第35話 碧頭の滝5 意識の外

「落ちてくるぞ!」


 跳び上がった《臥竜鯉ガリュウゴイ》が身を捩じり、水面に向かって落ちていく。その動きは、まるで滝壺に激情をぶつける竜の舞。

 鯉は体の側面をしたたか水面に叩き付ける。

 滝と見まごうほどの巨大な水柱が立ち、みどり色の水面が膨れ上がる。そして、俺たちの胸に達するほどの波が生まれ、こちらに迫ってくる。


「うわああああっ!?」

「ひゃあああっっ!?」


 コノハ君とハルハルちゃんの悲鳴が聞こえた。

 先頭のコノハ君が真っ先に波に飲まれ、次いでミレーさんはジャンプして逃れようとしたようだが、結局足を取られた。そして、足を開いて踏ん張る俺も飲み込まれ、水の中を激しく転げ回される。


 水位が下がってきて、ようやく水の魔手から解放された時、周りにはメンバー全員が倒れていた。HPは減っていない。だが、完全に陣形がは崩されていた。

 今の波に思考を持って行かれていた俺がに気付いたのは、まったくの偶然だった。


「上だ! 降ってくるぞー!」


 迫るは無数の【水球】。鯉が落下した時の水飛沫、それが【水球】となって空を覆っている。

 砲撃のような直線的なものではない。もはやこれは空からの無差別


「づあぁああっっ!」


 俺は盾鋏たてばさみを構えられたが、まだメンバーの大半は立ち上がれていない。

 重量ある水が容赦なく襲ってくる。俺は左腕の盾鋏でなんとか耐えられているが、他のメンバーのHPがみるみる減っていく。

 ようやく爆撃が収まった時、俺以外のメンバーのHPは半分ほどまでになっていた。


「おのれぇー! デカ魚ーー!」


 リリィレイクさんの甲高い声が怒りを帯びている。彼女は最も遠くに流されたようで急いで駆けてきている。だが、これでは『回復鱗粉』スキルを使うまで時間が掛かる。

 年少組のコノハ君とハルハルちゃんの表情からは、恐怖の色が見て取れた。


「諦めるな! 今のは何度もやれるもんじゃない! 来たれ、2の……」


 俺は根拠の無いことを言って叱咤激励し、【回復】の魔杖を出そうとした。

 だがその時、俺は気付いてしまった。鯉がこちらに向かって突っ込んでくるのを。


「俺が行く!」


 ロータスさんが短く叫び、駆け出した。俺たちパーティの危機的状況に、正式なメンバーではない彼が水際へ走る。

 彼の脚に《水遊鴛スイユウエン》の紋様が灯る。発現するスキルは『水上走行』。この土壇場まで機会に恵まれなかった切り札だ。

 迫る巨大魚と真っ向勝負をするように、彼は水上を疾走する。


「でやあああっ!」


 水走りを決める彼に鯉の意識が向く。

 まず一合。すれ違いざまの刀が鯉の顔面を切りつける。

 通り過ぎると、彼はブレーキを掛けるように足を突き出す。水飛沫を作りながら反転し、鯉の側面から斬りかかる。

 だがその時、彼の脚に纏っていたスキルの燐光が消えた。最大7歩というスキルの

使用限界だ。


「うぐ!? ぐわああっ!」


 途端に水に沈みそうになった彼を尾びれの一撃が襲う。ロータスさんは吹っ飛ばされ、滝壺をバウンドしてやがて沈んでいった。


「ロータスさん!」


 俺は必死に呼びかけた。彼は滝壺の中央辺りに沈んでしまった。彼のHPはまだ残っているが、水中では魚のモンスターとの戦いにならない。


 鯉はロータスさんを追撃するのではなく、改めて岸辺の俺たちに向き直った。

 こちらに泳ぎ始め、数秒の潜行の後、跳び上がった。

 これはターゲットを特定しにくい跳び掛かり攻撃。岸辺の誰かの元に落下するつもりだ。

 狙いは――。


「ハルハルちゃんだ! 避けろ!」

「ひやあああっっ!?」


 びしょびしょになった靴が災いしてか、彼女は砂地に足を取られたようだった。そこへ頭上から鯉の巨体が迫る。


「ハル!!」

「ハルハル!」


 その時、コノハ君とミレーさんが駆け寄った。盾を構え、なりふり構わず少女へ身を挺する。


「うわあああっ!」

「きゃふうっ!」

「いぎゃああっっ!」


 3人がいっぺんに弾き飛ばされ、砂地に墜落する。

 みるみる3人のHPが減り、残り1割ほどでなんとか止まる。前衛組のカバーが間に合い、耐久力の低いハルハルちゃんのHP全損はかろうじて免れた。


「アカンっ! 来たれ、2の魔杖! ……発動インヴォーク!」


 岸に打ち上がった鯉を前に、リリィレイクさんは【回復】の魔杖を出現させる。


 危機的状況。しかし、俺はふと違和感に気付く。

 俺に向いていた鯉の闘志が薄れていく感覚を覚えたのだ。


 鯉からすれば今の攻撃は大成功だっただろう。

 水上まで追って行ったロータスさんは、今も水の中。

 攻撃を再三妨害したコノハ君とミレーさん、執拗なまで体を乱打したハルハルちゃんは、3人ともダウン中。

 水上へ離れても絶え間なく矢を射てきたリリィレイクさんは、仲間の回復に専念している。


 《臥竜鯉》の意識が俺から離れた。それを理屈でなく感覚で察知した。


 水へ戻ろうと岸辺で跳ねる鯉。その体へ俺はゆっくりと迫る。

 俺自身の闘志も殺気も極限まで薄く、体の奥へ埋めるように。

 砂地を這うように進む「蛇」のように。

 鎌首をもたげるように、静かに盾鋏を鋏状態へ変形させる。


「ふうううっ!」

「ズギャアアアアアア!?」


 尾びれの付け根を挟み込んだ。

 途端に暴れる鯉だが、俺のことを意識していなかったせいで、突然虚空から攻撃を受けたような感覚になっただろう。


「暴れるなっ!」


 俺の次なる手はスキル。

 《泥巻貝ドロマキガイ》の『属性付与【泥】』。

 《泡吐蟹アワハキガニ》の『拘束攻撃強化』。

 2つの同時発動だ。

 2つの紋様が間を置かず出現し、盾鋏に【泥】が纏わり付き、さらにその上から真っ赤な燐光を纏う。

 今の俺が持てる最大火力。暴れ鯉の尾を切断しようと、今、「蛇」の毒牙を突き立てる。


「うおおおおおおおおおおおお!!」

「ズギャアアアッ!! ズギャギャギャアアアッ!!」


 リリィレイクさんの【回復】の魔杖ももう使用限界だろう。俺たちはもう長くは戦えない。だから、ここで決着をつける。

 鯉が暴れるたびに、泥が飛び散り、真っ赤な光がポリゴンに変わる。俺の雄たけびと鯉の悲鳴が重なり、滝壺に波紋が生まれる。


「あんたらも行くよ! ここで終わりにするんや!」


 サブ武器のクナイを手にしたリリィレイクさんを筆頭に、ダウンしていた3人も攻撃に加わる。

 次第に水際に近づく鯉と、それを追撃するリリィレイクさんたち。俺も鯉を水中に逃すまいと、四肢にあらん限りの力を込めて対抗する。


 鯉のHPが2割を切り、1割を切り、あと数秒でゼロになるという時に、不意に盾鋏の拘束が解かれた。拘束状態を示していたアイコンも消えた。

 挟んでいた箇所の鱗が砕け散り、鯉が自由になってしまったのだ。

 奴は一跳ねで水中へ戻ってしまい、満身創痍で逃げ出す。


「くっそ! あと少しだってのに!」


 無念の声を思わず上げた。

 岸から離れていく相手を失意で見送る。こんな場面がどこかであった。


 パシャリ、パシャリ、パシャリ。


 そうだ。その時もこんな水音が聞こえてきて――?


「うらあああっ!」


 音の正体、それは水上を走るロータスさん。

 彼の縦一閃が正確に鯉のエラに吸い込まれていく。


「ズギャ……」


 苦しげな鳴き声とともに《臥竜鯉》の膨大なHPがゼロになった。


「よぉおし、やってやったよ!」

「……本当に……美味しいところを持って行きますよね」


 水面に力なく浮かぶ鯉の隣で、ロータスさんが立ち泳ぎをしながら勝ち誇っている。俺は苦笑しながら救出に向かった。



【踏破距離:156キロ】

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