第16話 再会

「森本さん!」


 見失う前に気づいてもらわなければ、と思い、勢い余ってかなりの大声を出してしまった。急に背後から呼び止められた彼は、びくっとして振り返る。


「え・・俺になんか用? つーか・・誰だっけ」


 初めて会ったときとほぼ同じような反応に、思わずはにかんでしまう。話したいことがたくさんあったはずなのだが、全速力で走ったせいで、思うように言葉が出てこない。


「私・・藤田みさきです。町田英明高校の。私、ずっと・・ずっと森本さんに謝りたくて・・。私のせいで、森本さん、クビになったってきいて・・・」


 怪訝な顔をしていた彼は、ハッと気づいたように口を大きく開け、途端にクシャッと笑顔になった。


「・・ああ! みさきちゃんか! 化粧なんかしちゃってるから、誰だかわからなかった」


 屈託なく笑うその表情をみて、胸が熱くなる。


 姿を見なくなってから約一年と七ヶ月。まだ少年らしさが残る顔つきだった森本さんも、また少し、大人の顔になっている気がする。


「ほんとに、ごめんなさい・・」


私は頭を深々と下げて、彼に謝った。


「え! いやいや、こちらこそごめんなぁ。変な心配かけちゃって。みさきちゃんのせいじゃ全然ないから。それにクビじゃなくて配置換え。その次の現場がまたいい人ばかりでさ。だから全然気にしなくていいから。ほら、顔上げて」


 森本さんは、私の両肩に手をあてて、ぐいとおしあげた。――起き上がる途中で、至近距離で彼と目があった。


 彼は、まじまじと私を見つめる。


 初めて――いや、正確には初めてではないのだが――近くで見る森本さんの目は、ぱっちりした二重で、長いまつ毛が生えていた。


 結婚してすぐの頃、子どもにはこの綺麗な目を受け継いで欲しいな、と思ったのを思い出す。実際には私のくっきり一重を受け継いでしまったのだが。


 しばらく私を見つめていた森本さんは、何を言うのかと思いきや、大きな声でこういった。


「いやあ。みさきちゃん、きれいになったなあ。こりゃ、男がほっとかないな。大学生活、変なやつに捕まんないように気をつけろよ。じゃあ、またな!」


 カッカと笑いながら、私の肩をぽんぽんとはたいてその場を立ち去ろうとする森本さんを、私は彼の首根っこを掴んでその場にとどめた。


「イッた! 何すんの、みさきちゃん。ちょっと見ねえ間に随分と積極的になって・・」


 いつもの軽口をたたきながら、引っ張られてちょっと痛かったのか、首をさすりながら彼は振り返った。


「・・まだ、話は終わってません」


「え、だって、そのカッコ、入学式だろ? こんなところでごゆっくりしてる時間、ないんじゃないの?」


「はい、急いでるので・・今すぐ連絡先を教えて下さい。森本さんはよくても、私の気が済まないんです。だから・・今度、お昼奢らせてください。今の現場、この辺なんですよね」


(今、このまま別れてしまったら・・もう、会えないかもしれない。私やっぱり・・この人のことをもっと知りたい)


 今世で再び巡り会った時は、どうしても超えられない壁があった。・・だけど、今なら。


 森本さんは、ポリポリと頭をかきながら、呆れたような、くすぐったいような、複雑な顔をして私の顔を見た。


「本当に・・積極的になってまあ。しゃーねーな、ちょっと待ってろよ」


 スマホアプリの機能か何かで連絡先を交換してくれるのかと思いきや、彼が取り出したのは小型のメモ帳とペン。


 サラサラと自分の電話番号を書いた彼は、ペンを耳に引っ掛け、番号を書いた部分のページをビリっと破り、私の顔の前に突き出した。


「・・LIMEで、とかじゃないんですね」


「そういうの分かんねーんだよ。ほれ、もってけ泥棒。じゃ、俺も急いでるんで、行くわ。またな」


敬礼のような格好をして、いつもと同じふざけた様子でその場を去っていった彼の後ろ姿を、しばらく見つめた。


(・・なんとなく言い回しが古いのは、森本さんも、前世の記憶が残ってる・・とかじゃないよね?)


 受け取った紙を握りしめて、ポケットに突っ込んだ。後ろから両親が私を探している声がする。私は踵を返して、両親の元へ向かう。



「あっ!いた。もう、どこ行ってたの、心配したのよ」


 凄まじいスピードで駆け出した娘を、すっかり見失ってしまい、両親はずっと探してくれていたらしい。


 申し訳ないと思いつつ、先程の興奮冷めやらない私は、「ちょいと野暮用で」と元夫風に返して、「どこのおっさんよ」と、母に突っ込まれてしまった。



 親の前では極めて冷静を装っていたが、入学式の間ずっと、春の嵐に踊る桜の花びらの如く、私の心はクルクルと舞っていた。

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