第8話 じゃあ、なんでそんなに呑気な態度なんですか。

「そこでおとなしくしていろ。」

 がしゃんと重い音が鳴り、鉄格子が閉められる。


 ―なんか、予想していたことではあったけど…。

 エーサクが入れられた部屋、それは小さな牢屋だった。

 周りはごつごつした石壁に囲まれ、目の前に見えるのは鉄格子のみ。途中、長い階段を下りていったから、ここはおそらく地下だ。


「夢なら覚めてくれ…。」

 ろうそくの頼りない明かりだけが、牢の中をわずかに照らす。自分の情けない声は、その光が届かない、闇の向こうへと消えていった。


 それからどれくらい経っただろうか。ろうそくの光も消え、完全な闇が訪れ、それからさらに経った頃。


 カツカツカツ


 自分の手の位置さえわからない真っ暗闇の中で、エーサクは誰かが歩いてくる足音を聞いた。


 ―誰か来る。

 通路のずっと先にぽつりと浮かぶ光が見える。その光は段々大きくなり、こちらの方へと近づいてくる。


「あ、あなたは…。」

「どうも~。」


 先ほどの女性が、にこやかに手を振りながら、通路を歩いてきた。もう片方の手にはランタンが提げられ、辺りをぼんやり照らしている。


「いや~災難でしたね。こんな事態になるなんて。」

「ええ、はい…。あの~、僕はどうしてここに入れられているんですか?」

「申し訳ありませんが、それを説明している暇はないですね。」

 じゃあ、なんでそんなに呑気な態度なんですか。

 という言葉が喉から出かかるが、エーサクはぐっとこらえた。


「まあまあ、そんな顔をしないで。ちょっと待っててくださいよ。」

 そう言うや、女性は鉄格子を構成する鉄棒の一つに両手をかける。そのまま真横に体重をかけ、引っ張り始めた。


「ふっ…!」

「え、ちょっと何しているんですか。」

 その姿はまるで鉄格子を外そうとしているかのよう。だが、鉄格子は一本一本がしっかりと地面にはまっており、見るからに頑丈なのだ。


 鉄と素手が摩擦する鈍い音が通路に響く。かなりの力を込めていることはわかるが、やはり鉄格子はびくともしていない。

「そんなことしても無駄だと思うんですけど。」

「ふっ…ぬぬぬぬぬ!」


 いきなりの奇行に、エーサクは戸惑いを隠せない。どう見ても体力の無駄だし、女性の出す物音のせいで誰かに見つかる恐れもある。せめてもう少し声を抑えられないものか。

 見ているだけでハラハラしてくる。しかも、何度も止めようとしているのだが、聞く耳を持ってくれない。


「いい加減に…あれ?」

 その時、エーサクは変化に気づいた。

 綱引きのような体勢で力を目一杯込めている女性。その体が、先ほどよりも傾いている。


 そして、彼女が掴む鉄棒全体が震えだし…明らかな歪みが生じ始めた。

「はあああああ…!」

「え!?」

 一度変化が起きると、みるみる歪みが大きくなる。まるで針金を折り曲げるかのように、鉄格子は女性が引っ張った方向に向かってひしゃげてしまった。


 元の姿とはかけ離れた鉄棒を見て、女性は満足げに一息ついた。

「ふう…じゃあ、こっちも。」

 女性はすぐに隣の鉄棒に手をかける。そのまま先ほど同様、鉄棒をひしゃげさせる。

 エーサクが見とれている間に、鉄格子の中にぽっかりと人が一人分通り抜けられそうなスペースができてしまった。


「すごいですね。こんなことができるなんて。」

「はっはっは。これくらいお安いご用というもの。さあ、ここから逃げ出しますよ!」

「はい!じゃあ、さっそく…。」

「あーちょっと待ってください。そっちは行けないんですよ。」

「え?」


 エーサクは鉄格子の穴を通り抜けようとするが、女性は両手を突き出し、彼を押しとどめる。

 のみならず、女性の方が牢の中に入ってきた。


「なんで行けないんですか?」

「実は、外にはグレイストン様の兵士がたくさん見張りについているので、通路からは逃げられないんですよ。」

「じゃあ、意味ないじゃないですか!」

「慌てない、慌てない。だから、第二の逃げ道を用意したのですよ。」


 第二の逃げ道?

 首を捻るエーサクを差し置いて、女性は懐から何かを取り出した。


「これを使えば、見張りの兵士を避けて、ここから脱出することができるのです。」

 女性が手に持ったそれは、折りたたまれた紙片。広げてみると、一辺の長さがエーサクの片腕ほどもある大きな正方形が現れた。


 中心に描かれているのは円と直線が組み合わされた幾何学模様。先ほどの広い部屋で見たものを思い出す。

 その正方形を地面に広げ、女性は自分の両手をその上に乗せた。


「さあ、どうぞこの魔法陣の上に乗ってください。」

「は?」

「もう準備は出来ています。あとはあなたがこの上に乗るだけです。」

「え?何言ってるんですか?」

「時間がないと言ったでしょう!さあ、早く!」

「ええ~?」


 そんな事をして何になるというのか。不審に思いつつも、エーサクは恐る恐る紙の上に足を踏み入れ、幾何学模様の真ん中に立った。


「これであなたを安全な場所まで転移させます。そこに私の仲間がいますので、彼を頼ってください。」

 女性がそう言った瞬間、幾何学模様がぼんやりと光を発し始める。幾何学模様の輝きはどんどん強くなっていき、やがて、

「うわわわ!?」

 エーサクの身に、体がふわりと浮き上がる感覚が訪れる。眩い光が、目の前を覆い尽くした。


 あの時と同じだ。ここに突然飛ばされたときと同じ事が起きている。

 一際強い光がエーサクを襲い、目をくらませる。そして再び目を開けたときには、周りの景色が移り変わっていた。


「すごい…いつの間に。」

 息苦しい室内から、解放された外へ。

 ひんやりした空気が肌を撫でる。足を踏み出すと、草を踏みしめる感触が足下から返ってくる。


 まるで魔法のよう。見事に牢から脱することができた。しかし、

「ここが、安全な場所なの?」

 辺りを歩いてみても、鬱蒼と生い茂る木々しか見当たらない。明らかに森の中だ。ここのどこが安全だというのだろうか。

「…あれ、話し声?」


 ところが、耳を澄ましてみると、風が木々を揺らす音に紛れて微かに人の話し声が聞こえてくる。

「向こうに人がいるのかな。」

 笑い声も混ざっている。さっきの女性の仲間たちということだろうか。エーサクはその方向を目指し、歩きだした。


 やがて木々が開け、広々とした広場が現れる。広場の端には木を組み合わせた可愛らしい家が建っており、その前には数人の男達がたむろっている。

 彼らがあの女性の仲間たち…なのだろうか?

「あのー、すみません。お尋ねしたいことがあるのですが。」

「ああ?なんだ、お前?」

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