リミット二日目の進展(2)



「調べたが、やっぱり栃田麻衣は口座もないし、実家とは絶縁状態だったぞ」

「大西、あんたねぇ、ノックぐらいしなさいよ」

 ずかずかと入り込んでがなり立てる大西を、後ろに続いた女性刑事が呆れた物言いで突き刺す。南方と同じ年頃の、茶色いショートヘアが凛々しい女性だ。お洒落なカフェ兼バーを教えてくれた、染崎そめざきである。不服げに唇を尖らせながらも、小さく「すまん」と口にした大西に肩をすくめる。


 その彼女が押さえてくれているドアから、長洲野と藤間、アレクサンドリアも顔を出したのを見届けて、気を取り直すように大西は続けた。


「あと、DVから逃げ出す場合、事前に役所や警察に相談があることも多いが、うちの方には履歴がなかった。役所はいま確認中だが、あまり期待はできんかもしれん。子連れで逃げる場合、学校や習い事関係へ根回しすることもままあるが、そうした話もなかったようだからな」


「被害を口にするのは、それだけで多大な負荷になるからね。深刻なほど心理的に相談しづらくもなる。生命に危機が及びかねない状況でもあったようだから、相談する間も惜しんで急いで逃げたのかもしれないけれど……」

「経済的に封じられ、人間関係も断たれていた麻衣さんが、単独で奏さんまで連れて逃げられたとも思えない、ってことよね」

 染崎の言葉の先を受け取って、南方が言う。


「例の出入りしていた男というのが、協力者だったのかもしれませんね」

 当初、浮気相手かと疑われた男の存在を長洲野が示せば、どかりと背もたれに身を預け、大西が唸った。

「だとしても、そいつが誰かが分からん。調べてみたが、手掛かりもなくてな」


「状況を整理してみましょうか」

 そう、南方はホワイトボードの前に立った。


「栃田麻衣さんと娘の奏さんが、おそらくはDVから逃れて姿を消したのが一週間以上前。奏さんが友人の美希みきさんへメッセージを送って音信不通になったタイミングを考えるに、春休みが始まると同時ぐらいね。その時に、謎の男が協力したと目される。目撃情報からして、逃げ出す少し前から出入りをして、準備をしていたのかもしれないわ。


 そして、ふたりが家を出たことで、夫の栃田洋平が動き始めた。洋平は一昨日までは出社しているから、消えたのは昨日で間違いない。そして、それに伴い、栃田一家を探しに行った社員や警察官も姿を消した。ゆえに、この洋平以下の失踪原因は、奏さんの異能と推測される。おそらく、自分を《探す》者を消す異能。


 けれど、少なくとも一週間、洋平は消えずに探し続けられていたし、探すための投稿をした高校生は消えていないから、異能が発動したのは、奏さんたちが逃げ出した時ではなく、昨日。当初は想定しつつも、使われていなかったんだと思うわ。その異能が、『何らかの事情』で昨日使われるに至った……。そのため、探していた者たちが昨日を境に次々と消え、事件が表面化した――ってところかしら」


「その『何らかの事情』っていうのが、すごく嫌な感じがしない?」

 南方の説明に頷いていた染崎が、苦く顔をしかめた。

「異能を使うに至るような、状況の変化があったってことでしょう? もうそれって、一番見つかりたくない相手に見つかりかけた――ぐらいしか思いつかないんだけど」


「あまりいい状況と言えんな。妻子を人だと思っていない男だ。見つけ出したら、怒りで何をしでかすか分からんぞ」

「失踪者が出てきてない以上、異能が発動し続けているということですから、奏さんは無事でしょうが――麻衣さんは、分かりませんね」

 想像しうる最悪の事態に表情を曇らせながら、長洲野は藤間を振り返った。


「しかも、今の予測を確信に近づけられる情報がありまして……藤間、頼むよ」

「はい」

 そう藤間は小脇に抱えていた、押収物のモバイルパソコンを机の上に広げた。


「これ、那世さんたちが持ち帰ってくれた栃田洋平の私用パソコンなんですけど、削除されていた中から、なんとかメールのやり取りの一部を復元して掘り出しまして。そこに探偵への捜査依頼を見つけました。さすがに、SNS頼りだけでは、心もとなかったんでしょう。高校生の方には、特に有益な情報提供はありませんでしたが、この探偵側は分かりません。いま、雛衣署の方が事務所まで走ってくれていますけど……もしかしたら、こっちから麻衣さんたちの居場所の手がかりを得ていたかもしれません」


「居場所を見つけたお父さんがやって来た。だから、慌てて隠れた。それを探そうとして――異能が発動した。もしそれが、異能による最初の失踪者、栃田洋平が消えた経緯だとすると、かなりまずいんじゃない? 麻衣さんの安否が、その状況だけだと分からないのももちろんだけどさ、どこかで異能が切れた時、俺たちが奏さんを見つけられていないと、先に栃田洋平が接触する可能性がある」


「事件を解決するためにも、安全のためにも、まず奏さんの居場所を割り出す必要があるな。――探さずに」

「探さずに探す、って、とんちかな」

 異能の性質を思えばそのとおりなのだが、とんだ無理難題を口にする那世へ、重い空気をぬぐうように北瀬は小さく笑った。けれど、次にはすぐに、真摯な瞳で考え込む。


「行政に頼らずに逃げるとしたら、まずどこに逃げる?」

「まずは実家――だが、麻衣さんは絶縁状態だ。頼れない」

「あとは、昔の知り合い、友人……とかか?」

 北瀬の問いに那世が答えれば、大西が続いて頭をかいた。それに、藤間が「残念ながら」と力なく首をふる。


「古い友人たちとは、縁を切らされてる可能性が高いです。麻衣さんの携帯、調べてみましたが、ほぼ真っ白です。連絡先は夫、娘、病院のみ。病院もカモフラージュではなく、本当に病院のものでした。たぶん、履歴毎日調べられていたんだと思います。基本機能は電話というより、GPS端末だったんじゃないでしょうか」


「もうそれ、GPS位置が家じゃないと鬼電されてたの確定じゃない。それだけで、家を出て誰かに相談とかする気力なくなるわ」

「ひねりつぶしたくなる地獄のような束縛ね」

 藤間の淡々とした報告に、南方と染崎が口々に重ねる。その左右の声に、気持ちはわかります、とばかりに、藤間の腕の中、アレクサンドリアもふるふると頷いていた。


「でもそれだとますます、疑問だわ。例の協力者とおぼしき男性。その彼とどうやって連絡をとって、逃げ出したのかしら?」

 南方の疑問に、はたと北瀬がなにかひらめいた顔を藤間へと向けた。

「……奏さんの方は? キッズ携帯、持ってたよね」


「調べましたが、両親以外はお友達が数名、連絡先として登録されていただけでした。麻衣さんほどではないでしょうが、チェックもされていたでしょうし……」

 そこまで言って、藤間は言葉を区切った。あれ、と違和感をたぐるように首をひねる。

「いえ、でも、麻衣さんの携帯は、通話の履歴、メールのやりとりも、全部消されていたんですよ。たぶんチェックしたら消す、という形だったんだと思います。それが奏さんにはなくて、メッセージのやりとりが残ってたんです。ですが、ひとり、『まこと』という相手は、連絡先は登録されてるのに、やりとりが一切残ってませんでした。思えば、それ、逆に不自然かも……」


「そこ、調べましょう」

 南方が前のめりに身を乗り出した。

「麻衣さんと比べれば、奏さんの束縛は緩かったわ。子どもだからと油断して、管理が甘かったんじゃないかしら。もしかしたらそこを利用して、奏さんが窓口となって、協力者と連絡を取ったのかもしれない」


「番号の契約先、すぐに確認します」

「よし! その確認が取れたら、署員を該当者の家に向かわせよう」

「家に向かう人数は最小にした方がいいかもしれませんね。どこからが、《探している》行為になるかわかりませんから」

「そうね。通信を密にとりあって、少数で動きましょう」

 長洲野の提言に、南方がうなずく。その小さくも頼もしい背に、北瀬が手をあげた。


「班長。そっちは藤間ちゃんや雛衣署の方に任せて、俺たち図書館行ってもいいですか?」

「まだ一九時過ぎなんで、たぶん走れば一番近い図書館の閉館までには間に合うと思います」

 すでにコート着込んでいる那世が続けば、南方は雑に手を振った。


「いいわよ、行ってらっしゃい。連絡は忘れず」

「なんで図書館なんて行くんだ?」

 慣れた様子で短く許可する南方はその理由を察しているようだし、ほかの非違検察課のふたりも同じ様子だ。すでに電話番号の確認と、その後の捜査周りの調整、確認に慌ただしげである。だが、雛衣署の大西にはさっぱりわからない。


 それに薄手のコートを羽織りながら、どこ隠し事を楽しむ子どものように、北瀬は笑った。

「いや、たまにそういうところで、掘り出し物があるんですよ。異能ってのは」






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