仕事に疲れた塾講の俺がJKの家庭教師をすることになった件。
第36話 33th lesson 走り出す車に軽く手を振って見送った後、俺は喫茶ハーバーライト特製パンケーキセットを片手に、駅前の商店街を後にした。
第36話 33th lesson 走り出す車に軽く手を振って見送った後、俺は喫茶ハーバーライト特製パンケーキセットを片手に、駅前の商店街を後にした。
仕事を終えて、駅前のロータリーを抜ける。
そろそろ電車も少なくなるの時間なので、顔を赤くしたサラリーマンたちが、そこに停まるタクシーに長い列を作っていた。
そんな列の横を通り抜けて、いつもは渡る銀行前の横断歩道を渡らずに直進。
いくつかあるファストフード店の前を通り過ぎると、店内には多くの学生の姿があった。
よく見れば街にも、こんな時間だと言うのに、制服姿の学生たちが闊歩している。
やはり、寂れつつはあっても、一応駅が近いからだろうか。
この辺りは学習塾も多いので、塾帰りの学生もいるのかも知れない。
まぁ、恐らくは深夜まで遊び歩いている学生たちが大半だろうが。
その中に、教え子の姿がないかだけは、一応確認して置く。
なんと言うか、もう職業病みたいなものだ。
長いこと塾講師をやっていると、街を歩けば高確率で卒業生や生徒に出くわす。
自然と、街で学生を見かけると、教え子か否かを見定めてしまう。
そんな、道行く学生に向けていた視線を、街並みへと向ける。
煌びやかなイルミネーションや、店の明かり、そして商店街の照明のお陰で、深夜にも関わらず室内のような明るさだ。
この時間でも開いている店もちらほらあるのも、この状況の原因なのだろう。
かくいう俺も、そんな学生の一人と待ち合わせをしているので、偉そうなことは言えないが……
「ここか……」
俺は彼女に指定された店の前に立ち、その看板を見上げた。
『喫茶ハーバーライト』
年季の入った看板には、お洒落な装飾と共にそう書かれていた。
商店街を歩くたびに、気にはなっていた店だ。
そっと入り口の扉を押すと、「カランカラン」とドアベルが鳴る。
この音を懐かしいと感じるのは何故なのだろう。
俺の記憶の中に、こんな風にドアベルの音が聞こえる店に出入りした覚えはないのだが。
恐らくは、昔に見たドラマか、はたまたアニメかなにかの影響だろう。
店にはいると、カウンターの向こうに立つ白髪頭をオールバックにセットした、如何にもマスター風の男性が俺のことを一瞥した。
「いらっしゃい。好きな席に座ってね」
よく言えばアットホーム、悪く言えばぞんざいな案内をする店主の言葉に従って、好きな席に座るべく店内を見渡す。
すると、店の奥まったカウンター席に約束の相手の姿を見つけた。
「お隣、いいですか?」
そう声をかけると、その人物は読んでいた文庫本を閉じて、こちらを見上げた。
「どうぞ。お待ちしてました、冬月先生」
「ごめんね、御子柴さん。仕事終わりに室長先生に捕まっちゃってさ……」
「いえ、大丈夫です。家族にはキチンと伝えてますので」
文庫本を鞄に仕舞う御子柴さんの横顔は、やっぱりすごく凛々しくて、失礼ながら男性のようだ。イケメンにしか見えない。
女性にしては短い髪型もその印象を強めているのだろう。
だが、何よりもそう思わせるのは、その堂々とした立ち振る舞いだと思う。
風貌はどこまでも男性的なのに、服装は制服姿の女子高生なので、パッと見た印象だけで判断しようとすると混乱してしまうのだ。
ただ、そんな失礼なことを口にする程、流石に俺も愚かではない。
もう既に、先日彼女には、『男性と見間違えた』と伝えてしまっているので、今更感は否めなのだが。
「そっか。でも、あまり遅くならないようにするね」
「そんなに心配しなくても、また兄に迎えに来てもらうので大丈夫ですよ?」
「それでも、だよ。あまり遅くなって、そのお兄様にご迷惑をかけられないしね」
「まったく、本当に人が良いんですね、冬月先生は」
「……そうかな? これくらい大人なら当然だと思うけど」
「それが出来ない大人が、今どき多いんですよ」
「そうなのか」
一瞬、そんな大人が多いとどうして彼女が知っているのか気になったが、それを聞くのはマナー違反な気がしてやめておいた。
「それで? 今日はどんな御用ですか?」
俺の顔を見上げる形で、御子柴さんは首を傾げた。
「まさか、冬月先生から瞳を通じてお呼び出しなんて、思いもしませんでした」
「あはは…… ごめんね、急に呼び出して。もしかしなくても迷惑だったよね?」
「そんなことはありません。予想外だったというだけです」
俺を安心させる為だろう、御子柴さんは柔和に笑ってくれた。
本当に、良く出来たお嬢さんだと思う。
「要件は二つで、一つはこの前のお礼をキチンと言わなくちゃと思って」
「お礼って…… 私は大したことはしてませんよ?」
「いやいや、春日の為に彼女の嘘に付き合ってくれたでしょ?」
「あれは、前にも言った通り、私の方にも目的がありましたから」
「だとしても、その目的だって、春日を心配してのことだった。つまりそれって、俺が君に春日のことを心配させたってことだよね?」
「あはは…… 本当に冬月先生はクソが付くほど真面目ですね」
御子柴さんは楽しそうに笑って、俺の方を呆れた顔で見つめる。
その笑顔が、なんと言うか感じていたイメージよりも無邪気に感じられて、失礼ながら少しドキッとさせられた。
「お二人がどういう経緯であんな風になったのかは…… なんとなく想像できます。多分、というか間違いなく瞳がわがままを言ったんでしょう?」
「……いやまぁ、そうだけど」
「それなら、冬月先生が私を心配させたんじゃなく、それを含めて瞳のせいです。なのに、それを『自分のせいだ』と言って私にお礼を言うなんて。本当に、今どき珍しい大人ですよ。そんな人、学校の先生にもいませんって」
なんと言うか、御子柴さんはもしかすると、『大人』という存在に何か思うところがあるのかも知れない。
何故そう感じたのかと聞かれると、その理由を説明するのは難しいのだが。
そして、そんな彼女のお眼鏡に、どうやら俺は一応適ったらしかった。
「とにかく、お礼とかそう言うのはいいです。前にもお願いした通り、瞳のことを大事にしてくれればそれで十分なんで」
「君は良くても、俺は気にするんだよ。だから、悪いけど俺は俺の我が侭で君にキチンとお礼がしたいんだ。本当にありがとう、御子柴さん。春日のことを色々考えてくれて……」
俺は、御子柴さんの言うことがその通りだと思いながらも、半ば強引にそう言って頭を下げた。
「はぁ~…… 分かりました。その言葉受け取りますから。だから、もう頭を上げて下さい」
そんな俺に、御子柴さんは呆れたようにそう言って、深くため息をついた。
「それで? 要件は二つでしたよね。もう一つの要件と言うのは?」
「いや、春日があのときろくでもないことを言ってたから、何か君に迷惑をかけていないかって心配で……」
俺がそう言うと、御子柴さんはきょとんとした顔で黙って俺を見つめ返して来た。
「……本当に、それだけのことで私をここに呼び出したんですか?」
「え? あ、ああ…… そうだけど……」
「…………っぷ」
「ん?」
「あははははっ!!」
突然、腹を抱えて笑い出す御子柴さんに、店内のお客さんの視線が集まる。
そんなの気にしない様子で、目の端に浮かんだ涙を指で拭うと、御子柴さんは笑いを堪えながら、こちらに話しかけて来た。
「いやぁ~…… 話に聞いていた以上に堅物さんでびっくりしましたよ。本当に髪の毛の先っちょまで真面目なんですもん。はぁ~…… 笑った笑った。冬月先生面白すぎ」
よく、春日に『センセ、ウケる』とか言われていたが、もしかして本当に俺は自分が思っている以上に滑稽なのかも知れない。
「そんなこと、心配しなくても大丈夫ですよ。冬月先生だって、友達に冗談で恨み言を口にすること位あるでしょう? 瞳のあれも、それですって」
「いや、まぁ、そうなんだろうけどさ…… 春日はやるときはやる奴だし」
「それはまぁ、そうですけど…… だとしてもそんなの慣れっこですから」
ケラケラと笑いながら、楽しそうにいう御子柴さんの様子を見て、二人の間には何事もなかったことが見て取れて安心する。
「まぁ、今回はあの子のことを裏切りましたからね。少し値の張るお菓子を奢らされたくらいですよ――」
「いや、しっかり何かされてるじゃないか!?」
「いやいや、こんなの友達間の貸し借りの延長ですから」
そうは言うものの、『少し値の張る』という部分が気になったので、何を買わされたのか聞いてみた。
すると、御子柴さんはスマホを操作してお菓子の通販サイトを見せてくれた。
それは有名なチョコレートメーカーのお菓子。
千数百円程度のものだったので、俺はホッと胸を撫でおろす。
それでも、学生のお財布には地味にダメージな額のはずだ。
「お詫びとお礼も兼ねて、ここの払いは俺がするから」
「あはは、そんなのいいって言ってるじゃないですか?」
「大人のメンツを保つと思って奢られてよ」
「はぁ…… 本当に、そういうのって男の人すぐ気にしますよね。兄もそうですけど」
また、やれやれと溜息をつく御子柴さんだが、その顔には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「そう言うことなら、まぁ、ご馳走になります。追加でパンケーキ頼んでも?」
「もちろん。何なら、アイスを乗せてくれても構わないよ」
「さっすが社会人ですね。それじゃお言葉に甘えてデラックスな方をご馳になります」
彼女が店主に『デラックスパンケーキセット』を注文すると、深夜の喫茶店にバターの焦げる甘い香りが広がる。
周囲のお客さんんの何人かが、生唾を飲んでいるのが分かる。
俺もまだ夕飯を食べていないので、思わず同じように生唾を飲み込んでしまった。
「あれ? もしかして、冬月先生もお腹空いてます?」
「あはは、まぁね。基本、仕事前に軽い昼食を食べたっきりだから」
「じゃあ、一緒に何か注文して食べますか?」
その御子柴さんの提案は実に魅力的なものだった。
でも、俺はそれを断る。
「ううん、いいよ。春日が夕飯作って待ってると思うから」
「あはは、ご馳走様です」
「いや、まだこれから食べるんでしょ?」
「まぁそうなんですけど、別の意味でってことですよ」
何やら、御子柴さんが変なことを言うから、俺は思わず首を傾げてしまう。
だが、そんなやり取りをしている内に、俺達の目の前には『デラックスパンケーキセット』が運ばれて来た。
「ここのパンケーキ、本当に絶品なんですよ。
瞳も好きだし、なんだったらお持ち帰りを注文してもいいかもです。
ここのは、冷めても、レンチンすればふわっふわに戻るんで」
「そう言うことなら、お土産に後でお願いしようかな?」
「……かしこまりました」
俺達の会話を聞いていたらしい店主が、そう言って頷いた。
俺としては、御子柴さんの言葉に返答しただけのつもりだったのだが。
そんなわけで、俺は家で待つ春日にお土産を持って帰ることになった。
後でアイツがまた変に恐縮しないように、『御子柴さんに勧められた』と言って渡すとしよう。嘘ではないので、問題ないはずだ。
「それじゃあ、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
それから俺は、その運ばれてきた美味しそうなパンケーキを食べる御子柴さんと、春日のことで雑談を交わし、彼女がそれを食べ終わるのを待った。
と言っても、御子柴さんは思った以上に食べるのが早かったので、ほんの数分のことだったが。
「それでは、ごちそうさまでした」
「なんか、こんな程度のことで呼び出してごめんね」
「いえいえ、ただ、今後は瞳を通じてじゃなく、直接でお願いします。
連絡先教えておくので……」
「ああ、分かった。そうするよ」
今後があるのかどうかよく分からない。
でも、そう言ってくれた御子柴さんの提案を無下に扱うのもどうかと思い、俺は彼女と連絡先を交換した。
なんだか最近、俺のスマホに若い女性の連絡先の登録が増えている気がする。
まぁ、その中でも頻繁に連絡をする相手は限られているのだが……
メッセージアプリの表示画面が、気持ち華やかになった気がして、俺は不思議な気持ちになった。
「それじゃあ、表に兄が迎えに来ているので」
「ああ、うん。俺はご挨拶とかはしなくて大丈夫かな?」
「あはは、してもいいですけど、お互い気まずいだけだと思いますよ? 本当に、冬月先生は真面目過ぎて笑えますね」
なんて言われて、また笑われてしまう。
しかし、こんな時間に彼女を呼び出した手前、俺は御子柴さんのお兄さんにキチンと挨拶をすることにした。
結果的には、御子柴さんが言った通り、微妙に気まずい思いをしたが。
なんだかんだ名刺交換までしてしまった。
走り出す車に軽く手を振って見送った後、俺は喫茶ハーバーライト特製パンケーキセットを片手に、駅前の商店街を後にした。
先程は通過した横断歩道を渡って、弁当屋の角を曲がり病院前の坂を抜ける。
そして、大きく蛇行したきつい傾斜の上り坂を登る。いつもの帰り道だ。
そこを抜けると、その先にはまるで星空へと続くように伸びる最後の坂。
その坂を登り切った先にあるのが、俺の住むアパートだ。
「はぁ~…… さて、春日が待っているだろうから、帰るとするか」
溜息が出たのは、その坂が相変わらずきついからだ。
でも、坂を登る足は、不思議と重く感じなかった。
それは多分、嬉しそうに自分を玄関で迎えてくれる春日の姿を思い浮かべていたからかも知れない。
「今日の夕飯は、なんだろうな?」
いや、もしかすると、アイツが作る美味い夕飯が楽しみなだけだったかも知れないが……
続く――。
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