めも

空庭真紅

第1話あああああ


 ◇プロローグ


 世界は理不尽と不平等に溢れている、と俺は思っている。

 そもそも、生まれた瞬間から人間には差ができる。

 それは家柄だったり、才能だったりと様々だ。

 何の罪も犯していない無垢な赤子にさえ、世界は容赦しない。俺が洗礼を受けたように、世界は残酷で、カミサマなんて存在は偶像でしかないのだ。


 叩きつけるような激しい雨と、雷鳴がしきりに騒ぎ立てる夜。

 亡者の森と呼ばれる場所に俺は捨てられた。

 暴風に撫でられて木々が騒めく様は、鞭を討たれてのたまう家畜に似ていて笑えた。

 指先一つ動かす事すら叶わない俺はとある病に蝕まれ、ただ死を待つだけの状態にある。

 跳ねた泥が顔にかかるも、それを拭う気力などない。

 

 ……どうしてこうなった? 

 

 答えは簡単だ。単純に運がなかった。

 人は生まれた瞬間にステータスを与えられる。

 かくいう俺も、名門貴族に生まれるという好スタートを切った訳だったのだが、奇病を患うという不運にも同時に見舞われていた。

 現在進行形で俺を死へと誘うその病の名は〝死の揺り籠〟。

 この世界に存在するあらゆる生物は〝魔力〟と呼ばれる生命エネルギーを持っているのだが、俺の病は絶えずそれを外へと垂れ流してしまう最悪の症状を持つ。

 発症した例は極希で、完治した例は皆無。

 つまり、致死率百パーセントの不治の病だ。

 生物が魔力を必要以上に消費すれば、生命維持に多岐に渡る弊害が起きる。発熱や頭痛程度の軽い症状から、免疫低下や呼吸困難などの生死に関わるものまで。

 そんな死神と添い寝するような生活を十二年続けた結末がコレだ。

 常時魔力が消費されるおかげで、毎年行われる魔力の検査では魔法適正なしの判定が下り、この度めでたく家から追放されてしまった。

 実の両親は子供を自らの私腹を肥やす道具としか見ておらず、二人いる兄達は恵まれた才能に奢っていた。俺の部屋を訪ねては、自慢話と嫌みを撒き散らす害虫みたいな奴らだ。

 彼らから見れば、俺は気味の悪い病気に侵された挙句、魔法の才能すら持たずに生まれた可哀そうな存在だったのかもしれない。情けをかけてここまで生きながらえさせてくれたのかもしれないが、迷惑な話だ。

 俺から見た家族は豚も同然だった。人の醜さを煮詰めた悪性の結晶、同じ空気を吸うだけでも嫌気が差す。それに比べれば、この泥臭い空気も心地が良い。

 ……あぁ、だが妹だけは違ったな。身の回りの世話をしてくれた上、書庫の本を毎日持ってきてくれたアイツには感謝しないといけないな。

 病のせいで高まっていた体温も、雨風に晒されたおかげでだいぶ下がった。暑苦しい夏のはずが、やけに寒い。呼吸も苦しくなってきた。

 ……いよいよ死ぬらしい。

 俺の過ごした十二年は何の意味があった? それだけが脳裏に渦巻いていた。

「おや、久しぶりに生者の気配がしたと思ってきてみれば捨て子か」

 意識が朦朧とする中、そんな声が聞こえた。

 手足の感覚は既になく、ぼやける視界では声の主の容姿を正確に伺う事はできない。

「これも何かの縁だ。ウチへ招こうじゃないか。死に導かれる者同士、きっと親しくなれるさ」

 死に際の俺に対しておかしな事を言う奴だ。

 もう少し耳を傾けていたかったが、限界が訪れた。



 ☆



「やぁやぁ、気分はどうだい?」

 幸か不幸か、再び意識を覚醒させた俺の視界に飛び込んで来たのは、喋る骸骨だった。

 骨なので顔色は不明だが、口調からして敵意はない。

 ……というか、今まで俺を悩ませていた頭痛に始まる症状がない。覚醒直後だというのに、思考がクリアだ。体も軽い。

 まるで自分の身体ではないような感覚だ。一体何があった?

「アンタは誰なんだ? 俺は……?」

 湧き上がる疑問を解消できる唯一の存在である骸骨へと問いかける。

「待てよ、質問してるのは僕だぜ? まずはそれに答えたらどうかな?」

 骸骨は俺の質問には応じなかった。

 俺の対応が気に入らなかったらしく、人差し指で俺の頬をぐいぐい押してきて鬱陶しい。

 情報を引き出せる相手がこの摩訶不思議な骸骨しかいない以上、相手のペースに乗るしかなさそうだな。

 確か、気分はどうか? と聞いてきていたな。

「……気分は、悪くない」

「そうか! では、僕の薬は完成だったんだ! いやぁ、良かった良かった」

 骸骨はカタカタと骨を鳴らしながら笑った。

 それで、ひとしきり笑って気が済んだのか急に笑うのをやめて、唐突に俺へと向き直って来る。

「〝死の揺り籠〟は魔力の漏出さえ止まってしまえばなんて事のない病だからね。魔力が回復してしまえば併発していた魔力欠乏症もすぐに治る。……まぁ、その魔力漏出を直すのに二百年ばかしかかってしまったんだけどね!」

 骸骨は聞いてもいない事をベラベラと喋り、それが終わるとまた笑い出した。

 ……なんだこの不思議生物は。いや、生物ですらなさそうだが。気味が悪い。

「話を要約すると、俺を助けてくれたのはアンタって事であってるのか?」

 俺がそう言うと、骸骨は俺の眼前で指をメトロノームみたいに振った。舌を鳴らされなかっただけマシだが、神経を逆なでする仕草だ。

「そう思うならもう少し敬意を払ったらどうかな? それに僕らは初対面だ。親しい友人じゃあない。僕の言葉の意味がわかるかい?」

 いちいち腹立たしい言い回しをするコイツが言うのもどうかと思うが、骸骨の発言自体はもっともだ。

「……助けて頂いて感謝しています」

「よしよし、オーケー。随分と喋るのが上手くなったじゃあないか」

 腹の立つ事に、骸骨は大仰に手を叩いて拍手までしてくる。

 まともな相手でない事は今までの少ないやり取りで理解できた。だが、コイツが俺を救ったという事が事実なのであれば、それは人類にとってとんでもない偉業だ。

 恐怖の象徴として擬人化するまでの病を一つ打ち破ったのだ。

 それこそ、治療の手段を世間に公表でもすれば、一躍時の人になれるだろう。

 そう考えれば、人を煽り散らかしてくる態度にも我慢ができる。

「俺の名前はアルカディアと言います。アナタの名前を聞いてもよろしいですか?」

「……ふむ。楽園か。ずいぶんと大仰な名前じゃあないか」

 それに関しては同意見だった。

 アルカディア・フェイルノート。それが名門貴族に生まれた俺の名前だ。

 皮肉にも楽園を意味する名を授かった俺の人生は、名前とは真逆のものだった。だから、俺は夢や希望、愛などという耳障りの良い言葉が嫌いだ。楽園もその一つ。

「まぁ、そんな些細な事はどうでもいいさ。それよりも君の話が聞きたい。おっと、僕の名前はヨルドゥナだ、よろしく」

「ええ、よろしくお願いします。それで、俺は何を話せばいいですか?」

「……君は復讐を望んでいるかい?」

 復讐だと? 話の脈絡が見えない。どういう意味だ?

 ……もしかして、俺は試されているのか?

 ヨルドゥナと名乗ったこの骸骨の素性が知れない以上、この質問への回答は慎重になった方がいいだろう。

 考えろ。まずは、この骸骨が復讐などという言葉を持ち出してきた意図からだ。

 俺がフェイルノート家を追放された事を知っているのだろうか? その上で、俺が雷雨の夜に山に捨てられた事を恨んでいると?

 ……いや、流石に深読みし過ぎだ。名乗ったのは失敗だったかもしれない。

 コイツが俺の名前を知っているかぐらいの情報は欲しかった。

「よしわかった、少し考えるのをやめてくれ。……君は歳の割には思慮深い性格らしいね。そんな君に朗報だ。僕は味方だよ、まずこの事実だけを信用してくれればいい」

 ヨルドゥナは俺の思考を遮って喋り始めた。

 彼、で良いのかは不明だが、ヨルドゥナはかなり頭の切れる相手らしい。

 俺の思考を完全に読み切っていた。そして、俺の考えが意味のない事を示唆し、味方だと豪語してくる。

 道化師のような物言いが目立つが、短絡的で富にすぐ目が眩む家族とは毛色の違う人間だ。面白い、興味が湧いた。コイツなら信用してもいい。

「わかりました。ひとまずアナタの事は信用します」

「それでいい。あと、喋るの大変そうだから砕けた口調で構わないよ」

 自分で俺にこの喋り方をさせておいての発言なのは、腹が立つが我慢だ。

「……わかった。その方が楽で助かるよ」

 純粋にここはヨルドゥナの好意に甘えておこう。

 今まで家の人間としか接した事がなかったので、正直丁寧な言葉遣いには自信がなかった。

「さて、脱線してしまったが……。君は雷雨の夜にこの亡者の森へと捨てられていた。余程の事がない限りそんな事態にはならないと思うのだがね、まぁそれは置いておこう。君が捨てられた事に対して、自分の所属していたコミュニティに復讐の念があるのかをまずは問いたい」

 ヨルドゥナは俺が深読みしないように一から説明しつつ、問いかけてきた。

 あの家族自体は嫌悪の対象だが、追放された事には何の感情も抱いていない。

 むしろ、あの環境から俺を解放してくれた事に感謝しないといけない。

 森へ捨てられていなければ、生まれてこの方俺を苦しめてきた病気も治らなかっただろう。ヨルドゥナと出会えたのは幸運だ。

「いや、ないよ。過ぎた事だし、どうでもいい。そんな事より、晴れて自由の身になったんだ。他にやりたい事がある」

「ほう? そのやりたい事とは?」

 ヨルドゥナは俺の返答に意外そうな反応を見せた。

「俺は世界を見て回りたい。生まれてから病気のせいで屋敷の外に出る事すらできなかったから、本の知識でしかないものをこの目で見たいんだ」

「なるほど。実にいい考えだとは思うが……、その前にここで最低限の体力は付けた方がいい。それに、僕は話してみて君の事が気に入った。今ではこんな姿だが、かつては賢者と謳われた僕の知識にも興味はないかい? 君さえ良ければ幾らでも教えよう」

 ヨルドゥナは気分がいいのかカラカラと骨を震わせて笑った。

 相変わらず、笑い方だけはどうにも不気味だ。

 しかし、不治の病を治療してみせただけで、賢者という大層な冠にも説得力がある。

 ヨルドゥナの言う通り、まずは彼の庇護を受けて色々学びつつ、体力を付けるのが良さそうだ。

「……そうだな、じゃあアンタの好意に甘えさせて貰うとする」


 こうして、俺は不思議な骸骨と時を共にする事になった。



 ☆



 ヨルドゥナが居を構える〝亡者の森〟とは、何もアンデッドが蔓延る墓場のような場所ではないらしい。というか、物騒な名前の由来はゾンビなんて生易しいものじゃない。

 この森を支配しているのは、体長五メートルにも及ぶ大蜘蛛だとか。その繁殖した大蜘蛛の巣になっているらしく、この森の中で動くものはソイツだけだ。

 そして、そんな物騒な森に掘っ建て小屋を築き上げ、余生(?)を謳歌している隠居人がヨルドゥナだ。

 俺は家具すら置かれていない寝室を抜け出し、ヨルドゥナのいる広間へと向かった。

 部屋を照らすのは、中心に設置された石組みの火床と、四隅に吊るされたランタンだ。温かみのある高原に照らされ、木材がほんのりと赤く色づいている。

 部屋のあちこちに本や羊皮紙が散らばっており、薬品棚まで見受けられた。家の主は整理整頓というものが苦手なようで、泥棒に部屋中をひっくり返えされたような有様だ。

 揺り籠椅子に腰を落ち着けたヨルドゥナの隣には、火床で鍋を無心でかき回す少女の姿があった。美しい銀髪と青い瞳、それに尖った耳が特徴的な少女だ。あどけなさを残してはいるが、整った顔立ちをしている。

 同い年くらいには見えるが、エルフの寿命は人間の十倍相当だ。間違いなく年上だろう。

 エルフにしては少し耳の短いその美少女は、屈んだままの姿勢で俺と視線が重なると小さく笑ってくれた。

「紹介しよう、彼女は僕の助手で名前はえーっと……」

 ヨルドゥナは説明の途中で急に歯切れが悪くなった。隣にいた少女はそんなヨルドゥナにムっと頬を膨らませ、首にかかった小さな木のプレートを見せつけた。

「あぁ、そうそう。彼女はスフィア。僕、生前も人の名前を覚えるのが苦手でね、死んでからはそれが悪化したんだ。ご覧の通り今では一時間もあれば忘れてしまうよ。君も彼女みたいに名前を記したプレートを首から下げておいてくれると助かる」

 ……なるほど、今の謎のやり取りはそういう事か。

 なんというか、これだけで助手の少女が日々どれだけ大変なのか察してしまった。

 これから世話になる身だし、後輩として彼女の負担が少しでも軽く努力してあげよう。

「ちなみに、スフィアは失声症で喋れないから、気を遣ってあげてくれよ」

 ヨルドゥナの言葉に合わせ、スフィアは立ち上がってからぺこりとお辞儀を披露した。

「了解した。よろしく、スフィア」

 俺はスフィアに向き直って、言いながら右手を差し出した。

 スフィアは握手をする前に、身に纏っているぼろ布のワンピースで手を拭った。

 彼女の手の感触は柔らかく、すべすべした肌触りで実に心地良い。記憶の中の妹の肌の質感に良く似ていた。

「……それで、その鍋は何を作ってるんだ? 何かの薬品だったりするのか?」

 俺はふと気になって、スフィアが一生懸命かき回し続けている鍋に視線を落とした。

 ぐつぐつと煮えたぎっている液体は緑色で、とろみのついた何かだ。立ち昇って来る煙に紛れて香るのは青臭さ。これが食べ物ではない事だけは明白だ。

「うん? あぁ、それは君のご飯だよ」


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めも 空庭真紅 @soraniwa

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