17 黄色いコップ
彼にとって黄色いコップは青い若葉よりも深い意味を持っていたが、今までそれを誰にも語ったことはない。生きているうちに誰かに語ることもなさそうである。彼は日記のような、日記になり得ない一つの文章の塊を書き上げながら、黄色いコップの深い意味の総体を定量的に観測しようとする。しかし、言語という媒体を用いているという点でまったくもって定量性に欠けているということに彼はまだ気づいていない。彼が言語の自己言及的な側面に気づくまでにはかなりの時間がかかり、その時間は彼の寿命をはるかに凌駕する。彼は死ぬだろう。黄色いコップの意味の全体像をつかむ前に。
女が、歩いている途中で急に立ち止まった。二人は近くのコンビニに向かう途中だった。灰色の住宅街の中に女が黄色いコップを見つけたのだった。悠二は、歩いていると突然女が自分の隣から姿を消したことに軽く驚きながらも、微笑を浮かべ振り返る。それまで何を話していたか、もはやわからない。わかるのは女が左側の髪をかき上げながら道に整然と置いてある黄色いコップに顔を近づけて行くとき女の目が悠二の方を一瞬だけ見たことが、彼には一種の挑戦に感じられたことだった。プラスチック製の黄色いコップを女は指先でついて横倒しにした。そしてコップが円弧を描いて転がっていくのをしばし眺めたあと、それをローファーを履いた足で踏みつけた。黄色いコップは飲み口を楕円形にして歪んだが、割れることはない。女は短い靴下を履いており、靴下より上の部分は足が剥き出しになっている。ふくらはぎが小刻みに震えている。女の体重はコップに支えられていた。
そのとき女は足をはなしコップを拾いあげると、それまでそこにそれがあることすら意識になかった、道のわきにある更地に向かって黄色いコップを投げた。黄色い放物線が青空を切り取った。
「あれは関係」と女は言った。
悠二は勃起していた。
ポートフォリオ 小原光将=mitsumasa obara @lalalaland
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます