放課後、おばけを退治する
春海水亭
イツマデ
イツマデ(上)
残暑は十月になっても図々しく居座っていた。
太陽が秋の存在を忘れてしまったかのように、気温は連日三十度を超える。
――俺が太陽ならもっと小学生……特に五年生の名字が
太陽に憤りを感じつつ、
――クーラーをガンガンに効かせた部屋の中で、キンキンに冷えたコーラを飲みながら漫画を読むんだ!
駆の心は全力でダラダラしたいという思いに燃えていた。
いや、本人に言わせればダラダラしたいというのとは違うのかもしれない。
――太陽が容赦なく暑さを振りまくというのならば、こちらも容赦なく家で休憩する!
これは、理不尽な太陽にする正当なる抗議行動なんだ!
そう熱弁を振るって、クーラーの設定温度を二度も三度も下げるのだろう。
もっとも、駆を一番寒くさせるのは母親の「宿題はやったの?」の言葉であるが。
駆は一人で通学路を歩く。
駆の通う小学校は盆地にあり、駆の家は山(といっても、大した高さではない)の中にあった。
だから駆は友だちの誰とも通学路が重ならず、登下校はいつも一人だ。
元々の人通りも少ないので、誰かとすれ違うということもない。
それを寂しいと思ったことはないが、このような暑さの中で坂道を一人で上がっていると「一緒に苦しんでくれ!」と叫びたくなる。
いつもどおりの通学路、そんなはずだった。
(なんだ、アレ?)
駆は道端に何か黒いようなものが落ちているのを見た。
それと同時に、いやな臭いがした。
遠目からではよくわからない。
好奇心に駆られて、近づいてみると、それが何かはすぐにわかった。
「うわぁ……」
思わず、声が出た。
カラスの死体だ。
外傷はない、 仰向けになって死んでいる。
カラスにハエがたかっている。合掌するように手をこすりあわせている。
ぶうん、ぶうん。
羽音がやけにうるさく聞こえる。
むわりとカラスの死体がいやな臭いを放っている。
空には雲ひとつ浮かんでおらず、冗談のように青い。
駆の肌に汗が滲む。いやな臭いに吐き気がこみ上げる。
それでも、なぜか死体から目を離すことが出来ない。
光を失ったカラスの黒い目が、駆を見たように思えた。
「イッ」
「えっ!?」
閉じたカラスのくちばしが僅かに開いて、何か言葉を放ったのを駆は聞いた。
そんなことがあるわけがない。
ゾンビ映画じゃないんだから、死体がしゃべるわけがないし、
それでなくても、カラスが人間の言葉を話すわけがない。
それでも、たしかに駆はその言葉を聞いてしまった。
「イツマデ!?イツマデ!?イツマデ!?」
「うわああああああああああ!!!!!!」
死んだカラスのくちばしが開閉し、何度も言葉を発する。
その言葉に追い立てられるように、駆は走り出した。
――早く逃げなきゃ!!
駆の頭の中には、ただそれだけがあった。
暑さも忘れて、駆は家への道を全速力で走った。
そうでなければ、カラスの死体が追ってくるように思えた。
家が見えても、安心なんて出来なかった。
玄関のドアを開き、ただいまも言わずに鍵を閉めた。
ガチャ、という重々しい音を聞いて、駆は少しだけ安心できた。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
荒くなった息遣いを、何度も深呼吸することで落ち着かせる。
「おかえり、ってどうしたの?」
そんな駆を不思議そうに、母親が見ていた。
「たっ、たっ、ただいま……」
駆は、なんとかただいまの挨拶を言うことが出来た。
だが、今起こったことを何をどう説明すればいいのか、駆には全くわからなかった。
「その……なんか、ヤバかったっていうか……」
「ヤバかったって、何が?」
母親の茶色がかった瞳が駆を見つめる。
テストの点数であるとか、やってない宿題であるとか、駆はその瞳で見つめられると不思議と嘘がつけなくなってしまう。
――それでも、信じてもらえないよなぁ。
カラスの死体が喋っただなんて言っても、暑さで幻聴を聞いたと思われて終わりだろう、と駆は考えた。
――いや、そもそもカラスが喋るわけないんだから、幻聴なのか。
――それもそうだぞ、あんまり暑い上に変なもの見ちまったからな。
しかし、自分でそう考えているうちに、そちらの考えの方が正しいように駆には思えた。
当たり前のことだ。
カラスは喋らない、特に死体は喋らない。
だったら、それは幻聴に決まっている。
「いや、実は……」
幻聴を聞いた、そう言おうとして駆は口ごもった。
――心配されるぐらいなら良いけど、病院に連れてかれるかもしれないぞ。
――学校をサボれるなら良いけど、それで変な噂になったら学校で困るなぁ。
なんて言うべきか、駆が口の中で言葉を弄んでいると。
「イツマデ」
「えっ」
一瞬、母親の茶色がかった瞳がカラスの瞳のように黒く見えた。
「いつまで、そうしてるつもり?何か言えないことでもあるの?」
「いっ、いや、なんでもないよ!」
その場から逃げるように、駆は自分の部屋へと逃げ込んだ。
「ちょっと待ちなさい」
駆の部屋には鍵があって、外から開けることは出来ない。
多分、気のせいだ――そう思いながらも、駆はしっかりと鍵をかける。
コンコン、コンコン。
ノックの音。
寒いのに、駆の汗は止まらなかった。
駆は布団の中に入り込む。
「イツマデ?」
「ひぃ!」
「イツマデェ!?」
扉の向かい側から、何度もそんな声がした。
日が沈む。空が赤く燃える。
カラスが鳴いている。
「イツマデ」
「イツマデ」
「イツマデ」
「イツマデ」
駆には、そう鳴いているように思えてしょうがなかった。
気づくと、駆は眠っていて、再び目を覚ました時には朝だった。
スズメがチュンチュンと鳴いている。
それは「イツマデ」とは聞こえなかった。
***
学校に行くのは怖い。
通学路のカラスの死体が怖い。
そのカラスの死体が「イツマデ」と言うのが怖い。
生きたカラスも「イツマデ」と鳴くかもしれない。
それでも駆がいつもどおり、いやいつもよりもずっと早くに学校に向かったのには、二つの理由がある。
一つ目に家にいることが学校に向かうこと以上に怖いこと。
母親が「イツマデ」と言ったのは気のせいなのか。
それを確かめる勇気は駆にはない。
いってきますも言わずに、駆はこっそりと家を出て学校に向かった。
「ということがあったんだよ」
「なるほど」
二つ目の理由が、駆が今話している相手だ。
クラスメイトの
メガネをかけた大人しそうな見た目をしているが、妖怪に関する情熱は誰よりもすごく、夏休みの自由研究など50ページにも及ぶ研究を平然と提出する。
「そりゃ
「
「鳥の妖怪で、死体を放っておくとイツマデ、イツマデ、って鳴くんだ。いつまで死体を放っておくんだってね」
どことなしか楽しそうに正が言う。
だが、その様子が駆には頼もしく思えた。
「なるほど……」
「通学路のカラスの死体ってそのまんまになってた?」
「見てないけど、多分」
「じゃあ、カラスのお墓を作ってあげれば大丈夫なんじゃないかな、僕も手伝うよ」
「助かる!超助かる!ありがとう!ありがとう!」
「いいって、いいって、僕の知識は本物の妖怪に対処するために集めて……あっ!」
何かに気づいたかのように、正が声を上げる。
「な、なんだよ!」
「いや、対処法を教えなければ、僕も本物の以津真天が見れたんじゃないかなぁって」
「た、正ィ~~!!」
そんな正の言葉に、思わず駆が情けない声を上げる。
「いや、本気本気」
「そこは冗談冗談って言えよ~!」
「まぁ、対処法を教えちゃった以上はちゃんとやるよ」
「以津真天を見るために、作った墓を後で掘り起こしたりしないよなぁ?」
いい考えだ、とでも言うかのように正がぽんと手を叩く。
「正ィ~~~!!!」
「いや、やんない、やんない。僕にも墓を掘らないぐらいの良心はあるよ」
すがるような駆から目をそらしながら、正が答える。
「なんで目をそらすんだ?」
「今日の占い、目をそらすとラッキーってあったからだよ」
正の言葉に駆の目が潤む。
それを見て、ようやく正が駆と目を合わせた。
「安心してくれ、ちゃんとやるよ」
そう言って、正は真面目な表情を浮かべた。
「じゃあ……」
「うん、放課後カラスの墓を作って、それで終わりだ」
***
今日の授業のことなど、何一つとして駆の頭には入らなかった。
ただ放課後だけを待ち続け、そしてとうとう放課後を迎えた。
カラスの墓を作り、以津真天を追い払うのだ。
正の家からシャベルを持ち出し、二人はカラスの死体の元へと向かった。
ぶうん、ぶうん。
蝿の音が今日もうるさい。
いやな臭いがする。
それでも何故か、駆にはカラスの死体が昨日と同じ様子であるように思えた。
本来なら起こっているはずの腐敗の進行であるとか、死体の損壊が起こっていない。
駆はその考えを振り払い、適当な地面を見つけて穴を掘り始めた。
山は開発されていたが、それでも人間の住む場所よりも自然の方が大きい。
土は硬く、そして重い。
汗が何度も頬をつたい、地面に落ちる。
数十分ほどシャベルを動かし、ようやくカラスを埋められる程の穴が出来た。
軍手をした正がカラスの死体を持ち上げ、穴に死体を収めた。
穴を掘るよりも穴を埋める方が早かった。
そして、近くにあった石を墓の代わりにした。
「こんな墓で良いのかよ」
「小学生にちゃんとした墓石は用意できないし……それに、こういうのはちゃんと弔おうって気持ちが大事なんだよ」
「そうなんだ」
ぶつぶつと正が念仏を唱え、唱え終わった後二人で手を合わせた。
しばらく、そうした後、正が立ち上がる。
「こんな感じでいいだろう」
「じゃあ……」
「これで大丈夫なはずだ」
「良かったぁ……」
駆はほっと胸をなでおろした。
「あっ、そうだせっかくここまで来たんだからクーラーのガンガンきいた俺の部屋でキンキンに冷えたコーラでも飲んでけよ」
「いいね、ガムシロある?」
「あるけど……ガムシロを何に?」
「コーラをもっと美味しくする魔法だよ」
「……それは封印されるべき魔法だろ」
軽い口調で会話を交わし、通学路へと戻る。
そして、駆も正もそれを見た。
「……おい、俺達確かにやったよな」
「うん……おかしいよね、そんなはずがないんだ!」
ぶうん、ぶうん。
ハエの羽音がやけにうるさく聞こえた。
むわりとカラスの死体がいやな臭いを放っている。
何も変わらない様子で、カラスの死体は先程の場所にそのままあった。
「イツマデ」
カラスの空虚な黒い瞳が、二人を見た。
まるで夜のように、その瞳には一切の光が無かった。
カラスのくちばしが動き続けている。
正はそれが自分の想定した妖怪では無かったことを察した。
「いつまで、生きているつもりだ?」
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