第34話 碧頭の滝4 水の弾

「速くなった! 前衛、防御しっかり! ハルちゃん、ウロウロしすぎ!」


 リリィレイクさんから叱咤が来る。その間も彼女の矢の連射速度はほとんど落ちていない。このゲームでは矢筒を空にしても自動装填リロードがされるとはいえ、相当の高回転で矢を飛ばしている。

 しかし、泳ぎのスピードが上がった《臥竜鯉ガリュウゴイ》に命中率が下がってきていた。


「リリィ、外れてきてる」

「うっさいわ。だったら、コレ!」


 ミレーさんの指摘に反発すると、リリィレイクさんの弓を握る左手に紋様が浮かぶ。《紫鴉ムラサキガラス》の紋様、『執念ノ矢』のスキルだ。

 外れた矢が水面を空しく飛ぶ。だが、数本に1本という割合で、矢に紫色の翼が生えるエフェクトが起こる。翼が羽ばたくと、矢は向きを変え、再度鯉に襲い掛かっていく。

 逆方向からの矢は鱗に弾かれたものの、鯉は嫌がるように身を捩じった。この細かなダメージが後々効いてくるはずだ。


 もう一度身じろぎし、鯉が向かってくる。岸辺で弧を描くように迂回する動きは、何度目かの尾びれでの薙ぎ払いだ。

 タンクのコノハ君とミレーさんは盾を構えながら、あの巨体が迫る恐怖感を感じているだろう。耐えてくれ。

 鯉が岸に上陸した。そして振るわれる尾びれ。だが、HPが半分になる初期段階とは様子が異なっている。尾びれに大量の水が纏わりついているのだ。


「うああっ!?」

「きゃうぅ!?」


 尾びれとともに、放射状に散る水飛沫が襲い掛かった。

 2人は飛沫しぶきをもろに浴び、特に盾の防御面積が小さいミレーさんは体中に飛沫を浴びた。

 コノハ君はよろめいて尻餅をつき、ミレーさんは弾かれて倒れかかる。俺はとっさに彼女の背中を押さえた。単純な薙ぎ払いではなく、攻撃に【水】の属性を帯びた攻撃。しかもその上、攻撃範囲が広がったのか。


「ハルハルちゃん、前に出るよ!」

「はいっっ!」


 ロータスさんの号令の下、一時的に戦闘能力を失った俺たち前列に代わり、アタッカー2人が切り込んでいく。

 跳ね回る鯉に対し、ハルハルちゃんはヌンチャクと『蹴撃』スキルで胴体を乱打する。

 ロータスさんは尾びれ狙いだ。鯉の機動力の根源はそこ。振り下ろした刃と透けた尾びれがぶつかり合う。瞬間、火花エフェクトが散り、ギャギャギャと金属が削れる嫌な音が響いた。


「だあああっ! 何だよっ!?」


 刀の切れ味HPが大きく損耗していた。驚いた様子のロータスさんは距離を取り、納刀する。切れ味HPを回復させるためだ。


「尻尾は狙っちゃダメだ! 硬い! 武器のHPが持って行かれる」


 彼の警告が飛び、鯉は水中に戻る。

 ロータスさんの攻撃は不発だったが、火力の高いハルハルちゃんが善戦し、鯉のHPを残り4割ほどまでに削っていた。


「ハル、すごいぞ!」

「どんなもんだっっ」


 コノハ君がハルハルちゃんを称賛し、少女は得意げにヌンチャクを振り回す。子供たちの気力はまだ衰えてはいない。ならば、俺たち大人も負けてはいられない。


「近接攻撃は全部水属性を纏うのかもしれない! ブレスもモーション変化に注意だ!」


 俺も警戒を呼び掛け、盾鋏たてばさみを構え直す。

 鯉が距離を取っていく。だが、ブレス直前の水の吸い込みを行わず、後ろを向いた。こちらに尾びれを向ける格好だ。

 疑問に思っていると、尾びれを左右に振り回し、思い切り滝壺の水を飛ばしてきたではないか。

 無数の【水球】が弧を描き、俺たちに向かって来る。特定のターゲットを取らない無差別砲撃が飛来する。


「アカン! 防御! ハルちゃん、新スキル使えー!」

「くっそー!」


 リリィレイクさんから指示が飛ぶ。俺も、最前列のタンク2人が防御を固めたのを確認すると、ロータスさんのガードに向かう。

 ハルハルちゃんを見ると、彼女の前面に紋様が浮かんでいた。《虹玉虫ニジタマムシ》の『虹壁』は、遠距離攻撃のダメージ軽減バリアを張るスキル。【水球】に耐えながら見ると、虹色のバリアに当たった弾は小さくなり、それでも彼女に当たっていく。当たるたびに小さな少女の体がよろめく。


「結構削られた……リリィレイクさん!」

「はいはい!」


 彼女に回復を依頼する。『回復鱗粉』の黄色の鱗粉が広がり、エリアに入ったメンバーのHPがゆっくりと増えていく。


 だが、その間に鯉は突進の気配を見せ、全身に水を纏った砲弾となってコノハ君を突き飛ばす。彼は自分のHPバーに気を取られたのか、踏ん張りが効かず、派手に転んでしまった。


「くそ! でもチャンスだ! ミレーさん、行くぞ! 尾びれ以外を狙うんだ!」


 岸で暴れる鯉に、アタッカー2人とミレーさん、そして俺が肉薄する。

 攻撃専門職2人の猛攻は凄まじい。ハルハルちゃんは手数で、ロータスさんは見事な斬撃で攻撃を見舞う。鯉の鱗が砕けて舞った。

 顔面に向かったミレーさんはなんとヒゲを切り落とした。その瞬間、暴れ方が激しくなった。そのせいもあって、俺はエラを狙い損ね、胸びれになたが当たった。すると、先ほどのロータスさん同様に激しい火花エフェクトを散らしてしまった。


「ヒヨコマメ君、ドンマイ!」

「はい、ロータスさんもドンマイです! 胸びれがあんなだと、ヒレは全部硬いかもしれません!」


 水に戻る鯉を見送りながら、ロータスさんと慰め合う。


「この感じなら勝てそうやな!」


 追撃の矢を射ながらリリィレイクさんが楽観的に言った。油断は禁物だが、敵の体力は残り4分の1を切った。先ほど転ばされたコノハ君も回復してきたし、このまま押し切れそうだ。


 しかし、そうした時だった。

 鯉の背びれ辺りから、もうもうと湯気が噴き出し始めたのだ。


「あれは……」

「2回目のモーション変化……?」


 結果的に俺の嫌な予想は当たっていた。

 鯉は水を纏った突進を仕掛けてきた。当てられたコノハ君がよろめき、俺が支える。

 真のモーション変化はその直後だった。鯉はミレーさんのほうに向きを変えると、なんと大口から【水球】を放ったではないか。


「うぶうっ!?」

「ミレーさんっ!」


 油断していたわけではないだろうが、虚を突かれた形だ。腹に弾が直撃し、彼女は大きく吹き飛ばされた。砂地にバウンドして止まったが、HPを4割方減らされていた。


「ウチが回復させる! 集中!」


 俺が【回復】の魔杖を出しそうになったところを、リリィレイクさんが一喝してくれて行動を止めることができた。

 新モーションを警戒して、防御態勢を維持し、追撃を警戒する。

 相変わらず近接攻撃を終えた鯉は地面を跳ねていたが、近距離での【水球】を間近で見たせいか、アタッカー陣が精彩を欠いた。結果、ほとんどダメージが入らず、鯉は水中に逃げてしまった。


「不覚。あんな近くで水を吐いてくるなんて」

「大丈夫?」

「問題ない」


 魔杖で回復してもらったリリィレイクさんがお腹を擦りながら戻ってくる。俺の気遣いに淡々と応じて、盾を構え直した。


「みんな! ここまで来たら倒すよ! ミレーの敵討ちや!」

「はいっっ!」

「まだ死んでない」


 リリィレイクさんが声を張り上げ、みんながそれに応える。


 だが俺たちの決意をよそに、湯気を噴く鯉は水上を荒々しく移動した後、潜水した。

 深い。影がみるみる小さくなる。

 警戒していると、今度はいきなり魚影が大きくなり始めた。浮上してくる。

 そして、鯉が水面を突き上げて空中に跳び上がった。


「ズグアアアアアアアア!!」


 宙で身を捻り、けたたましく吠え猛る。陽光に照らされた碧の鱗と舞う水飛沫に、俺たちの視線は釘付けとなる。

 これは初見のモーション。俺たちに突き付ける憤怒の動作。


 巨体が最高点に達すると、やがて落下が始まった。



【踏破距離:156キロ】

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