私、塔への幽閉が決まったので完全勝利致しましたわ

蒼鬼

私、塔への幽閉が決まったので完全勝利致しましたわ

「スザンナ・ブルーローズ! 我が婚約者でありながらリリィへの陰険で陰湿な加害の数々は見過ごすことが出来ん! よって貴様との婚約を破棄する!!!」


煌びやかな王立学園の卒業パーティー、王族の証である金の髪と青い瞳をシャンデリアの光源で煌めかせながら、この国の第2王子はそう高らかに宣言した。

今現在、このパーティーに参加している卒業生の面々は、名指しされたスザンナ・ブルーローズに刺すような冷たい侮蔑の視線を注いでいた。

……が、とうの本人は「あらまぁ」と血のように紅い瞳を細めてニンマリと笑って見せた。


「私、全くもって身に覚えがありませんの。それに殿下の後ろに隠れているようなご令嬢にも見覚えがないのですが?」


背中まである長くて黒い髪をさらりと撫でながら、不敵な笑みは絶やさずに第2王子の後ろで庇われているようなリリィ・マルシエ嬢に視線を向ける。

すると彼女は「ひっ」と小さい悲鳴を上げて縮こまり、それを見た第2王子の取り巻きである騎士団長や、宰相の息子などが壁になるように立ち塞がり、スザンナに敵意をもって睨みつけている。


「とぼけても無駄だ! 証拠は全て揃っている!!!」


怒気を孕んだ声で第2王子がそう言うと、彼はどこからか無惨に破かれた教科書やドレスなどを取り出して高々とあげて見せた。

周りのご令嬢からは小さな悲鳴が上がり、令息からは低いざわめきがホールに響き渡った。


「見よ! これがそこにいるスザンナが、醜い嫉妬の為に行った愚かな行為だ! 特にこのドレスはリリィの亡き母親の唯一の形見であったと聞く! 彼女は卒業パーティーにこのドレスを着て参加するのを楽しみにしていたのだ! その気持ちをそこの悪女がドレスと共に引き裂いたのだ!」

「なんて事を!」「人のすることではない!」「悪女め!」


有象無象のざわめきは悪意となってスザンナに注がれる。

しかし、そんな中でも彼女はニンマリとした笑みを崩さずにじぃっと第2王子の端正な顔立ちを眺めながら、手に持っていた髪色に合わせた透かしの扇をバッと広げて口元に当てた。


「あらあら、殿下はお耳が遠いようですわね? 私はそこの殿方に守られているか弱いご令嬢には見覚えがないと申し上げましたわ」

「知らぬ存ぜぬで通せると思うな! 貴様が彼女の教室に出向いておった姿や、中庭で私と彼女が歓談している場面をその不吉な色の瞳で睨めつけていたのを見たという証人が居るのだ!」


そう怒鳴る第2王子に対して、スザンナは目だけを笑っているように細めながら、扇で隠した口元を不快感いっぱいに歪めながら1つの結論を心の中で出していた。


──やっぱダメだわこのバカ王子。


遡れば15年前、公爵令嬢であるスザンナと第2王子は同い年という理由で3歳ながら婚約者になったのだが、貴族社会では別段珍しいことでもなく、昔から頭が切れたスザンナは割り切っていた。

だが、第1王子が持病で早くに亡くなってしまった為に温室でぬくぬく育てられたこの第2王子は、勉強嫌いで話を聞かないダメ王子に成り下がってしまったのだった。

両親である王と王妃は、間が悪いことに領地の日照りでの飢饉対策に追われていたり、第3子である第1王女を懐妊、出産といった事が続いたため第2王子の矯正をするタイミングを失ってしまっていた。

こうして出来上がったボンクラ王子を、王と王妃は自分の責任だと頭を悩ませたが、ブルーローズ家の中でも1番の才女と名高いスザンナが補佐となってくれればマシであると、ブルーローズ家の領地に婚約者費用とは別に援助をする代わりに、婚約を続けて欲しいという契約を交わしていた。

スザンナも、1度はこのボンクラ王子をお飾りにして、この国をまとめるのも面白いと思っていた時期があったが、半世紀以上をこのボンクラと共に過ごすという大きすぎる枷を背負い込むと考えると非常に気が重くなった。


──自己犠牲ができるほど、私はお人好しではなくってよ。


スザンナという婚約者がいるのを分かっていながら、他の令嬢にうつつを抜かす不誠実さにくわえて、断罪式で上げられた加害の件も、スザンナがやった。という決定的な証拠や証人を集められない時点で、このボンクラ王子の才能なぞ推して知るべし。

まあ、この大勢の観衆の中にはボンクラ王子の言いがかりにも近いような告発を疑問に思っている者も居るには居るようだが、学生生活中でも王族特権に近い権力を振り回していたバカタレだ、報復が怖くて言い出せずにいるのだろう。


──この調子だと、王女様が友好国から婚約者を迎え入れて、それを王に据える流れが1番濃厚ですわねえ。


歪めていた口元を、何事もなかったかのような美しい弧に戻し、扇を閉じて右頬を先端でピタピタと触る。


「嫌ですわホホホ。私がこの手でやったという証拠もなければ、その証人とやらも怒鳴りつける殿下を恐れて前に出てこないではありませんか、婚約破棄などおやめになられた方がよろしいですわよ? えぇっとそこの……リリィ嬢だったかしら? 殿下もお人が悪いですわ、愛妾を見初めたならば私に紹介してくださったらよろしいのに」


ニンマリニマニマ。

まさに悪女が浮かべるべき笑みをスザンナは表現してみせた。

それは普通の令嬢が行ったらただの強がりじみた不気味なだけのものだったであろう。

だが、黒い髪と紅い瞳という2つの容姿的な強みを持っているスザンナが行う事で、この場にいる全ての人間がスザンナに強烈な印象を植え付けられたであろう。

リリィ嬢が後宮入りとなったら、必ずこの悪女は彼女を害するはずだ……と。


「おのれ! 我がリリィを侮辱するとは!!! 婚約破棄の撤回はせぬ! それに貴様という存在が居る時点でリリィに危害が及ぶ可能性がある! よってスザンナ・ブルーローズを茨の塔へ幽閉とする!!!」


いつもは白磁器のような白い顔を、興奮で真っ赤に染めながらいかにも勝ち誇ったかのような顔で見下す第2王子を、スザンナは真っ直ぐに見つめながら困ったかのように「あらあらまあまあ」と呟いてみせたのだった。





半ば強制連行とばかりにボンクラ王子とその息がかかった護衛騎士に身支度の為に家に戻されたスザンナは、彼らの監視の下、自分の荷物をまとめるために大きなトランクをクローゼットから引っ張り出した。

勿論、姉妹のように仲が良い専属侍女が手伝おうとしたが、騎士が剣をチラつかせ脅すので、彼女は悔しそうに歯噛みしながら部屋の隅に引き下がった。


「ふん、随分と用意がいいな」

「卒業後にお友達とパエラ島へバカンスをと思いまして、その用意ですわ」


パエラ島は有名な観光地であるが、このボンクラ王子はパエラの言語を話せない。

しかもお友達と一緒、という部分を強調し、無学をひっそりと馬鹿にすれば、彼は顔をまるでゆでダコのように真っ赤にしてクローゼットの中に置いてあったみすぼらしい肩掛けカバンを取り出してスザンナに思い切り投げつけた。


「貴様の荷物などそれに入る程度で充分だ!!!」

「あらあら左様でございますか、困りましたわねえ、これでは下着しか入らないではないですか」


不敵な笑みを絶やさずに、スザンナは下着が入っているであろう引き出しに手をかけると、さすがに男としての矜持は僅かに残っていたのか、彼らは慌ててスザンナの部屋から出ていったのであった。


「ホホホ、可愛らしいこと。さあマリーリカ怖がらせちゃってごめんなさいね、私の身支度を手伝ってちょうだい」


部屋の隅でボンクラ王子達を睨めつけていた専属侍女は、ぱあっと表情を明るくさせてスザンナの支度を嬉々として手伝い始めたのであった。






茨の塔とは、神代の頃に世を戦火と絶望に陥れた蛮族の王を、1人の天才魔導師が永遠に封じる為に建てたとされる天高い塔の事である。

その塔には外からへの出入口はなく、唯一の入口が小さな神殿の地下に隠されているのだ。

そう入口だけがある、つまりは一方通行なのだ。入ったら二度と出られないと言っているようなもの。

一応出口と呼べるものはあるにはある。それは人1人何とか通れる位の窓だ。

だが、茨の塔と名が示す通り、窓以外にはびっしりと瑞々しくて太い茨が絡みついている。

つまりは翼がない限り脱出は不可能、かつて逃亡中の盗人などがこの塔に逃げ込んで、孤独に耐えきれず茨をつたって下りようとしたが、茨の棘はひとつひとつが剣のように鋭くよく切れる為、痛みと血のぬめりで滑った彼らは墜落死という末路を辿ることになる。

勿論逆も然り、塔の中にあるかもしれない魔導師が遺した宝を得るために外から登ろうとしたものが尽く失敗したという話は数え切れない。

実際に、スザンナも幼い頃に道徳授業の一環として連れてこられた時に、墜落死した哀れな男を発見したことがある。

窓という希望を作っておいて、最も残酷な最期を遂げさせる幽閉先として、茨の塔は恐れられており、過去に刑場として利用もされていた記録も残っている。

そんな場所へ通じる魔法陣の手前に、スザンナは笑みを絶やさずに立っている。

その周りには、ボンクラ王子とリリィ、その取り巻きの数人の男共。


「最後に貴様に慈悲をくれてやろう」


スザンナは、家で着替えたシンプルで飾り気のない喪服のようなドレス姿には、全く似合わないあの派手な扇をバッと広げて口元を隠した。

その表情は堂々不遜としたものだが、心境は『何を言い出すんだこのダメ王子は』という軽蔑であった。


「リリィに今までの事を謝れ、心優しい彼女はそれさえしてくれれば全てを許すと言っている」

「はい! 私がマルクトにお話しました! スザンナさんは悪い事をしましたけれど、茨の塔に閉じ込められるなんて可哀想です!って そしたら私に謝ってもらえればそれだけは撤回してくれるって約束してくれました!」


いかにも慈悲深い王子とその恋人を演じているようだが、ここに来て茨の塔へスザンナを向かわせた場合に降り掛かってくる面倒事を避けたいという魂胆が透けて見えた。

卒業パーティーで幽閉すると高らかに宣言しておいて、一体今更なんだと言うのだろうか。

彼らの中では泣いて許しを乞い和解すれば、リリィの優しさを国中が褒め称えるとでも思っているのだろうか、そうであれば脳内はとんだ芥子畑おはなばたけである。

ここで改めてまじまじとスザンナはリリィの容姿を見る。

雪のように真っ白い髪の毛は、その頭の中を象徴するようにふわふわしていて、大きくて丸いすみれ色の瞳はうるうると涙で潤んでいる。

唇を隠すようにキュッと引き結んでいるが、スザンナから見たら猿顔の一芸か何かかと思ってしまう。

両拳を顎の下に添える謎のポーズは無性に腹立たしい事をこの上ないが、馬鹿な男を魅了するには充分なのだろう。

しかしまあ……、と呆れ返ったようにスザンナは目を細める。

勝手に家同士の婚約を破棄した事を、現在外交へ赴いている両陛下にどう言い訳するのか知らないが、身分も違えば性別も違い、しかも未婚の女性が未婚の男性を呼び捨てで呼ぶなど言語道断である。ボンクラ王子の為にと、次代の王妃に求める作法に厳しい王妃には絶対に気に入られはしないだろう。

そもそも、こんな教養のない彼女と婚約にもっていけるかどうかも怪しい。

それに、確か後ろで今か今かとスザンナが頭を下げて謝罪をするのを求めている取り巻きの男共も、この先あまりよろしい事にはならないだろう。

王族や貴族には失敗は許されない、つけいれられる弱みを作ってはいけない。

幼い頃からそう学び育ってきた為か、目の前で自分たちが正義だと勘違いして陶酔している彼らがおかしくておかしくて堪らずに、スザンナはくつくつと肩を震わせ声を出して笑った。


「なっ! 何がおかしい!!!」

「ホホホ……これが笑わずにいられましょうか、どうしようもない愚か者共の愉快で下品なお芝居を見せられたらさすがの私も声を上げて笑ってしまいますのよ、アハハハハ! お捻りを差し上げようと思いましたけど、残念な事にこのカバンに入っているものは何一つ差し上げられませんの、ごめんなさいね?」


そう言って広げていた扇を閉じて、ボロの肩掛けカバンをポンポンと叩く。


「先程の答えですけれども、私は謝りませんわ。だって責められる理由がどこにもありませんもの、そこのボンクラ王子が自分で言ったことが真実と疑わないならば、私も私が言ったことが真実ですわ。私は何もやっておりませんもの」


そう言ってから、スザンナはハッとして扇の先に唇を当てた。

思わずボンクラ王子という蔑称を使ってしまった事に気が付いたのだ。

彼らはまさか公爵令嬢からボンクラなどという暴言が出るとは思わなかったのか、目を白黒させていたが、すぐに気がついて頭ごなしに怒鳴ってくるのは目に見えていた。

ので、彼女は追撃を許してはならないとばかりにそれはそれは美しいカーテシーをもって、声を高らかに張り上げた。


「それではごきげんよう皆様! どうぞいつまでもお元気で」


おおよそ令嬢が履くものではない、ヒールのない侍女用の革靴で、軽やかな足取りでスザンナはくるりと翻って魔法陣へと足を踏み入れた。


「スザンナ!!!」


そう叫んで、翻る彼女のドレスに手を伸ばして来たのは誰だったのか、全く振り返ることも無く淡い青い光に包まれてその場から消え失せた彼女には終ぞ知ることはなく興味もなかったが、望む言葉も貰えず、振り返る事もしてもらえず、ドレスの裾に少しでも擦る事も出来ない、追いかけて魔法陣に入る度胸すらない愚か者共の顔を見れなかったのは、少しだけ残念に思ったのであった。







さて、スザンナが塔に到着してからまず行った事は深く深く息を吸ってから腹一杯に力を込めての。


「やりましたわーッ!!! 自由ですのよーッ!!!」


と、叫ぶ事であった。

それは物心ついた時から、他の子より少しばかり頭が切れるためだけに負っていた気苦労と、そのためにコツコツと準備してきた作戦が無事に達成出来た事への自分への労いを、誰にも心配かける事もなく、声と共に思いっきり吐き出したかったからだ。


「アーハハハハハ最高ー! 床を転げ回っても誰にも叱られない! 心配もされない! お医者様を呼ばれる事もないわー!!!」


茨の塔は、道徳授業の一環として語られるものとは全く別の場所だった。

まずは広い。確かに下から見上げた時は広い空間があるとは思えないが、めちゃくちゃ広い。

確かにスザンナの生家である屋敷と比べてしまえば小さいが、少し裕福なひと家族が住んでる一戸建てぐらいはある。

スザンナが降り立ったのはダイニングルームだろう、巨大な丸太から削り出した丸テーブルと、木造の無骨な作りだが可愛らしいパッチワークのクッションが乗っている椅子が2脚。

キッチンも立派なもので、ストーブにパン焼き竈、広くて使いやすそうな作業台もある。換気もどうやらしっかりしているようだ。

それに床には気持ちの良い絨毯が敷いてある、これを土足で踏むのは躊躇われたので、転がってからすぐスザンナは靴を脱いで部屋の隅に置いた。


「アハハハハー!!! もうすでに最高ですわー! それもこれも、全部これのおかげですわね」


満足するまでゴロゴロを堪能したあと、ひょいと身を起こしたスザンナは、あのボロの肩掛けカバンから1冊の表紙に大きなルビーがあしらわれた革張りの手帳を取り出した。

それは、この茨の塔を作った天才魔導師が残した手記である。


──本当にこれを手に入れたのは幸運でしたわね。


ぱらり、ぱらりとページをめくる。

そこに書かれていたのはこの茨の塔に関する真実であった。

それは、自らを犠牲にして蛮族の王を封印するために作ったこの塔は、実際は蛮族の王と禁断の恋に落ちた魔導師が、2人の愛を邪魔されないようにと、表向きは世界平和という大義名分を掲げて建てた大層ご立派な愛の巣であったというものである。

スザンナは幼い頃、確かに塔の下で墜落死した哀れな男の姿を見つけた。

だがそれよりも前に、道徳授業が嫌でひっそり抜け出し隠れた茂みの影に、きらりと光るものを見つけた。

それがこの手記であった、最初は誰かの落し物かと思ったが、茂みを出た先でこの手記を盗んだであろう盗人の最期を見つけてしまい、なんやかんやと話を聞かれたり同情されたりするうちに、手記を衛兵といった大人へ渡すタイミングを見失い、恐らく国宝級であるそれをうっかり手に入れてしまう事になってしまったのだった。

さあそんな奇跡のような偶然に、今のスザンナは助けられている。

実際はこの手記の存在と、頭の切れる過去のスザンナの作戦にだ。

俗世から離れた快適な住まい、しかもこの塔の真実を知らない愚か者共はここを地獄よりも酷い場所だと勘違いしているのであろう。

そう考えると愉快でおかしくて堪らなくなったが、ふと冷静になったスザンナは手記を閉じて小さく呟いた。


「確かに……まだ完全勝利とは言えませんわね」


まだこの場所には足りないものがある。

けれど近いうちにそれは向こうからやって来ることを知っているスザンナは、気を取り直して他にもある部屋を探しに歩き回ったのだった。







事が動いたのはそれから1週間後だった。

スザンナが待ち望んでいた者がそこに訪れたのである。


「マリーリカ! ああ待っていたのよ!」

「スザンナお嬢様! お元気そうで何よりでございます!!!」


それはスザンナの専属侍女のマリーリカであった、彼女は屋敷の制服ではなく、落ち着いた若草色のワンピースを着た私服姿に、見覚えのある大きなトランクを両手で重そうに持っていた。


「あらそのトランクどうしたの」

「お屋敷を辞める時に給料代わりに頂いて参りました、人目もはばからず大泣きしたらあっさり頂けましたよ」

「あらあらウフフ、しょうがない子。ああそうだった聞きたいことがあったの、ねえマリーリカ、私がここに来たから一体何日経ったのかしら」


スザンナのその問いに、凛々しい顔を更にキリリとさせてマリーリカは答えた。


3

「あらまあ、もうそんなに経ってしまったのね」

「はい、いくつか報告がございますのでお茶をお淹れ致しますわ。お嬢様がお好きだったクッキーも買ってありますの」

「まあ嬉しい! ここに来てそうそうだけれどもお願いするわ、やっぱり紅茶は貴女が淹れてくれた方が美味しいもの」


和気あいあいと2人はお茶会の準備を進めると、ふと思い出したかのようにスザンナはあのボロのカバンを持ってきて、中から小花柄の可愛らしいティーカップを2脚取り出してきた。


「貴女とのお茶会にはやっぱりこれじゃないと」

「まあ! いつの間にそこにお入れになってたのですか!?」

「パーティーに行く少し前によ、それにしてもブルーローズ家の家宝をあんなぞんざいに投げ渡すなんて思いもよらなかったわ」


そう言って笑ったスザンナが言う家宝とは、小花柄のティーカップの事ではなく、あのボロの肩掛けカバンの事であった。

これはまた神代にまで遡るが、まだ魔法という力がどこにでもあった頃、どんなものでもどんな数でも入るカバンが至る所にあった。

しかしそれは魔法がどんどんと薄れていくにつれて姿を消し、今に至るまでに残ったのはこれを含め片手で数えるほどだという。


「それについて旦那様が第2王子様相手に相当お怒りで、訴訟を起こしましたわ」

「あら、私にみすみす家宝を持って逃げられたこと?」

「いいえ、お嬢様に家宝を投げつけた事についてです」

「アハハ、確かにそうよね。王位継承権第1位のお方が、このカバンの価値を知らないなんて普通であれば有り得ませんものね」


そう言いながらスザンナはカバンからズルズルと色々なものを取り出す。

テーブルに掛ける白いクロスであったり、クッキーを盛り付けるお気に入りの皿であったり、まだ瑞々しくたっぷりとつゆを纏ったガーベラを花瓶ごとだったり。

そしてあっという間に見事なテーブルセッティングがされ、白磁のティーポットにたっぷりと満たされた紅茶とお気に入りのクッキーが供される。


「ありがとうマリーリカ、貴女もどうぞ一緒に、そしてお話を聞かせてちょうだい」

「ありがとうございますお嬢様、それではお言葉に甘えまして」


2人分の紅茶を用意してから、マリーリカは向かい側に座るとまず紅茶を一口含みその出来栄えに満足そうに頷いてから話し始めた。


「先ずは第2王子様、彼は廃太子の後に名簿から削除され僻地に追放されました。なので今はただのマルクトです」

「あらまあ陛下も思い切ったことを、名簿位には残すのかと思いましたけど」

「婚約破棄程度であれば廃太子で収まったと思いますが、やはり司法の権限を持たない身で、この塔へ幽閉を勝手に決めたのが決定打だったと思われます」

「でしょうね、後から『スザンナが勝手に飛び込んだ』と証言しましても、何せ卒業パーティーでの一件がありますからね、それに一旦家に返して身支度までさせる事までやらせてしまっては」

「はい、私を含め何人もの使用人が見ておりましたから」

「運が良かったのはお父様もお母様も宰相家に集まってご挨拶会をしていた事ですわね、まああそこで卒業生の両親たちが集まるのは、もう伝統行事のようなものですけど……あれがなかったらこれを持ち出すことが出来ませんでしたわ」


チラリと、スザンナはカバンに視線を向けて言った。


「執事長は気付いて慌てて止めようとしていましたけれど、あの無礼な騎士達に邪魔されてしまいましたからね」

「ふふ、そうね。ああ宰相家や騎士と言えば、あの腰巾着達はどうなりました?」

「ああ彼らは……」


一旦話を止め、クッキーを頬張りマリーリカは破顔する。

その素直で屈託のない笑みにスザンナの心は大層潤った。


「彼らもまた廃嫡ですが、名簿から削除まではされておりません。しかし彼らにもまた婚約者がいましたので、不貞と不誠実を働いたとして婚約者側から正式に破棄されて慰謝料請求をされたそうです」

「まあまあ、では親の後ろ盾も出世も見込めること無く慰謝料を払うためだけに働くことになってしまったわけですね」

「似合いの末路と思います」

「うふふ、マリーリカったら」


彼女の歯に衣着せぬ物言いに、愉快そうにスザンナは笑う。

そして「ああそういえば」とクッキーに手を伸ばした。


「彼女はどうなりましたか?」

「ああ、あの無礼な小娘ですね。あれは病院送りとなりましたわ」

「まあ! 精々修道院かと思っていたのですが、どこかお悪かったのかしら」

「悪かったではありませんか、頭が」


ふふふ、と自分の返しが面白かったのかマリーリカはしばらく肩を震わせたが、落ち着けるように紅茶を含んで唇を濡らしてから続けた。


「お嬢様がこちらに来てからお屋敷は大変な騒ぎでしたのよ、何せ帰ってきたら勝手に婚約破棄はされているわ家宝は無いわお嬢様は茨の塔に幽閉だわで、あまりの事に元奥様は倒れられたほどです」

「そればかりは、お母様には悪い事をしたわ」

「すぐに元旦那様が早馬を使いに出して陛下に報告をなさいました、両陛下は外交を切り上げてお戻りになられまして、それを何かと勘違いしたあの女が、畏れ多くも新しい婚約者であると両陛下に宣言致しまして」

「あらやだ! そこまで礼儀がなっていないとは思いもよりませんでしたわ」

「そこからはもう両陛下の怒りが収まらず、先程も言った通りに第2王子は廃太子に名簿削除、初めは女もその意味が分かっていなかったようですが、説明されてようやく理解したら取り乱しまして『私は王妃になる運命』だの『贅沢な暮らしをするの』だのと喚き散らしまして」


はぁ。とマリーリカはその時のことを思い出したのか、悩ましげに眉間に皺を寄せた。

まだ王妃が健在であるにも関わらず、そんな彼女の前で『王妃になる』と宣言するのは不敬を通り越して謀反を企てていると疑われても仕方がない。

まさかそれほど頭が足りないとは思いもよらなかったスザンナも、苦笑を浮かべるしか出来なかった。


「マルシエ家は領地の幾つかを両陛下に返上の後に、あの女を狂人として入院させるという形で何とか没落は免れたようです。しばらくは後ろ指を差されるでしょうが、まあ寛大な処置だと思いますね」

「名簿削除がされていないのは意外でしたわ」

「あんなのを世に放ったら大変な事になるからでしょう、それに居なかったことにしてしまったら入院させられませんので、あの女が死ぬまでマルシエ家は入院費という無駄な出費をする他無いでしょう」

「修道院では逃げられる可能性もありますものね」


彼女が何歳まで生きるのかは知らないが、世を儚んで自らの手で終わらせるというような心変わりは期待しなくて大丈夫であろう。

20年か30年か……花の盛りはとうに終わり、実を結ぶことなくただただ枯れ果てるだけの草に、一体いくらの無駄金が消費されるのだろうか。

そう思えば、何かと陰口ばかり叩かれていたスザンナのささくれた心も少しは癒えるというものだ。

出来ればリリィには長生きしてもらいたいものである。

スザンナはほくそ笑みながら最後のひと口を飲み干して、カップをソーサーに戻しふぅと息を吐いた。


「ありがとう、やっぱり貴女の紅茶が1番美味しいわ」

「痛み入ります」

「でも……」


と、スザンナが呟くとマリーリカはさっと表情を曇らせた。


「何か至らないことがございましたでしょうか?」

「いいえ、いいえ。貴女は常に完璧で素晴らしい女性よ。それなのに私のこのワガママに付き合わせてしまって良かったのかと」


そう、茨の塔は入ったら脱出することがほぼ不可能な場所である。

そして更にこの茨の塔の入口には、転移以外にももう1つ不思議な魔法がかけられている。

それは、塔の内部に2人存在する場合、入口が消失するというものだ。

この秘密はスザンナとマリーリカしか知らない為、今貴族の間では突然消えた入口に大騒ぎしている事だろう。

そして、この塔の中は時間の流れが極端に遅い。

塔の中での1週間も、外では3ヶ月も経過してしまうのだ。

恐らくこれらは、魔導師が蛮族の王といつまでも仲睦まじく過ごせるように何重にも張り巡らせた最高の魔法なのだろう。

おおよそ神代の頃より1000年は経過している筈だが、まだしっかりと機能しているので魔導師の執念が伺える。


「お嬢様、そんな事をおっしゃらないでください」


マリーリカは席から腰をあげると、スザンナの傍で膝をついて微笑みながら手を握った。


「15年前にお嬢様に命を救われたその時に、私の体も心も全てお嬢様に捧げるものと決めております。その決意は今も揺るぎありません、私はお嬢様に選ばれて、本当に幸福でございます」

 

スザンナは彼女のその健気な言葉に心を震わせた。

彼女を選んだのはスザンナが10歳の頃。

あの頃はまだこんなに可愛くて素直じゃなかったが、生まれ持った感性が彼女でなくてはダメだと声高に訴えかけていた。

あの時の事はよく覚えてる、彼女の瞳はとても綺麗で吸い込まれそうな程だった事を。

その時に思った。

この子はきっと将来自分が思うよりずっと素敵な女性になるだろう、と。

だから選んだのだ。


「ありがとう、マリーリカ」


そう言ってスザンナは目元に光る雫を拭きつつ彼女の添えられた手を握って立ち上がった。


「さあ、それじゃあ一緒に夕食の支度をしましょう。美味しそうなチキンがあるの」

「ふふ、ではホワイトシチューにしましょう。パンはいかが致しましょうか?」

「もちろん開いてカリッと焼いてちょうだい、バターもたっぷりありますもの、惜しげも無く使っていいわ」

「それは素晴らしい! ですが全てお召し上がりできますか?」

「勿論よ、だってこれからはあの煩わしいコルセットを付けなくてもいいんですから」


2人仲良く手を取り合ってキッチンへ向かう。

食事を作って、一緒に食べて、片付けをしたら魔導師が残した手記をじっくりと読み込もう。

二度と出られないはずのこの塔の中で、なぜあの2人の遺体が見つからないのか。

恐らくはこの塔から出ることは可能なのだ。

それはこの場所の特異性が物語っており、時間差を作ることで自分達の話が伝説になった頃合いを見て、2人手を取り合って塔を後にしたのだろう。


『盗人は快適に暮らせるだけにしか気付けなかったんでしょうね、だって独りは寂しいですもの』


そう考えると、なんだか今までに人との関わりを求めて亡くなった罪人達が可哀想な気にもなってきて、食後のお祈りに少し彼らの死後の安寧を祈ってあげようとスザンナは思った。


「うわあ凄い! これは氷冷箱ですか!? こんな大きいものが存在していただけでも驚きなのに、見ただけでもわかるほど良い食材がぎっしりと!」

「ええ、それに使ってもどこからか補充されるしいつまでも傷まないわ、水はそこのテコを上げれば冷たくて綺麗なものがどんどん出てくるのよ、使い方を教えるわね」


だが、まあ今はそれより食事の準備だ。

もう既に殆ど失われた魔法の遺物に目を輝かせて感動しているこの愛らしいマリーリカとの、幸せな生活を思い描きながらスザンナは花が開くような笑みを浮かべたのだった。

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