お紅茶お嬢様

 マクラーレン(スコットランド人)が、音もなく紅茶のおかわりを運んできた。

「あら、ありがとう」

 お嬢様は永い時をかけて作り続けているミニ四駆(全体進捗20%)をテーブルに置くと、静かにミルクと紅茶が撹拌されるのを眺めている。

「お嬢様、本日殺しの依頼はございません」

「あら、残念…」

 ミルクティーを飲みながらお嬢様は悲しげな微笑みを返した。


 男は興奮で目眩を起こしそうだった。両手で握り潰している柔らかい肉と軟骨の感触は毎度のことながら甘美で、目の前で苦悶の表情を浮かべてどす黒くなっていく人間の顔をみていると、すぐに破裂してしまう小動物とは比べ物にならない悦びがあった。

 やがて相手が痙攣して動かなくなると、排泄物が漏れ出して汚れた路上にそのまま捨てた。夕方の路地裏で行われた、大胆ながらも足のつかない無秩序型の殺人だった。

「はぁぁ、今日はまだまだ冷えねぇわ。もう一人ぐらい頂いちゃいたいねぇ」

 口から溢れるよだれを袖で拭うと、表通りの様子を伺う。下校時刻なのか、ちらほらと制服を着た少女が見える。

 その中でも、黒髪のショートカットに美しい駿馬のような肢体を制服に包んだ、長身の少女に目をつけた。待ち合わせをしているのか、かばんを地面に置いてスマートフォンを見ている。

「また路地裏に引き込んで、首肉を思いっきり潰して…」

 抑えきれないニヤニヤとした笑みを浮かべながら、男は様子を伺った。


「あーっ、なんで見つからねーかな」

 志保はコンビニの駐車場から、店内をウロウロする少女をイライラしながら見つめていた。

 しばらくして、コンビニの入り口から顔を上気させた少女が歩いてきた。豊穣な麦畑を思わせる豊かな金髪と抜けるような白い肌…そう、お嬢様殺し屋だ。

「志保様、本当ですわ。あらかじめミルクと紅茶が混ざった飲料が売っておりましたの、まさに天才の発想!」

 シンメトリーの完璧な笑みを浮かべながら、金髪の少女はミルクティーのボトルを志保に見せた。

「なにが天才の発想!だよ。おまえなぁ、コンビニに売っているミルクティー知らねぇなんて漫画かよ」

 志保と呼ばれた少女は、呆れながら言った。

「ええ、ええ。わたくし紅茶にはうるさいつもりでしたが、志保様からあらかじめ混ざったミルクティーが売っているなんて聞いて、主治医をご紹介差し上げようと思っておりましたの」

「なんか微妙に馬鹿にしてんだろ…」

 志保は少女からミルクティーを受け取ると、キャップを開けて渡してあげた。少女の前だと、いつも無意識に志保は動いてあげてしまう。

「まったく、お嬢様学校だからってお前は度を越してんだよ。アタシみたいなスポーツ特待生組には理解不能!」

「そんな悲しいことを仰らないでください、志保様からはいつも大きな学びを得ておりますの」

 この世の終わりとしか思えない悲しそうな顔をして、金髪の少女は志保を見つめた。

「あの…」

「ん?」

 志保は少女のこの顔に弱い。

「手をつないでもよろしいですか?」

「なんでだよ!」

 顔を赤らめながら、志保は歩き始めた。


 男は機会を掴むことに長けていた。いや、天賦の才があると言っても良い。人がまったく注意を向けない、日常のエアポケットとでも言うべきタイミングを本能で察知し、反射的に動くことができる。男が重ねる無秩序型の殺人が発覚しない理由がここにあった。

 同じ制服を着た金髪の白人娘と合流して歩き始めた少女を狙い続け、まさに直感を刺激する完全なるエアポケットのタイミングが、今まさに到来したのだった。

「金髪娘までオマケについてくるなんて、俺は神に選ばれた男なのかもしれねぇな。何の神様だかしらねぇが」

 この幸運を与えてくれた神様に感謝しながら、男は後ろから少女たちを抱えるために両腕を広げた。

 瞬間だった。金髪の少女は電光石火の如く時計回りに回転すると、その勢いで自分の右肘を男の肋骨めがけて振りかぶった。鈍い音を男が感じたとき、すでに少女は体を小さくかがめており、次の瞬間には太ももに装着していた鎌状のカランビットナイフを取り出していた。かがめた体を開く勢いで少女は鼠径部の動脈を斬りつけながら、股間を抉るように動かした。男のズボンが股間からどす黒く染まっていく。

 少女は完全に立ち上がると、自分の下半身を信じられない眼差しで見つめている男を、薙ぎ払うような右回し蹴りで路地裏にふっ飛ばした。

 地面に叩きつけられると、男は下腹部の焼けるような温かい感触とともに意識が薄れ始めているのを感じた。一体なにがおこったのか?神様、こんなのってアリかよ…。


「ん、どした?」

 物音で志保が振り返った。

「いえ、ちょっとゴミが落ちておりましたので路地裏にエイって蹴っちゃいました」

 うっすらと少女の頬が赤らんでいる。

「へー、お嬢様でもそんなことすんだ。って、そこは拾うじゃないんかい!」

「いえいえ、ちょっと汚そうな生ゴミでしたので…」

「えっ、そんなのが落ちてたの?大丈夫?踏まなかった??」

 志保が心配そうに尋ねると、少女はにっこりと微笑んだ。

「ええ、大丈夫でしたわ。お気遣いありがとうございます」

 時にお嬢様殺し屋は、依頼がなくても殺しちゃう時がある。

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お嬢様殺し屋 インドカレー好き @india-curry

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