消えた一家
「とても素敵なご家族です」
春の午後特有の柔らかな日差しが、広い窓からさしかかる。ハーブティーの優しい香りがたゆたう中、そう代表取締役の女性はため息を落とした。
「お仕事の関係で、
だが、その理知的なかんばせは、いまはどうしても、翳りに揺れるようだった。
「事件性があるのは……やはり間違いないんでしょうか? まだいなくなられてから、一日しか経っていないのでしょう? 旅行とかに行かれて、なにか行き違いで連絡が取れないってことは、ないんでしょうか?」
「もちろん、そうであればなによりなんですが、事件の可能性もぬぐえない以上、そちらの方向でも、捜査は進める必要がありますので」
坂垣の心配を受け止めつつ、静謐に那世は返した。それに彼女には話せないが、今回、事件性があることは疑いようがないのだ。
「失踪だなんて……怖いわ」
困惑をのせて、坂垣は独りごとのように呟いた。
とある一家が消えた。
会社経営者の夫とその妻、そして小学三年生の一人娘だ。今日の朝、連絡もなく夫が出社しなかった。それを心配していたところへ、娘の学校から電話が入った。今日が始業式なのに、欠席の一報もなく登校がない。家にかけても出ないので、こちらに連絡を入れたということだった。
そこで心配した秘書や部下が自宅マンションまで探しに行き、失踪が発覚したのだ。
とはいえ、ここまでは普通の事件。だがこの件は、
それは、社長一家の不在を確認した直後。マンションに赴いた社員たちが、会社に残った人間に、いなかった旨を伝えている途中だった。突如、電話の声が途切れた。会社側の人間が声を張り上げようと、向うで応じる言葉はなく、他の者の携帯にかけても誰も出ない。
みな一様に、消息を絶ったのだ。
だから残った社員らは、警察へ連絡し、現場まで赴いてもらったそうだ。そこで現場に到着した警察官からも――連絡が途絶えた。
一家三人。探しに行った人間、三人。警察官二人。計八人が、数時間のうちに忽然と姿を消した。
そこで、管轄の
そうして、北瀬や那世の捜査一班が神戸市内へ到着したのが、昼をだいぶ過ぎたころ。そこから各所へ聞き込みをして回り、今はもうすぐ夕暮れ時だ。
「ご家族へ悪意を持っている者、快く思っていないような人物に、心当たりはありませんか?」
「栃田さんは誰にでもフレンドリーで気さくな方で、会社の方も上手くいっていたし。奥さんはあまり外で交流をなさらない方だと聞いたことがありますから……そんな人物は――」
那世の問いかけに、坂垣は悩ましげに眉を寄せる。
ちらりと那世が隣に視線だけやれば、彼の相棒は明後日の方を向いていた。棚の上の写真が気になるらしい。つまり、これ以上聞くことは、いまはない。
那世はスーツのうちから、名刺を取り出した。
「なにか思い出した事や気になることが出てきたら、いつでもご連絡ください」
定型のやり取りで、名刺を渡す。
それを終えての立ち去り際、北瀬がおもむろに気にしていた写真を指さした。
「この写真、さきほどおっしゃっていた交流会のものですか?」
「え? ええ、昨年の夏に。バーベキューをしたんです」
どこかの店舗のテラス席。いかにも写真映えするお洒落な椅子や備え付けのバーベキューセットを背景に、十数人程度が集まって笑顔を作っている。その集合写真の端に、ひとりだけ子どもが、母親らしき人に肩を抱かれて映っていた。
長い黒髪に爽やかな空色のワンピース。大人に囲まれているからか、面持ちは少し緊張気味だ。肩抱く女性もどこか雰囲気が似ていて、薄手の羽織ものの空色が、少女とおそろいだった。ただ、髪の色は少女と違い、茶色交じりの淡い金色だ。
「これ、お借りしていいですか?」
「ええ……まあ、構いませんが……」
「ありがとうございます」
不可解そうな坂垣へ、にこやかに北瀬は笑いかけた。それだけで、困惑に曇っていた彼女の表情が、淡く色づき晴れる。
「……捜二案件……」
ぼそりと呟いた那世のすねに、気づかれないようこっそりと、北瀬はかかとをお見舞いした。
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