深淵高校 天文学部

深淵高校 天文学部①

磯山いそやまぁ〜、お前部活決めた?」


 中川 仁なかがわ じんが、帰り支度をしていた太一たいちの肩を後ろから右腕でグッと抱き寄せる。太一と中川は小学校からの同級生で、ずっと同じ野球チームでプレーしてきた。深淵高校しんえんこうこうに進学したのは、同じ中学からだと中川だけである。


「仮入部期間、あと一週間あるだろ。それまでに決めるさ。」


 太一は中川の腕を肩で払いのけ、教室を出る。まるで親猫に着いて歩く子猫のように、中川は太一の後を追いかけた。


「あっという間だぜ、一週間。うちの学校、なんか『部活入らないとダメ!』みたいな空気あるじゃん?このまま帰宅部になっちまったら恥ずいぜ?」


「じゃあ野球でいいじゃねぇかよ。今から新しいスポーツ始めるより楽だろ?」


「おいおい、またあの地獄に追い込むつもりか、この俺を?せっかく受験期間で髪伸ばしてオシャレできるようになったってのに、また坊主なんて死んでも嫌だぜ。俺の野球人生は中学で終わってんのよ。寿命を迎えてんの。」


 廊下を歩きながら、ワックスでツンツンになった髪をいじる中川。昔から中川は女子ウケを気にするタイプで、野球チームの中では『陽キャ』に分類されていた。守備位置はショートで、これも陽キャ感を引き立たせていたように思う。


 太一はというと、あまり目立つタイプではなかった。チームの中では陽キャ寄りの陰キャといった立ち位置で、何事においても可もなく不可もなく。守備もバッティングも卒なくこなすからレギュラーには入っていたが、パッとしない選手だった。中川とは、同じ高校に進学することがわかってから頻繁に話すようになったが、それまで特別仲が良かったわけではない。


 鬱陶しそうに話しながら廊下を歩く太一の前に、中川が回り込む。


「そういうお前はどうなんだよ?野球やらねーの?もしお前が野球やるってんなら……どうしようかなぁ?迷うなぁ……知り合いがいた方が安心だよなぁ。」


「お前の緊張緩和に俺を使うなよ。それぞれ好きな部活に入ればいいだろ?もしお前、俺が『おままごと部』に入ったら一緒にやるのか?」


「えっ!?おままごと部?そんなのあるの?」


「いや無いけど、例えばだよ、例えば!」


「おままごと部ねぇ……女子多そうだよなぁ……悪くねぇなぁ。」


「もう知らん!」


 太一は中川を追い越し、階段を降りようとした。


「あっ!」


中川の驚嘆する声が聞こえ、振り向いた太一。中川は廊下に取り付けられた窓から外を見ていた。太一も気になり、中川の隣から窓を覗く。校庭のトラックを走る陸上部が見えた。


「陸上ね……そういや中川、お前足速かったよな?五十メートル走、六秒台で走ってなかったか?陸上の短距離、いけんじゃね?」


中川は首を横に振る。


「違う違う違う!俺が見てるのは校庭の向こう。テニスコートがあるだろう?」


「ああ……あるな。ちょっとよく見えないけど。」


「左から二番目のコートの手前で打ってるの、水谷みずたにさんだぜ。うちのクラスの。」


「よく見えるな。」


「俺の中川レーダーが反応してんのよ。」


 水谷さんは太一、中川と同じ一年E組の女子生徒。芸能人で例えると本田 翼ほんだ つばさに似ており、入学後一週間足らずで学年のマドンナ的存在になっていた。


「水谷さん、テニス部入るのかなぁ?だったら俺もテニスやろうかな?」


「おい中川、小中の付き合いってことで忠告してやるよ。可愛い女子がいるだけで入った部活なんて絶対に長続きしない。絶対に。」


「だよなぁ……今の俺の感情を分析してみたが、水谷さんのテニスウェア姿を間近で見たいだけだわ。あわよくばパンチラも。」


 太一は大きくため息をついた。中川は悪いやつではないのだが、自分とは性格がマッチしない。


「もっとよく見てぇなぁ……水谷さぁん。」


「じゃあどうする?コートまで行って張り付いて見るか?変態扱い間違いなしだけど。」


「……いや、もっと良い手がある。磯山、四階行くぞ。」


 中川に先導され、太一は階段を登った。一年生の教室はニ階にあり、四階は三年生の教室があるフロアだ。一年生にとって、三年生というのは悪魔よりも恐ろしい存在。たった二歳しか違わないのに、全員巨人に見える。太一としては、四階はあまり行きたくない空間だった。


「おいどこ行く気だよ。四階って三年がうろついてるからあまり行きたくねーんだけど。」


「ビビんなビビんな。堂々としてりゃあ、俺たちも三年と見分けつかねーから。それに、これから行くのはお前が想像してる『ヤンキー漫画に出て来そうな上級生』がいるようなところじゃない。」


「じゃあどこ?」


「理科室だよ。確か四階にあるって聞いた。放課後、たまに天文学部が使ってるらしんだ。ということは、望遠鏡があるはずだろ?それで水谷さんを見るんだよ。」


「望遠鏡ってお前、天体望遠鏡だろ?星とか見るやつだぞそれ!」


「俺たちにとって水谷さんは星みたいなもんさ。手が届きそうで届かない……美しく儚い存在。」


「俺を仲間に入れるな。俺は水谷さんに興味ねーから。」


 四階に到着。校舎を南東の方へと歩く。


「そもそもだけどさぁ、天文学部が活動してるんだろ?勝手に入ったら怒られるぜ。」


「大丈夫。天文学部って、何年も前から廃部状態で、ほとんど活動してないらしいんだわ。全然部員が集まってないし、今所属してるのも幽霊部員だけなんだとさ。」


「へぇ……お前やけに詳しいな。それも中川レーダーで集めた情報か?」


「俺の兄貴、去年深淵高校を卒業しててさ。学校の話はいろいろ聞いてんだよね。」


「あっ、そういえば中川、兄貴いたな。あの不良ぽいっていうか、麻薬やってそうな兄貴。」


「ひどい印象だな。兄貴にチクっとこ。」


 ここだ、と中川はある教室の前で太一を止めた。扉の上部に「理科室」と書かれた札が付いている。中川が何の躊躇いもなく扉をスライドさせた。


 太一と中川は、縦二列にズラッと並んだ横長の黒い机が目に入った。少し離れるようにして三人の学生が座っている背中が見える。扉が開いた音に反応し、一斉に振り返るようにこちらを見た。


 一人は角刈りっぽい髪型で、少しポッチャリとした男子。背はあまり高くなさそうだ。


 もう一人も男子。理科室にあるガイコツと見間違えてしまいそうなくらい痩せ細っている。眼鏡を掛けているので、ギリギリガイコツと見分けがつくが。


 最後は女子。腰までありそうな長い黒髪で、目鼻立ちがくっきりしている。一瞬だけ太一と中川の方に視線を移したが、すぐにスマホ画面へ戻した。


 話が違うぞ、と太一は思った。天文学部は廃部状態だと聞いたのに、部員がいて、活動しているではないか。


 驚きで声を失った太一と中川。その様子を見て、角刈りの男子が立ち上がり、笑顔を浮かべながら二人の元に小走りで近寄ってきた。

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