第11話 面影

 今日は、俺の会社員人生の最終日だ。


 最終的に部長職までいただき、各部門と密接に関わりながら仕事をしてきた俺は、社内に知り合いも多く、挨拶回りにはかなりの時間を要した。


(車出勤にしてきてよかったな・・)


 お世話になった人たちへのお礼の気持ちとして、一人ひとりに小さなお菓子の詰め合わせを渡すため、いつもは電車通勤だったところ、今日は会社近くの時間貸し駐車場を借りて、車で出勤してきのだ。


 帰りは身軽になるかと思いきや、たくさんの花束やお菓子、記念品など、想像以上の貰い物をしてしまい、多量の紙袋を抱えて帰路につくことになった。


 送別会は始め、最終日当日で調整しようとしてくれていたのだが、諸事情により別日にしてもらった。


 会社が入居している、豪奢な現代アートが掲げられたオフィスビルのエントランスを出て、高層ビルを下から見上げる。東京の一等地に立つこのビルは、下から見上げるとまるで天まで伸びているかのように見える。


 転職組なので、新卒から勤め上げてうん十年というわけではないが、十年ほどこのビルにはお世話になった。


 定年を延長することもできたが、老後は家族でのんびり暮らしたいという気持ちがあり、六十五歳でこの会社とはお別れをすることにした。


 花束を抱え、会社から五分ほど離れた時間貸し駐車場に向かう。――すると俺の車から少し離れたところで、必死になって自分の服のあらゆるポケットを確認している、土木作業員らしき男が目に入った。


 顔は血の気が引いていて、明らかに何か非常事態が起こっているようだった。


 自分もこれから約束がある身なので、他人にかまっている暇はなかったのだが、困っている人を放って行くのは気が引ける。


「どうか、したんですか」


 ニッカポッカのポケットに両手を突っ込んでいた男が、俺の声にハッとして、顔をこちらに向けた。


 年の頃で言うと、おそらく二十五、六といったところだろうか。クリクリとした大きな瞳をしていて、人懐っこい雰囲気のある男だ。


「あ・・ちょっと、車の鍵、落としちゃったみたいで・・・。実は・・妻が産気づいたって連絡があって・・・急いでるんスけど、困った・・」


 頭を掻きながら、どうしたらいいかわからず呆然としているようだ。


「病院はどこですか。もしよかったら送りますよ」


「ほ・・・ホントですか! ・・ありがてえ。申し訳ないけど、お願いします。ちょっと遠いんスけど、里山産婦人科医院っていう、西葛西の方の病院です」


「・・・わかりました。乗ってください。ちょっと荷物が多いんで、助手席に乗ってくださいね」


 西葛西の方なら、高速を使えば往復しても一時間かかるかかからないくらいだ。行きだけになってもいいかと確認し、良いと言うので、カバンや荷物をすべて後部座席とトランクに詰め込み、彼の座る場所をあけた。


「すごい荷物っすね。もしかして、今日仕事収めとか?」


「そうなんです。定年でね。思いがけずたくさん物をもらってしまって。ありがたいことです」


 彼はソワソワしながらも、なにか会話をしなければと気遣いしてくれているのがわかる。


 年は若いし、髪の毛も金髪でチャラチャラしたやつなのかと思いきや、話しやすく、礼儀正しく、好印象を持てる青年だった。


「もしかして、今日送別会とかだったんじゃないんスか? ・・ホント、すみません・・・」


「いえいえ、今日はね、個人的に予定があって、送別会は別日にしてもらったんです。予定の方も、ちょっと早めに出れたので、病院寄ってもそんなに遅れずに着けますから、大丈夫ですよ」


「ありがとうございます・・」


「今は、奥さんの出産に間に合うように、ちょっとでも早く病院につくことだけ考えましょう。私のことは、心配しなくていいですから」


 その後も何度も何度も、彼は俺にお礼を言った。「森本」と名乗った彼は、うちの会社の近くの建設現場で働いているらしい。


「お子さんは、男の子? 女の子? もうどっちか、わかってるんですか」


「男っス。俺ね、こう見えて、子ども好きなんスよ。近所の子どもたちともよく遊んでやってて。息子が大きくなったら、一緒にサッカーするのが夢なんですよ。・・って、気ぃ早すぎっすよね」


 照れくさそうに笑う彼の横顔を、信号待ちの間にちらりと見た。


 先程から思っていたが、森本さんの話し方や仕草、その所々に、誰かの面影が重なって見える。


――ふと思い立ち、唐突すぎることは重々承知で、俺は森本さんに質問を投げかけた。


「あの・・森本さんにとって、幸せってどんなものですか。・・ほら、お金があって贅沢できたら幸せ、とか、趣味に没頭しているときが一番幸せ、とか、人によって色々あるとは思うんですけど」


 俺は正面を向いたまま、森本さんの返答を待った。


 彼は、腕を組み、首を捻りながら唸り、しばらく考え込んでいたが、答えが出たのか、運転中の私の横顔に向けて、口を開いた。


「俺ね、家族が一番大事で、大好きなんスよね。確かにお金持ちになって、遊んで暮らせたらいいなーとは思いますけど、なんつーか、それってなんか虚しい気がして。


 みんなで一緒に飯食って、他愛ない話しして、たまにどこかに出かけたり、家族のために仕事頑張ったり。何気ない毎日が、俺にとっての幸せって感じがするんスよ。


 あとは、そうだなー。仲いい友達と、バカやって騒いでるときも幸せかなあ。ってこれ、答えになってますかね」


「うん・・・答えになってますよ。十分。・・・そうか、そうだよねえ」


「まあ、お金持ちになれたら嬉しいのは確かなんで、宝くじは毎月一枚だけ買いますけどね!」


 冗談めかしながら、そう言って無邪気に笑う森本さんの表情は、まさに「あの人」そのものだった。


(――ああ、そうか、もう亡くなって三十年近く経つもんなぁ。「生まれ変わり」がもしも現実にあるのならば――彼くらいの年になっていてもおかしくないのか)


 馬鹿げた考えであることはわかっているが、そう信じたい自分が居た。


 俺たちに幸せを譲渡して、自分の幸せを使い切ってしまった父親が、今は新しい家族に囲まれて、幸せに暮らしていると。


 代々住み着いていた猫が、「幸せを譲る力」なんてものを持ってたくらいなんだから、「生まれ変わり」ぐらいあってもおかしくないだろう。


「森本さんは、今、幸せですか」


 目的の病院につき、駐車場に車を停めた。森本さんは俺のこの問いかけに、満面の笑みで答えた。


「そうですねぇ。息子が無事生まれてくれたら、サイッコーに幸せなのは間違いないッスね」


「じゃあ、急がないとですね。ちなみに、名前はもう決まってるんですか」


 シートベルトを外し、ポシェットを腰に装着し直していた森本さんは、忘れ物が無いかを確認しながら、まもなくこの世に産み落とされるであろう、息子の名前を教えてくれた。――その名前を聞いて――俺は不覚にも、涙を流していた。


「え・・! 鈴木さん、どうしたんすか? どっか悪いんですか」


「・・いえ・・私のことは良いから、早くいって。奥さんのそばにいってあげてください。・・『祐也くん』も、待ってますよ」


「すんません、今日は本当にありがとうございました!この御礼は、また後日」


 そう言って森本さんは、俺に自分の名刺を手渡していった。



 病院の入口に駆け足で向かうその後姿には、設備会社の作業着を来て、猫背で、がに股で、でかい水筒を持って歩く、親父の姿が重なった。




 新しい人生を歩む「親父」の後ろ姿を見送ったあと、俺はスマホをポケットから取り出し、電話をかけた。


「・・ああ、七海。ちょっと色々あって、三十分だけ遅くなりそうだ。ごめんなあ、結婚記念日なのに。急いで行くからな。・・・今日は、お前に、たくさん話したいことがあるんだ。・・・うん、また後で・・・」


 車に背中を預けたまま、森本さんが駆けていった方角を見守り、しばらく余韻に浸った後、俺は七海のもとへ向けて、車を走らせた。


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