都合のいい男

ちわみろく

 都合のいい男

 先月の合コンで知り合った相手は二つ年上で大手メーカーの営業職だ。


 いかにもやり手そうな自信に満ちた笑顔には、同席していた他の女の子たちも釘付けだった。物凄いイケメンというわけではないが、それなりに整っている顔は十分に及第点である。仕立ての良さそうなスーツ、高そうな腕時計。


小紅こ べにちゃんって言うんだ。可愛いね。」


「ありがとうございます。杉下さんの下の名前も、知りたいなぁ?」


「俺、典之のりゆき。よかったら今度美味い物でも食べに行かない?」


「いいですねぇ、是非。」


 名前の響きもいい。エリートっぽい感じで好みだ。是非にも、さん付けで呼びたい。


 そんな風に浮いた気持ちで、誘われるまま最初のデートへこぎつけた。





 小紅はきっと馬鹿で最低な女だ。


 多分、愚かなんだろう。何度でも騙され、何度でも恋をして、そしてまた騙される。


 幼い頃からそんな小紅をずっと傍で見てきた。


 いい加減に、懲りればいいのに、と。





 土砂降りの雨の中呼び出された俺は、二本の傘を持って自分のマンションを出た。


「コタレー・・・迎えに来て。」


「は、冗談。俺もう飲んじゃってるし、無理。」


「タクシーで迎えに来て!!」


「なんで俺が!」


「迎えに来てよぉ~、お願いっ!!コタレしかいないのよっ!」


「あ~っ!!もう、どこにいんだよっ!!」 


「早く来て!」


 勝手な小紅はそれだけ言って通話を切る。


 なんて、勝手な奴だ、と思いつつも、放っておけない。


 もう22時を回っている。その上俺はビールを一缶開けてしまっていた。自家用車は出せない。


 スマホを操作して、小紅からの着信を調べればグー〇ル先生から地図が送られてくる。自宅からはそう遠くない。一駅先の、住宅街だった。


 駅まで走り、そこからタクシーを拾う。先程送られてきた地図を見せれば、運転手はすぐに連れてってくれた。便利な世の中だ。泣きたくなるくらいに。


「コタレー・・・、遅いわよ!」


 小紅は住宅地の奥まった小さな公園の東屋で、俺の到着を待っていた。


 振り出してすぐにここへ来たのだろう、余り濡れていないが、少々冷えてしまったようで震えている。


 道にタクシーを待たせたまま、彼女に走り寄ってもう一本の傘を手渡す。男物の黒い傘だが、文句は言わせない。


「うっせぇ、これでもすぐに来たんだ。それから何度も言うが、俺は小太郎こ た ろうであってコタレじゃねぇ!」


 俺の小言などどこ吹く風で、俺の傘をさした彼女は待機中のタクシーへ足を運ぶ。


「運転手さん、この人のマンションまでお願いします。場所は・・・。」  


「こらっ!お前は自分の家に帰れっ!」


「いやよ。帰っても一人だもん。寂しいもんっ!今日は絶対一人になんかなりたくない!」


 俺はずっと一人でも快適ですが、何か。


 結局押し切られて、小紅は俺のマンションへ来てしまった。タクシー代を後で請求しよう。


 俺の部屋だと言うのに、勝手に靴を脱ぎ、ずかずかとリビングへ入ってきてサーモンピンクのハンドバッグを放り投げた。てめぇ、せめて水滴を拭いてから置けよ。床のカーペットが濡れてカビるじゃねぇか。デート専用に欲しい、とか言って、散々強請られて仕方なく誕生日に俺が買ってやったなんとか言うブランドのハンドバッグ。俺と出掛けた時に持ってたことは無いけどな。


「相変わらず綺麗にしてるわね~、コタレんちは。あ、ビール飲んでたの、あたしにも一本頂戴。」


「誰がやるか。・・・勝手に冷蔵庫開けるな、こら、勝手に飲むんじゃねぇ。俺のエビ〇、返せ。」


「いーじゃない一本くらい。ケチケチしないでよ。今日と言う今日は、飲まなきゃやってられないんだから。」


 その台詞を聞いたのは、もう何度目の事だろう。


 小紅は、俺の部屋へ押しかけてくる度に、同じことを言っている。それに気が付いているのだろうか。


「ねぇ聞いてよ、コタレ。今日初めてのデートだったの。それでフレンチ食べてバーでお酒飲んで、いい雰囲気だったのよ。ご自宅へご招待してくれるって言うから、期待してお持ち帰りされたってのにさぁ!ねぇ、信じられる!?女が自宅で待ってたのよ!!」


「俺はコタレじゃねぇ。小太郎だ。」


「もう、悔しくって悔しくって、あたし引っぱたいてきちゃった。」


「へえ?相手の女を?それともそいつ?」


「男の方に決まってるでしょ!!」


 盛んに憤慨してはビールを煽る小紅が、お代わり取りに立ち上がる。


 アルコールの周りが早いのか、足元が怪しい。ふらついていた。 


 ひとんちのビールを3本も空ければ、彼女はリビングの床で潰れてしまった。これもいつものことだ。


 勝手に来て勝手に飲み散らかし、勝手につぶれてしまう。いずれタクシー代と共にビールの代金も請求しよう。


 請求して支払われたためしはないが、請求をやめてはならない。支払い請求は立派な義務である。請求をやめたら踏み倒されても文句を言えない。


 酔いつぶれた小紅と違いすっかり酔いが醒めてしまった小太郎は、仕方なく彼女を抱え上げて自身のベッドまで連れて行った。彼女が押しかけて来た時は、こうしていつも自分のベッドを明け渡し、小太郎自身は布団をリビングに敷いて寝ているのだ。


 幼馴染で気心の知れた仲だからそこらに雑魚寝させてもいいのだが、一応、異性である。その程度の気は使ってやってもいい。失恋して、落ち込んでいるようだから。


 小紅に上掛けと布団をかけてやってから、小太郎は明かりを消した。


「・・・コタレぇ・・・ゴメン・・・いつも、ありがと・・・」


 寝言としか思えない独り言が暗くなった寝室から聞こえてきたが、


「どういたしまして。」


 ため息とともに、部屋の主は短くそう答えただけだった。


 こんな日々がいつまで続くのだろう。そうおもっただけでうんざりだ。


 だが、その一方で。


 こんな日常が自分の生活から消え去ったら、俺はどうなってしまうのだろうか、と不安になりもする。


 小紅の事を異性として意識したのは、もうずいぶん前の話。社会人になって最初の失恋で、俺の所へ転がり込んできた夜。それまでは、学生の頃から『誰それが好き』という小紅の話を何度も聞いていた。そして大概その恋が実らずに終わった事も知っている。


 だが、あの時初めて失恋して泣いている小紅を見たのだ。『女』の顔で泣いている小紅を初めて見て、俺は自分でも驚くほど動揺した。


 図々しくて気の置けない友人だった彼女が、初めて俺の中で一人の女に見えたからだ。


 それから、ずっと。小紅は失恋する度に俺の所へ転がり込んでくる。人の気も知らないで、幼馴染の俺の所へ甘えてくる。小紅の中で「コタレ」が小太郎になる日はきっとこれからもこないのだとわかっていながら、ついつい甘えを許してしまっていた。


 そのうち、惚れっぽい彼女の恋がいつか叶う日が来て、小紅の父親のような気持になるのだろうか。そして、何度も後悔するに違いない。


 どうして、自分では駄目なのか、と。


 小紅に言わなかったのかを。





 また、やってしまった、と後悔する。


 本当は、もっとしおらしくすべきなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。


 小さい頃からずっと腐れ縁。小太郎はなんでも話せるしなんでも頼める良き幼馴染で、そして。


 あの時から、ずっと小紅にとっては意識する相手になった。


 社会人になって最初の彼氏にふられた日。あの日も、今夜みたいに強引に小太郎を呼び出し、部屋に転がり込み、酔いつぶれて寝た。


 人事不省になった小紅を、力強い腕が軽々と運んで、ベッドに運んでくれたことに気が付いた。


 驚きの余りに、寝たふりをするしか出来なかった。どうリアクションしていいか、わからなかったからだ。


 小太郎のベッドはきちんと整頓されていてしかもいい匂いがした。ふかふかの布団が、沈み込むようで心地よくて。再び睡魔に襲われて意識が遠のきそうになった瞬間、


『なんで俺じゃ駄目なんだよ。』


 熱い吐息と共に、小さな呟きが耳に飛びこんできたのだ。


 小太郎の体温と息遣いはすぐに遠くなり、やわらかな毛布が体の上にかけられた感触。やがて、音もなく、部屋の主は部屋を出て行った。


 それから、いつしか、小太郎がその台詞を自分に言ってくれるのではないかとひそかに期待している自分がいる。


 しかし、待っても待っても、待っても、彼からそんな言葉が出たことはなかった。


 何度か一緒に飲んだ事もあるし、時には食事も一緒に行く。他の友人と一緒の時もあるが、二人きりの時もある。大学を卒業して以来、職場も職種も違うのだから縁が切れてもおかしくないはずなのに、何故か小太郎と小紅の繋がりは途切れることが無かった。


 小太郎のベッドの中で、小さく身動ぎする。


 何度目かの、彼のベッド。今ではすっかり安心して熟睡できる場所になってしまった。


 ここに、小太郎と一緒に寝ることは無いのだろうか。


 しょっちゅう彼の寝室を占領している立場ながら、彼の心を占領するには至らない。


 本当はずっと知っていた。


 小太郎は結構もてる。本人に自覚が無いのが幸いだ。学生の頃はよく彼に思いを寄せる女子に色々突っ込まれたものだ。だから余計に小紅は、他の異性を好きにならなければならなかった。幼馴染は幼馴染に過ぎないということを周囲にアピールするためにも、小紅は他の男子を好きになり、それを隠しもしなかった。


 年少の頃の小太郎が、それはもう天使のように可愛かったのを覚えている。彼のお母さんが、小太郎の余りの可愛さに、芸能事務所に入れてしまったくらいだ。


 当時、テレビに出演していたことが学校に知られ、周囲に囃し立てられていた。クラスメートから「子タレ」と、呼ばれていたから、小紅もそう呼んで、いつしかそれが呼び名となってしまって今に至っている。


 コマーシャルやドラマに5回ほど出演した後、あっさり彼は芸能事務所をやめて、それっきりだ。きっと学校で色々言われるのが嫌だったのだろう。


 つぶらな瞳の色白だった美少年は、今や三白眼の強面青年になってしまったけれど、元々が整っていた顔立ちだから、やっぱりいい男である。


 小紅としては、長い付き合いであることもあって照れ臭いから、とてもじゃないが自分からなんて言えそうにない。


 だから、小太郎の方から、あの時の言葉を言って欲しいのだ。


 待っても待っても、小太郎からのアプローチは無い。いつになっても、友人のままの彼の態度に業を煮やして、他の男をちらつかせてみる。ほら、妬いてみせろと。放って置いたら他へいってしまうぞ、と。


 でも、やっぱり小太郎はあくまでコタレのままで。


 もういいや。他の人を探そう、と思うのに。どうしても幼馴染の元へついつい戻ってきてしまうのだ。待っても待っても、何も言ってくれないのに。


 ソファに毛布を持って行って横になる小太郎が目に浮かぶ。


 どうしてこっちにきてくれないんだろう。



 男の部屋に来て酔いつぶれたんだから、覚悟は出来てるんだろうな、とか。


 失恋したところにつけこんでやる、とか。


 そんなのは、全然、まったく、ない、幼馴染である。




 小太郎は優しくて、いい奴で、かっこいい。


 綺麗好きで、マメで、しかも超のつくお人好しだ。小紅のような女に振り回されても、なんだかんだ許してくれる。


 でもニブチンだから小紅が本当は小太郎からアクションを起こしてくれるのを待っているなんて、思いつきもしないのだろう。


 今に、行動力のあるよその女がガツガツ押して来たら、小太郎なんてお人好しだから、簡単に落ちてしまうかもしれない。


 そんなの嫌だと思いながらも。


 小紅はどうしていいのかわからずに、ただ黙って彼のベッドでうずくまる。一人で。







 一体いつになったら、わかってくれるのだろうか。




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