夜の街へ


 合同捜査が大きく動くことになったのは、それからひと月半ほど過ぎた梅雨明けの近づく頃だった。

 新宿の中央部からはやや外れたところにある、品のいい外観の高層ビル。複数の店舗や企業に貸し出されているうちのいくつかが、巧妙に何枚もの隠れ蓑を重ねて、瀬津川組とつながりを持っていた。そのひとつが会員制の高級ラウンジだ。地下に潜る店舗が多い中で、展望を売りのひとつとして最上部に構えられていた。


 そこで開かれる招待制のパーティーに呼ばれたと、城田が報告をしてきたのが三日前。麻薬と少女と金のある秘密好きの男たちが集まるとなれば、どんな淫靡な祝祭が繰り広げられるかなど想像するのも容易い。おそらくは、世の目を忍んで訪れる者も多くいる場となるだろう。常より警戒もされて開かれるはずのそこへの招きが、信頼ゆえの歓待か、不審ゆえの陥穽かんせいか、見極めることは難しかった。


 しかしどちらにせよ、大いなる好機ではある。潜入もおとり捜査も長くなった。必要な情報も証拠も出揃ってきている。ここで決めようと、家宅捜索――つまりは当日のガサ入れが決定されたのである。


「あ、佐倉。今夜はよろしく~」

 防弾チョッキと拳銃の保管室で、早乙女と佐倉が装備を点検、装着していると、背後からのびやかな声が柔らかく響いた。振り返れば金色の髪がさらりと微笑みとともに揺れ、隣の黒髪が早乙女に向けて頭を下げた。

 そのまま隣に並んで、彼らも手慣れた様子で仕度を整えだす。


「うち、ちょっと一昨日ぐらいから急ぎの別件が飛び込んできちゃって、応援、俺たちだけなんだ」

「例の組織員殺しもまだ持ってんだろ? 相変わらずそっちも暇ねぇな」

「まあ、あれは今回のガサでついでに進展する見込みもあるし。まだ通常営業の範囲内かな」

「今夜はラウンジの他にも同時に入るから、期待はできるだろうなぁ。すっきりとこの夜で全面解決といけりゃ、こちらとしても万々歳なんだが」

 佐倉に返す北瀬の言葉に頷きながら、早乙女が笑う。希望を込めた楽観で鼓舞してくれる大声は、心地よかった。

 それに、はたと思い出して那世が口を開く。


「そういえば早乙女さん。わりとどうでもいいことではあるんですが、南方班長から椚下さんへ伝言が。『よろしくこき使ってやってください』だそうです。俺たちは会えるか分からないんで、一応あとで伝えておいてください」

「まったくさ、使役される側に言わせないでほしいよね、そういうの」


 不服げなわりに慕わしさを消しきれない声音で唇を尖らせる北瀬の向こう。あっけらかんと言い放った捜査一係の班長の姿が、まるでそこにいるかのごとく佐倉は見えた気がした。まったく同じ心境を味わったのか、「おっしゃいそうだなぁ」と、早乙女も苦笑交じりに、班長に伝えておくと伝言を受け取る。


「しかしこれ、規則だからつけるけどさ。正直いらないなぁって思うことない? 弾ぶっ放すより、殴りに行った方が速いみたいな」

「そりゃ、てめぇだけだよ」

 銃を装着しながら、さも当然とばかりに同意を求める北瀬に、佐倉はすげなく言い返した。


 思えば、初めて組まされた時から北瀬はこの調子だった。そう、辿りたくもないのに蘇ってくる記憶に、佐倉は眉間へ皺を寄せる。あの時はまだ面の皮の方に引っ張られ、驚きに呆然としてしまったことが苦々しい。


 やはり特定暴力組織絡みの武器密輸の現場であった。すでに突入直前という波止場のコンテナ置き場で、捜査一係からの応援だと引き合わされたのだ。忙しさにオフィスの椅子を温める暇がなかった佐倉は、着任したてだった北瀬と那世と同じ課内とはいえ顔を合わせる機会がなく、その時がほぼ初対面であった。


 差しかかるいやに明るい月の光に、夜風にあおられた金糸が儚く煌いていた。澄んだ鋭さを宿す、凛と象られたかんばせが、「よろしく」と微笑む。その透る響きも柔らかに淡く、月影に浮かぶ姿は、見慣れた捜四の面々は当然のこととして、隣の那世よりも華奢とはいわずともほっそりと見えた。


 それゆえ実力を危ぶみ、その身の安否を不安視した。いま思えば、これほど杞憂という言葉に殴られたことはない。その月明かりに溶けそうだった男は――数分後に勢いよく倉庫の鉄の扉を蹴り飛ばすと、飛び来る銃弾を物ともせずに獣の顔で突入し、拳で弾を叩き落しながら、倉庫内を蹂躙したのであった。阿鼻叫喚、という四文字熟語があれほど脳内で跳ね回ったのは初めての経験だった。


 普通ならば、例え〈あやかし〉だとしても、銃持つ相手にそうは動けない。銃弾の軌跡を正確に捉え、追える動体視力。その視認についていける速度。弾丸を素手で落とせる力と頑強さ。それらを驚きの強度で底上げしている那世の異能あってのものだ。彼の力を使い勝手が悪いと嘆いた者の顔が知りたい話である。


(いや、そいつらも、こんな思い切りのやべぇ馬鹿が出てくるとは思ってなかったろうから、仕方ねぇか・・・・・・)

 見知らぬどこかの誰かも想定外だったろうと、佐倉は隣の金髪頭のつむじを横目に睨み、思い直した。


 しかも北瀬は、並の〈あやかし〉以上の力を発揮しながら、本人は〈あやかし〉ではない。そのため、相手の武器が対〈あやかし〉に特化した術式を持っていても、人間であるため効力及び威力が落ちるという強みがあった。〈あやかし〉ならば重傷になる一撃も、中度から軽度の負傷で持ち堪えられるのだ。


 加えて、彼はその特徴を十分に生かせるよう、特殊な手袋の所持を認められていた。一見ただの黒革の手袋だが、〈あやかし〉用の武器にも対応できる防弾チョッキと同じ術を込められている品だ。守備を強化するだけのものではあるが、負傷の心配が軽減されたことにより、実質、北瀬にとっては攻撃威力増強と同義になっていた。


 今回も使用許可が下りてしまっているらしく、その長い指先に添うようにするりとはめられる手袋に、佐倉は色々なことを覚悟した。那世の表情が心なしかげんなりと見えたのは、これのせいかもしれない。


「六十年代闘争の時に、時の政府が一時的に武器所持解禁しちまったからなぁ・・・・・・。あれさえなけりゃ、規則でここまで装備に気を使わなくても良かったのかもしれんが。まあ、言っても仕方のないことだ」

 北瀬の愚痴を真面目に取り合ってやって、早乙女が苦笑交じりになだめる。


 半世紀以上前の話だ。まだこの国の治安も落ち着かず、凶悪事件と呼ばれるものが頻発する上、報道で騒ぎ立てられ、世の不安がみだりに煽られていた。そして人と〈あやかし〉の関係も、いまよりもまだずっと歪で、それが悪意と侮蔑を伴って露出することも珍しくない時代であった。

 そのため無関係の事件も、不当に〈あやかし〉と結び付けられ報じられなどしてもいたようだ。結果、自己保身の機運の高まりに乗じて、一時的に護身のためならば特殊な武器も含め、所持を認める法が通ってしまった。その後すぐさま起きた反対運動の激流に、それは短期間で廃止となったが、当時一時とはいえ流通してしまったものがすべて回収、破棄しきれているはずもない。今の世での武器入手方法は、基本的に密輸であっても、その当時の名残が眠っている場所もある。個人のものであった武器が、いつどこからどういった形で今の世に牙をむくか分からないのだ。


「悪い時代ってのは、長く尾を引くもんだからな・・・・・・」

 己のいかつい手の中に納まる対〈あやかし〉用の銃を、早乙女は複雑な切なさを織り交ぜて見やる。早乙女自身も、くだんのぎすぎすとした時代の空気を吸って生きたわけではない。ただ、ここにいる青年たちよりも十数年ばかりだけ前を歩んでいる。だから、昔の残り香が強い時代を知っていた。


「でも早乙女さん、ここ数年でだって、ちゃんと変わってきてるっすよ」

 片手間に装備を整えながら、気負わない相棒の〈あやかし〉の声がして、早乙女は顔をあげた。もうひとりがそれを、「そうですね」と、なんてことない調子で引き継ぐ。

「佐倉の言う通り。その時代から拓いてくれた道がいまある。それは、確かです」

「じゃ、次がそう言ってくれるようにするのが、俺たちの役目だね」

 彼の契約者がそう軽やかにうたって、肩口にかかる金糸をきりりとひとつに結び止めた。


「世相の乱れと不安は、人に他者を傷つけやすくさせる。ま、ひとまず、よりよい未来のためにも、目先の悪党からぶっ潰していこうか」

「ぶっ潰すのはいいが、突っ込むなよ」

「いやだな、人を考え無しみたいに」

「考え無しとは思ってない。考えたうえでなお突っ込むから始末に負えないと思ってる」

「・・・・・・突っ込みません」

 微笑みで流そうとしたのに、畳みかけてきた無慈悲で冷静な声音に、青い切れ長な瞳はするりと彼から逃げて抑揚なく囁いた。それを脇目に見ていた佐倉が、訝しみを隠しもせずに、釣り上がった眉を顰めて那世を振り向く。


「おい、那世。相棒としてこの言葉の信憑性、どれだけか教えろよ」

「マンボウの卵が成魚になる確率を知ってるか?」

「嘘だろ・・・・・・そんな儚い可能性しかねぇのかよ」

「いや、それより低いと思っておけば問題ない」

 愕然とする佐倉に、那世が追い討ちのように告げる。その数字は、絶望だ。

「ほぼゼロじゃねぇか」

「あの低確率、眉唾らしいよ? 実際もっと大人になってるかもしれないって説も聞いたよ?」

 心外だとばかりに北瀬が憤慨するも、ふたりに取り合う様子は微塵も見られなかった。仕方もあるまい。説得力の重みがまるで足りない。


 そんな益体もない彼らのやりとりに、早乙女は遠慮なく声をたてて笑った。かつての悪しきが尾を引く時代から、前に進もうとしてきた軌跡と意志が、間違いなくそこで息をしていた。

「んじゃ、行くか、お前ら」

 かかる快活な呼びかけに銘々に返事を投げながら、眠らぬ街へと武器を携え赴いていく。

 繁華の喧騒を飲み込んで、夜はようやく深まりだした頃だった。




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