第48話 45th lesson 結局は、こうして仕事を辞めてしまったわけだが、まだ彼女の家庭教師として俺は『先生』を続けていく。



「それでは、この度はお忙しい中お時間をいただきまして、誠にありがとうございました」


 パソコンの画面に向かって頭を下げる。

 こうして非対面でも、顔を合わせてやり取りができるようになるとは……

 今更こんなことを言うとまるで原始人のようだが、科学技術の進歩には本当に驚かされる。


「しかし、あの『共栄』さんもここ数年は色々苦戦していたとは…… まぁ、うちに相談を持ちかけて来たってことはなんかあるんだろうとは思ったけど。お陰でうちの教材を使ってくれることになったのはラッキーだったってことなのかね……」


 Webミーティングを終えて、俺は付けていたヘッドセットマイクを外す。

 先方とのやりとりを簡易的に記録したメモファイルに日付と面談相手の名前を記載して保存した。


「ずいぶん盛り上がっていたね。教材も売り込めたみたいだし」


 俺がミーティングを終えるのを待っていたのだろうか。

 新名さんは見計ったように、部屋のドアを開けて俺に話しかけてきた。


「ええ、なんか仕事とは全然関係のない話で盛り上がっちゃいました…… まさか、先方の悩み相談になるとは思わなかったですけど」

「本当に君のああ言うところは流石としか言えないな。もう才能だよね」

「なんですか、それ?」

「一回の面談で相手のパーソナルデータを引き出すくらいに信頼を得ちゃうところだよ。普通は出来ない。もしかして君は『聞き上手』、いや『聞き達人』ってユニークスキルでも持ってるんじゃない?」

「なんですかその『聞き達人』って……」


 最近、新名さんはオンラインゲームにハマっているらしい。

 その為かそのゲーム特有の用語を使って話すことが多くなった。

 まぁ、そこまで専門的な言葉ではないので、問題なくやり取りはできるのだが。


「まずは雑談を交えて緊張感や警戒を解く…… 俺はなんですけどね」

「へぇ〜、その上司はすごく優秀な人だったみたいだね! 是非これからもそれを参考に頑張ってよ」


 俺の言う『信頼できる上司達』には、新名さんも含まれているのだが……

 物言いからして、それを分かった上であんなことを言っているのだろう。


「それで? 俺に何か御用でしょうか、

「え? あぁ、うん。次の配信動画のことなんだけどね……」


 それからしばらくは、新名さんと諸々の打ち合わせをした。

 スタッフが俺と新名さんの二人しかいない、新進気鋭の教材作成企業が今の俺の職場だ。

 この一ヶ月でそこそこの業績を上げてはいるが、まだ会社を立ち上げたばかり。

 なので色々手探りな部分が多かった。



「……教材作成会社ですか?」


 指定された住所に立つタワーマンションの部屋へとやって来た俺に、新名さんは『新しい仕事』の話を始めた。

 荷解きもそこそこに、その話を聞かされた俺の反応がこの間の抜けた言葉だ。


「これから数年は対面授業形式は不安定になるだろうからね。教材の作成と提供にサービスを絞れば、これまでの経験も活かせる。流動的に変化する学校の授業内容に合わせて創意工夫を続けてきたからね。きっと色んなニーズに合わせて教材を作成出来るでしょ? 何より授業に追われていた時間を丸々別の作業に回せるし、結構うまく行くと思うんだよ」


 未だ収束の目途が立たない世界的混乱の影響は、少なからず塾業界にも影響を及ぼしている。

 教室に生徒を集めての授業を行う以外にも、映像を介して生徒に指導を行うオンライン授業を取り入れる塾も増えてきた。

 確かに『授業』という形のないものを商品に商売をするより、これからしばらくはそう言った形の決まったものを扱った方がいいのかも知れない。

 新名さんの言葉に思わず頷く俺の後ろでは、春日が段ボールから荷物を出して割り振られた部屋へと運んでいた。


 それを横目に俺は、新名さんから差し出された書類を見てため息をついた。

 感嘆のため息というやつだ。


「これ、かなり前から準備してました?」

「まあね。こんなに早く現実になるとは思っていなかったけど……」


 俺の質問に苦笑いを浮かべる新名さん。

 差し出された書類たちを見る限り、目立った問題点は見つけられなかった。

 というか、新名さんの言葉通り未来が資料を見ただけの俺にもちゃんと見えていた。

 見本として用意されている教材もよく出来ている。

 基礎の問題から小さなステップで難易度が上がる作り。各種教科書に合わせて用意された応用問題。定期テスト予想問題も充実している。

 これをベースにある程度ニーズに合わせて調整もされると言うのだ。

 仮に、俺がこの見本を見せられたなら、間違いなく発注を決めるだろう。

 

「生徒に授業しないのは少し物足りなさも感じますけど、これを見て『NO』って言う程、俺は愚かじゃないですよ……」

「君にそう言って貰えるのは嬉しいな。勿論長年温めてきた渾身の計画だけど、他ではない君からのその評価は自信になるよ」


 素直な感想を伝えたら、新名さんが思いの外喜んでくれて驚く。

 俺なんかの評価がどこまで信頼に値するかは分からないが……


「けど、本当に俺なんかを雇って良いんですか? 自分で言うのもなんですけど、今の俺はこの辺りの地域でもかなり評判悪いですよ?」


 苦笑い混じりにそう言うと、新名さんは「あはは」と豪快に笑った。


「塾講師は講師の人柄を含めた『授業』が商品だ。だから、君と言う個人の問題がその商品の価値を左右した。でも、今度の会社の商品は教材だからね。評価の対象はその教材の良し悪しだ。君の評判なんて誰も気にしないよ」


 そして、ウインクしながら春日に向かってこう続けた。


「それに、その君の悪評もじきに収まる…… だよね? 春日さん」

「お任せあれ!」


 新名さんの言葉に元気よく答える春日。

 そんな春日に俺は一抹の不安を覚えた。


「『お任せあれ』って…… 無茶はするなよ?」

「あはは、それセンセが言っても説得力ないよね」

「ふむ、無茶の専売特許持ちだからな」


 釘を刺すつもりで言ったら、春日と新名さんに揃って笑われてしまう。

 しかし、その無茶を敢行した結果が今なのだ。言い返すことは出来なかった。


「とにかく、明日から仕事を始めるからそのつもりでいてくれると助かる。頼りにしているよ、冬月君?」

「分かりました。働くからには全力でやらせて貰いますよ。よろしくお願いします」


 こうして俺は新名さんが新たに立ち上げた教材制作会社で住み込みで働くことにしたのだ。



 俺への話を終えた新名さんにも手伝って貰って、俺と春日の荷解きもそれから数時間で何とか終わった。

 二人とも、元々私物が多くなかったというのも大きいだろう。


「それでは、今日は引っ越し祝いのパーティーだね。手伝ってくれている方達も一緒にご馳走をいただこう」


 丁度ひと段落というところで、新名さんがそう言ってその場に集まっていた全員の顔を見渡した。

 その言葉を受けて、すぐさま元気よく手をあげたは春日だ。


「それじゃ、アタシが腕によりをかけて美味しいご馳走を作ってあげましょう!」

「おいおい、引っ越しやら何なで今日は全然勉強できてないだろ? 気持ちは嬉しいが、今日は――」

「心配しなくても、センセの好きなメニューも作ってあげるから安心して!」

「いや、そうじゃなくて……」


 春日は『勉強をしろ』と言おうとする俺の言葉を遮って、楽しそうに笑いながら俺をからかう。

 があったので、そんな春日とのやり取りが随分と懐かしく感じられた。


「勉強はするから安心してよ。センセが身体を張って守ってくれたんだもん。アタシは絶対に志望校に合格してお父さんを見返すよ。アタシの為にも、応援してくれるセンセの為にもね」

「春日…… お前――」


 急に真面目な顔でそんなことを言いだすものだから、思わず戸惑ってしまう。

 すると、すぐにその顔を崩して、春日は悪戯っぽく笑った。


「あ…… でもセンセ、次のうちのお父さんと会うときは、ワンパン貰うくらいは覚悟して置いてね」

「ん? 何でそんな覚悟が必要なんだ?」

「それは…… まぁ、その内分かると思う。あはは……」


 何やら若干言いにくそうに笑う春日。


「その内分かるって…… そこはちゃんと説明しないとでしょ、瞳」


 その横で、やれやれと春日を諭してくれたのは御子柴さんだった。

 木下さんもうんうんと頷いていた。


「え? あ、いや…… だってさ、言いにくいじゃん?」

「言いにくいって…… あれだけ堂々と啖呵切っておいて今更でしょ」


 何やらゴニョゴニョとしている春日を見て、盛大に溜息を吐いたあとで、御子柴さんが口を開く。


「冬月先生。さっきのワンパンに関して私が代わりに説明をしますね。簡単に言うと、瞳のお父さんは冬月先生に対してご立腹なんですよ」

「ご立腹って…… 色々心当たりはあるけど、どうしてって言う理由は聞いてもいいのかな?」

「心当たりは多分それほど外れてないと思います。ただ、一番の原因は、ここでの共同生活を家族に申し出るにあたって、を耳にした彼女のお父さんに瞳が爆弾発言をしたことですね」

「『爆弾発言』?」

「ちょ、ちょっと秋良!」


 その言葉に嫌な予感がして聞き返す。

 それに顔を赤くして止めようとする春日を無視して、御子柴さんは言葉を続けた。


「瞳は冬月先生のことを色々聞いてきたお父さんに、『自分が世界一信頼している大事な人で、自分はいつか冬月先生のお嫁さんになりたいと思ってる』って言い切ったんですよ」

「わーっ! わーっ! わぁあぁーーーっ!!」


 真っ赤な顔をして、ワーワー騒ぐ春日。

 それを聞いて、新名さんは「ヒュー」っと口笛を吹いた。

 赤木は「あはは」と笑った。

 

「…………へ?」


 俺はと言えば、そんな御子柴さんの言葉にただきょとんとして春日を見つめることしか出来なかった。


「あ、ああああああれは、そのなんと言うか…… そう! 『ウニ言葉にカニ言葉』ってやつで……」

「春日、それは多分『売り言葉に買い言葉』だ。本来は『相手の暴言に対して、こちらも思わず暴言を返してしまう』とかそういう意味だ。お前の場合は、お父さんに色々言われて、思わず言ってしまった的な意味で使いたかったってところか?」

「そ、そうそう、それ。『売り言葉に買い言葉』ってやつ。センセの言う通り、お父さんがセンセのこと『ふしだらだ』とか、『そういうやつだと思ってた』とか色々言うから、なんか頭にカーって血が昇っちゃってね。思わずこう、色々言ってしまったというか…… その…… えっと…… あはは…… ごめん。殺して……」


 最初の内は真っ赤な顔で視線をあちらこちらさせながら話していたが、最終的には両手で顔を覆ってその場にしゃがみこんでしまう春日。

 しかし、俺は俺でそれどころではなかった。

 多分というか、間違いなく、俺の顔も春日に負けないくらいに真っ赤になっていることだろう。

 御子柴さんの発言を春日は全く否定しなかった。

 むしろ、その言葉に関して必死に言い訳をしていたのだ。

 つまり、は春日が本当に口にした言葉だったということだ。


『自分が世界一信頼している大事な人で、自分はいつか冬月先生のお嫁さんになりたいと思ってる』


 彼女の口から聞いたわけではない。

 だが、それは間違いなく、彼女が口にした俺への『愛の告白』に他ならない。

 正直、彼女からの好意は多少なりとも感じてはいた。

 でもそれは、身近な年上の異性への憧れとか、そういうものだろうと思っていた。

 いや、思い込んで無視して来ていた。

 しかし、そこまではっきりと言われてしまったら、もう俺も『鈍い男』を演じられなくなってしまっていた。


 顔が熱い。

 耳も頬も、風呂上がりのように火照っているのを感じる。

 

 俺は何か言うべきなのだろうか?

 彼女の口からではないとはいえ、あんな言葉を聞かされたのだ。

 何か返事を返すのが礼儀なのではないか?

 そんな考えが頭を巡るのに、どんな言葉を返すべきなのかが全く見つからなかった。

 考えがまとまらない。

 突然のことで、完全に頭が真っ白になってしまっていたから。

 いや、こうして色々考えているので『真っ白になった』と言うのは違うか……


 ふと、春日の方に目をやると、真っ赤な顔を両掌で覆いながら、その指の間から俺のことを見ていた。

 思わず目が合ってしまって、二人してそっぽを向いてしまう。


 そんな俺達を見て、御子柴さんがやれやれと何度目になるか分からない溜息をこぼした。


「お二人のお互いへの気持ちは、二人を除いたここにいる全員が察してます。だから、今更恥ずかしがる必要とかないんで…… せっかくですし、ここで改めてキチンと言葉にしておいたらどうですか?」


 言われて、俺が新名さんや赤木を見ると、その目が「彼女の言う通りですけど?」と言っていた。

 そして、そっと春日の方に視線を送ると、俺と同じような考えが見て取れる複雑な表情を浮かべて、真っ赤な顔でこちらを見ている。

 キチンと言葉にしておくべきと言われても…… そんな考えが頭に浮かぶ。

 でも、御子柴さんの言う通りだと思う自分も確かにいた。


「これから、ここで一緒に生活していくんですから。いろんなルールを決めたりする上でもそうですし、新名さんに変な気を遣わせないようにする為にも、ハッキリさせましょうよ」


 そんな俺達の葛藤を見透かしたように、御子柴さんが続ける。

 その言葉に、新名さんも木下さんもうんうんと頷いている。

 いや、しかし。

 こんなところで?

 そんな風に俺が思っていたら、春日は先に覚悟を決めたようだ。


「センセ!」

「お、おい。お前本気か!?」


 真っ赤な顔で、でも、何かを覚悟したような顔で俺の方を見つめて春日は俺の方に一歩踏み出した。


「アタシね、センセが――」


 そこから先は、まぁあれだ。

 『想像にお任せする』というやつだ。


 ……いや、流石にそれがまかり通らないこと位は俺も分かっているのだが、これについては、またキチンと機会を設けて語ろうと思う。


 とにかく、そんな感じで俺と春日、そして新名さんの三人で始めた新生活は混乱続きの毎日だった。


 立ち上げた会社の契約のことでごたついたりもした。

 俺への悪評をどうにかしようと春日が奮闘の結果、俺のある意味で大事なものを失う形でその評判を覆すことにも成功した。

 まぁ、その結果、俺は正式に春日のお父さんにきつい一発を食らったりもしたのだが……


 そんなこんなで、本当に色々あった一カ月だったのである。



「さて、そろそろ奥さんのご帰宅じゃないか?」

「いや、奥さんじゃないですから……」

「許嫁なんて、もう奥さんも一緒でしょう? ごめんね。私みたいなお邪魔虫がいなければ、気兼ねなくイチャコラ出来ただろうに……」

「イチャコラなんてしませんし、新名さんに対して今更気兼ねなんてしませんよ」

「いや、してるだろイチャコラ?」

「してませんよ…… え? してませんよね?」


 俺と新名さんがそんなやり取りをしていると、ガチャリと玄関の開く音がして噂の人物の声が響き渡る。


「ただいま、愛しい妻と書いて、愛妻のご帰宅ですよ!」


 俺の方を見て、新名さんが「ほら見たことか」という顔をする。


「いや、だから、妻じゃないだろ! 妻じゃ!!」


 そんな新名さんの横を溜息をこぼしつつ通り過ぎ、俺は帰って来たその人物にここ最近はもう日常になりつつあるツッコミを返した。


「あははっ! ただいま、センセ! それじゃあ今日も、勉強を教えてよ」

「はぁ~…… 分かったよ。それじゃあ、お前はまず制服を着替えて来い。そしたら数学から見てやるから」

「はぁ~い」


 気の抜けた返事をしながら、自分の部屋へと消える春日に俺はもう一度盛大に溜息をついた。

 あいつの受験まであと少し。

 しっかりと実力は付いたものの、未だ理系科目に不安が残る。

 ただ、不安には思っていなかった。

 あいつはやると決めたらやる奴だから。


「それじゃあ、私は明日の仕事の準備でもしているよ。必要なら声をかけてくれ」

「ええ、ありがとうございます」

「ふふふ…… では、ごゆっくり♪」


 何やら意味深な笑顔で去って行く新名さん。

 その背中を見送って、俺は大きく伸びをした。

 ここからは、俺のもう一つの仕事の時間だ。


 『今度こそ、もう辞めてやる』


 そう思って再会した彼女のお陰で、仕事に疲れた塾講の俺がJKの家庭教師をすることになった。

 結局は、こうして仕事を辞めてしまったわけだが、まだ彼女の家庭教師として俺は『先生』を続けていく。

 それが、彼女の志望校合格までになるのか、それともこの先も続いていくのかは分からない。

 けれど、なんにせよ。

 俺はまだもうしばらくは、こんな生活を続けていくことになりそうだ。



 続く――。

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