クロ


 無機質な地下駐車場を急ぎ足で抜けていく一団が、車の鍵を遠隔で空けたのと、背後で破壊音が轟いたのはほぼ同時だった。爆発を疑う音に振り返れば、エレベーターの扉が吹き飛んでいる。間髪入れずに鳴り響いた銃声に、城田を押さえ込んでいた男の肩と足が狙い過たず撃ち抜かれた。


 己の血溜まりに倒れ込み、痛みにのたうつ男の腕をはねのけ、ヒールを脱ぎ捨てて城田が駆け出す。それを捕えようと走り寄ってきた男の上に、風を切って影が差した。そのまま城田を庇うように間に降り立った影が、男の顎に拳をのめり込ませる。


 しかし男は、〈あやかし〉のうちでも頑丈な部類であったらしい。殴りつけられた勢いのまま吹き飛ぶ寸前で歯を食いしばって持ち堪え、逆に北瀬の手首を引っ掴んだ。そのまま腕を軸に彼をコンクリートの床へ叩きつける。

 打ちつけられる瞬間、染みついた動きで受け身を取り、すぐさま北瀬は立ち上がったが、目の間に別の男の薙いだ蹴りが迫っていた。避けるには、一拍足りない。


 まずいと思う思考の端に、「北瀬くん!」と城田の叫び声が鋭くかかった。飛びかかる彼女の身体に押し倒されて、ふたりして転がるように身を伏せる。おかげで、男の足はぎりぎり北瀬の頭上を掠めてくうを切り、その隙を那世の銃弾が迷わず捕えて続けざまに撃ち抜いた。


 鮮血が隆線を描き、びしゃりと頬に撥ねかかる。苦痛と怒りで血走った瞳孔が、倒れ様に城田を睨んでいた。その憤怒のまま、倒れながらなお、男の腕が城田へと伸びる。

「このあまぁ! 騙しやがって!」

 太い腕が殺意をみなぎらせ、態勢を持ち直しきれていない城田の足を引っ掴む。銃は落したか弾を切らしたか、その手にはない。だが男は、代わりとばかりに薬を満たした注射針を、力任せに引き寄せた城田の腕に突き立てた。より強くを求める客に振舞われていた薬だ。すべて注げば、命を奪う量すらはるかに超える。


 顔色を変えた北瀬が、すぐさま次は加減なく、男の側頭部を全力で蹴り飛ばした。巨躯が苦悶の声すらなく宙を踊り、近場の車に車体がへしゃげる勢いで全身を叩きつけられる。

 その隙に城田が力を振り絞って、まだ残りの方が多い注射を投げ捨てた。が、立ち上がれない。

 彼女の背後に、もうひとりの男が拳を振りかぶったのが視界の端に入って、北瀬はいっきに間合いを詰めた。瞬きの間に眼前に詰め寄ってきた北瀬に、男が目を剝く。そのみぞおちに一撃お見舞いし、腹を抱えて倒れ込む背中に、北瀬は力いっぱい踵を落として床に沈めた。


「那世! 城田さんの様子がおかしい! 退く!」

 青ざめて震える城田を丁重に横抱きにかかえあげ、北瀬は叫んだ。そのまま飛び来る銃弾への応戦を那世に任せ、柱の影へと踵を返す。

 そこへ飛び出してきた新手が、行く手を阻んで拳を振り上げてきた。

 舌打ちとともに男を睨み上げて、北瀬は身をかがめて男の拳を躱すと、その空いた顎めがけて頭突きを叩き込んだ。ぐらぐらと頭をゆらしながら男がふらつく。が、脇から車のエンジン音が轟き、急加速でタイヤが滑りだした嫌な音がした。


 振り向けば目を射るヘッドライトをぎらつかせながら、いつの間に乗り込んだのか、車が北瀬と城田目がけて突っ込んで来る。己ひとりなら苦でもないが、城田を庇いながらでは派手に動くのは憚られる。北瀬が一瞬逡巡した、瞬間。


 赤い影が文字通り飛び込んできて、車のフロントガラスを蹴り破った。その勢いのまま運転席の男を殴り飛ばしてハンドルを奪う。急角度で進行方向を切り替えられた車は、そのまま柱へと正面衝突した。直前で踏み抜かれたブレーキが功を奏したのか大破とはいかなかったが、洒落た長いボンネットは、見るも無残にぐしゃぐしゃだ。


「おい、北瀬ぇ! オレは腹切んなくても大丈夫なんだろうな!」

「宮前に誠意は伝えとく!」

「どっちだそれ! くそっ!」

 明確に是と答えなかった北瀬に、心配を苛立ちに変えて咆えながら、佐倉が車から飛び降りた。


 その視界に、騒ぎを隠れ蓑に、なんとか辿り着いた逃走車両に乗り込もうとする、重客と幹部たちが映った。佐倉の位置からは、距離がある。止めるのに間に合うかどうかと、佐倉は駆け出した。

 と、脇で突如、銃声が轟く。いつの間に隣に走り寄ってきていたのか、表情を変えない黒髪が、手本のような構えで銃を撃ち放っていた。空を滑った銃弾が、いままさに運転席へと踏み込もうとしていた男の右ひざを貫通して、絶叫とともに地面に転がす。


 それで遅れた脱出の間隙に、機もよく外から待機組の車両が走り込んできて、逃げそびれた車を取り囲んだ。

 ここで下手に逃走を計る方がリスクが高い。さすがに相手もそう判断し、抵抗を放棄したらしい。醜い不満顔でもろ手を挙げ、車を降りる男たちを眺めながら、佐倉は肩の力をそっと抜いた。


「・・・・・・那世、よく上手く当てるよな。前世はスナイパーか?」

「お前のその前世主義でいくと、狩猟が趣味のプリンセスの可能性もあるな」

「あ? てめぇ、菓子好き程度でプリンセス気取んなよ」

 太い眉がきりっと鋭く釣り上がる。尊敬の人に当てはめただけあって、佐倉の中のプリンセス基準はなかなか厳しいらしい。いらぬ捜四知識が増えた、と、いつかの北瀬と同じ思いが那世を過っていく。


 呆れた視線を送ってやるのも億劫で、那世は佐倉を見ぬまま、己の相棒を振り返った。彼が様子がおかしいと言っていた城田は、まだ力なく北瀬の腕の中にいたが、その容体は、遠目には安定しているようにも見えた。とはいえ、緊急の措置は必要だろう。救急搬送の手配を頼むかと、那世が佐倉に持ちかけかけた、その時。


 がしゃん、と、耳をつんざく音が地下駐車場内にこだました。身構えて音の方へと視線を向ければ、先ほど追突した車のドアを運転席の男が蹴破っている。佐倉に殴られ奪われていた意識を取り戻したらしい。額から流れる血を拭いもせず、凶相を歪めた男は、状況を確認するより先に眼前の車を持ち上げ、最後の抵抗とばかりに、一番近くにいた北瀬たち目がけてそれを投げつけた。


 壊れた車が高い地下の天井で歪な弧を描き、大きな黒い影が北瀬と城田の頭上を覆う。落下の風圧に、少し乱れた金糸の髪がふわりと靡いたのが、いやに鮮やかに那世の視界に映りこんだ。

 頭を割らんばかりの轟音が反響して、打ちつけられた車体から部品が飛び散り、砂埃が舞い上がる。


 叫ぶより先に、那世も佐倉も駆け出していた。佐倉が男を地面に引き倒して後ろ手に手錠をはめて転がすのを脇目に、那世は壊れた車の向こうに急ぐ。

 北瀬のことだ。車を部分的に叩き壊すなり、素早く避けるなり、心配する要素などひとつもないはずなのだが、最後の一瞬、垣間見た彼の表情に妙な違和感があった。それが、那世の足を急かした。


 走り寄ってすぐ、車の落下地点から離れた場所に、城田が横たわっているのが先に目に入った。屈みこみ様子をうかがえば、外傷はないようで、顔色も悪くない。意識はないようだが呼吸は安定していて、気を失っているというよりは寝ているに近い状態だった。その証拠に、那世が顔を覗き込もうと抱き上げたとたん、「うふふふ」と機嫌良さそうに唇をゆるめ、「それはチョウチンアンコウじゃなくてダイオウイカよ~」と幸せそうにこぼしてくれた。

 若干、薬の影響が疑われもするが、いつもの城田もこの調子なので、判断が難しい。専門家に任せよう、と、いったん那世は無事という判定を下して、失礼ながら丁重に城田を床に戻した。


 そして、彼女を抱えていたはずの相棒の姿を探し、ぐるりと首を巡らせてみれば――飛散した部品に紛れて、彼の履いていた靴が片方だけ落ちていた。普通ならば脱げるはずもない編み上げの靴だ。

 明らかにおかしいと近づき拾い上げれば、見る影もなく大破した車のその向こう。柱の側で、もぞりと鈍くなにかが動いた。だが、声もあげなければ姿も見せない。いままでになかったことに、いやな想像がかすか脳裏を過った。


 立ち上がり、駆け寄る。自然、右胸元を指先が掴んでいた。まだそこの痣に、彼との繋がりは生きている。

 それでも、わずかな距離を縮めるのにさえ焦れて那世が覗き見てみれば、そこには北瀬の服に包まれた――子どもがいた。頭を打ったのか、だぼだぼの袖にのまれた手で、眉を顰めて額を押さえつけている。大きな防弾チョッキに完全に着られていて、突き出た細い首が小さな亀のようだ。足元など完全に長い布の渦に埋もれていて、どこに先があるのか分からない。どこからどう見ても、十一、二かそこらの子どもである。


 城田の異能のことがまず最初に那世の中に浮かんだが、彼女の力が対象と出来るのは城田自身だけだ。他者の肉体年齢までは操れない。だから、彼女の力を持ってしても、北瀬が子どもになるなんて珍事はないはずなのだ。

 だが、肩口までの透き通る金糸の髪も、青い瞳も、馴染み深く隣にあった色だ。それになにより、冷えた美しさに繊細な儚さを溶かし合わせたその面差しが、北瀬優のものだった。


「・・・・・・北、瀬・・・・・・?」

 思わず躊躇いがちになった呼びかけに、青い眼差しが訝しげに那世を捉える。輪郭が丸く小さくなったせいか、切れ長の形は変わっていないが、瞳が大きくあどけなく見えた。

「ちょ、えっ・・・・・・! おい、なんだこりゃ!」

 何があったと追いかけてきた佐倉の動揺の叫びが背後で響いたが、聞きたいのは俺の方だとばかりに那世は眉を顰める。そんなふたりの様に、胡乱げな顔色を見せながら、北瀬らしき子どもは袖に包まれた己が両腕へ目をやり、足先までの有様を眺め、ふっと不安げに表情を曇らせた。


「あの・・・・・・お兄ちゃんたち、誰・・・・・・?」

 ともすれば泣き出しそうな声は、当然のように子ども特有の澄んだ高音をたたえていた。知らない音色だ。いつも聞く北瀬の声も男性として低い方ではないが、それでも柔らかさとのびやかさを纏う低音だった。こんな空を転がる鈴のような響きはない。


 那世はじっと、己を見上げる幼い青空の色を見つめた。やがてそっとその前に膝をつき、視線を合わせ、低く通る声で穏やかに話しかける。

「・・・・・・お前は覚えていないかもしれないが、これだけは、伝えておく」

 不安げな細い肩に優しく手を添えて、静かな声は、しかし淡々と口早に言い放った。

「課内の冷蔵庫に入ってた期間限定特盛プリン、あれは俺のじゃなくて長洲野さんが楽しみにしてたやつだったからな」

「うっそ! 俺、絶対那世のだと思って食べちゃったんだけど!」

 あ、と口をだぼだぼとした両袖で押さえてももう遅い。反射的に返した言葉は今更取り戻しようもない。理由は分からないが、北瀬が子どもになったという状況は疑いようがないらしい。


 那世は肩にした手をそのまま素早く脇下に滑らせ、悪ガキをひっ捕まえると佐倉を振り返った。

「クロだ」

「よし、プリン窃盗罪と記憶喪失詐称罪でしょっぴこうぜ」

「くそ! 汚い! 警察のやり方、汚い!」

 甲高い声がいつもの調子で叫ぶせいで、きゃんきゃんと小うるさい。「しばらく騙されててやってた方が大人しかったんじゃねぇか?」と、佐倉が身も蓋もなくもう手遅れなことを言うが、それも一理あったかもしれない。うんざりと呆れを込めながら、那世は小脇で暴れる小さな相棒を見下ろした。


「お前、よくこの状況で不要な一芝居打とうと思ったな」

「いや、事態は終息したっぽかったし、那世なら城田さんの安否確認は済ませてるだろうから、まあ大丈夫そうだったのかなぁ、と思ってさ。だったら、もう、やるじゃん?」

「やらん」

 得意げにきりりと引き締まる顔は、どんなに幼くても間違いなく北瀬だった。容赦なく切って捨て、那世は北瀬を持ったまま立ち上がる。


「ちょ、待って! ベルトが意味をなしてない! パンツ、パンツまでいく!」

「大人だろ。自力でなんとかしろ」

「体は子どもですぅ~」

 ぶすくれて唇を尖らせながら、ずり落ちそうなもろもろをベルトごと引き上げて北瀬は言う。

「っていうか、那世、なんで分かったかなぁ。わりといい演技だったと思うんだけど」

「お前、口を開く前に、冷静に自分の状況を確認してから演技に入っただろ。あと、よく見ればクワガタを見てる時と同じ目をしてた」

「ちくしょう! 胸のときめきを抑えきれなった!」


 動揺より先にときめきを覚えられるあたり、敬意を表すべきなのかもしれないが、微塵もその気になれない。びたびたと脇で暴れている少年は至極元気そうではあるが、念のため、城田とあわせて検査をうけさせた方がいいだろう。しかし、心配は先ほど無駄に使いきってしまった。いま那世に押し寄せるのは疲労感ばかりだ。


「よぉ、那世。その馬鹿どうだ?」

「犯行動機を自供しだしている」

 城田を抱き上げて戻ってきた佐倉に無の声色で那世は返す。

「よしよし、刑が軽くなるよう働きかけてはやるからな」

「横暴! 警察の横暴!」

 にやにや笑う強面を、甲高い声はきっと悔しげに睨みつけた。それで余計に動くので、那世の右腕への負荷がいやおうなく増す。いまの北瀬は、手足は細く華奢ではあるが、幼児ではなく少年だ。重いか軽いかと問われれば、しっかりと重い。落そうか、との考えが過ったところで、折悪しく、合流した早乙女が顔をのぞかせた。顔が怖いだけで感性はいたって真っ当な彼が、驚愕の雄たけびをあげたことは責められない。


 駐車場内に響いていく野太い絶叫を、那世は遠い目をしながら聞き流した。


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