第41話 38th lesson 俺は、心の中でそう叫ばずにはいられなかった。
「ねぇ、センセ。最近ちょっとアタシの扱いが雑じゃない?」
「ん? 突然どうしたんだ?」
「質問に質問を返すの禁止!」
「あぁ、すまん」
いつものように朝食を食べていると、春日がそう言って頬を膨らませる。
しかし、扱いが雑だと言われても、俺は別に春日の扱いをこれまでと変えたりしていない。
至ってこれまで通りなのだ。何処をとってきて「雑だ」と言っているのか分からない。
「うーん…… いや、そう言われても心当たりがないんだが……」
「はぁ〜〜…… でしょうね」
俺の返答を受けて、春日は盛大に溜息をこぼす。
「センセに自覚がないから、アタシがこうして不満に思ってる訳だし」
やれやれと額に手を当てて首を左右に振ってから、春日は呆れたような顔をする。
「まず、最近何度も言ってるけどLINEのリアクションね。前はもう少しちゃんと返してくれてたよね?」
「いや、それは――」
「忙しいのは知ってる。体験生も増える時期だし、忙しくなると黒桐の面倒臭さは増すしで大変なんでしょ?」
春日は俺のしようとした言い訳を先読みしてそう言う。
もうすっかり、俺の考えるようなことは見透かされているらしい。
「ただね、そこは意識の問題だよ。頭の隅にでも『あいつから連絡来てないかな?』って考えがあれば、アタシからの連絡を何時間も放置しないと思う。そうでしょ?」
「……仰る通りだな」
「前は少しでも帰りが遅くなるときはちゃんと連絡くれてたのに……」
「すまん。これからはもう少しキチンと連絡をする様にするから」
「……もう、約束だからね?」
「おう」
春日の言葉を聞いて、確かに最近少し連絡周りはなぁなぁにしていた様に感じたので、そこはキチンと謝罪した。
春日との生活に慣れて、『まぁ連絡しなくても分かるだろう』と言う気持ちがあったのは間違いなかったからだ。
「あとはね、最近色々感想がない」
「『感想がない』?」
俺がオウム返しでそう問い返すと、春日はムッとした様な顔をする。
あぁ、そうだった。
質問に質問で返すのは禁止されていたのだった。
しかし、『感想がない』とはどう言うことなのだろうか?
「はぁ〜〜…… まぁ、今のはアタシの言葉が足りなかったか」
俺が困った顔をしたのを見て、春日はやれやれと再び溜息をついて首を横に振る。
「最近、センセはアタシが何しても感想を言ってくれなくなったなって話。前は料理の感想とか、『いつもありがとうな』的な言葉とか。ちょこちょこ言ってくれてたのに。最近はそれが全然無くなってるの気付いてる?」
「……確かに、そう言うの言ってなかったかもな」
「『かもな』じゃなくて、言ってないの!」
「す、すまん……」
これも春日の言う通りだった。
食事の準備や家事に対しては、今でも感謝はしているが、それを毎回言葉にすることはしていなかった。
これも春日との生活に慣れて来て、心の何処かで「言わなくても伝わっているだろう」というような考えがあった。
「もしかして美味しくなかったのかなとか心配になるから、ちゃんと感想は言うようにして下さい」
「分かった。これからは気を付ける。今日の朝ご飯も、本当に美味いよ。ありがとう」
「っっっ!? い、いきなりそういう顔でそういうこと言わないでよね!」
「お、おう。すまん」
早速俺が朝食の感謝を告げると、春日は慌てたようにして自分の顔を手でパタパタとあおぐような素振りをする。
「あとは……」
「まだあるのか!?」
「これで最後!」
「お、おう」
話を続ける春日に俺が驚くと、ジトっとした目で睨まれる。
「最近、勉強教えてくれるとき、あんま褒めてくれなくなった……」
「…………」
なるほどな。
何となく理解した。
要するにこれはあれだ、コミュニケーション不足というやつだ。
一緒に過ごす時間が増えた結果、言葉を介さずとも、色々なことが伝わるだろうという俺の甘えが生んだ結果だ。
俺はいつの間にかに春日を、身内の人間として認識していたらしい。
歴の浅い塾の講師が陥りがちな失敗だ。
そこそこ生徒と仲良くなって、ある程度コミュニケーションが取れる様になってくると、その生徒に対する意識が薄れてしまうのだ。
そして、『この生徒とは信頼関係が築けている』と思い込みから適当な対応をしてしまうことが増える。
ただ、生徒側からしてみれば、これまでの対応の丁寧さが失われる訳だ。
だから自分がぞんざいに扱われている様な気持ちになって不満を溜めてしまう。
今の春日はまさにそれだ。
「すまん、春日。確かに俺はお前の言う通り最近お前を雑に扱っていたらしい。連絡への返答も、家事や料理の感想も、日頃の感謝も、お前の頑張りに対する声かけも。全部言わなくても伝わってるだろうって思ってしてなかった…… 完全に俺の落ち度だ」
俺は食卓に額が付くくらい頭を下げて流石にそう言って謝った。
「お前はずっと変わらず頑張ってる。最近は色々出来なかったことも出来る様になっていて凄いって感心してる。多分次に受ける模試では、第一志望の判定も良くなってるんじゃないかとか、俺は微かに期待してるくらいだ。お前は本当に良くやってて偉いよ」
「わ、分かってくれれば良いよ。分かってくれれば……」
ここ最近の春日の頑張りを振り返って、俺の思ったままの感想を伝える。
すると、春日は真っ赤な顔をしてそっぽを向いた。
正直な話、こうやって気まずそうにさせてしまうと思っていたので、言わないようにしていた部分もなかったわけではないのだが……
これは気まずくなっていたのではなく、単純に照れていただけだったのだと鈍感な俺はやっと気付いた。
「これからはちゃんとそういう部分も伝えていくようにするよ」
「いや、そんなしっかりとしたのじゃなくて良いから。もっと軽い感じので全然大丈夫だからね?」
「分かった」
春日は苦笑いを浮かべ、一見困ったようにも見える。
でも、これもただ照れているだけなのだろう。
その証拠に、そんなことを言いながらも口元は嬉しそうに緩んでいた。
「あっと! 今日はそろそろ行かないと…… 明良とかさーちゃんと待ち合わせしてるんだった!」
「そうか、気を付けて行ってこいよ。俺は今日も遅くなると思う。けど、戻ったらちゃんと勉強見るから、昨日の続きをやっててくれ」
「う、うん、分かった分かった。それじゃあ行くね? センセも気を付けてね!」
春日は食べ終わった食器を流しに運んでから、そう言って慌しく玄関を飛び出して行った。
「流石に、あれが嘘だってことくらいは俺にも分かるけどな……」
あの慌てようだ。
恐らくは友達と待ち合わせというのは春日の嘘だろう。
本当にそういう約束があれば、あいつは昨日の内に俺に言っていただろうしな。
それにしても、春日のやつは昔から褒めてもらいたがる癖に、褒められるとああして照れてしまうのは変わらないな。
俺が塾であいつに授業をしていた頃も、思い返せば今朝と同じようなことを言っていたっけ……
「センセは最近、アタシ達のこと適当に扱いすぎだから!」
「どうした春日、藪から棒に」
「その『薮から棒』って変な言い方だよね。『なんか予想外のことが起きたとき』に使うでしょ。でも、薮あさったら棒なんてゴロゴロ出て来そうじゃん。全然予想外じゃなくない?」
「あれは、鬱蒼とした薮の中は見通しが悪いから、そこから棒を突き出されたら驚く。……とかそういう例えなんだそうだぞ」
「へぇ〜、そうなんだ。なるほどねぇ! …… じゃなくて! センセ、最近アタシ達のこと雑に扱いすぎだからね!」
「こうして丁寧にお前さんの質問に答えてるのにか?」
「う…… それはそうだけどさ。最近はあんまり雑談につき合ってくれないし。授業終わったらすぐ帰れって言うし」
「そりゃお前、今がテスト期間だからだろ。せめてテストが終わるまでの間は、遊んでないで勉強して欲しいんだよ」
「学校でも、塾でも、家でもちゃんと勉強してるんだよ? たまには息抜きも必要じゃん」
「それに俺がつき合ってやらなきゃならない道理はないだろ?」
「だから、それが雑だって言ってるの! センセはもう少し生徒の心に寄り添うべきだと思うよ!」
今思い返しても、春日は変わった奴だったと思う。
俺は今も昔もこんな感じで、特別面白いことを言ったりする先生ではなかった。
でも、何故か春日は俺によく話しかけてくれていた。
曰く「センセと話してると、なんか普通で安心する」のだとか。
当時はそんな風に懐いてくれる生徒はあまり多くなかったので、俺も嬉しかった。
「…………」
「んぅ? どしたの、センセ? アタシの顔になんか付いてる?」
「いや、春日ってなんだかんだ言って良い奴だなって思ってな」
「んなぁっ!?」
そして、俺が何気なくこぼした褒め言葉で、顔を耳まで真っ赤に染めて照れていたっけ。
そうだ。
本当に春日は昔からああいう奴だった。
俺は朝食で使った食器を洗いながら、そんなことを思い出して思わず笑ってしまう。
結局のところ、俺もあいつもあの頃からさして変わっていないのだ。
「でも、春日なちゃんと成長してるか。あの頃は俺が手玉に取られるなんてことなんて、まずなかったもんな」
昔から求心力というか、人を惹きつける魅力は持っていたように思う。
でも、今のように他者の気持ちを推し量る能力はそれほど高くなかった。
父親との関係性や、周囲が彼女に向けた期待や落胆が、今の彼女の在り方を作り上げたのだろう。
色々あって若干捻れていた性根も、最近は彼女が自信を取り戻すにつれてだんだん真っ直ぐに戻りつつあるように思う。
「あれは多分、春日が友達に恵まれてるのが大きそうだけどな」
頭に浮かんだのは御子柴さんの顔だ。
あの子は春日のことをすごく大事にしてくれていた。
きっと春日の周りには、ああいう良い友達がちゃんといるのだ。
だから、あいつはあんな家庭環境でも、今のような真っ当な性格に育ったのではなかろうか。
まぁ、俺みたいなやつの家に転がり込んで、歪な同居生活をしているので、正直真っ当とは言い難いかも知れないが。
「よし。洗い物は終わったから、少し校舎のことを考えてみようかな」
俺は気持ちを切り替えて少し仕事のことを考えることにした。
「クラス編成を変える…… ですか?」
統括長からの提案を聞いて、一瞬俺の方をチラリと見てから黒桐室長は言葉を続けた。
「理由を聞いてもよろしいですか?」
「うん、もちろん。一番の理由は『体験生対応の講師による格差を是正したいから』かな」
そう言って、統括長は資料を黒桐室長と俺に差し出した。
「これは生徒に取ったアンケートのデータをまとめたものだよ。この『自分によく声をかけてくれた先生』っていう項目と、各クラスの体験生の数の関係を見て見るといい。少し面白いことが分かるだろ?」
「面白いこと、ですか?」
「うん。まず体験生の数が少ないクラスほど、そのクラスを担当している講師から声を掛けられたと感じている体験生が多くなってる。まぁ、これは当然だよね。所謂密度の問題だ」
そう言って言葉を切った統括長は、そのまま続けてこう語った。
「ただ、クラスの平均学力とこの項目を照らし合わせた場合、体験生の人数にあまり関係がなくなるんだ。学力の低いクラスの方が講師から声を掛けられたとと感じている体験生が多いのが分かると思う」
「確かに、データではそうなってますね」
「この理由は分かるかな?」
統括長は俺と黒桐室長にそう問いかけた。
それに黒桐室長が答えた。
「上位生は放っておいても出来てしまう。だから、声を掛ける必要にかられるシチュエーションが、下位生のクラスより少なくなる。ですね」
「そういうことだね。加えて、学力の高いクラスは実績生が多い。必然、キチンと指導しないといけない生徒も多くなる。体験生にだけ時間をかけてあげられないのも大きい。その辺りを考えると、今回爆発的に体験生の増えているこの校舎は、もう少しクラス編成を工夫しないとダメだと思ったんだよ」
統括長がこのクラス替えの提案をすることにしたきっかけは、間違いなくこの前の下田先生達との話があったからだろう。
ただ、それをそう思わせないだけの理屈が、いつの間にか用意されていた。
体験生がひっきりなしにやってくるから、その対応に追われて授業どころではない。
そういう理由でクラス編成の再考を提案しても、黒桐室長は聞く耳を持ってくれなかったかも知れない。
でも、こうして全く別の切り口から切り出されたこの提案に、黒桐室長は「ふむ……」と思案を始めた。
「少し僕の方で考えてみます」
「うん、そうしてくれると嬉しいな」
その黒桐室長の返答は、クラス編成の提案を飲むという意味に等しいものだった。
「新名統括長、ありがとうございます。僕はちょっと色々なものを見落としていたかも知れません」
そう言って、スマホを持って一度席を立つ黒桐室長。
恐らくその前、喫煙スペースに行って、少し考え事をするのだろう。
俺はそんな黒桐室長の背中を見送ってから、統括長の方に向き直った。
「いや、流石ですね。あんな資料いつ用意してたんですか?」
「ん? 昨日の夜だよ? 分かり易かったでしょ?」
「それはもちろん。あれで黒桐室長も考えてくれると良いんですけど……」
俺がため息混じりにそう言うと、統括長はニンマリと笑うと。
「大丈夫。多分今日にもクラス替えする筈だよ。まぁ見ててご覧?」
結局、その統括長の言葉通り、黒桐室長はクラス編成を変更して、学力不振の体験生だけのクラスを作ってくれた。
本当に、頼りになり過ぎるよこの人。
俺は、心の中でそう叫ばずにはいられなかった。
続く――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます