ガサ入れ


 星の輝きを奪い、闇をむビル群の夜景。その眺望を前に、薄暗い店内では色を添えられた光が幻想的に明滅し、思考回路を溶かして麻痺させる、耳に心地よい音楽が跳ねていた。

 歓談に興じる男女の間を、酒を注いだグラスを運ぶ店員が優雅に縫っていく。グラスを受け取った客はともに差し出された洒落た小箱から、鮮やかな角砂糖のような小さなキューブを酒に落とし、楽しげにそれを傾けていた。


 淡雪のように溶けて消えて、夢と快楽を与える新しい薬だ。もっと強いのをお求めならば店の奥に、と気を良くした客に愛想よく店員が囁けば、その壮年の男は、手を傍らの女性の腰に、おぼつかない足取りで立ち上がった。そこへ――


 入口付近で悲鳴と怒声があがった。雪崩を打って店の奥へと駆け込む客たちに混じって、強面の防弾チョッキ姿の男たちが淡々とした足取りで踏み入ってくる。分別を失って殴りかかっていった男性客の腕を軽くひねり上げて、「新宿署で~す。動かないで」と先頭をきってきた刑事が言い渡すも、店内は大混乱だ。


 暴れる客や店員を取り押さえ、非常口や別出口を的確に封じて、素早く逃げ出しそうとした者の行く手を阻む。硝子窓を椅子で叩き割った音が耳をつんざいたかと思えば、テーブル上の薬をかき集め、そこから投げ捨てようとする往生際の悪い一団が暴れていた。瞬く間にそれを警察側が取り囲む。


 その混迷を脇に、北瀬たちは佐倉たちと真っ直ぐ店内を突っ切り、その奥を目指した。最奥にある特別室――ようはVIPルームに、ガサ入れ直前に城田が通されたと佐倉が言うのだ。


「それ、正体ばれたとかじゃないよね?」

「違ぇな! タイミング悪ぃことに、金髪好きの大物芸能人のおっさんが遊びに来たんだと!」

「へぇ、じゃ、俺がお相手してやろう。いつもテレビで見てま~すってね」

 駆け抜けながら怒鳴るように返された佐倉の答えに、北瀬は意地悪く唇を引き上げた。


 絢爛さが斜に構えた特別室の両開き扉を、勢いのまま足で蹴り開く。と、同時に、銃弾が空を掠め飛んでいった。

「うっそだろ! なりふり構わねぇってか!」

 扉脇にすぐさま身を隠すも、室内から銃声が立て続いた。開いた扉はそのまま混乱を極める店内のホールスペースへと続いている。一発目は幸運だった。だが、次もそうなるはずもない。ホールへ銃弾が飛び出していけば、最悪の事態は避けられない。


 伏せろ、と店内へ振り返り早乙女が咆える。気づいて身を低くする者もいたが、しかし、間に合わない。薬が回り切り、事態を掴めてすらいない者も多くいる。


 まずいと佐倉が歯噛みした、その時。ふわりと視界を金色が滑った。「佐倉」と、騒音の中をすり抜けて、澄んだ響きが囁くのが聞こえる。

「俺のあと、続いて」

 瞳孔の開ききった真っ青な瞳が、優雅な笑みを刻んだまま、部屋の中へ一歩踏み込んだのが視界に映った。瞬間。銃弾がひとつ残らずそのまま床へと叩き落された。その勢いのまま踏み切った跳躍で、北瀬は室内にいた男の頭を蹴り飛ばし、次の拳でその隣の男を、銃を構え直すいとまも与えず地面に殴り伏せる。


(あ~あ・・・・・・)

 これではあの倉庫の時と一緒だ。室内に吹き荒れだした嵐に佐倉はにんまりと苦笑して、誘いのままに続いて後へと駆けいった。振りかぶってきた大男の拳の一撃を掴んで封じて、代わりに勢いよく頭突きを叩き込んでやる。


「・・・・・・なんつぅか、最善策だったろうが・・・・・・マンボウ、成魚になれなかったなぁ」

「あいつ、偉そうに眉唾とか言ってたはずなんですけどね」

 ぽつりと落ちた早乙女の感慨に淡白に返しながら、那世は相棒に向けて銃口を向けた男の肩口を、入口脇から的確に撃ち抜いた。


 室内には警護と客の見張りもかねて複数〈あやかし〉もいるようだが、北瀬と佐倉がいれば十分抑えきれるだろう。ただ暴れているように見えて、銃を持つ相手から確実に狙って動きを止め、乱闘に巻き込まれた客を庇っている。

 しかしさすがに、数を押せる力を持っていても、彼らは抵抗するやからを制圧するのに手一杯だろう。


「那世、エレベーター止めるぞ」

「はい」

 相手も何も無駄な足掻きで、愚かに罪を重ねる銃撃を仕掛けてきたわけではない。特別室奥には、地下駐車場と直通のエレベーターがある。そこへ最も大事な客人たちが、逃げ込める時間を稼いだのだ。


 エレベーターへと走り寄る一団に目を向けて、那世と早乙女は顔色を変えた。抵抗するも、腕を引かれる女性がいる。城田だ。

「まずい!」

 彼女が力で押されているならば、少なくとも〈あやかし〉の素性はばれている。人質として選んだとは思えない。先の室内からの銃撃は、どう贔屓目に見ても侍らせた女性たちに配慮はされていなかった。しかと目にできたわけではないが、その時、城田が彼女たちを守るためにとっさに動いた気配があった。その行動に重ねてのこの家宅捜索だ。潜入捜査官と看破されてもしかたない。このまま連れていかれては、命が危うい。


 追いかける那世と早乙女に、躊躇いなく銃口がいくども火を噴いた。それに応戦する那世たちの銃声も重なって、室内に雷鳴のようにこだまする。

 逃げる男たちが腕を押さえて苦痛に蹲り、太ももから血を吹きだして倒れるも、彼らは足止めの捨て駒だ。エレベーターに乗り込む一団は見向きもしない。男に羽交い締めにされた城田が、それでも必死に抗って腕を伸ばすも扉がしまっていく。


 早乙女に応戦を任せて那世が走る。あらかた片付けた北瀬が事態を察し、残りを佐倉に託して駆け寄ってくるのも視界の端に見えた。

 けれど、間に合わない。エレベーターへと伸ばした那世の腕は、すんでのところで届かず、扉は城田をのんで無情にも閉じ切った。空をかいた手のひらが、そのまま虚しく叩きつけられる。

「くそっ!」

 無理やり外扉の綴じ目に指を押し入れ、那世は力任せに左右に開け放った。だが当然そこは、真っ暗なエレベーターの裏側。滑り降りた本体部は、屋根すらもう眼下には見えない。無機質な虚空に、ワイヤーロープの摩擦音が響くばかりだ。


「那世」

 底が見えない遥か下階を、悔しげに見下ろす那世の背後。するりと春の気配が隣に並んだ。ふわりと笑んだ青い瞳が、そのまま那世を振り仰ぐ。

「行くよ」


 右の革手袋の指先を、乱雑に口で引っ張り、脱ぎ捨てる。同時に北瀬は己より体躯のいい那世を、片腕で肩へと担ぎ上げた。最後のひとりを床に沈め終えてきた佐倉へ、脱いだ手袋をほうり投げる。

「佐倉、利き手貸してあげるから、追いかけてきて」

 言うが早いか、彼は床を蹴ってエレベーターの消えた虚空に飛び降りた。左手でワイヤーロープを引っ掴み、そのまま落下の加速度に任せて滑り降りていく。


「万一着地に失敗しそうな時は、受け身で俺を庇ってね」

「甘えるな。責任をもってしっかりし下まで送り届けろ」

 楽しげな北瀬の笑い声の反響を残しながら、ふたりの影は見る間に小さくなり、地下へ垂直下降して、闇の向こうに消えていった。


「ここ、二十一階だぞ・・・・・・」

 エレベーター下へ、呆れた声音で佐倉が落とす。北瀬が不敵な笑みをたたえたままだったのはいつものことだが、那世まで驚きひとつない当然の顔でいたのには、いささか面食らった。

「あいつももう、マンボウの確立のこと言えねぇだろ・・・・・・」

「佐倉。お前、追いかけるか?」

 ぼやく佐倉に、早乙女が形容しがたい戸惑い顔で、底の見えぬ長い縦穴を指さした。困惑を喉元で転がして唸り、佐倉は天を仰ぐ。


「下に連絡は?」

「入れたが、他にもガサ行ってるから待機は数が少ねぇ。下だけで止めきれるか分からんとこだな」

「んじゃ、仕方ねぇんでオレはこっから追いかけますけど、早乙女さんは・・・・・・」

「ジェットコースターは苦手でなぁ」

 念のためちらりと見やってうかがえば、やんわり苦笑で辞退された。当然だ。どこかの思い切りのいい馬鹿のように頑丈でもなければ、それを止めなかった相棒のように、着地失敗時の負傷をすぐにリカバリーできる回復能力があるわけでもないのだから。

 ため息をひとつ、深呼吸代わりに深く落とす。それで腹を決めて、佐倉はかすかな配慮で渡された負傷軽減のための手袋を、大きな手に無理やりはめ込んだ。革が伸びただのなんだのと苦情が来そうな気もしたが、知ったことではない。


 では下でと早乙女に言い置いて、佐倉は馬鹿ふたりを追ってエレベーターホールから躍り出た。

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