで平和になった500年はもうすぐ終わりますから、あなたの次の候補を探そうというわけです。しかしながら、5億年ボタンというのは神と我々一族の交渉によって誕生した特定重要魔術具であり、この世界にたったひとつしか存在しません。はい」

 そう言いながら差し出した魔術師の手のひらには、さっきトゥヌキが叩き落としたときに粉々に砕け散った5億年ボタンの成れの果てがあった。

「それって、どうにかしないと世界が滅ぶってこと?」

「そうです!」

「どうすりゃいいの?」

「5億年ボタンを押して見事生還したあなただから頼みます。神と交渉してください!いや、手伝うだけでもいいです。そうしたら、一生困らないだけの富と名声を差し上げることをお約束します!」

「今度は裏はないですか?」

「今度は裏はありません!!」

「やるわ」

「え?いいんですか」

「俺が壊したようなもんだし。500年後の世界で野に放たれてもどう生きていけばいいのかわかんないし。まあなんかいろいろ信じるしかないし」

「俺が壊したようなもの、というのは我々の前では絶対に言わないでください。不慮の事故として私が片付けますから」

「了解。あ、あとさ、その100万円、とりあえずくんね?」

「わかりました!どうぞ。とりあえずそこの駐車場まで行きましょう!」

 100万円は思ってたよりも軽かった。

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