第7話 すみません。状況を説明して欲しいのですが…。

 エーサクの記憶で、一番初めの発端とも言えるようなものは、白く眩い光で視界が覆い尽くされたときのこと。

「うわっ!」

 網膜を焼く光はあまりに強く、目を閉じているのか、閉じていないのかがわからないほどだった。


 だが、予期せぬ出来事はそれで終わらない。

 ―あれ。これって危ないんじゃ…。


 今まで足下にあったはずの重力が、いつの間にか背中の方を引き寄せていた。初めはゆっくりと、徐々に速度を上げて落下していくのが肌の感覚でわかる。


 受け身を取る暇も、体勢を整える余裕もないままに、数秒後、

「あ!があっ!…い、ててて…。」

 危惧していた結果が訪れた。


 固い床に、勢いよく背中と後頭部を叩きつけられたのだ。息が詰まるほどの、鈍い痛みが走る。しばらくの間、うずくまったまま、身もだえるほかなかった。


「いっててて…え?ここは、どこ?」

 ようやく全身を襲う激痛に慣れ、周りの景色に目を配ると、そこはエーサクの知らない部屋の中。


 四方を囲う、白い壁。広い室内には彼の周りを取り囲むようにして、十数人の人間が佇んでいる。

 そして、その全ての人間が自分をじっと見つめ、驚愕の表情を作っていた。


「え?何が起こって…?」

 自分の立つ床に描かれた幾何学模様も異質だ。まるで悪魔か何かを呼び出す儀式をしているかのよう。

 じゃあ、その中心に立つ自分はなんなのだ。自分は悪魔だったのか。いや、そんなわけがない。


 疑問が頭の中を埋め尽くす。かといって、自分の身に起きたことを誰に尋ねればいいのかもわからない。

 途方にくれたまま立ちすくんだ、その時。


 ぱちぱちぱち


 両手を打ち鳴らす、拍手の音が響き渡る。

「え?」

 拍手をしているのは、分厚い眼鏡をかけた妙齢の女性。くたびれた白衣とぼさぼさの黒髪が、全体的に暗い印象を与えている。


「����!����!」

 だが、表情を輝かせる今の姿は、その暗い印象を覆してあまりあるほど。曇天に差し込んだ眩い陽光のような笑みを浮かべ、エーサクの元へゆっくりと近づいてくる。


「�����!�������!」

「うわ、わ、わ!」

 戸惑うエーサクに構わず、女性は彼の両手を取ってぶんぶんと振りまわし始めた。言っていることはわからないが、喜んでいることは確かのようである。


「��������������!����������!」

「��������!」

 女性の後ろには、二人の男女が控えていた。彼らも女性に続いて喜びの声をあげていたが、当然と言うべきか、何を言っているかはわからない。

 まるで外国の会話の中に突如放り出されてしまったかのよう。居心地の悪さに耐えかねて、エーサクは口を開いた。


「すみません。ここってどこですか?」

「「「???」」」

 すると、劇的な変化が起こった。三人は急に声を発するのを止め、きょとんと呆けてしまったのだ。


 あまりにも急に歓声が止んだので、時が止まってしまったかと思ったほどである。

「もしかして、言葉が通じていないんですか?」

 エーサクの問いに答えることもなく、女性は後ろの男女とこそこそと会話を始める。


 ―参ったな。やっぱりここは外国か?

 何かの間違いで外国に迷い込んでしまったのだろうか。いや、間違いがあったとしても、そんなことが起きるはずはないのだが。


 とにかく、この状況をどう対処するべきか。冷や汗を流しつつ、エーサクが頭を捻り始めた時、

「え?」

 ものすごい勢いで、女性がこちらの方を振り返ってきた。


 その上、ただでさえ近い距離にいるのに、じりじりとさらにこちらへと近づいてくる。


「え?」

 思わず、後ずさる。女性に浮かぶ表情は笑顔とはいえ、いや、笑顔だからこそこちらのパーソナルスペースを易々と侵害してくるのが、不気味に過ぎる。


「え?」

 だが、エーサクの抵抗も虚しく、女性に捉えられてしまう。彼のすぐ目の前にまで迫ってきた女性は、彼の頭を両手で包み込んだ。


「え?ちょ、ちょっと…。」

「����������。」


 そして次の瞬間、何を思ったのか、女性はエーサクの額を引き寄せ自分の額と合わせてきた。


「うわ!?」

 いきなり間近に迫る、女性の顔。まつげの本数まで数えられる距離だ。動揺したエーサクは慌てて頭を離そうとするものの、女性はしっかりと彼の頭を抑えこんでいる。


「わ、わ、わ…。」

 口から出てくる言葉は、我ながら意味不明なものばかり。背中からだらだらと汗が流れ、心臓は狂ったように鼓動を打ち鳴らす。

 がっちりと密着した女性が手を離してくれたのは、それから一分後のこと。ただしその間、彼の体感時間では何十分もの長さに感じられた。


「な、何するんですか!」

 さすがに、もう自分は気絶してしまうんじゃないかと思った。相手に意味が通じなくとも、抗議をしなくては気が収まらない。


 そう思ったエーサクは女性から距離を取り、彼女のにやにや笑いをできる限り強く睨みつけたのだが、

「これで、どうですか?私の言うことがわかりますか?」

 そのエーサクの耳に、女性の澄んだ声が響いた。


「え…?は、はい!」

 急に相手の言っている言葉の意味がわかるようになった。相変わらずの外国語なのに、頭の中にその意味がわきあがってくる。

 これはこれで不思議なことだが、そんなことを気にしている場合ではない。エーサクは状況を把握するため、再び女性との会話を試みた。


「一体何が起きているんですか?」

「ご安心を!私はあなたの味方ですよ!」

 てんで見当違いの回答が返ってきた。


 自分の聞き方が間違っていたのだろうかとも思ったのだが、

「すみません。状況を説明して欲しいのですが…。」

「ふふふ。簡単なことです。私の研究が成功したというだけなのですから。」

「ですから、それはどういう意味なのでしょうか?」

「そんなに戸惑う必要はありませんよ。あなたの身は、私が責任を持って面倒を見ます。不安に思うことなど、全くありません。」

「あの、僕の質問に答えて欲しいのですが…。」

「さあ!私の研究はここからが始まりですよ!」

「ええ~…。」


 ここまで来たら、間違いない。この女性に聞いても何も意味のある答えは返ってこない。

 困った事になった。あんまりな状況に、急速な脱力感がエーサクの全身を包む。これでは自分の身に何が起きたのか、全くわからないではないか。


 新たな問題に頭を抱えそうになるが、ふと、彼女の後ろには自分のことを心配そうに眺める男女がいることに気づく。

 目の前の女性は、さっき、この男女に話しかけていた。ということは、彼女の次に事情に通じているのはこの二人という事にならないだろうか。根拠は薄いが、他に頼れそうな人もいない。


 ―よし。

 意を決して、エーサクは話しかけることにした。

「あの~、ちょっといいでしょうか。」


 その時だった。

「そいつを捕えろ!」

 部屋中に野太い声が響き渡った。はっとしてその方向に目を向けると、周りを屈強な男たちに囲まれた太った老人が立っている。

 ギラギラした目つきがエーサクを睨みつける。その上、老人の指はほかならぬ自分へと向けられている。


「え?今、なんて…。」

「そいつはわしのものだ!即刻引っ捕らえろ!」

「はっ!」

 どたばたと駆け出してくる男たち。エーサクはあっという間に男たちによって捕まえられ、両手を背中側に捻られてしまった。


「痛い痛い痛い!なんなんですか!」

「おとなしくしろ!」


 こっちは何が起こっているのか把握すらしていないというのに、向こうはためらいなくこちらを取り押さえてくる。力任せに拘束され、そのまま無理矢理歩かされた。


「ちょっと!私の研究成果に何をするんですか!」

「グレイストン様の命令だ!控えろ!」

「そんな!?グレイストン様!?」

「黙れ!お前の研究はわしが援助してやったんだ!この小僧はわしのものだ!」

 抵抗も出来ぬまま引きずられて行く途中、先ほどの女性と老人が言い争う声が聞こえてくる。


 ―ああ、なんでこんなことに。

 嘆いても聞き入れてくれる者はなく、うかつに声を発しようものなら、殴られるような気がする。

 非力なエーサクは広い建物の中をあちらへこちらへと引きずり回され、やがてある部屋の中へと連れて行かれた。

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