good news and bad news


 東京の端に位置する八房署の管轄は、賑わう繁華街から閑散とした山間部までと広く、土地の差異が大きい。ぎりぎり隣県などの他所管に出ない山村部の端に、現場の廃工場はあった。


 たいした後始末もなくたたまれたためか、当時の整備機材や道具がそのまま広い工場内に取り残されている。だがさすがに車の影はないので、どこかがらんと空虚な空間が、夜の闇を抱いて沈んでいた。


「いつも撮影をしてたのは、だいたいこのあたりっすね。あとはあっちの方に事務所に通じる扉があって、そっちの方も、物はそのまま置き捨て、という感じです」


 すでに捜査をし尽くした場所だ。慣れた様で八房署の刑事が、手持ちのライトで現場を照らしながら話してくれる。真剣にそれを聞く北瀬の上着は、見かねて刑事が貸してくれた貸与の防寒衣だ。おかげで、那世をはじめとした彼らの視界の平穏は、保たれることとなった。


「本当に、特に何もないな。北瀬、お前はなにか見えるか?」

「それが大変残念ながら、それらしい見える感覚がない」

 屈みこみ、ただの地面をライトの光とともになめるように凝視しながら、北瀬が唸る。

「元々、普通の状態なら見えるものでないと、やっぱ察知できないよね。鑑識が必要なレベルの証拠が見えなくなってても、どのみち俺では見えないっていうか」


 探すけどさ、と綺麗な顔は、口づけそうなほど地面に近づく。束ね損ねた金糸がひと房、すでに肩口から滑り落ちて、砂と埃と仲良くしていた。しかし、熱意に比例せずどうも望みは薄そうだ。


「他になにか、前の捜査の時に気にかかることはありませんでしたか?」


「気にかかること、か――」那世の問いかけに、刑事は首を捻り、はっと気づきの色を浮かべた。「そういえば、塩崎係長がどうも違和感があるって、あのあたりの壁を念入りに調べさせてました。確かにちょっと変なんすよね。あの壁の向こう、さっき言った事務所なんですけど、そのわりには、壁がこっちから見ると広いっていうか、調べに入った時、妙に事務所を狭く感じたっていうか・・・・・・」


 刑事の言葉が終わるか終らないかのうちに、がばりと北瀬が立ち上がって、件の壁の方へと駆けていった。丹念に見つめて、そこかしこを叩いて、なにやら確認しながら、ふと一か所で足を止める。


「那世」

 後ろで壁を照らしてやりながら見守っていた相棒を、にやりと、獲物を得た猟犬の笑みが振り返った。

「ここ、扉があるよ」


 告げるなり、北瀬は足を振り上げた。壁に見える部分を勢いよく蹴りつける。と――壁が崩れるのではなく、重い物が倒れ込む大きな音が響き渡り、舞い上がる砂埃とともに、綺麗な扉型に四角く穴が開いた。その向こうには、倉庫らしき部屋がのぞいている。


「ここへの扉を見えなくしていたのか」

「より正確にはたぶん、ここに部屋があるだろうという知覚と思考を阻害してたんじゃないかな。扉を視認できないのはもちろん、外観や内部の壁の様子、部屋の広さから、ここにもう一室あるだろうと考える、そうした発想に、結びつきづらくされてたんだと思う」


 それでも違和感を得た塩崎係長はすごい、と褒めたたえながら、北瀬は倉庫内へ足を踏み入れた。


 入ってすぐの位置からすでに、天井近くまであるスチール製の業務用ラックが立ち並び、修理用の部品が入っているのか、所狭しと段ボール箱が詰め込められているせいで、部屋の全体像が掴みづらい。だが、雑然としてはいるが、片付いていないわけではない。むしろ頻繁に、人が出入りしていた形跡が伺えた。


 窓がないため工場側よりさらに暗い倉庫内を照らして、他より埃の薄い通路を進む。人の気配はなかったが、万一に備えて少し先を行っていた北瀬が、ふいに立ち止まった。まだ那世には見えないが、ラックの森が途切れ、視界が開けたあたりだ。


「那世・・・・・・いいニュースと悪いニュースって言い回し、あるじゃん? まさか実際に、あれ使うことになると思わなかった」

 茶化した言葉選びとは反対に、北瀬の声音はひどく重く固い。那世はひとつ深く息を吸って、静かに切り出した。


「いいニュースから」

「あいつら、もう一個どでかいのやらかしてた。ぶち込んだらもう、出てこれない」

「悪いニュース」

「・・・・・・おそらく、こっちの主犯は三人目の〈あやかし〉。しかも、最悪に猟奇的」


 北瀬の背に追いついた那世が彼の頭越しに目をやれば、その手のライトに照らされた、長い作業机の上。無造作に放り出された女性の見開かれた濁った瞳と目が合った。しかも、女性の姿はひとり分の形でそこにあるが、首から下は別人だ。離れた首と胴の断面が、素人目にも違うと分かる。辿るライトの光とともに、暗闇にぼんやりと浮かび上がる腕も、脚も、それぞれ別の誰かだ。


 女性の顔には化粧がほどこされ、手足の指はネイルで染めてあった。下着姿だが丁寧に着せ付けられており、右胸元を見るに、胴の彼女は〈あやかし〉だ。同じ机の端には、無数の洋服が山と積まれ、そしてその後ろに転がる大きなガラスの入れ物には、他のパーツがしっかりと、液体に浸かって保存されていた。


「とっかえひっかえ組み立てての、人形遊びか・・・・・・悪趣味だな」

 低く、深く、那世が吐き捨てる。

「血痕をみるに、ここが現場だ。鑑識を呼ぼう」

 極めて、ひたすら事務的に北瀬が言った。


 深い悲嘆と静謐な怒りを秘めて、騒然とした夜が更けていく。朝を手繰り寄せるには、まだいくばくか、時間がかかりそうだった。




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