第17話 逢引の約束
あんなにも美しく咲き誇っていた桜は、数日するとすぐに葉桜になった。移ろいゆく季節を感じながらも、通算九十年も生きたことになる私にとっては、時のすぎることの早さと残酷さを見せつけられるようで、複雑な気持ちになる。
大昔の記憶を取り戻してしまった私は、やはりどうしても二十代の若者たちに混じっていると浮いてしまう。もちろんベースは十九歳の私、なのだが、ちょっとしたところで古臭さやおばあちゃんの知恵袋がでてしまうようだ。
それはそれで「個性」ととってもらえてはいるので、別に問題はないのだけれども。
しかしここ数十年の文明の進化には驚かされる。大学の近くにある売店やコンビニはほぼ無人化されていて、キャッシュレス決済が主な手段。
重たそうなかばんを背負っている持っている学生の姿はほぼなく、書籍やノートの役割はすべて薄型のタブレットが担っている。
古い書物などもほとんどがデータベース化されていて、「図書館で本を借りる」はもう古典の世界のようだ。
戦後の時代の日本をリアルに見た記憶のある人間となってしまった今、技術の進歩に対する感動が、一段と高まったように思う。
(次世代の二宮金次郎像は薄型タブレット指でスイスイしながら歩いてるわね、きっと)
体も頭も本来は若者なので、現代のテクノロジーは問題なく使いこなせているのだが、心のどこか一部分だけ時代についていけていないような感覚になる。
(・・あの人は、今世でも、大学には行けなかったのね)
森本さんの今の年齢はおそらく二十一、二くらい。もし大学に行っていたとしたら、同じ大学生のはずだ。私が高校のときから働いているということは、確実に大学には行っていないだろう。
彼がどんな家庭で育って、今どんな生活をしているのか。そういったことも、高校にいたときは話題には登らなかった。というか、挨拶程度の会話のみで、大した交流も出来ぬうちにいなくなってしまったのだ。本当にあのときの根も葉もない噂が憎らしい。
そして番号は聞いたものの、「電話」となると、なかなか勇気が出せない。頭は年寄でも、やはり心はまだ十九の乙女なのである。結局番号をもらってから、もう一週間も経ってしまった。
(これがLIMEのメッセージとかなら、もうちょっと気軽に連絡できるのだけど・・アナログ人間め)
大学からの帰り道、立ち寄ったチェーンのカフェのテラス席で、スマホを取り出す。電話帳をタップして、「森本さん」をタップした。
電話帳の登録だけは、メモをもらった当日にしてある。一週間、この画面とにらめっこして、結局電話のマークを押せない日が続いているのだ。
(今日こそは・・・えいっ)
押した。押してやった。
時刻は午後六時。大工さんがあまり暗くなってから作業をしているイメージはないので、これくらいの時間ならでるかも、と思い電話してみた。
ワンコール、ツーコール、スリーコール鳴ったところで、発信中の画面が数字に切り替わった。急いでスマホを耳に押し当てる。
「も・・もしもし!」
「森本ですけど。どちら様?」
「あの・・みさきです。こないだ・・、駐車場でお会いした・・」
「・・あー! 町田英明の。なんだよ、全然電話こねえから、あの場の冗談なのかと思ったよ」
全然電話こねえ、という一言に、電話が来ないことを気にしていたことがわかり、少し嬉しくなる。
「普段、あんまり電話しないので。なんか、構えちゃって・・ご飯、いついきますか」
「あ、ちょっとまって」
砂利の上を歩いているような足音が聞こえるのに加えて、先程まで後ろで聞こえていた話し声やトラックの音が、遠ざかっていくのがわかる。まだ仕事中だったのだろうか。
「いまね、仕事終わったとこ。これから帰るとこなんだわ。飯はさ、日曜でもいい? 俺、今の時期日曜しか休みなくて。平日はさ、昼は時間ねえし仕事直後も汗臭えし」
「じゃあ・・今度の日曜とか、どうでしょう」
「いいよ。どこにする?」
「じゃあ・・・渋谷に十一時で」
「オッケー。じゃ、あと少しだけ片付け残ってるから戻るわ。日曜な」
こざっぱりと、まるで友人と話すような気軽さの森本さんとの会話は終わった。私は全身の力が抜け、その場に突っ伏して息を吐いた。
急におかしな動きをしたので、周りの席から視線を感じる。・・おそらく変人だと思われているのだろう。
(なんか、デートみたい。・・て、デートなのか)
頬に手を当てて、自分の顔が熱を持っていることを確かめる。
(思えば、二十代のあの人のことは、私知らないのよね。出会ったのは、四十代に差し掛かるギリギリの頃だったから)
電話をすることが目的になっていて、大事なことを忘れていることに気がついた。
(ふ・・服! 服どうしよう・・・・。うわわ、デートに使えそうな服なんて、持ってない)
焦って立ち上がって、ほとんど飲んでいなかったコーヒーをこぼしてしまった。それを見つけた店員さんが、焦って飛んでくる。
「あ・・すみません!」
(・・昔の記憶が戻ろうとも、デートっていうものはやっぱりドキドキするものね)
自分で自分に困った顔をしてため息をつきつつ、テーブルを片付ける店員さんを手伝った。
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