夏休みの宿題④
二週間後の月曜日。
四年一組は相変わらず荒れていた。女子はおしゃべり、男子は駆け回る。休み明けということもあり、子供たちは元気いっぱいだ。
教室に郁美が入ってきた。教卓に出席簿を置く。
「みんな静かに!朝の会を始めますよー!」
郁美の声は誰にも届いていない。
「ほら座ってー!始めるよー!」
誰も言うことを聞く様子がない。
「……静かに……しろっつってんのがわからねぇのかこのバカガキどもがぁ!!!」
郁美の怒声が教室を静まり返らせた。児童たちは、絶対に反抗しないだろうと思っていた郁美の大胆な行動に度肝を抜かれている。
「早く座れ低脳サルが……社会のお荷物ども……」
走り回っていた男子も、立ち話をしていた女子も、郁美にすっかり威圧され、大人しく自分の席についた。
「お前調子に乗るなよ羽山!今さら先生ヅラすんなこのブス!」
男子の中心格である倉田 広樹だけは反抗した。教室の後方から大声で郁美を挑発する。郁美は口を閉ざしたまま、血走った目を大きく開き、瞬きひとつせず倉田を見つめる。
「な、なんだよ!やんのか!教師だからって調子に乗ってると……」
「倉田……倉田ぁ!そうだお前は倉田だな。出席番号六番、倉田……下の名前はなんだっけ?はっはっはっ!お母さんは元気か?あの母親……偉そうなクズ!父親の顔は知らないが……お前に似てサルみたいなんだろうなぁ。よく見ると、お前の母親もサル顔だったなぁ……サルがサルを産むか!自然の摂理だなぁ!なぁ!?倉田ぁ!?」
倉田は机の間を縫って教卓の方へズカズカ歩くと、郁美の胸ぐらを掴んだ。倉田は身長が高く、四年生だが郁美と同じくらいの背丈がある。
「テメェ先公……マジ調子乗ってっとぶっ殺して……」
「おいサル、お前女の胸掴んで何してんだ?おい?私のCカップを掴んで何してんだって聞いてんだよ?一丁前に欲情してんのか?まぁ仕方ねぇか、母親がまな板ババアだからなぁ!女の胸の一つや二つ揉んでみたくもなるよなぁ!?」
倉田が握り拳を作り殴りかかるより前に、郁美のビンタが倉田の右頬に入った。
「私はこれからぁ!お前の右頬に25発ビンタを入れる予定です!次に左頬に32発入れますぅ!合わせて何発でしょう!?さぁ答えな!算数の時間だよ!サルでも解けるでしょこんな問題ならぁぁ!!」
郁美のビンタが倉田の頬を何度も打つ。白目をむき、血の泡を吹いている倉田。意識を失っているようだが、郁美は倉田の胸ぐらを掴み返しており、倒れることはできない。グラングランと揺れる頭を、郁美はしばき続けた。
皮膚と皮膚が激しくぶつかる音が、教室にこだまする。児童たちは目の前で起きている惨劇に恐怖し、指一本動かすこともできない。
教室の一番奥、左隅の席に座るアキラは、薄い笑みを浮かべながらその様子を見ていた。
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「アキラくん……そのクローン、私のも作れる?」
郁美の弱々しい声を聞き、アキラは教室から出ようとする足を止めた。
「で、できるだけ早い方がいいの……その……私にこそクローンが必要じゃないかなと思って……」
アキラは踵を返し、元いた席に座った。
「早く……ですか。僕は歯と歯茎の一部に水や肥料を与えて、およそ一ヶ月でクローンを作りました。全身が土に埋まっていたマサオは、三日でクローンができた。このことから考えられるのは、土に埋めるDNAや細胞が多いほど早くクローンが出来上がるということ……先生、何なら埋められます?」
郁美は少しの間、考えた。そして座っている机の中のお道具箱を開けた。誰のお道具箱でもいい。小学生なら必ずアレを入れてるはずだ。
あった。郁美はハサミを取り出すと、左手の小指を根本から切り落とした。ボキボキと骨が砕ける音と、郁美の叫び声が教室を包む。アキラはその姿を黙って見つめていた。机の上に血が滴り落ちる。
「私……大学生の頃モテたのよ……黙っていても男が寄ってきた……付き合ってくれと頭を下げてきた……でも教師になってからはどう?一回り以上年が離れたガキに振り回され、親の顔色を伺ってペコペコする……そんなの、私じゃない!私が思い描いていた人生じゃない!」
「お気持ち、わかりますよ……」
アキラの眼鏡が怪しく光る。
「私の小指をアキラくん家の庭に埋めてくれないかしら!そして私のクローンを作って欲しいの!!子供たちを、何の躊躇いもなく叱れるクローンを!そういう『教育』もできるんでしょう!?」
「……指をあと4本もらえれば、教育の時間も合わせて二週間で仕上げます……」
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郁美はアパート二階の自室に篭っていた。ベッドで頭から布団を被り、ガタガタと震えている。
「これでいいんだ……私は変わったんだ!教育には多少の怒りが必要……それを今頃クローンがやってくれている……私の欠点を補った完璧な教師として!」
翌日、羽山 郁美は懲戒免職となった。その後、倉田の母親が警察に被害届を提出。児童に対する傷害の容疑で警察が郁美の家を訪問、逮捕に踏み切った。
郁美の部屋に鍵はかかっていなかった。刑事が中に入ると、ワンルームの室内で郁美の遺体を発見した。
しかし、その遺体が妙だった。郁美の遺体は二つあったのである。一つは刃渡り十八センチの包丁で全身を滅多刺しにされており、もう一つは大量の睡眠薬を服用し、ベッドの上で横たわるように死亡していた。床に落ちた血まみれの包丁からは、郁美の指紋しか検出されず。現場だけを見れば、無理心中だと判断するのが相当だろうが、自分自身と心中なんて前代未聞だった。
遺体を検査したところ、二つは完全に同一人物であることが判明。一卵性の双子でもなく、DNAや歯形が全て一致した。唯一違いがあるとすれば、睡眠薬を飲んだと見られる遺体の左指が一本もないことだけだった。
<完>
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