第36話 碧頭の滝6 剥がれる鱗

 敗れた《臥竜鯉ガリュウゴイ》は左のエラを上にして、滝壺の中で力なく浮かんでいる。しかし横たわっていても、その大きさと存在感は「竜」に匹敵すると言っても過言ではなかった。全員の力でこいつに打ち勝てた。


「やったっっ、やったっっ!」

「うわわ、恥ずかしいよ、ハル!」


 俺とロータスさんが岸に上がってくると、ハルハルちゃんがコノハ君の手を取って彼の周りをくるくると回っていた。満面の笑顔のハルハルちゃんと、照れ笑いのコノハ君を元気な声を発している。

 リリィレイクさんとミレーさんが俺たちを迎えてくれた。


「ホントに2人とも無茶したなあ。勝てたからいいものを……」

「すみません。でも、起死回生になったでしょう?」

「そうそう、俺のラストアタックも評価してもらわないと。ねえ?」

「男はいくつになっても子供」


 呆れるリリィレイクさんに言い返していたら、ミレーさんに鋭い言い方をされた。俺たちは苦笑いになって、2人にもう一度謝った。


「ロータスさん、アイツを封印します?」

「そうさせてもらおう。ヒヨコマメ君は? ミレーちゃんも」

「じゃあ、俺も」

「せっかくのボス。封印する」


 ロータスさんに声を掛けられ、俺たちは誘いに乗った。

 保留にしてあったディスプレイを再表示すると、


【《臥竜鯉》を封印しますか? ※ボス・モンスターは複数名が封印可能です】


とのメッセージが浮かぶ。【はい】を選択し、未使用のままだった準封獣札を実体化した。


「じゃあ、お先に」


 ロータスさんが先に正封獣札をかざす。巨大魚の体から光の粒子がカードに流れ込んでいく。一般モンスターと違い、鯉の体は残ったままだ。


 俺とミレーさんはどちらともなく顔を見合わせ、カードを向ける。ベージュ色の準封獣札が一瞬煌めくと、鯉の巨体が粒子に変じていく。その粒子の流れは、俺たち2人のカードに向かう。燐光が完全に消失すると鯉の姿も消えた。


「あんなに長く戦ったのに、封印はあっという間だったな……」


 俺はぽつりと呟いて、カードを見る。禍々しい顔をした《臥竜鯉》が描かれていた。


「『鯉魚鱗こいぎょりん』……あれ? スキルレベルがマックス11?」


 スキルは、一時的に【属防】ステータスと【水耐性】を10%ずつ上げる防御型だった。だが、気になったのはそのスキルレベルの表記。「1/11」とあるのだ。

 これまでモンスターを封印したばかりの時は、スキルレベルは1/10だった。今回、上限が大きいのはボス・モンスターであるためだろうか。


「ええ? ボスを封印した方が得なん? くぅ、惜しいことしたなあ」


 ミレーさんのカードを覗いたリリィレイクさんも悔しがったが、こればかりは仕方がない。彼女の言う「もったいぶり」のおかげで、カードを温存していたのが功を奏した形だ。


「ヒヨコ。これ」

「うん? ……おお! ミレーさん、属性スキルじゃないか」


 彼女が見せてくれたカードには、『属性付与【水】』とあった。

 防御と回避スキルしか出ていなかったミレーさんに、ついに攻撃型スキルが来た。ハルハルちゃんも寄ってきて、ものすごく羨ましそうに覗いていた。やはり属性スキルは見た目が派手で、ザ・RPGという感じが出る。


「このまま旅を続けてれば、ハルちゃんにもそのうち出るって……ん?」

「あっ、『しのぶ』です!」


 俺が気づいて顔を動かすと、コノハ君も気付いた。

 俺たちの視線の先に居たのは、こちらに向かって来る《碧竜鯉へきりゅうごい》の『しのぶ』だった。その姿は昨日のまま燐光を帯びた状態だ。《臥竜鯉》が居なくなったことを察知したのか、再びこの滝壺に入ってきた。


「『しのぶ』……」


 特に可愛がって世話をしていたミレーさんが、濡れるのも構わず水に入っていく。

 『しのぶ』は彼女に近寄っていく。だが、彼女の伸ばした指先と、もう少しで触れ合うというところで離れていった。彼女から切なげに「あ」と声が漏れたのが聞こえてしまった。


 『しのぶ』は滝に向かっていく。目指すのは、何度かの段差を下り落ちるほうの段瀑だんばく

 ゆっくりだった泳ぎが次第に速くなっていく。落水によって生じた渦に達すると、身を翻されながらも懸命に進む。

 そうして、一瞬渦の流れが弱まったタイミングで『しのぶ』は一気に加速した。燐光を帯びるみどり色の体が飛び跳ね、滝に向かってぶつかっていく。

 流れ落ちる滝に逆らうように、尾びれを高速で動かす『しのぶ』。


「行けえ!」

「がんばれぇっっ!」


 リリィレイクさんとハルハルちゃんの声援が飛ぶ。俺もいつの間にか拳に力が入っていた。


 『しのぶ』は小さな体を目一杯揺らして、遅々たるスピードで上っていく。水流と重力に逆らうだけでも大変だろうというのに、それでも確実に上っている。

 そして、1段目の滝を上り終えた。その瞬間、俺たちからは大歓声が上がった。


 しかし、これがあと2段もあるのか。

 こちらからは『しのぶ』が2段目の滝に挑んでいる姿が見えない。相当な体力の消耗があるのか、休憩しているのかもしれない。


「本物の鯉って、あんな滝も上るんですか?」

「う~ん、さすがにあれは上れないと思うけどなあ……?」


 コノハ君に返答したが、俺には自信も確証もない。ロータスさんでさえ首を傾げている。

 しばらくして、2段目の滝に『しのぶ』が跳ねてぶつかっていった。

 しかし、先ほどより動きに精彩を欠いている印象だった。流れに負けそうになって後退するたびに、こちら側からは悲鳴が上がる。

 それでもなんとか2段目も上り終えると、歓声よりも安堵の声が場を占めた。

 リリィレイクさんが大きく吐息を漏らす。


「次がラストやけど……『しのぶ』の体力はどうなん……?」

「……わかりません。俺たちにできるのは、もう応援だけです」


 『しのぶ』はしばらく姿を見せなかった。前よりも長い休憩の後、最後の関門への挑戦を始めた。

 見上げる先で、燐光が飛沫のために時折隠れる。『しのぶ』のスピードは遠目から分かるほど落ちていた。声援は飛ぶが、それでも流れに逆らいきれていない。


「ああっ!?」


 激流に一気に戻され、時間を掛けて上った距離をまた上り直しにさせられる。


「負けるな、『しのぶ』。お前は《臥竜鯉》になっちゃダメだ!」

「『しのぶ』、まだ諦めちゃだめ」

「行け行けえ!」


 俺たちの声援が重なり合う。

 『しのぶ』はゆっくりと、本当にゆっくりと、力を振り絞るように再び進み始める。

 どれほどの時間が経っただろう。

 ついに『しのぶ』は滝の頂上近くまで達し、そこで異変が起こった。

 『しのぶ』の碧色の鱗が剥がれ落ち始めた。剥がれた鱗は水流に乗り、流れ星のように綺麗な筋が滝に描かれる。こちらから見える『しのぶ』の体が、地味な黒っぽい色に変わっていく。


「何なん!?」

「ああ! そういえば、船頭のおじさんが――」


 『しのぶ』の異変に俺はふと思い出した。碧尾街へきびがいへ運んでくれた船頭のおじさんの話だ。

 碧鱗川へきりんがわの水の色は、鯉が竜になる時に剥がれる鱗のせいと言っていた。

 滝の大きさに対して、『しのぶ』はあまりに小さい。剥がれた鱗が川全体を色付けるというのはさすがに言いすぎだろうが、鱗が剥がれていくのは紛れもない真実だった。


「おお、ゴールするよ!」


 ロータスさんが歓声を上げる。

 『しのぶ』が頂上に到達した瞬間、激流に耐えていた身が解放されて飛び跳ねた。飛沫が散るとともに、残っていた鱗が一気に剥がれ落ちていく。

 碧色の美しさを失い、だが滝越えを乗り越えてひと際精悍になった『しのぶ』の姿がそこにあった。


「『しのぶ』ーー! よくがんばったなぁー!」


 リリィレイクさんが涙声になっていた。そればかりか、ミレーさんまで目頭に涙が溜まり始めている。 

 応えるかのようにぴょんぴょんと『しのぶ』が跳ねた。すると、その体が突如光り始めた。


「もしかして進化か?」

「竜になるんですかっっ!」


 ハルハルちゃんの好奇心に満ちた声。俺たち全員の注目の先、七色の光の中で『しのぶ』はどうなるのか。


「ズギャーー!」


 鳴き声とともに発光が終わった。『しのぶ』の体表は鈍色にびいろに変わり、短い四本足を生やしていた。

 《幼鯉竜ヨウコイリュウ》と表示されたその体は、一回り大きくなったように思われる。


「ズギャーー! ズギャーー!」


 別れを告げるかのように『しのぶ』は何度か跳ねて吠え、そうして上流へ去っていった。



【踏破距離:156キロ】

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アジェルダ・シルクロード ~VRMMOで歩む7,500キロの旅路~ 大鳥居まう @OhtoriiMau

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