宵に潜む


 ◇



 黄昏時の小路を走る。空を仰げば、まだ西の彼方、家々の屋根の向うには朱色の輝きが名残りを広げ、雲を鴇色に染め上げていた。

 けれど、那世の頭上には、早くも夜の帳色が溶け込んできている。濃く深い藍色に空気は冷え、暗い影の落ちる路地はすっかり宵の様相だ。


 小路を抜けかけた曲がり角で、人の気配を感じ、那世は慌てて路地の奥に身をひそめた。目と鼻の先。小路の通じる広めの歩道を、ふんふんと鼻息荒く犬が通り過ぎ、散歩する人間を引っ張っていく。

 気づかず通り過ぎたひとりと一匹に、ほっと那世は吐息をついた。


 いま、彼は――いや、彼らは、誰にも見つかってはいけない。かくれんぼの真っ最中なのだ。


(あと何人、残っているか……)

 那世は周囲に人影がないのを確認すると、素早く小路を抜け出し、通りの向うの物陰に身をひそめた。


 那世たちが全身全霊のかくれんぼに身を投じることになったのは、奏の所在が発覚したことに端を発する。


 昨日の夜、図書館から本を携え、那世と北瀬が戻った時には、もう『まこと』の正体は詳らかになっていた。

 『まこと』は、小学五年生。期待した出入りのあった謎の男ではなかったため、当初は肩透かしかと思われたが、調べてみれば、次々と、今回の事件との関連が疑われた。


 『まこと』――こと、梶谷かじやまことは、冬休み明けに、奏よりふたつ上の学年にやってきた転校生の男児だった。すでに夜も遅く、学校関係者にはあまり話を聞けなかったが、例の美希みきは、保護者が連絡先の提供に好意的に応じてくれたおかげで、電話が通じた。そこで確認したところ、確かに、上の学年なのに仲良しだった、という。おまけに――

『お母さん同士が、昔おともだちだったんだって』


 そう美希が、奏との会話を覚えてくれていた。それにまた、助けられた。つまり、親同士にも面識があったということだ。協力者の線が、そこでまず濃厚になった。


 だが、彼の家の住所を当たってみたが不在。学校には、新学期から家の事情で休みと連絡があったそうだ。こちらの一家も、所在が分からなくなっていたのである。

 そのため一夜かけて捜査員たちが奔走し、梶谷慎と両親たちの情報をかき集めた。


 梶谷家は父が転勤族のため引っ越しが多く、日本各地を転々としていたが、今年の初めから、雛衣へと転居になったらしい。

 そこがたまたま、母親の実家の近くだったのだ。


 慎の母は、雛衣のある神戸市から車で一時間ほど離れた、大角だいかく市の出身だった。結婚前までは地元を離れたことはなく、奏の母・麻衣も、近い地区に住んでいた。ふたりに交流が生じたのは、おそらく、中学の学区が同じだったからだろう。


 そして、本人がSNS上でおおやけにしていてくれたおかげで知れたことだが、梶谷家の夫は〈あやかし〉で、妻がその契約者なのだそうだ。


『もしかしたら、麻衣さんの逃走の協力者という以前に、慎さんが奏さんの契約者なのかもしれないわね。子ども同士で契約を交わすケースは少ないけれど、慎さんのご両親が当事者なら、場合によってはふたりの契約に、理解を示したのかもしれないわ』


 南方がそうこぼしたのも一理あった。当人同士が望んだとしても、まだ子ども。もっと大きくなってから、と、考える親の方が多いだろう。だが、自分たちも〈あやかし〉と契約者ならば、奏の苦労も分かったろうし、許可のハードルはいくぶん下がりもしたに違いない。


 それに、ほとんど変わり映えのなかった奏の周囲の人間関係の中で、慎は唯一、新しい存在なのだ。

 校内ですれ違うことが一度でもあれば、間違いなく、互いが契約の適合者だと知ることができる。独特の痺れと、好ましい香りによって――。おまけに、小学校内ならば、父親に出会いを把握されることもない。


 慎が奏の契約書であり、母が麻衣の昔馴染みだとすると、ますます梶谷一家が、栃田妻子の逃走を手助けした可能性が高まった。出入りしていた男性は、慎の父親だったのではなかろうか――そう、確信めいた推測が持ち上がり、捜査チームは、今現在の梶谷家の所在の把握に奔走した。


 すると、母親の実家がある大角市の駅前スーパーで、数日前、夫のクレジットカードの使用履歴があった。

 そして一夜明けて分かったことには、慎の父親は、四日前までは普通に出社しており、三日前から体調不良で休みをとっているのだという。三日前といえばちょうど、栃田一家の失踪が判明し、非違検察課が応援に来た日だ。


 偶然ではない。すくなくとも梶谷一家は、妻の実家にいる。そしてそこに、麻衣と奏もいるに違いないとなったところに、決定打がきた。


 例の栃田洋平が依頼を行っていた探偵。その彼が見つかり、長洲野が話を聞いたところ、同じように居場所を掴んでいたとの供述があったのだ。もちろん栃田にも、その情報を売ったらしい。どうも、妻子が消える前から、謎の男の存在や怪しい気配に勘付いていたようで、麻衣の身辺調査が最初の依頼趣旨だったようだ。そのため、事前の調べで、男の正体が梶谷慎の父ということは掴んでおり、そこから逃走先を辿るのは、比較的簡易だったらしい。


『栃田洋平の穏やかで真摯な話しぶりから、浮気した妻に子どもを攫われた可哀想な夫だと、すっかり信じ込んでいたそうだよ。――まあ、どこまで本当かは分からないけれど、探偵本人はそう言ってるね』


 探偵の主張を疑いながらも、完全には否定せず、長洲野は言った。洋平は、体面を取り繕うのに手慣れていた。初手で人柄の良さを信じ込ませ、言葉を選べば、騙されてしまったというのもあり得ない話ではないだろう。それでも、安易な情提供を責められずには済まないが。


 だがいま優先されるべきは、探偵の供述の真贋の判定よりも、妻子の安全の確保であった。

 栃田洋平が妻子の元へ足を運んだことも、それにより、奏の異能が発動したことも、ほぼ間違いない。ならば奏の異能の効力が切れる前に、失踪状態の彼らを見つけ出し、安全に保護、および確保して、引き離せるようにしなければなるまい。


『とはいえ……探しに行ったとたん、消されちまうんじゃないか?』

 方針が定まった朝日の中、大西が頭を抱えたのももっともなことだった。だが、

『そこでなんですけど』

 と、北瀬が本を片手に切り出したのだ。


 図書館の郷土史の中。そこに、北瀬と那世が期待したとおりの掘り出し物があった。

 それは郷土の民話の皮をかぶった、異能の伝承だった。


 血筋に依る異能は、土地由来の民話の中に潜んでいるケースがあるのだ。長い歴史の中で〈あやかし〉の異能であったことが忘れられ、ただ不思議な力として語り継がれたり、地域特有の遊びに反映されたりしているのである。


 もちろん奏の異能が、血筋由来のものである確証はなかった。それでも北瀬にはふたつ、気にかかることがあったのだ。ひとつは、麻衣の絶縁された実家が、代々その地に住んでいる、地主の傍流であったこと。そしてもうひとつは――


『学校の子たちが、〈オニカクレ〉って呼ばれてる遊びの話をしてくれたのが、引っかかってたんですよ。この地域では広く知られているようなのに、東京府の方じゃ聞かない遊びだし、《隠れる》っていうワードが、今回の異能と縁深いのが気になって』


 そこで図書館で調べてみたら、まさに求めていた昔話がこの地方の民話として載っていたのである。


 それは、神隠しの話だった。ある村で悪さをする鬼がいた。人を攫って隠すのだ。探そうとした村人も、捜索に出たとたん、消えてしまう。これでは村の者がみな鬼に隠されてしまうと嘆いていた時、不思議な歌が聞こえてきた。




もういいかい まあだだよ

もういいかい もういいよ

はやく 鬼の子を見つけてね

みんな隠れて いつまでも

だぁれも探せず 終わらない

はやく 鬼の子を見つけてね

そっと隠れて こっそりと

だれにも見られず やっといで





 そこで村人たちは、野山に互いに隠れあい、人目につかないように鬼を探した。うっかり鉢合わせし合った村人たちは消えてしまったが、ひとり、誰にも見られないまま鬼のいるヤシロに辿り着いた若者が、鬼を捕まえとっちめた。すると消えた村人がみな、そのヤシロのうちに戻ってきたという。

 昔話はそう終わっていた。


『で、これの別バージョンもありまして。そいつは、村にやって来た何も知らない若者に、ヤシロまで届け物をさせるんですよ。探しに行くんじゃなくて、届けに行くために向かうんで、若者は無事にヤシロに辿り着き、そこに鬼がいるのを見つけるんです。で、腰を抜かしてびっくりするんですけど、同じように鬼もびっくり腰を抜かして、そのはずみで消えた村人が戻って来るってオチで。つまり、きっと、この異能には、ふたつ対策があるんです。

 ひとつは、探し手が、誰にも見つからずに、異能の使い手を見つけ出す。ふたつめは、自分が探しに行ってると自覚していない使者を送り込んで、使い手の姿を見出してもらう。ひとつめは、いまの人が溢れる世の中、難易度が高いんで。ふたつめの作戦、どうでしょう?』


 異能を解除し、安全に奏および麻衣を保護するには、その提案にかけるしかなかった。

 そこで大角署にも協力してもらい、管轄とする駐在所員に、当該の家へ向かってもらった。盗難された子ども自転車の情報収集のため、家の子に話を聞いて来てほしいと説明して。それが、正午過ぎのことだ。


 インターホンを鳴らし、女性の声の応答がある。駐在所から話を聞きに来た旨を伝えると、玄関が開いた。無線越し、大角署の一角で、非違検察課や雛衣署の面々は、かたずをのんでやりとりに耳を澄ませていた。その緊迫した空間に流れた、『じゃあ、孫たちを呼びますね』の声に安堵しかけたその時。


『奏ちゃん、逃げて!』

 叫ぶ子どもの声とともに、なにかが倒れた音が無線越しにひび割れて流れ込んだ。どうやら駐在所員へ、慎が体当たりをしかけてきたらしい。


『君、急になにを。もしかして、盗まれた自転車知ってるの? もうひとりいるの? ちょっと逃げないで! 話をきかせてほ、』

 驚き慌てた駐在所員の声は、そこで途切れてしまった。逃げたもうひとりを追いかけようとしたのだろう。その追いかけようとした動きが、探し出そうとしたと判定されたに違いない。

 彼は、消えて――いや、正確には、異能によって隠されてしまったのだ。


 不意打ちで奏の姿を見つけることは失敗に終わった。さらに悪いことに、確かに家にいたらしい奏は、逃走をしてしまったらしい。つまり、どこに逃げたか、分からない。

 こうして、作戦は仕方なしに、昔話作戦のふたつめから、ひとつめに移行した。大角市内の大捜索――本気のかくれんぼ、である。


 捜索にあたっているのは、今回の失踪事件対策チームのうちの二十名ほど。けれどもう、半分残っているか、怪しいところだ。無線のやりとりは他者に《見られた》と判定されないらしく、状況の確認がしあえるのは助かったところだが、本当に、誰にも見られてはいけないのが手厳しかった。このかくれんぼに参加していない、一般の通行人の視界に入ってしまっても、《見つけられた》ことになり、隠されてしまうのだ。そうして、最初のうちに数人が早くも脱落してしまった。


 見る見る落ちゆく夕陽に、あたりは宵から夜へと変わりかけてきている。奏は小学三年生だ。暗くなりきっては、ただそれだけで危ない。


 早く探さなければと急く気持ちに足を取られぬよう、慎重に人目を逃れながら、那世は夜の町を駆け抜けた。









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