心霊スポットで怖がらせる簡単な仕事です。

こず ばっさい

業務報告書

『もぉおおおおいぃいいかぁあい』


 この世のものとは思えないようなおどろおどろしい声が響く。


「ぎゃああああああああ!」


 パニックになったカップルが、情けない叫び声をあげながら逃げ去っていった。


「そんなに怖いなら来なければいいじゃねえか」


 俺はその様を、隣室の穴から覗きつつ一人呟く。


「まぁいい…………っと、そろそろ退勤時間か」


 どうやらさっきのカップルで最後のようだった。

 俺は帰りの準備を始める。


 みっともなく逃げた彼らはまさか想像もしまい。

 この心霊スポットで起きる怪奇現象が人の手によるもので、ましてや仕事として運営されているとは。


   ■


 つい二ヶ月前のことだ。

 新卒で入った会社でのパワハラに耐えられず辞めたはいいものの、次の職場が見つからず金に困っていた日々。

 そんな俺が出会ったのは店長と名乗る男だった。

 彼はなんでか俺のことを気に入り、そして今の仕事に誘ってきたのだ。

 心霊スポットで、幽霊のふりをする仕事を。


   ■


 ここは心霊スポットとして有名な場所だ。なんでも昔は児童専用の精神病棟だったらしい。諸々の理由で病棟が閉鎖された後、誰がうそぶいたか、ある心霊話が広まった。


 曰く「重い精神病で、病院で一生を過ごした子供が死後も遊びたがっている。

 病棟の一番奥にある隔離室で『まーだだよ』というと、子供の霊が『もーいーかい』と言いながら追いかけてくる。捕まると魂を奪われる」ということだった。


 馬鹿らしい噂だと思う。

 幽霊なんているはずがない。

 だというのに、馬鹿どもはひっきりなしに訪れる。

 簡単なスリルを味わいたいんだろうか。全く理解ができない。

 まぁ、仕事をしている俺にとってはありがたいことではあるのだが。


 手元にあるラジオの再生ボタンを押す。


『もぉおおおおいぃいいかぁあい』


 すると先ほどのカップルを仰天させた、おっかない声が流れる。

 勿論幽霊の怨嗟えんさの声などではない。

 店長が用意したものだ。

 ……暗闇でいきなりこんな声が聞こえたらビビるのもわからなくはないが、ネタさえわかってしまえば子供だましだ。


「ほんとしょうもねぇな。まぁ金になりゃどうでもいいけど」


 一人での仕事の関係上、どうしても多くなる独り言を口にしながら、俺はスマホを開き、銀行口座を確認する。

 するといつも通り、五万円が振り込まれていた。


「こんな簡単に大金が入るのは助かるが、本当に大丈夫かこの仕事」


 思わず疑問を口にしてしまう。

 当たり前だが、その問いに答えが返ってくることはない。


 完全歩合制、一回五万円。

 仕事内容はタイミングよく音声を流せばいいだけ。

 改めて確認すると怪しすぎる。

 報酬が破格すぎるし、仕事内容が意味不明すぎる。


「あの看板の効果を上げるためつったって……」


 窓から病院の出入り口付近に建てられたやたらデカい看板を眺める。

 その先にはお子様に見せるにはかなり過激な絵とともに、避妊具の広告が大々的にされていた。


 店長に聞くところによれば、この仕事の肝はこの看板を帰り際に見せることらしい。

 そうすることで脳裏に焼き付かせ、後日……というより数時間後にはこの避妊具を購入し、よろしくヤルという寸法らしい。

 つまり俺の仕事は、そのお膳立てというわけだ。


「それにしてもこの金額はおかしいだろ……」


 避妊具ってそこまで高価じゃないだろ。

 俺に一回五万円も払ったら普通に赤字になるんじゃねぇか。

 …………これ以上の詮索せんさくはやめておくか。

 探りを入れすぎて、クビになったりしたら笑えない。


「貰えるものは貰っておいたほうがいいしな……この仕事楽しいし」


 そう、俺はこの仕事が結構気に入っている。

 なぜなら騙されてる奴らを見ると、胸の内がすっきりするからだ。

 偉そうな奴、強がってる奴、そんな奴らが、一様にみっともなくわめいて逃げ惑う。そんな様子は見ていて子気味こぎみよかった。


 ずっと続けたいぐらいだが、残念ながら夏限定の仕事ということだ。

 まぁしょうがない。

 ここでガッツリ稼いで、もう一度就活を頑張ることにしよう。


 ……職歴はどうすればいいんだろうか。

「心霊スポットで馬鹿どもを怖がらせる簡単な仕事」をしてましたってか。馬鹿らしい。

 俺は退勤する。



   ■



「まーだだよ」


 今日も金づるがやってきた。

 俺は躊躇なくラジオの再生ボタンを押す。


『もぉおおおおいぃいいかぁあい』


 さて今回の馬鹿はどう逃げるかな。

 少しわくわくしつつ、待つ。

 だが悲鳴も、絶叫も、逃げ去る足音さえしない。

 いつもと違う。

 少し身構える。


「まーだだよ」


 なんだ聞こえなかっただけか。

 思わず舌打ちしそうになるが、踏みとどまる。

 隣の部屋にいるのがばれたらシャレにならん。

 再度、ラジオの再生ボタンを押す。


『もぉおおおおいぃいいかぁあい』


 息を呑む声が響く。

 笑みが自然と浮かぶ。

 どうやら今度は聞こえたようだ。

 さてこの馬鹿はどうリアクションすr——。


「そこか?」


 …………は?

 汗がたらりと流れる。

 なんだ。ナニかが違う。

 心臓の音がうるさい。

 俺は普段は騙された馬鹿を眺めるために使う隣室の穴から、恐る恐る中をのぞく。


「ひっ!」


 赤い瞳と眼が合った。

 バレてる!

 なんだこの化け物!

 驚きで手に持ったラジオを落としてしまう。

 ラジオが木っ端みじんになった音が響く。

 それが合図とでもいうのだろうか。

 赤い瞳の化け物と、俺が動き始めたのは同時だった。


  ■


「はぁはぁはぁはぁはぁ!」


 廃病棟を走る。

 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバイ!

 なんだよあれ!

 こんなの聞いてねぇよ!

 どうすりゃいいんだ!

 緊急時の対応なんて店長から聞いてない。

 …………って警察か!

 空いてる部屋に飛び込み、スマホを取り出す。

 しかし、電源が切れているようだ。画面さえ開けない。


「クソ! なんでこんな時に限って!」


 廊下に足音が響く。

 化け物だ!

 こっちに向かってきている!

 俺は懸命に走り始める。


  ■


 その後のことはよく覚えていない。


 ■


 気がつけば廃病棟の入り口に立っていた。

 どうやら逃げ出せたらしい。

 フーと息を吐く。

 避妊具の広告看板の光がなんとも心強い。

 ふらふらとその光に近づこうとした、その時だ。

 腕を掴まれ、尋常じゃない力で捻り上げられる。

 気がつけば俺は地面に這いつくばっていた。


 赤い眼をした化け物が俺を見下している。

 広告の光があるから、その全貌ぜんぼうが見えるはず。

 だというのに黒い塊にしか見えなかった。

 ただただ、その赤い眼が妖しげに輝く。


「こ、殺さないでくれ!」


 喉がカラカラになりながら、命乞いをする。


「■■■■■■■■」


 すると化け物は、低い、あまりにも低い声で何かを言った。

 低すぎて、聞き取れない。


「な、なに言ってるかわからねぇよ!」


 必死に言い返す。それがよかったのだろうか、化け物は俺の腕を手放した。

 そしていきなり化け物は自身の顔を剥ぎ始めた!?


「ひぃ! …………って、あ?」


 ここで俺はようやく気がつく。

 化け物の顔だと思っていたのは、ただのガスマスクだ。

 マスクを外したそいつが、ライトをつける。

 そこにいたのは、ただのおっさんだった。


 ◇


「あ、あんた。誰だよ」


 訳が分からない。

 化け物だと思ったら、ただのおっさんで、なんでかそのおっさんは俺を追いかけてて、何が起こってんだ。


「俺? 俺は警察の者だ」


 おっさんは悪びれる様子もなく、淡々と答える。


「警察?」


 聞き返すと、おっさんはコクリと頷き、胸ポケットから手帳を取り出す。

 目を凝らすと、大層な記章とともに、おっさんの顔写真と何か文言が書かれている。広告看板の光があるはずなのに、なぜか薄暗く読みづらい。

 俺のそんな様子を見かねてか、おっさんが説明してくれた。


「俺は警察庁公安部奇事きじ課の者だ」

「きじ……課?」

「あー、つまりは超常現象とかの事件を担当しているんだ。例えば……幽霊とか」


 おっさんは苦虫を潰したような顔を浮かべる。

 信じてもらえないとでも思ってるんだろう。


「は、ははは」


 思わず笑い声をあげる。

 またかという雰囲気を出すおっさん。恐らく今までも、こういう反応をされてきたんだろう。

 慌てて、フォローする。心証を悪くする必要もない。


「い、いやすいません。貴方のいうことは信じますよ。ただその、ご苦労様で申し訳ないですが、ここに幽霊なんていませんよ。もっぱらこの病院の心霊現象でも聞いてきたんでしょうけど、それは俺が仕事でやってるだけなんで」

「……仕事?」


 怪訝そうな顔を浮かべるおっさん。

 まぁ怪しいよな、幽霊のふりをする仕事なんて。

 俺はこの数か月行ってきた仕事の説明をした。

 店長に話していいか、許可を取るべきかもしれないが、まぁ警察だし多めに見てくれるだろう。


 ◇


「――――ってな具合で働いてたんですよ。まぁもしかしたら、不法侵入かもしれないですけど、そこは多めに見てくれませんか。俺のほかにだって、肝試しとかで来てる奴らは許されてるわけですし」

「むぅ……」


 この仕事の内容をかいつまんで伝えたが、おっさんは不可解そうに唸っていた。


「なぁ……本当にそんな仕事があるのか」

「いや、何言ってるんですか。ありますよ。現に俺がやってましたし」

「にわかには信じがたい」


 どうやら信じられないようだ。

 俺の説明が下手なんだろうか。

 普通に考えて嘘なはずないんだけどな。

 だって……。


「いや信じるもなにも、あの看板広告見れば一目瞭然じゃないですか」


 この仕事の要でもある看板がすぐ後ろにあるのだ。

 証拠が目の前にあるのに、何を言ってるんだこのおっさんは。

 理解力が乏しいのかもしれない。


「何を言っているんだ?」


 案の定だ。

 俺のことを不思議そうに見つめる。

 いや、俺じゃなくて看板を見てほしいんだけど。


「いやだから、看板ですよ。あそこの」

「あそこってどこだ」


 看板の光のあるほうを指さしてあげているのに、おっさんはちんぷんかんぷんのようだ。

 いい加減イライラする。

 振りむきながら説明する。


「だから、ここに看板があるで…………え」


 絶句。

 そこに避妊具の広告看板はなかった。

 明らかに錆び、朽ちた看板跡が寂し気に突っ立っていた。

 広告看板の光もない。

 一面の闇だ。


「お前はさっきからあの跡を指さしてたが……どういうことだ?」


 おっさんに問いただされるが、それどころじゃない。

 目の前の出来事が信じられなかった。


「そ、そんな。だって入金だってされてたし」

「どうしてわかる?」

「す、スマホから」


 スマホをポケットから取り出す。

 おっさんの息を呑む声がする。


「…………それでか?」


 まさかと思い、見ると俺のスマホは大きな亀裂が入っていた。

 電源さえつかないことは明らかだ。

 地面が崩れ落ちる感覚におちいる。

 スマホ……スマホの残骸を思わず落とす。

 おっさんがそれを拾いつつ、問う。


「なぁお前は誰にこんなことしろって言われたんだ」

「て、店長に」


 そうだ俺は店長に会って、この仕事を――。


「店長? 名前は」


 ――分からない。


「容姿は」


 ――分からない。


「性別は」


 ――分からない。


 矢継ぎ早に質問されるが、答えられなかった。


 分からない、分からないわからないわからない!


 確かに会ったはずだ!

 話したはずだ!

 なのに……何一つわからない。


 俺が黙りこくる様子から、おっさんは何かを察したようだ。

 ため息をつき、一言。


「まぁいい。詳しい話は署で聞くからついてこい」


 そういうと、すたすたと歩き始めた。

 俺は言われるがままに、足を動かす。

 ぐわんぐわんを視界が揺れる。

 脳内が沸騰しそうなぐらい熱をもつ。

 頭がどうにかなりそうだ。


 そんな時だった。


「みーつけた」


 “ソレ”が聞こえたのは。

 おどろおどろしくもなく、おっかなくもない。

 嬉しそうで、楽しそうな声。

 だというのに、身体の芯まで冷えるような……そしてとても惹かれるような


「絶対に見るな!」


 おっさんの制止は遅かった。

 俺は振り返る。振り返ってしまった。


 廃病棟の入り口で笑っているソレ。

 ……………………あ。




   ■




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