第40話 37th lesson 何というか、相変わらず統括長には敵わないと痛感する夜だった。



「体験の申し込み、今年は本当に多いですね」

「冬月先生の評判が、どうやら別の中学校まで広まってるみたいですね」


 バイト講師の先生達が、そんな話をして笑っていた。

 連日、ミーティングで新規体験生の話が出ているからだろう。

 嬉しい反面、毎回の授業に初参加の生徒がいるこの状況は、授業を進める意味では厄介だ。

 これまでの積み重ねがない生徒達にも分かるようなしなければならない。

 かと言ってレベルを下げすぎると、できる生徒が退屈してしまう。

 その辺の匙加減が難しいので、バイト講師の先生達は結構苦戦しているようだ。

 その辺りが体験生に入塾意思を問うアンケートに抱き合わせた、『授業の分かりやすさ』の点数に出ている。

 バイト講師の先生達のほとんどが思わしくない点数だった。

 その結果を黒桐室長は気にしているようだ。アンケートの集計結果を眺めて、深いため息をついている。


「伝言ゲームの要領で、広まっている評判もだいぶ現実と違っているみたいですしね。少し考えないとかも……」


 俺がそんな風に話しかけると、黒桐室長はそれに頷いて苦笑いを浮かべた。


「そうですね。『オール1の生徒をオール5にする』とか。どう考えても不可能なことを信じてやって来る方も居ますし。少し戦い方を考えないとですね……」


 俺や統括長は少し前から、成績などで制限を設けて体験生をふるいにかけて絞るべきだと言って来た。

 しかし、黒桐室長はこれまでの営業不振を挽回するため、希望する生徒は残らず体験させて来ていたのだ。

 結果として、言い方は良くないが素行の悪い生徒がかなり増えてしまった。

 これも、バイト講師の先生達が授業を進めにくくなっている原因の一つだ。

 静かに話の聞かない生徒が増えれば、そう言う生徒を注意する場面も増え授業が進まなくなってしまう。

 その遅れを取り戻そうと慌てれば、授業が慌ただしくなり、内容が伝わりにくくなる。

 そして、授業が分かりにくいと感じた生徒は、その講師の言うことを聞かなくなるのだ。

 そうやって騒がしい生徒が増えれば、また一層注意をする時間が増えて……

 そんな負の連鎖が起き始めている。

 この状況を改善する手立てを何か用意しないとまずい。

 せっかく多くの体験生を集めても、最終的には入塾する生徒が増えなくなってしまう。

 それでは、経営的には大きな赤字を出てしまい、無料体験を打ち出している意味がなくなってしまう。

 塾はボランティアではない。その辺りをしっかりやらないと潰れてしまう。


「まだ塾に慣れていない、体験生だけのクラスを作りましょう。そこに力のある講師をあててみては?」


 俺の提案に黒桐室長は「うーん」と首を捻る。


「それだと、EXクラスの生徒達が不満を抱えそうですね……」


 EXクラスというのは、成績上位の生徒だけで構成される特別クラスだ。

 確かにあのクラスは力のある先生が受け持たないとまずいだろう。


「ですから、EXクラスと体験生クラス、それとBクラスを俺や黒桐室長が持って――」

「それだと、それまでは僕達が担当していたクラスの保護者から不満の声が上がるでしょう?」

「それはまぁ、そうでしょうけど……」

「それなら、体験生は今のまま成績や学力別に各クラスに振り分けていた方がいい。それぞれの先生が工夫しながら授業をすればいいんですから」

「いや、でも――」

「僕の方でも色々考えてみます。冬月先生はバイト講師の先生達に授業の改善点を伝えてあげて下さい」


 黒桐室長の言い分も分かる。確かにそうなのだ。

 だが、このままではバイト講師の先生達の負担が大きくなっていってしまう。

 人手がギリギリのこの状況で、これ以上講師が減ってしまっては教室が回らない。

 すでに統括長にもヘルプで来て貰っているので、これ以上の増員も期待出来ない。

 今いる講師でやって行かなければならないのだ。

 講師への負担増はバイト講師の先生達の退職に繋がってしまうので避けたい。

 だが、これまでも黒桐室長は組織的な改善で問題を解決するより、個人の努力で問題解決を図って来た。

 だから、こういう結論になってしまうのはある意味必然なのだ。


 そのまま、慌ただしく面談に飛び込んでいく黒桐室長の背中を見送る。

 一時のように仕事に手を抜いている訳ではないので、どうにも指摘しづらい。

 しかし、この状況はかなりよろしくない。

 黒桐室長がああ言う以上、俺は各講師の授業力向上を目指すしかないだろう。


「はぁ…… 研修の時間を増やすのは負担になっちゃうしな。どうしたものかなぁ?」


 ため息混じりに溢れた俺の言葉は、誰もいなくなった職員室に吸い込まれて消えていった。



「お疲れ様でした〜……」


 そんなこんなで、今日もドタバタしながら業務を終える。


「各自自分の授業を見直しましょう」


 と言う黒桐室長のありがたい言葉で業後ミーティングがしめられた。

 バイト講師の先生達からは小さなため息が溢れる。

 だが、黒桐室長はそれを気にせず荷物をまとめてさっさと帰ってしまった。

 まぁ、それがいつも通りの光景だ。


「見直しましょうって言われてもなぁ……」

「毎度増えるうるさい体験生に対応してたら、授業の改善どころじゃないよね……」

「ほんとそれだよね」


 黒桐室長のいなくなった教室は、バイト講師の先生方の愚痴で溢れる。

 予想通りの内容に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 黒桐室長に言わせれば、「それをどうにかするのが塾講師の仕事だろ?」と言うことなのだろう。

 その意見は決して間違っていない。

 だが、反面、そう言う『働きにくさ』をどうにかするのが管理する側の仕事でもあるので難しい。

 少し前まで黒桐室長は、頻繁にバイト講師の先生達を飲みに連れて行っていた。

 そうすることで、そう言う不満を美味しいご飯や飲みニケーションで解決していたのだ。

 でも、最近は忙しさもあって、黒桐室長はその辺りのケアも出来ていない。

 それもあってか、バイト講師の先生達からのヘイトが黒桐室長に集まってしまっていた。


「お疲れ様、やっぱり体験生が多くて授業は大変な感じ?」


 愚痴っているバイト講師の先生達に近づいて俺が声をかける。

 すると、「聞いてくださいよ」とばかりにその口から不満が溢れて来た。


「問題の解き方とかが、全く身に付いてない生徒が毎回の授業に居ますからね。その子達に基礎を教えないとついてこれないんですよ。その上で、その知識を使った問題を解ける様にしなきゃですから大変です」


 至極ご尤もな指摘だった。

 黒桐室長に言わせれば、それも含めてどうにかするのが講師の仕事と言うことになるのだろう。


「黒桐先生が担当してるEXは、基本的に頭の良い子しか居ませんから。その辺のフォローが必要ないので分からないんじゃないですかね?」


 しかし、この下田先生の指摘は、実に痛いところを突いて来ていた。

 この件に柔軟に対応することが講師の仕事だと言っている黒桐室長は、その対応の必要がないクラスを担当しているのだ。

 これでは彼がいくらご高説を唱えたところで無駄だった。

 マリーアントワネットの「パンがないなら、お菓子を食べれば良いじゃない」と同じなのだ。


「あはは…… 下田先生の言いたいことは分かるんだけどさ。多分黒桐室長はその辺も分かってるよ。その上で、先生達にスキルアップして欲しくてお願いしてるんだと思うよ」

「……そうなんですかね? 俺には単にあの人が楽してるだけにしか見えなくて」

「あはは……」


 自分でも厳しいと思うフォローを入れてみたものの、下田先生からはまた実に的を射た発言が返って来る。

 ただ、黒桐室長は楽をしたいとかそこまで考えが至っていないのだと思う。

 そもそもの話、彼は自分が担当していないクラスの現状を把握できていない。

 自分の担当しているクラスの現状と、各クラスのアンケート結果で判断しているのだろう。

 たがら、「その位、講師の力量でなんとかして欲しい」なんて言っているのだ。


「この状況で、『アンケートの結果を重く受け止めろ』『自分の授業の在り方を良く考えて下さい』とか言われても……」

「それなぁ…… いや、あんたはクラスの子供の地頭に救われてるだけだ。ってどうしても思っちゃうよな……」


 どうしよう。

 どう考えても、この先生達の言い分の方に俺は激しく同意してしまう。

 しかし、しかしだ。

 ここで俺が彼らに同意してしまうと、黒桐室長の教室でも立場が悪くなってしまうのだ。

 確かにあの人は至らないところが多いが、アレでもこの教室の室長なのだ。

 部下である彼らの中で、黒桐室長の威厳が失われれば、教室運営がどんどん不健全になってしまう。

 まぁ、最初から不健全だと言う意見もあるが……


「うん。ダメだ。大事なのはどう考えてもそこじゃないよな」

「ダメだって、突然どうしたんですか冬月先生先生?」


 色々考えた結果、自分の中で出た結論に対して、俺は思わず口から言葉がこぼれてしまった。


「いや、先生達の言うことが尤もだなって思ってさ……」


 俺は黒桐室長のフォローをする為に立ち回るのをやめた。

 下田先生達が抱える不満を解消する方向に舵を切ることを決める。


「先生達の意見は俺がキチンと受け止めるよ。黒桐室長にもちゃんと対応を考えるように言ってみる。多分色々忙しくて、黒桐室長も他教室の状況がキチンと見えてないんだと思う」


 黒桐室長の立場を可能な限り悪くしないようにだけ配慮して、俺は下田先生達にそう言った。

 すると、講師控え室から統括長が欠伸をしながら出て来る。


「どっちの言い分も大事だね。混乱を極めている現場が見えてない黒桐先生もダメダメだ。けど、授業がうまく行かない理由を全部体験生のせいにしてる下田先生達もダメだと思うな」


 そして、これまた実に的確な意見を欠伸混じりに統括長は語った。


「これまでの積み重ねに頼って、何となくで授業するのは良くないよ。新しく入ってくる子がついて来れない授業になっちゃうから。でも、どんな生徒も最初は先生のやり方を知らない状態だからね。そう言う生徒が常にいるって前提で授業を用意することは大事だよ。それって既に分かってる子にも分かりやすい授業って事だから」


 下田先生のことを見上げながら、統括長はそう言って笑顔を浮かべる。


「もちろん、その辺の負担を軽減する為の環境整備を怠っている黒桐先生はダメなんだけどね。それとは別に、下田先生達も少し考えを改めた方が良いと私は思うなぁ……」

「確かに、俺は自分の努力が足りない部分を生徒のせいにしてたかも知れませんね」


 生徒の高い基礎能力に胡座をかいて、他教室の現状を見誤っている黒桐室長。

 それと同様に、生徒の基礎能力の低さを言い訳にして、自身の授業の問題点を誤魔化すな。

 統括長が言っているのはそう言うことだ。

 ともすれば、言われた下田先生達が腹を立てそうな指摘だ。

 それをこんなにアッサリと納得させてしまうのは、統括長の人柄のなせる技なのだろう。


「冬月先生も、少し視野が狭くなってるかもね。君がこの教室のバランサーなんだから、もう少し広い視野を持って判断しようね」

「はい…… 申し訳ないです」

「まぁ、別に怒ってはいないんだけどね」


 統括長の言葉で、少しピリ付いていた雰囲気が一気に弛緩したのが分かる。

 こう言うクールダウンが苦手な俺は、統括長の手腕に素直に感心してしまう。


「黒桐先生には、私からも上手く伝えるから。今日はもうみんなあがろうか。疲れてたら頭も回らないしね」


 そう言って、統括長は俺が控室に置きっぱなしにしていた俺のスマホを俺に差し出す。


「冬月先生はそろそろ帰った方がいいよ。?」


 そのスマホに表示されていた通知の数を見て、俺は慌ててスマホ画面をタップする。

 そこには春日からの10数件に渡るメッセージが表示されていた。


「え? 冬月先生、家に妹さんが来てたんですか?」

「それなら、急いで帰った方が良いんじゃ?」

「あ、ああ、実家から妹が来ることになってたんだよ。帰る時間をちゃんと伝えてなかったから、家の前で待ちぼうけになってたみたいだ」


 統括長がでっち上げてくれた話に俺が乗っかることにする。

 すると、下田先生達は慌てて俺に帰るように言ってくる。


「それは可哀想ですし、急いで帰ってあげて下さい。あとは俺達でやっときますんで」

「校舎の施錠は私がやっておくから帰りなよ」


 そんな下田先生達に追い出され、俺は校舎を送り出される。

 何というか、相変わらず統括長には敵わないと痛感する夜だった。


 ちなみに、家に帰った俺はまたスマホの確認を怠ったことを春日にこっぴどく叱られたのは言うまでもないだろう。



 続く――

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