イツマデ(中)


***


 頭が真っ白になって、二人は急いで坂道を駆け下りた。

 恐ろしいことは、むしろ今始まったのではないかとも思った。

 ハァハァと息を荒げながら、二人は小学校近くのコンビニに入り込む。

 客は少ないが、店内は明るく、冷房がきいていて涼しい。店内放送の陽気な声を聞いていると、ほんの少しだけ落ち着くことが出来た。


「なぁ、正……何なんだあれ」

「わからない……」

 正の声はわずかに震えていて、メガネの奥の瞳は少しだけ潤んでいた。

――これはかなりやばいぞ。

 駆は思った。


「なぁ、正、誰かさ……霊能者とか、妖怪ハンターとか、そういう知り合いいないの?」

「いたら、とっくに連絡してるよ」

「だよな……お祓いとか、そういうのをやってもらえばいいのか?」

「……よし、近くの神社とかお寺とか調べてみるよ」

「頼む」

 スマートフォンを操作する正を横に、駆は飲料品コーナーへと向かう。

 気がつくと喉がカラカラに乾いていた。

 それもそうだろう、暑い日差しの中で穴を掘り、対して休む間もなく、その後に全力で坂道を駆け下りたのだ。

 少し背を伸ばして五百ミリリットルの缶コーラを手に取る。

 品出しが追いつかないほどに売れているのか、一本しか残っていない。

 缶の表面はしっとりと濡れていて、触れただけで自身の冷たさを存分に伝えてくる。

――正の分はコーラでいいとして、俺はコーヒー牛乳でも買うか。

 ぼんやりとそう思いながら、缶コーラを引き抜こうとした駆。

 だが、おかしいのだ。缶コーラが取り出せない。

 その原因にはすぐに気づいた。

 正の反対側、冷蔵庫の奥から伸びた白い手が缶コーラを掴んでいる。

「イツマデだ」

「……えっ」

 一瞬、駆は自分の耳を疑った。

 だが、本当はわかっているのだろう。

 駆の体から冷や汗が止まらない。

「イツマデがいるねぇ」

「うわぁぁぁぁ!!!」

 駆が思わず、悲鳴を上げる。

 正はスマートフォンから顔を上げ、レジの店員と客が駆の方を向いた。

 コンビニ中の視線が駆に集まったが、それを気にしている余裕はない。

――逃げなきゃ!

 駆の頭の中にあるのは、それだけだった。

 コーラから手を離し、「待ちなよ」という声を振り切って駆は走り出した。

「駆!?」

『それでは、ここで新商品のご案内!』

 慌てた正の声とは対象的に、店内放送は脳天気な声で新商品の説明を始める。

『とっても甘くて美味しいいちごシュークリーム、お値段は128円!ところで気になっている人もいると思われるので、一応聞いておきましょう!』

 駆は正の手を掴み、出口へと急ぐ。

「後で説明する!ここはダメだ!」

「う、うん!」

『いつまで生きているつもりだ?』


「「うわああああああああああ!!!!!」」

 二人は声を合わせて叫び、転がるようにしてコンビニの外に出た。

「どっ、どっ、どこに向かえばいい!?お祓いは!?」

「近くの神社のお祓い……四時までだって!!もう時間過ぎてるよ!?」

「なんでだよ!!悪霊も妖怪も年中無休だろ!!」

「そりゃそうだけど!!」

「頭でもなんでも下げてお祓いしてもらうしかねぇ!!」

「わ、わかったよ!」


***


 日が沈む、空は燃えるような赤色に染まっていた。

 石造りの鳥居をくぐり、二人は神社の境内へと入る。

 二人が神社に来るのは初詣と縁日の時ぐらいだ。

 だから二人は、立ち並ぶ屋台と行き交う人々でにぎやかな神社に来たことは何度もあったが、閑散とした神社に来ることは初めてだった

 荒い息を整えて、二人は言葉をかわす。

「静かだな」

「うん」

「お祓いしてもらって、それで……終わりだよな」

「……うん」

 駆の言葉に、少し間を空けて正が答えた。

 それは自分自身に強く言い聞かせるようだった。

「「すいません、お祓いをお願いします」」

 社務所のインターホンを押し、二人は声を合わせて言った。

「お祓いやったら……今日は終わりやけど……」

 インターホン越しに、低い声がした。

 安物のインターホンを使っているのか、その言葉にはノイズが混じっている。

「そこをなんとかお願いします、やばい奴に追われているんです」

「お願いします」

「んー……しゃあないか……」

「やった!」

 駆はぐっと手を握り、正は胸を撫で下ろした。

「えーっとな……足元見てみ……」

「足元ですか?」

 インターホンの言葉に従い、二人は足元を見る。

 特に何かがあるわけじゃない、石ころがいくつか転がっているぐらいだ。


「特になにもありませんけど」

「あー……よう見てみ石ころがあるやろ……」

「そりゃ、ありますけど……」

「使って……ええで……」

「使うって……?」

「いつまでも走って疲れたやろ……その石で……自分の頭をガンガン殴るんはどうや……?」

「えっ……?」

 インターホンのスピーカーから酷いノイズが響いた。

 土砂降りの雨のように、ざぁざぁ、ざぁざぁと繰り返し流れた。

 そのノイズの中で、その声だけは奇妙なまでにはっきりと聞こえた。


「いつまで生きているつもりだ?」


 インターホンの通話が切れる。

 カラスがけたたましく鳴き始める。

 赤い空が二人には広がった血のように見えた。


「イツマデ!」

「イツマデ!」

「イツマデ!」

「イツマデ!」

「イツマデ!」

 カラスがはっきりと「イツマデ」の声を上げ、正がその場に崩れ落ち、呟いた。


「わかったよ……駆、わかっちゃった」

「な……何がだよ」

 周囲はやたらにうるさいのに、正の呟きはやけにはっきりと聞こえる。


「これがイツマデ続くかだよ」

「は?」

「僕たちが死ぬまで、さもなければイツマデモ」

 そう言って、正はくつくつと笑って、石を手にとった。

 握りこぶしよりも小さく、そして硬い石だ。


「やめろ!」

 そう叫んで、駆は正から石を奪おうとした。

 抵抗されるのかと思ったが、石はあっさりと奪うことが出来た。

「正気に戻れ正!」

「……そうだね、たしかにそうだ」

 大きく目を見開いて、正が言った。

 正の瞳には怯える駆の姿が映っている。


「車にはねられた方が一瞬で済むから良いよね」

 そう言った瞬間、正が走り出した。

 僅かに遅れて、駆が追い始める。

 社務所から道路まで百メートル程の距離しかない。


――なんだよ、これ!

――おかしいだろ、こんなの!


 いつもなら、正の五十メートル走の記録はクラスの下から数えたほうが早いぐらいだ。

 そして、駆の走りは五十メートルで九秒を切る。

 だというのに、まるで追いつけない。

 どんどんと差が開いていく。

 伸ばした手が空を切る。


「待ってくれ正!」

「イツマデ!?」


 すでに正は鳥居の手前にいた。

 鳥居を超えれば、道路はすぐそこにある。

 その時、鳥居の側に駆は人影を見た。


「正を止めてください!!」

「イツマデ?」


 どれほど耐えようとしても、人間の心には限界がある。

 連続して続く絶望に耐えられるほど、人間というのは強くないのだ。

 それでも、心が折れそうになるのをこらえて、駆は怒りとともに叫んだ。


「いいから止めろ!!バカ野郎!!」

「いいよ」


 人影が正に覆いかぶさった。

 その身長は正よりも遥かに大きく、まるで獲物を捕食する獣のようにも見えた。

 しばらく正はもがいていたが、駆が駆け寄った頃には、諦めたようにその動きを止めていて、拘束から解放された後もそうしていた。

 近くで見るまでわからなかったが、どうやら女子高生のようだった。

 身長は駆よりも三十センチメートルほど高く、ブレザーを着ていて、ぱっつんロングの髪型をしている。

 駆は見上げるようにして、その女子高生の顔を見た。

 黒目がちの瞳は神秘的で、飲み込まれるようだ。


「んひひ」

 女子高生はそうやって笑った後、駆に名前を尋ねた。

 そして駆が自分の名前を言った後に、彼方八雲かなたやくもと名乗った。

「ありがとうございます」

「気にしなくていいよ、っていうか探してたからさぁ」

「……探してた?」

「ん、ほらコンビニにいたじゃん、叫んじゃってさぁ」

「見てたんですか?」

 恥ずかしいところを見られた、と駆は思った。

 だが、それと同時に疑問が浮かぶ。

――こんな人いたっけ?

 店内は狭く、客は少なかった。

 身長の高い女子高生がいれば忘れるようなことはない。


「んひ、ほら、コーラ引っ張ったの私。ウォークイン冷蔵庫って言ってさ、裏から店員が飲み物補充できるようになってるんだよ」

「なんだぁ、お姉さんの仕業だったのか」

 力が抜けて駆はへなへなとその場に座り込んだ。


「んー、お姉さんは照れるから八雲でいいよ」

「八雲!」

「さん付けなよ」

「八雲さん!」

「うむ」

 そこで、新たな疑問が駆に生じた。

――でも、八雲さんはイツマデと何度も言った。


「言っとくけど、私はイツマデに憑かれてるわけじゃないからね」

「えっ」

「おばけに憑かれてる子がいるなぁ~って思って、声をかけただけだから」


――だったらもう少しわかりやすくやってくれよ!

 思わず口に出しそうになったが、実際に言葉にしないだけの分別は小学五年生にだってある。

 その代わりに、駆は言った。


「……助けてくれますか?」

「イツマデ!」

 嘲笑うようにカラスが「イツマデ」の声を上げて鳴いた。


「今すぐに、助けてあげる」

 八雲がそう言って笑った。

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