第4話 相対性陽キャと傘
0
私は夜の町をだらだらと一人で歩いて自宅へ向かっていた。人通りや車通りは片田舎の地元ほど少なくはないが、決して多くはない。少し細い路地へ入れば、がらんとしている。大学に入り、一年と少しが経過した。春から入部した部活の後輩たちもようやく慣れ、会話も増えてきたころだ。今朝は雨だったため、自転車ではなく傘をさして大学まで歩いてきた。そのためいつもより早く起き、家が近い生徒はまだ寝ているような時間に出発した。さらに言えば、数学の中間テストは金曜日であるのになぜか今日だと勘違いをして前日夜遅くまで勉強したため、睡眠時間はいつもよりかなり短い。そんな状況で二年生になって始まった専門科目を受け続け、部活動で三時間ほど運動し、行くのがやや面倒な距離にある店へ後輩を連れ、まだ慣れないこの土地を案内してきたところだ。自転車があればどれだけ楽だっただろうか。雨合羽もあるのだから、それを使えばよかった。疲れた頭でそう考える。専門科目は山の上にあるキャンパスで行うため、自転車で来るとそれはそれで面倒だし、何より雨合羽というものはなかなかに不快だ。朝はそう考えていた。濡れないのに不快とは、なかなか珍妙ではある。雨が止んだ今となっては、ただ歩いて帰るのが面倒くさい。ふと、先輩との会話を思い出した。新入生が入学するその少し前、三月末。先輩と二人、私たち、今の二年生が入部したころを懐かしんでいた。
1
「伊崎ははじめっから本性さらけ出していたよな」
同期である他の三人が揃いも揃ってかなりの人見知り――今風にいえばコミュ障や陰キャ、といった言い回しになろうか。そういった類の性格であったため、入部当初は皆大人しいどころか、声色や表情の変化が乏しく、相手をするのも大変だったのに、今ではすっかりその本性を現し、真逆の意味で相手をするのが大変だ。そういう会話に続いた言葉だった。私はおどけた口調で「え、そうですか?」と聞いてみた。言われてみると確かに、さすがに入部当初はかなり言葉を選びながら会話をしていたが、一か月もたたないうちに今と変わらないように話していた気もする。「そうだよ」という先輩に、そんな内容の相槌を打った。
こうなると連想ゲームのようにいろいろと思い出すのが人間の性というものだ。先週のことだ。4年生とOBが少し高い店へ食事に行ったため、OBからもらったお金で2,3年生で1年生をしゃぶしゃぶ食べ放題に連れて行った。一年生7人、2,3年生5人の計12人というメンバーで、通されたのは四人掛けのテーブルが二つ連なった席と、通路を挟んで四人掛けの席の三席。一年生を先に通した結果、当然二つ連なったテーブルに一年生7人が着席した。つまり、2,3年生のうち一人が一年生7人に囲まれなければならないうえ、通路の向かい側のテーブルとの間には壁があり、座ったが最後他の2,3年生に助けを求めることができない。一年生とはだいぶ会話が弾むようになってきてはいるが、正直慣れた相手の方が楽だ。おそらく、2,3年生の誰もがそう思っていた。或いは、まだほとんど打ち解けられていないと思っていたかもしれない。「一人あっち行くのちょっと気まずいですね」なんて軽口をたたいていると、一年生から直接お呼びがかかってしまった。そんな予感はあった。客観的に見て、当時その場にいた部員で、一年生と一番距離が近くなっていたのは私だった。私は一年生の方へ向かいながら「俺この席なの気まずくね?」とおどけていった。「いやでも伊崎さん話しやすいっすよ」と一年生が言う。結局会話ははずみ、何事もなく食事は終わった。
本音のところ、私は初対面の相手に話しかけに行くのは全く得意ではない。交友関係も広く浅く持つより気の置けない仲の友人が数人いればそれでよいと思っている。もちろん、それが多いに越したことはない。少なくとも、関西にいたころ、私が陽キャとみなされることはなかった。客観視しても、自分は陰キャ寄りの性格だと思う。大学生活、友人がきちんと作れるかと恐れながら入学してみれば、私以上に人見知りな人間が多く、気づけば私は陽キャと呼ばれるようになった。
「伊崎って友達多いよな」
そうだろうか。知り合いを少しでも作ろうとするのは不安の表れだ。一人の授業など受けたくない。何をするにも知り合いがいないと落ち着かない。ただのビビりだ。地元の友達が一人もいないこの地では、休日遊びに行くほどの仲となると部活を除けば片手で数えられるかどうか程度しかいない。
「伊崎けっこうおしゃれやからなあ」
そうだろうか。持っている服の半分は貰い物だ。もう半分は見栄で買った。ダサい服装をしていると他人からの評価を気にしてしまって落ち着かない。服が趣味だなんて口が裂けても言えない。嘘でしかないからだ。
「伊崎はすぐ打ち解けるし」
そうだろうか。そう見えているのならよいのかもしれない。会話を続けるのは、この大学の他の生徒と比べるなら得意なほうだ。その自負はある。それが打ち解けているように見えるなら私の演技は完ぺきということだ。役者か政治家にでもなれるだろうか。
告白する。これは少々冷たい告白になるかもしれない。私は一年生と打ち解けられたなどとは全く思っていない。そもそも一年共に過ごした先輩方や同期、毎日顔を合わせ、泊りで宅飲みをした学部の友達にも、100%の素顔は出せていないと思う。
私の一人称はころころ変わる。誤解のないように言っておくと、これはいわゆる中二病的な、そうしたものがかっこいいという憧れに起因するものではない。そう、例えば普段は「俺」と話す人物が目上の人の前では「僕」になり、書き言葉で「私」になるのと同じといえば伝わるだろうか。これをより細分化するのである。普段使いの「俺」。目上の人と話すときの「僕」。書き言葉の「私」。相手や第三者視点での”伊崎竜星”を指す「自分」。俺と言った数秒後の一人称が自分になっていることもある。意識して使い分けているわけではない。むしろ、友人に指摘されなぜ一人称が変わるのか自己分析した結果、こうした傾向にあるのではないかという結論に至った。大学に入ってから、明らかに自分を使う回数が増えた。最近では俺を使うときでも、相手から見て”伊崎竜星”という意味で用いることが増えた気がする。私が会話が得意なのは、今この場で求められているのはどういう返答なのかを察する能力が高いからだ。もしかすると、これは関西で鍛えられたスキルなのかもしれない。
関西の学校は、今思い返せば過酷な場所でもあったと思う。当時はそんなこと思いもしなかったが、こうして遠く離れた地で異なる文化に触れていると実感する。小学校、中学校、高校。こうした場所での交友関係というのは少なくとも大学のそれよりかは恐ろしい。大学はクラス行事などが基本的になく、一人でも大きな不自由がないというだけではない。いじめが存在するからだ。
少なくとも関西では、話が面白くないというのはいじめの対象なり得る。これだけ語ると関西人の方からそこまで殺伐とした笑いに厳しい世界じゃないとお叱りを受けるかもしれない。誤解を招かないように説明する。例えば。クラスの中で仲の良い面子で会話が弾んでいた。そんな中、一人が横から会話に参加する。そいつは話の流れも知らないくせに言葉尻だけをとらえ、それまで盛り上がっていた話題を打ち切ってそいつの話したい話題に持っていった。当然、場はしらける。原因は何だ?そいつが会話に参加したからだ。こうしたことが繰り返される。グループLineもいつもそいつの寒い返答か空気の読めないスタンプで終わる。誰もそいつを輪に入れたがらなくなる。……少し極端な例を出した。私はいじめやはぶりの正当性を訴えたいわけではない。しかし実際、こうした原理でそれらは発生する。それに田舎特有の幼少期の環境が組み合わさり、私は今この場で何をすれば周りの反応がいいか、ということに気を配って話すことが多くなったのだと思う。その空間を自分事俯瞰して、ゲームのキャラを操るように自分の体を動かして面白いことをする。カラオケで反応のいい曲を入れる。一年生の輪に加わって会話する。別に自分を殺しているだとか、そんなたいそうなことではない。面白くないことよりかは面白いことを言いたいし、誰も知らない曲を歌うよりかはみんなで盛り上がりたい。これは確かに自分の選択だ。ただ。それを、さらに言えばまだかなり気を使って接している一年生相手に、打ち解けている。そう言われ、「俺」の本当に話したいことがわからなくなった。再び言う。これは普段自分を殺しているだとか、そんなたいそうなことではない。言いたくないことはわざわざ言わない。普段発言していることは、私の言おうとしていることで、まだ一年生に対しては気を配っているが、少なくとも学部の友達と、部活の2,3,4年生、一部のOBに対して自分の口から出た言葉は私の言いたいことと一致している。一致しているからこそ、本当に言いたいことが何なのかわからなくなってしまったのだ。
2
少し先の歩行者用信号の横に、あとどれだけその色ままなのかを表すゲージのようなランプが並んでいて、それはもうすぐ信号が青から赤に変わることを示していた。走れば間に合う。めんどくさい。一瞬そう思ったが、私は反対側の車線に移動しながら直進しなければならないため、ここで縦と横、二回道路を渡らなければならない。この交差点は変わるのにそれなりの時間を要する上、今日中に提出の課題があった。30分もあれば終わるだろうが、このままだと家につくのは23時頃になりそうだ。走らない方が面倒だ。そう判断し走って道路を渡った。走り出して気が付いたが、右の靴紐がほどけている。道着とパソコン、教科書が入ったリュックは大きく重く、コンビニであわてて買った傘は邪魔くさい。道路を渡り終え、「不格好な」と思わずつぶやいた。走る際、傘が邪魔にならないよう持ち直した。元の持ち方に戻そうとして、どうにもしっくりとこない違和感がある。傘の先端が前に行くように斜めに持っても、後ろに行くように斜めに持っても、無駄に手の力を使って持っているような気がする。傘を持ちあげて少し考えた後、杖のようにかつかつと地面につきながら歩いてみた。先ほどよりかはいくらかましになったが、静かな夜の町に思ったよりも音は響き、手に伝わる振動も次第に煩わしくなった。漫画でヤンキーがバットを持つように肩に担いでみた。なるほど、楽ではある。しかし夜に傘をそんな持ち方をする大学生はいかがなものだろうか。私は傘の柄を見た。差すときも閉じたときもつかみやすく、量産も簡単なU字型の持ち手だ。握りやすいよう三角柱になっている。私は歩きながら少し考え、U字の頂点を持って小学生みたく傘を振りまわしてみた。少し気分は乗ったものの、U字の幅は私の手の幅より少し狭く、一周するたびに手に擦れて少し痛かった。何をしてもしっくりこなかった私はこの傘をどうしたいか、と考えながら歩いた。そうこうしているうちに家まであと少しのところまで来ていた。右手には高校の正門があり、がら空きの暗い駐輪場が見えた。不意に、この傘を高校へ向かって投げ入れてみたくなった。別にこの高校が嫌いだとかそういうわけではない。なんの思い入れもなければ、そもそも高校の名前も今、正門の横に書かれているのを見て知った。ただの思い付きだ。なんとなく以上の意味はない。でも、私はこの傘を投げてみたくなったのだ。そして傘を投げた後のことを考えた。校舎の窓ガラスを突き破る?そこまでしなくていい。ただ駐輪場に落ちて転がる?面白みがない。駐輪場の屋根の上に乗り鈍い音を立てる?別段そそられない。そう考えながら歩くうちに塀が視界を遮り、校舎の上の方しか見えなくなった。そうだ。そのあとは見なくていい。傘を投げるだけぶん投げて、落下するのを見る前に帰ろう。そのあとのことは知らない。そのまま家に帰ろう。気分は梶井基次郎。
その後私は、傘の持ち方など気にもならず、そのまま家に帰った。
エッセイ集 有縺鶸 @arimotsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。エッセイ集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
関連小説
深月の雑記帳 最新/深月珂冶
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 32話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます