油すまし(中)
***
「考えさせてください」
おばけ退治を手伝って欲しいという八雲の言葉に、駆はとっさにそう返した。
八雲は「そう」とだけ言った。
燃え落ちる太陽を背にして、八雲の表情は駆にはわからない。
駆は今までに漫画やテレビで何人ものヒーローを見てきた。
恐るべき敵を倒すヒーローに、何度胸を高鳴らせて来ただろう。
駆は思った。
イツマデと出会う前なら、おそらく二つ返事で「はい」と返していたに違いない。
おばけ退治――おばけという気の抜けるような呼び方を除けば、今までに見てきたヒーローみたいでかなり格好いい。
けれど、実際に見たおばけはとてつもなく恐ろしくて、ほとんど逃げることしか出来なかった。
夜に一人でトイレに行けなかったなんてことはだいぶ昔、幼稚園ぐらいのことだ。
怖がりなんてものは克服したと思っていた。
けど、実際におばけに出会って――自分が全然そうじゃないことを知ってしまった。
しかも、その退治を手伝うだなんて、絶対に無理だ!
――断ろう。
そう駆が思った瞬間「やります!」という声がした。
駆の声ではない、正の声だった。
目を覚ました正が目を輝かせて、八雲に話しかけていた。
「手伝いますよ、おばけ退治!」
「何言ってんだよ正!」
――まだイツマデに取り憑かれてるのか!?
真っ先に駆が思ったのはそれだった。
「お前、下手したら死んでたんだぞ!!」
「あっ……その件に関しては、本当にありがとうございました」
正が八雲に向かって、深くお辞儀をした。
「いえいえ、ご丁寧に」
「駆もありがとう、本当に助かったよ」
「えっ、うん……?」
八雲がにひひと笑う。
駆は突然お礼を言われて、もっと何か言おうとしてやろうとしたのに、すっかり虚をつかれてしまった。
「さっきまで、気を失ってたはずなのに……なんでだろうね、八雲さんと駆の会話が聞こえたんだ。それで思ったんだ……僕の知識はこういう時のためにあったんだって」
――そういや言ってたな、正。本物の妖怪に対処するために知識を集めてたって。
恐怖がすっかり吹き飛んでしまったのか、正は目を輝かせている。
だからこそ、しっかり言ってやらなければならないと駆は思った。
「……八雲さんも言ってたけど、おばけは妖怪そのものじゃない。正の知識は役に立たないよ」
「そのものじゃなくても、おばけが妖怪を元にしてるなら、多分役に立つよ」
「イツマデの時は役に立たなかったじゃないか!」
「確かにそうだけど……でもあれは僕がおばけっていう存在を知らなかったからだよ!!」
「俺はもうおばけに関わりたくないし、正にも関わってほしくない!!」
おばけ退治の手伝いが何をするのか、駆にはわからない。
けれど、あっさりとおばけを倒してしまった八雲を見るに、自分や正の手伝いがいるとは思えなかった。
それなら、全部八雲に任せてしまいたい。
心の底から、もうおばけには関わりたくないと思う。
「八雲さんだって、僕たちじゃなくて警察とか……お坊さんとかお寺の人とか、そういう大人に手伝ってもらえばいいじゃないですか」
駆は八雲に向き直り、そう言った。
すがるような気持ちだった。
「それはできないんだよ」
「どうしてですか!?」
「信じてくれないからっていうのが一番大きい、駆くんだって実際におばけを見なかったら信じないでしょ?」
「それはそうですけど……」
「けど、信じてくれる人だって……」
「いるかもしれないけど、そんなに意味はないよ」
「なんでですか!?」
「気づけないから」
その時、生暖かい風が吹いて、駆の肌を撫でた。
無性に気持ちが悪くて、鳥肌が立った。
「……駆」
正の震える指が、何かを指し示した。
指だけではない、声も震えている。
「なんだよ、正……」
その指先は駆に向かって伸びていた。
見なければよかった、そうすれば知らないふりが出来た。
気づかないというのは、どれほど幸せなことだっただろうか。
「駆ゥ~~!!足が~~!!」
「あぁ~~~~ッ!!!!」
駆の膝から下が綺麗に無くなっていた。
しかし不思議なことに、駆の姿勢はそのままである。
まるで古典的な幽霊のように、駆の膝から上は浮いているのだ。
「な、何が起こってるんだよ!!」
駆の言葉に八雲が駆け寄った。
高い背を曲げて、白い両手を駆の肩に置く。
「駆くん……落ち着いて聞いて」
「無理ですよ!!こんな!!俺の足消えてんのに!!」
「じゃあ、慌てながら聞いて」
「あ、慌てながら!?」
「駆!とりあえず話を聞こう!」
「駆くんの体は消滅しかかってる」
「うわああああああああ!!!!!やっぱり落ち着いて聞ける話じゃない!!!!」
悲鳴を上げる駆を横に、正がまっすぐに八雲を見据えて話の続きを促した。
「……なんか、駆くんは生まれなかったことになってるみたいなんだ」
「生まれなかったって……俺、ここにいるじゃないですか!!」
「そうだね、駆くんはおばけを知ったから、少しは対抗することができてる。でも、本当なら駆くんはここにいられるはずがないんだよ」
「えっ……?」
「多分だけど、駆くんのお父さんとお母さんは死んでるってことになってる。それも駆くんが生まれる前に」
「えっ!?はっ!?どういう!?」
駆の頭が白く染まる。
八雲の言っていることがまるでわからない。
ただ、恐ろしいことが起こっていることだけはわかる。
「おばけの中には過去を変えられる奴がいる」
「過去を……?」
そんなバカなことがあるのだろうか。
時間はいつだって未来に進んでいく。
テストの結果が酷くても、それを無かったことにしてテストを受け直すことは出来ない。
終わっていない宿題を抱えても、夏休み初日に帰ることは出来ない、
どれほど後悔しても、先に進むしか無いはずなのだ。
「いや、でも過去が変わったなら、それをおかしいと思うはずじゃないですか!!」
「おばけを知らないと、人間はおばけのしていることに気づくことができないんだよ」
「えっ」
「いるはずの人がいなくても、それをおかしいと思えない。今の自分が本来の自分と全く違う人間になっていても、まったくおかしいと思えない。過去が変わってしまっても、それに気づくことが出来ないから、何もかもを受け入れてしまう」
「……」
駆も正も言葉を返すことが出来なかった。
それは今までに一度も想像したことがないような恐ろしさだ。
沈黙を打ち破るように、正は口を開いた。
「けど、駆のことは助けられるんですよね」
「ただ、退治するだけじゃダメだけど……なんとか出来る」
「わかりました、それだけ聞ければ十分です」
正の声は震えていた。
しかし、決意のこもった声だった。
「八雲さん、おばけ退治、早速手伝わせてもらいます」
「正っ!」
「今度は僕が助ける番だよ、さっきの汚名も返上したいしね」
「……俺も行くからな」
言いたい言葉がいくつも浮かんだが、駆はそれだけを口にした。
足が消えても、不思議なことに移動することは出来た。
足の感覚はないが、歩こうとするとそのように体が動くのだ。
「いや……その足は隠さないとダメじゃないかなぁ?」
「大丈夫だよ、他の人にはそもそも駆くんの姿が見えてないから」
「今までに聞いた中で一番ひどい大丈夫だ……」
鳥居をくぐり、三人は今日二体目のおばけ退治へと赴く。
街を進む。
クラスメイトが住んでいたはずの家が空き家になっている。
空き地だったはずの土地に、二階建ての家が経っている。
歩いている途中に正は友だちを見かけた。
手を上げて「やあ」と言ってみる。
クラスメイトは怪訝そうな顔で正を見て、挨拶を返さなかった。
誰とでも仲良く出来る明るいクラスメイトだったはずだった。
「友だちだった?」
「でした、駆もそうだったよな」
「ああ、けど……全然違ってたな……」
駆の心に、再び許せないという気持ちが燃え上がってきた。
おばけは、誰も何も気づかない内に何もかもをめちゃくちゃにしてしまう。
それと同時に恐ろしさも強まる。
つまり自分たちも気づかない内にめちゃくちゃにされてしまっても、おかしくはなかったのだ。
「不安?」
「ありません!」
「大丈夫です!」
不安を隠すように二人は強い口調で言った。
そんな二人の様子を見て、八雲はにひひと笑う。
「まっ、安心してよ。きっちり退治して……」
湿った風が吹いた。
先程まで点いていた家の灯りが消える。
大きな声で子供が泣いている。
駆は振り返りたくなる気持ちを抑えた。
振り返れば、さっき見たクラスメイトは煙のように消え去っているのかもしれない。
未来は振り返ったところにはない、駆は前を見た。
「君たちをここにいられるようにする」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます