第3話 腹ペコ青年・ヒュー
くつくつと小さな音と気泡が鍋肌に触れる。
リジーは目の前でちょこんと座り彼女の作業を見ている青年にバレないよう、内心で大きくため息をついた。
鍋ごとスープを飲み干したのに、彼の腹からはまだ細く抗議の声が続いている。
この人いったいどんな体してるんだ、とリジーは考え、ふと自己紹介すらしていないことに気づいた。
「あの。そういえば、自己紹介もしていませんでしたね。私はリジーといいます。料理術師で、冒険者の端くれです」
「ヒューだ。俺も冒険者をしている」
青年・ヒューの名前にリジーは驚いて目を丸くした。
「ヒューって……あの「孤狼のヒュー」?」
「俺以外にヒューという名前の奴を俺は知らないぞ」
孤狼のヒュー。
それは、パーティを組まず常に一人で活動している凄腕冒険者の名前だった。
曰く、剣の一振りで森の半分を吹っ飛ばした。
曰く、魔術師が10人束で襲い掛かっても無傷だった。
曰く、実は生物兵器で人間を忌み嫌っている。エトセトラエトセトラ。
現実離れした噂ばかりが流れる彼のイメージと、目の前でお腹を空かせる愉快な青年が合致せずリジーは混乱した。
「噂のイメージと全然違う……」
「そんな噂が立ってるのか?」
「噓でしょ知らないの!?」
ギルド会館に行けば必ず彼の名指しでクエスト依頼が来ているというし、駆け出し冒険者はヒューの冒険譚を最低一度は先輩から語られる。
年齢は18歳のリジーよりも少し上にしか見えないが、その功績と実力はやがて伝説になるだろうと言われているのだ。
それだけ有名なら本人の耳に入っていてもおかしくないはずだが、当の本人はきょとんとした顔で首を傾げている。なまじ顔が良いだけに非常にあざとい。
「パーティには入ってないし、休みの日は家で寝てることが多いから、あんまり出歩かないんだ。それより、スープはもう出来るのか?」
「も、もうちょっと!」
リジーは慌てて鍋をかき混ぜる手を速めた。
疲労回復や鎮痛のスープは料理術師の中でも基本中の基本。しかし材料の薬草と食材の組み合わせによって効果や時間が変わり、作る術師によっても味が変わるため、誰一人として同じスープは出来ないと言われている。
最後のひと混ぜが終わると、スープはリジーの魔力が溶け込み淡い黄色の燐光を舞わせた。料理が成功した証拠だ。
リジーはカップに入れることはせず、鍋ごとヒューへ渡す。出来立て熱々のそれを、ヒューはさして気にすることなくごくごくと飲み始めた。
「うん、すごく美味しい。俺、あんまり薬草の入ったスープは好きじゃないんだけど、リジーのは優しい味がして飲みやすくて、好きだ」
ふっと表情を緩めたヒューが真っ直ぐにリジーを見つめて褒める。刃のような雰囲気が薄れ、目を瞠るような美貌が前面に押し出されていた。
それを見つめながら、リジーは乾いた笑みを顔に貼り付ける。
以前なら手放しで喜べていた言葉が、今は上辺の言葉にしか聞こえず心に届かない。
たとえどんなに好きだと、すごいと言われても、人間の言うことだ。いつか飽きられてしまうのは当然なのだろう。
「……ありがとう」
「言っておくが、お世辞じゃないぞ。俺はそこまで口が上手くない」
「それは自慢することじゃないです」
リジーが首を振っていると、ヒューは飲み干した鍋を地面に置いた。
そして立ち上がり、肩を回したり屈伸をしたりと各部分の状態を確かめるように動いたかと思うと、驚いたように呟く。
「痛みも、疲れもない……? むしろ体が軽い……?」
「ヒューさん?」
「あ、ああ……何でもない」
ヒューの呟きはリジーの耳には届いていなかった。てきぱきと片づけをする彼女の小さな背中を眺め、ふと疑問を口にする。
「リジー。そういえば君は何故こんなところに一人なんだ? 装備や身のこなしを見ている限り、一人でドラゴンを倒しに来たというわけじゃないだろ?」
当然といえば当然の質問に、リジーの手が止まった。
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