イツマデ(下)


***


 赤い空をカラスの群れが旋回している。

 逆光を受けて、それはまるで赤い世界に浮かび上がる影絵のようにも見えた。

 カラスが鳴いている。

 「イツマデ」、「イツマデ」、「イツマデ」と。


「イツマデについて、どれぐらい知ってる?」

 睨みつけるように空を見上げながら、八雲が尋ねる。

「えーっと……死体を放っておくとイツマデって鳴いて、いつまで放っておくのかってことを訴える鳥の妖怪ってことぐらいは」

「ま、普通ならそんな感じのやつだね」

「そんなことより八雲さん、飛んでるアイツら……こっちに来ませんよね?」

「ま、大丈夫、大丈夫」

 余裕すら感じさせる口調で、八雲が言った。

「でも、私から絶対に離れないでね、私から離れたらアウトだから」

「アウトっていうのは……?」

「具体的には言えないけど、うーん……私、一週間ぐらいお肉食べれなくなるかもね」

――具体的に言われるより怖いじゃないか!

 駆は心の中で叫んだ。


「でも退治してくれるんですよね?」

「そりゃもちろん、でも君……えーっとナニくん?」

「駆です、小泉駆」

「オッケェ、駆くん。言っておくけど私はもう始めてるからね、おばけ退治」

「えっ?」

 八雲が何かをしているようには見えない。

 ただ、カラスの方を睨み、駆と会話をしているだけである。

 それでも、八雲のその言葉には溢れ出るほどの自信があった。


「駆くんは英語で妖怪ってなんて言うかわかる?」

「えっ、英語で……ヨ、ヨウカーイ?」

 八雲の質問に駆は精一杯のそれっぽさで応じた。

――言葉で一番大切なのは、相手に伝えようとする思いだと外国語指導助手ALTの先生も言っていた気がする!

「ヨウカーイ……んひひ……いや、いいと思う、いいと思うよ……んひひ」

 堪らえようともせずに、八雲は笑っていた。

 そこに年下の少年に対する配慮のようなものは一切存在しなかった。


「じゃ、じゃあ正解はなんですか!?」

「無いよ」

「えっ?」

「ゴーストとか、モンスターとか、ま、ジャパニーズデーモンとか、ニュアンスを伝えることは出来ても、妖怪を現すなら、やっぱりヨウカーイと言うしかないねぇ」

「……この話は俺を小馬鹿にする意外に何の意味が?」

「まぁ、こっからが重要なんだよ」

八雲はそう言って、んひひと笑った。


「あのイツマデは君の知ってる以津真天となんとなく似てるけど、全然の別物だよね」

「はい」

「奴ら……私はおばけって呼んでるけど、奴らは人の知ってる妖怪とか、伝承とか、都市伝説とか、そういうものに化けて人を襲う」

「妖怪そのものじゃないんですか?」

「奴らが実際どういう存在なのかは、私もわからないよ。

 本当の妖怪なのかもしれないし、悪霊という奴らなのかもしれない、もしかしたら外国でいう悪魔なのかもしれないし、宇宙人みたいな奴だったりするのかもしれない」

「……っ!」

 駆は息を呑んだ。

 ただでさえ恐ろしいものがその存在すらよくわからないとなるとよけいに怖い。


「おばけが化けると、何かがずれる。その国だけの概念が他の国ではそのとおりに伝わらないみたいに、どこか似ているけれどなにか違うものになる」

「じゃあ、あのイツマデは……」

「うん、随分とタチの悪いものに化けたね」

 そして八雲は「ここからが大事なところなんだけど」と続けた。


「封印を破ったとか、お墓でいたずらしたとか、入ってはいけない場所に入ったとか、なにか悪いことをしたとか、なにかに取り憑かれることには理由があるだろう?」

 駆は思い出す。カラスの死体を見つけたこと、そのカラスの死体から逃げ出したこと、そのカラスの死体を埋葬しようとしたこと。取り憑かれる理由があるとするならば、それは一体なんだ。


「おばけに取り憑かれることに一切の理由はないよ」

「えっ」

「おばけはいつも獲物を探している、駆くんはたまたま選ばれただけだよ」

「たまたま……?」

「おばけは人が怖がっているのを一番喜ぶ、おばけにとって恐怖は最大の栄養になるから」

「じゃあ俺たちは、たまたまアイツらの食事にされかけたってことですか!?」

「そうだよ、そして君たちの恐怖でイツマデは成長して、正くんを殺すところまでいった。おばけは人の死を喜ぶ……なんでかわかるかい?」

「それもおばけの栄養になるからですか?」

「面白いからだよ」

「は?」

「おばけは恐怖で成長して、楽しみのために人を殺す。そして次の獲物を狙う」

「なんだよ、それ……」


 駆の視界が白く染まった。

 皮膚が赤く染まり、拳を握る力が強まる。

 駆の心を満たしているのは、先程までの恐怖とは正反対の感情だった。


「そんなんで正を……オレの友だちをッ!ふざけるなよイツマデッ!!」

 腕を振り回し、駆は上空のカラスに向けて叫ぶ。

 自分に何かができるわけではない。

 上空のカラス達は嘲笑うように「イツマデ」と鳴くだけだ。


「いいね、駆くん」

「なにがいいんだよ!?」

「言ったよね、おばけは恐怖を食べる」

「あっ……」

「そんだけ怒ってれば、イツマデはもうご飯が食べられないよ」

「イツマデ」

「イツマデ」

「イツマデ」

 カラスたちが鳴いている。


「ビシッと奴らに言ってやりなよ、駆くん」

 駆はカラスたちに向けて人差し指を突きつけて、言った。

 

「いつまでもだ!」

――お前たちはもういつまでも俺の恐怖を食べられないぞ!ざまぁみろ!


「イツマデぇ……お前たちはァ……生きているつもりだァ……?」

 声が駆たちに降り注いだ。

 いや、降り注いだものは声だけではない。

 カラスの群れがくちばしを地面に向けて急降下を始めた。


「うわぁぁぁぁ!!!」

「直接攻撃に切り替えてきたねぇ!!」


 いくら恐怖心を拭い去ったところで、それで復数のカラスに対処できるかといえば、それは全く別の問題だ。

 カラスの群れに襲われれば、それはおばけとは関係なく無事ではいられない。


「八雲さん!自信たっぷりに退治するって言ったんだから当然、カラス退治も……」

「ごめんね」

 自分の頭を左手で軽く小突き、片目をつむって舌を出した八雲。

「マジかよおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 それを見て、ただ駆は悲鳴を上げた。

 

 淀んだ臭いと共にカラスが飛んでくる。

 鋭いくちばしだ。

 何本ものナイフが空から降り注いでくるのだ。

 いや、それよりももっと悪い。

 それは容赦なく肉をついばみ、目玉をえぐり、そして何度でも向かってくる。


「もっと安全にやるつもりだったんだけどね……」

 それと同時に、八雲の右手が駆の頭に向かって伸びた。

 にゅぷという奇妙な音がした。

 まるで、皮が無いように、肉が無いように、骨が無いように、八雲の手は駆の頭の中に入り込んでいく。

 奇妙な感触があった。

 撫でられているような奇妙なこそばゆさと暖かさ。

 それでいて、自分の頭の中に入り込んでいるというのに痛みはない。


「さよなら」

 八雲が頭の中でなにかを握りつぶすように、拳を握り固めた。

 何かが消えた――そういう感触が駆の中にあった。

 それと同時に、カラスの群れが消えていた。


「……えっ、今なにっていうか……消え……」

「駆くんに取り憑いていたイツマデを直接潰したよ、おばけの本体は……取り憑かれた人の中にいるからね」

 八雲の言葉に、駆は自分の頭を何度もペタペタと触った。

 先程まで、自分の中にイツマデがいたのだ――おぞましいことに。 

「そうだ、取り憑かれたっていうなら正は!?」

「本体を退治したからきみの友だちは大丈夫だよ」

「そうなんですか……良かったぁ……」


 駆はその場にへなへなと座り込んだ。

 たった二日間の出来事だったが、それでもひどく長く感じられた。


「ありがとうございました、八雲さん」

「うむ」

「これで……終わったんですよね」

「いや、何も終わってないよ」

「えっ」

「残暑すごいよね……なんでだと思う?」

「……地球温暖化が」

「おばけのせいだよ」


 空が赤く燃えている。

 太陽はほとんど沈んでいるはずなのに、やけに体が熱い。


「おばけが夏を続けてる、夏はおばけの季節だから」

 汗が皮膚をつたってだらだらと地面に落ちていく。

 おばけはとっくに、この世界を壊していた。


「だから手伝ってくれないかな、おばけ退治」

 カラスはもう「イツマデ」とは鳴かない。

 それでも、カラスの鳴き声がやけにうるさく頭に響く。


「じゃないと……この夏が続いちゃうから」

「いつまで」

「いつまでも」


 残暑は十月になっても図々しく居座っている。

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