文珠四郎コモレビは恋がしたかった

泣村健汰

『文珠四郎コモレビは恋がしたかった』

 文珠四郎コモレビとは、27歳の女子である。

 女子と言う単語が、一体如何程の年齢にまで適用されるのかと言う議論は、争いの火種になる為ここでは割愛させて頂くが、それはさておき、文珠四郎コモレビ27歳女子は、今この時分、堪らなく恋がしたかった。

 風の吹くまま気の向くまま、その内いつか運命の相手やら白馬の王子様やらが目の前にズドンと現れて、この心をどこぞのおじ様のようにかっさらってくれるものだと余裕をぶっかましていた所に、大学時代の友人達からの結婚ラッシュと言う波状攻撃を喰らったのである。

 大学時代コモレビは『猫の生態とモフモフをひたすら愛でる会』と言う、創設38年を誇る老舗サークルに在籍していた。ライバルである『犬の生態と円らな瞳をひたすら愛でる会』の連中と、不毛なる討論を日夜繰り広げたり、彼らと結託して『亀が頭を出したり引っ込めたりするのをひたすら愛でる会』と言う新設されたサークルを完膚無きまでの論破でぶっ潰したのも、今となってはいい思い出である。勿論不毛なのは会の活動のみであり、実際の所はスフィンクス以外のほぼ全ての猫はモフモフである。モフモフを愛でる会の為、スフィンクスを愛でるかどうかと言う議論がサークル内で為されたが、結局は希少種であるスフィンクスを普段から愛でる事が出来ない故、この議論は解決を見ないままお流れとなった。

 ちなみに聡明なる諸姉諸兄の方々には不要な説明だろうが、スフィンクスとは無毛種と言われる、体毛が殆ど無い種類の猫の名称である。

 そんなサークルの同志達が、次々に番と一生の契りを結び出したのである。

 ジョーもタナカも、マリもカナもマキちゃんも、羽山会長も山ちゃんも、ジャイロも木村君もミユミユも、サリーも源五郎丸ちゃんもヘンダーソンも、みんなみんな私を置いて先に行ってしまったのだ。

 結婚式に呼ばれる度に、次はコモレビだね、コモレビの式も絶対呼んでね、等と言われる辛さを分かって貰えるだろうか?

 今年に入ってから、ご祝儀代だけで20万の大台をマークしたこの切なさを分かって貰えるだろうか?

 上司に有給願いを出す度に、本当に結婚式? 結婚式ってこんなに頻繁にやるもんじゃないよね? と疑いの目を向けられ、毎度毎度結婚式の写真を会社に提出しなければいけない歯がゆさを分かって貰えるだろうか?

 人の幸せを一つ願う度に、自分の幸せが目減りして行くような気がした。

 コモレビのウエディングドレス、キット素敵デース! ガンバ!

 黙れヘンダーソン! 綺麗な日本人の嫁さん貰いやがって!

 コモレビも絶対幸せになってね、私応援してる。

 うるさいな源五郎丸ちゃん! ほぼ唯一の珍しい苗字仲間だったのに、佐藤なんて言う男の元に嫁ぎやがって!

 等と言う事が多々あった結果、コモレビはその溜まりに溜まったフラストレーションの吐け口を、自身の新たな恋に求めたのである。

 そうだ、恋をしよう。私も新しい恋をすれば、きっと何かが変わる筈だ。

 京都に行くのと同じくらいのノリで、婚活ならぬ、恋活を始める事にした文珠四郎コモレビであった。

 安易だと言ってくれるな、浅はかだと言ってくれるな、それはある意味コモレビの長所なのだから。

 ところがこのコモレビ女史、恋をするにしてもまず何をしていいか分からず、一先ず自身の基本スペックの再確認をする事にした。

 顔は崩れている訳では無いが、取り立てて整っている訳でもない、そこそこの美人を自負する程度の地味さである。

 体型も崩れている訳では無いが、特筆する程胸やら尻やらが出っ張っている訳でも無く、そこそこのナイスバディを自負する程度の地味さである。

 特殊な資格も特に無く、ここですかさずお茶やお華やお琴を習っていましたと言えるならば、大和撫子度もまたグーンと上がったのであろうが、残念ながらそんな雅で淑やかな幼少時代は送っておらず、持っている資格と言えば、英検準2級、漢検準2級、ついでに簿記2級に、趣味で取得した色彩検定3級と言う、使えない訳ではないがこれまた特筆すべき訳でもない地味なラインナップである。

 地味地味地味の三連鎖と来て、自分はこんなに地味だったのかと愕然とし、自分にも何か派手な物は無いのかとコモレビは考えた。

 そうだ、一つあるじゃないか!

 そう、名前だ。文珠四郎コモレビなんて名前、そうそう見かけるもんじゃない。

 この名前だったら、伊集院光にも、清涼院流水にも、二葉亭四迷にも、中大兄皇子にだって引けを取らない!

 コモレビは結論に至るやいなや膝をついて心の底から凹んだ。

 それがどうした! 名前だけ派手でどうする。寧ろこう言うのは、名前負けって言うんだ。

 不毛だ、なんて不毛なんだと凹むコモレビの頭に浮かんだのは、大学時代に議論となったあのスフィンクスの姿だった。が、まるで関係無いのですぐに頭から追い出し、コモレビはサークル内で唯一同じように売れ残っているメグに電話を掛けて現状を説明した。

 自分は恋がしたい、恋をしようと思うのだと熱弁したが、メグが木で鼻をくくったような態度を見せた為、思わずコモレビもムキになった。

 電話を切り、激しいまでの自問自答。自分の人生はこのまま終わっていいのであろうか、否、否否否である。その勢いのまま、翌日会社に辞表を提出した所、いつも厳しい事しか言わない上司に、何か悩みがあるのか、相談に乗るよと優しい言葉を掛けられ、不覚にもときめいた。え、これってもしかして、なんて恋に恋する女子らしく夢の世界へ沈んで行く直前、頭髪も薄く脂が額にキラリと光る50代男性の姿を眼前に捉え、無い無い、流石にありえないと脳内で首を振り、見事に現実への帰還を果たした。

 コモレビは思わず自省した。

 危険だ。今の私は爆弾を抱えたまま、導火線をブラブラさせながら火種を探しているようなものだ。落ち着けコモレビ、クールになれ、そう、コモレビ、イッツクール、イェア! 頭の中でヘンダーソンが親指を立てる。

 上司がかつて見た事が無いほど優しい目をこちらに向けて来た事はスルーして、コモレビはとりあえず落ち着く期間として3日間のお休みを貰った。無論、有給である。結婚式に出席する時は一日でもあんなに渋られるのに、不思議なものである。

 会社を後にしたコモレビは、一先ず資料をと思い、女性誌と少女漫画を本屋でごそりと手にした。

 いつの間にか最近の少女漫画は、コモレビの幼少の時分よりも随分色々進んでいて、コモレビは10代女子が読むであろう漫画を熟読した結果、明らかに後れを取っている自身の現状に若干の衝撃を覚えつつ、改めて、恋とはなんぞや、ときめきとはなんぞやと言う、かつて当たり前のように胸や頭を占めていた感情を思い出した。

 そうよ、恋ってこんな感じ。ワクワクしてドキドキして、毎日がキラキラして見えて来るような素敵な物、これよ、私が求めていたのはやっぱりこれ、ああ、早くこれがしたい。恋と言う名のこれがしたい、と言う陶酔を経た後、どうやって? と言う当然の疑問を解決すべく女性誌のページを繰った。

 ところがどうだ、雑誌を開いて出て来るのは、意中の男性を落とすにはだの、男性が本当に求めてるファッションだの、こんな女性はNGだのばかりである。モテメイクの部分はキチンとファイリングしておくとして、コモレビが求めているのは、意中の男性を落とすテクニックでは無く、意中の男性を作るテクニックである。

 恋とはするのではなく落ちる物、だったら落ち方を教えてくれ。

 恋とは稲妻に打たれるような物、だったら打たれ方を教えてくれ。

 雑誌のチョイスがまずかったのか、資料として買って来た女性誌には、どこにも目新しい情報は無く、少女漫画を再び開いても、恋がしたいと喚いているのは最初の数巻だけ。気が付けばあっさり恋を開始している主人公達は猫も杓子も、あの人は私の事をうんたらかんたら、彼に気に入って貰うにはうんぬんかんぬん、手作りのお弁当作って来たんだンダンダダンダンである。

 思わずメグに電話をかけて、開口一番、恋の仕方を教えてくれと尋ね、2秒で切られた。使えない、メグ、実に使えない。

 他に相談に乗ってくれそうな人はいないかと携帯電話の電話帳をチェックするが、出て来る人出て来る人、既婚者既婚者既婚者既婚者で、思わずぬわぁっとベッドに携帯電話を投げつけてしまう。誤解を恐れない偏見だらけの意見をのたまいさせて貰うなら、既婚者に聞いたところで、結局はこれらの女性誌と同じような意見しか出て来ないに決まっている。ある種の余裕を持った高みからの意見なんて聞きたくも無い。これ以上惨めな気分を味わうなら、誰か私と恋をして下さい、と書かれた段ボールの中に入って、駅前辺りでくぅんくぅんと泣いていた方が、惨めだが救いがある分幾らかマシであろう。

 止めよう、そんな事をしている自分もだが、そこまでして誰からも声を掛けられない自分が容易に想像出来てしまい、思わず泣きそうになる。

 もう一度冷静になって女性誌を眺め、一つの記事に目が止まった。

 合コンで素敵な恋をしよう。

 はいはい、来た来た、こう言う事、こう言う事ですよ。成程、合コンですかそうですか、その選択肢はある意味逆に真理かもしれない気がしなくもないですな。

 恋をする為に合コンをする。現代社会において、ここ近年の定番と言える流れに気付き、部屋の中でひひひひと一人歪んだ笑いを浮かべた。

 さて、じゃあ合コンをするにはどうしたらいいのか。生憎自分で幹事をやる程のコミュニケーション能力は無い。既婚者にはそもそも頼れないし、合コンに誘ってホイホイやってくる既婚者も嫌だ。

 そうなると、もう決まっていた。コモレビは先程投げつけた携帯電話を手繰り寄せ、再びメグに電話を掛けた。

 先程は本題から入ったから駄目だったのだ。まずは、時候の挨拶程度から始めたら、きっと奴も話を聞いてくれるだろう。

 コール音が二回で途切れた瞬間、コモレビは声を出した。

 本日はお日柄も良く~。

 速効切られた。

 即座に電話を掛け直す。

 繋がった瞬間に懇願する。お願い、待って、切らないで、切らないで、切らないで、切っちゃやだ、切っちゃやだよ~、私にはもうメグしかいないの、仲間と呼べる人間はもうメグしかいないの、お願いだから、もう使えないとか言わないから、話しだけでも聞いてよ、おねげぇしますお代官様~。

 その時、コモレビの部屋にチャイムの音が鳴り響いた。

 あら、こんな時間に誰かしら、とドアスコープを覗く。因みにさっさと帰宅した為、現在は未だ夕方である。

 ドアの向こうには、先程までの電話の主が携帯を片手に立っていた。

 ドアを開け、突然の来訪に驚きながらもメグを部屋の中へと招き入れる。部屋には食べかけのポテチの袋やら、脱いだジャージなんかも乱雑していたが、特に片づける必要は無いだろうと思い、そのまま座布団を手渡した。相手がメグなら別にいいだろう、下着が散らばっている訳でもあるまいし、と思っていたら、メグは部屋を見るなり苦虫をかみつぶしたような顔を更にしかめたので、供物の代わりに湿気たポテチを差しだした。

 拒否られた。

 そらそうである。

 第一声で、お前また馬鹿な事しようとしてんだろ、と言われカチンと来た。

 またとはどう言う事だと問い詰めようとすると、大学時代にモフモフした野良猫をこっそりペット禁止のマンションで飼おうとして、結果大家に見つかり追い出された、私にとって鉄板とも言える、超絶面白エピソードの事を語られた。仕方ない、可愛かったのだ、モフモフだったのだ。何が悪いかと言えば、モフモフ過ぎるあの猫と、頭が固すぎる大家と、ペット禁止のマンションがいけないのだ。つまり、私は悪くない、ちょっと我慢が足りなかっただけだ、どうもすいません。反省しております。

 あの時も、飼うのはやめろとしゃしゃり出て来たのはこの目の前のメグ野郎だった事を思い出した。

 因みに、聡明なる諸姉諸兄なら当然お気づきかと思うが、メグはれっきとした男性である。本名は目黒亮介と言うが、然程重要でも無いので忘れて頂いて結構だ。

 メグはよっぽど苦虫が美味しいのか、それともよっぽどのドMなのか、さっきから渋面を崩そうとしない。そして大仰に溜息を吐いたかと思うと、俺はおめぇが心配だよ、等と偉そうな事を言い出した。

 心配される謂れなどこれっぽっちも無い上に、今回はそもそもメグに心配してもらう必要も無い。そりゃあ、確かに大家に内緒でモフモフを飼うのは多少まずかったかもしれないが、あれはあれ、これはこれである。

 恋がしたいんだって、と聞かれたコモレビは、そうなの、何かいい方法ないかな、と身体を乗り出してメグに尋ねた。

 メグは押し黙ったまま、だけど渋面は崩さず、段々と耳が赤くなって行く。そして次の瞬間、メグの口から意外な言葉が飛び出して来た。

 俺はお前の事、ずっと好きだったんだ。よその男なんかじゃなく、俺と恋しろよ。

 しかめっ面のまま、長い付き合いだった男が目の前で唐突に愛の告白をしてきた。その告白を聞き、コモレビは思った。

 うわっ、全然心揺れねぇ……。

 って訳で、あ、ごめんね、あんたとは無理だわ、そう言う風に見れなさそう、とサクッと断った。

 流石に今振った相手に恋の相談を持ちかけるのは酷だと判断し、見るからに気落ちしたメグにはお引き取り頂いた。

 メグのお陰でコモレビは一つ気がついた。

 自分はやはり、自分に恋して欲しいのでは無く、自分が恋をしたかったのだと。

 気付かせてくれたメグに感謝と謝罪の気持ちを抱きつつ、コモレビは再び女性誌を開いて、新たに恋に落ちる方法を探し始めた。

 文珠四郎コモレビは恋がしたかった。

 畢竟するに、ただそれだけであった……。




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