女の子

女の子。

とても強くとてもかっこいい女の子がいた。

その女の子には目標があって、目指す姿があって、もっと強くなりたかった。

女の子はそのためにずっと努力していた。

けれどある時その女の子はかなわない相手と戦って、とある少年に助けられた。

女の子はその少年に恋をした。

結果、女の子は少年のためにおしゃれをして、かわいいと言ってもらうために努力をした。いつしか「強くなる」という目的は忘れ去られ、物語に描かれなくなってしまった。恋をした後に女の子が強くなろうとする場面があってもそれはあくまで「少年のため」で、自分が目指した理想の姿のためではない。

その女の子が少年と結ばれたかどうかは知らない。これはあくまで今まで私が見た過去のいくつかのトラウマの物語を単純化したものだ。

そして、それらを見たときいつも私は失望した。

好きだった強くてかっこいい女の子の姿が消えてなくなってしまったからだ。


私が好きな物語の女の子は、昔からいつもそうやって、消えてなくなってしまう。

いつからか、好きなタイプの女の子が出ると知った物語でも、主人公が男でああるだけで読まなくなった。

男主人公はいつも私の好きな女の子を消してしまうからだ。


ならば、と代わりに女主人公の作品を好んで読むようになった。これは面白かった。女の子は様々な逆境をあの手この手で工夫して努力して乗り越えていく。その姿は私の好きな女の子とはタイプが違っていてもとても魅力的に見えた。

けれども、そう言った女の子達も必ず、必ず男と恋に落ちるのだ。

そして、男に助けられる。今まで頑張って来た女主人公よりも、パッと出て来た男が軽々と能力を上まわるのだ。もしくは、女の子の能力が全く通用しない状況に追い込まれ、結局女の子は男に助けられるばかりになってしまうのだ。描写は格好良い男の姿ばかりになり、女の子はただその姿に惚れ惚れするばかり。

そうして魅力的であった女の子は輝きを失い、次第に私はその物語自体への興味を失ってしまう。


恋は人を変えるというが、物語で恋によって変わった女の子は何故か私にとって魅力的ではなくなってしまうのだ。


けれど、そう言った描写をよく見かけるということは、きっとそういった描写を好む読者や書き手が多いのだろうとは思う。あくまでここまでの愚痴は私にとっての好き嫌いについての話であり、いわゆる「お気持ち」というやつなのだ。

書き手はそのような「お気持ち」に書く内容を左右されるべきではない。好きなように書き好きなように物語を終わらせるべきだ。私のような知識もなくただ好き嫌いで文句を言うだけの人間の言葉になど惑わされず、自分が書きたい、見たい物語を書いてほしいと切に願う。


脱線した。そもそもコレを書こうと思い立ったのは、今面白く読み進めている作品の文からだ。主人公である強い女の子が、将来恋をして結婚をすることによってしか幸せになれないであろう、というような内容だった。世界は彼女が男と結婚することによってその強い力や突飛な発想を恐れることはなくなり大団円になるのだ、と。

またか! と、大好きなハンバーグに刻んで混ぜられた嫌いなピーマンを見つけてしまった子供のようにこれを読んだ私は嘆き悲しんだ。

また物語は私の好きな女の子を消し去ってしまおうというつもりなのか! と。


まあこれ自体は仕方がない。書き手の思想に文句を付けても仕方がないし、嫌なら読むのをやめるしかない。それに、もしかしたらその嫌な予感を打ち破ってくれる可能性だってある。この物語の主人公は恋を経由しても前と変わらず強く圧倒的で居てくれるかもしれない。恋という理由付けだけで相手の言葉に(表面上の感情はさておき)従うばかりではなく、かといってパートナーの足を引っ張るばかりのお荷物になることもなく、彼女にとっての大義や最善のために最後までどうどうと格好良く走り続けてくれるかもしれない。

今のところまだ物語は面白く感じるので、その小さな可能性に賭けてまだもう少し読み進めてみようと思う。願わくば、最後まで楽しく読み終えることが出来ますように。


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徒然犬 犬居橋左右 @tanuemon

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