第10話 お前、水を飲むの下手だったのか?
「信じられねえな。魔法を見たことがねえ人間なんていることが。」
「だが、嘘を言っているようには見えない。彼はきっと、今日初めて魔法を見たんだ。」
「あ、じゃあ、あの変な儀式みたいな陣は?」
「それは魔法陣のことだろう。魔力は万人が持つものだが、魔法を使うためにはそれとは別に個々人の素質が必要だ。魔法陣は魔法を使う時の補助の役割をするから、素質のない一般人でも魔法を使えるようになるし、高度な魔法を使う時は魔法士も利用する。」
「じゃあ、僕がここに移動させられたのも…?」
「転移魔法っつうのがある。物や人を瞬時に移動させる魔法だ。その女が魔法陣を使ってお前を飛ばしたんだ。」
「だが、転移魔法は確か、固有魔法で…。」
「だから、そいつが人に知られないように持っていたんだろう?で、小僧を何かに利用するために人攫いに使ったっていう事じゃねえか。」
「さ、攫うって…。」
エーサクの顔が青ざめた。その心中を察したカナリアは、無理もない、と思う。
魔法を見たことがないという少年。そんな彼にとって、魔法士に振り回されるような状況は恐怖だったに違いない。
何も知らなければ、夢だと思ってやり過ごせたかもしれない。だが、真実を知ってしまえば、血の気が引くような思いになるのも当然だ。
「安心しろ。私は君をどうこうしようという気はない。むしろ、君が元いたところに帰れるよう、助けてあげようとさえ思っている。」
穏やかな笑みを浮かべ、カナリアはエーサクの目をまっすぐ覗き込んだ。
不安に揺らぐ少年の目は、カナリアの視線を受けて落ち着きを取り戻していく。
「あ…はい。ありがとうございます。」
「しかし、そうなるとやはり、エーサクがどこから来たのかが問題だな。せめてそれがわかればいいのだが。」
「本当に知りませんか?僕の国の名前。」
「む…。申し訳ないがな。」
しかし、話が前に進むことがない。今度は眉間に皺を寄せて見つめ合う二人。
と、その時。
「くっくっく。お困りのようだな、お二人さん。」
ドクロンがにやにやと笑みを浮かべながら口を開いた。
「なんだその気持ち悪い顔は。」
「くくくく。まあ、聞けって。心当たりがあんだよ。俺様には。」
「何?」
自信ありげに言うドクロンに対し、カナリアはあからさまな懐疑の視線を注いだ。
「私でもわからなかったのに、なんでお前がわかるんだ。」
「お前は頭が固えからな。その点、俺様は柔軟な発想ができんだよ。」
「言ってくれるな。水晶頭のくせに。」
カナリアは端からドクロンの言うことを相手にしていないかのよう。自分の目の前にあったコップに水を注ぎ、口をつけた。
「そこまで言うなら聞かせてもらおうか。お前の考えを。」
「…イセカイだよ。」
「は?」
「その小僧はイセカイから来たんだ。お前も知っているだろ?『イセカイ旅行記』の話は。」
「ん、んな、げほ、げほ!」
その瞬間、カナリアは口に含んだ水を噴き出しそうになるのをこらえ、その拍子にむせてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「なんだ、どうしたんだ。お前、水を飲むの下手だったのか?」
「そんなわけあるか!お前が変なことを言うからだろ!」
カナリアは息を整えつつ、ドクロンを睨む。
「それはお伽噺だろ!何言っているんだ。」
「お前こそ何を言っている。聞き慣れない土地の名前、転移魔法、そして魔法を初めて見たという人間…。全てがあのお伽噺の通りだ。検討の余地がある。」
「空気を読め。もっと真面目に考えろ。」
「俺様はいたって真面目だぞ。」
「嘘つけ。また私を…。」
「あの、カナリアさん。イセカイって今、言ってましたよね。」
「え?ああ…。」
急に、エーサクが口を挟んできた。あまりにも意外なタイミング。イセカイという、お伽噺の代物のどこに食いついたのかと思えば、
「それは、僕の国の言葉です。こことは違う世界っていう意味ですよね。」
「え…。」
予想外の言葉が、彼の口から飛びだしてきた。
カナリアはまじまじとエーサクの顔を見つめる。その顔は、先ほどまでのおどおどとしたものでも不安そうなものでもない。
暗い洞窟の中をさまよっていた者が、ようやく太陽の光を見つけたかのよう。一縷の希望にすがろうとする表情が浮かんでいた。
「お願いします。お話しいただけませんか、イセカイの事について。」
「え?いや、それは…。」
「しょうがねえな、俺が話してやるよ。お前は使い物にならなそうだからな。」
ドクロンの声はいかにも楽しそうだ。にやにやとした笑いがさらに深くなったようにも見える。
「ひっひっひっひ。だから、言ったろう?俺様はどんな可能性も捨てず、柔軟な発想で物事を俯瞰しているんだよ。」
「はあ、もうわかったから。早く話してやれ。」
カナリアは渋い表情を浮かべた。大きなため息をついたその顔は、酔っ払いの戯言を何度も聞かされる人間を思わせる。
一方のドクロンは勝ち誇ったように彼女を一瞥し、悠々と口を開いた。
「昔々、この国のとある場所に魔法士の男がいた。優れた転移魔法使いのその男は、自分の限界を試してどこまで転移できるのかを研究していた。するとある日、この世界の外、次元の異なる世界に迷い込んでしまったんだとよ。」
「魔法が存在しないその世界の主なエネルギー源は、電気と地中から産出される油。魔法の代わりに科学が発達していて、二つのエネルギーを組み合わせることで、魔法を使わなくとも便利な生活が出来るという。その世界で一年間過ごした男はこちら側に戻り、見聞きした事をまとめた本を書き上げた。それが、童話『イセカイ旅行記』だ。」
自分の語った話の余韻に浸るかのように、ドクロンは締めくくった。
「まあ、詳細は割愛するが、大筋はこんなもんだな。」
「どうだ?エーサク。これはこの国に広く知られるお伽噺だ。君に心当たりはあるか?」
「そうですね…。電気と石油を組み合わせて便利な生活をしているって、僕の生きてきた国、というか世界の話をされている気がしましたけど。」
「ほら見ろ、やっぱりだ。こいつはイセカイの人間なんだよ。」
「いや…。だが、私はとても信じられない。君がイセカイから来たという証拠はないのか?」
「そう言われましても…。」
「なら、ちょうどいいクイズがあるぞ。カナリア。」
ドクロンの声は相変わらず、とても生き生きとしている。悩む二人を差し置いて、明るく話を切り出した。
「なんだ?その、クイズというのは。」
「この世界の人間とイセカイの人間との違いが明らかになるクイズだ。『イセカイ旅行記』に載ってたやつがあるんだよ。やってみねえか?」
「お前がやりたいだけだろう、それは。」
「きひひひ。まあいいじゃねえか。なあ、小僧もいいだろう?」
「そうですね。僕は構わないですけど。」
「ほらほら、カナリアはどうする?」
「わかったから、好きにしろ。」
カナリアは諦めたように肩をすくめた。エーサクも心得たように、ドクロンに向かって頷く。
「よし、じゃあ始めるぞ。」
そして、ドクロンは楽しそうにクイズを始めた。
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