第35話 32th lesson そんなことを考えて、色々あった長い夜を振り返った俺は、大きく伸びをしてから自分の部屋へと向かって家の廊下を歩くのだった。



「その…… センセ、怒ってる?」


 俺の顔色を伺うような上目遣いの問いかけ。

 率直に言って、俺は別に怒ってなどいなかった。

 というか、怒るとか怒らないとか以前にそもそも俺は、まだ現状をキチンと把握しきれていない。

 まぁ、仮にことの全容を俺が理解したとしても、怒ることはないが……


「えーっと…… そうだな。結論から言えば、特に怒ってないよ」


 だから、俺はそう春日に伝えた。

 すると、春日は俺の顔を見上げて、疑りの目を向けて来る。


「本当に? そう言って油断させて、その後雷を落とすパターンとかじゃなくて?」

「ああ、そんなことはしないから安心しろ。それに、御子柴さんの話を聞く限り、『御子柴さんが俺達の関係を疑っている』っていうのは本当だったし、そう考えるとお前も騙されてたわけだろ……?」


 俺の言葉を聞いて、春日の表情がパァッと明るくなった。

 なんと言うか、こういうときのこいつは本当に分かりやすい。


「じゃ、じゃあ、アタシもセンセと同じで被害者だったから、この話はもう、これでおしまいということで――」

「御子柴さんは『後は二人で色々話し合え』って言ってただろ? せっかく彼女が色々お前の為に気を使ってくれたんだ。その彼女の好意を無下にしらたダメだろう?」

「ぐ……」

「お前が俺を騙して、彼女に何かを調べて貰うとしてたのも事実なんだろうし、それを隠していたら、これから先の生活で色々とシコリを生みそうだって言う、彼女の言葉の通りだと俺も思う。だから、春日。キチンとお前の口から、今日のことを説明してくれ」


 冷蔵庫まで歩いて、俺は春日のマグカップに牛乳を注いで食卓に置いた。

 そして、その向かい側の席に座って、春日に席に座るように目で訴える。


「……はぁ~、もう本当に計画がグチャグチャだよ。秋良めぇ……、よくも裏切ってくれたな……」


 そんな恨み言を口にしながら、春日は俺がマグカップを置いた席に座って、それに口をつけた。


「ぷはぁ…… ちちわたる、しみ~……」


 恐らくは、最近春日がはまっていたアニメのキャラクターの真似だろう。

 冗談を口にして場を和ませようとか、気まずい雰囲気に耐えられなくてふざけたとか、そんな感じだろうか。

 どうやら、春日はまだ俺が怒っている可能性を否定しきれていないらしい。


「はぁ~、それを言うなら『しみわたる、乳』だろ。それに、御子柴さんは裏切ってなんてないよ。お前のことを考えて、あそこで全部暴露したんだ。それは、お前にももう分かってるんだろ?」


 俺がそう言うと、春日は溜息と共に机に突っ伏した。


「分かってるよ。秋良がアタシを思ってあそこでネタバラシしたのも、秋良の言う通り、計画が上手く行ってたてとしたら、アタシはセンセについた嘘をつき続けなくなって、だんだんしんどくなるんだってことも…… 分かってるけどさ……」


 恐らくは、春日も御子柴さんの予想外の行動のせいで、また頭が混乱しているのだろう。

 春日にしてみれば、順調に進んでいた計画の途中で、信じていた相棒に裏切られたという状況だ。もしかするとそのショックと混乱は俺よりも大きいのかも知れない。


「急にこんな風にセンセに全部話すなんて、心の準備がまるで出来てないんだもん……」


 そう言って、こちらの様子を伺うように、春日はもう一度チラリとこちらを見る。


「……気持ちは分からないでもないが、それは人を騙そうとしたお前が悪い。違うか?」

「まったくもって違いませんとも!」


 がばっと身体を起こしながらそう叫ぶ春日は、少しやけくそになっているようにも見える。


「ふぅ~……」


 目を閉じて、深く深呼吸をする春日を見つめて、俺は彼女が話を始めるのをじっと待った。


「うん、よし。やっと少し落ち着いてきた」


 小さく、でも俺にも聞こえるくらいの声で、春日がそう言って目を開けた。


「それでは、この件について説明させて頂きます」

「ああ、どうぞ始めてくれ」


 真面目な顔でそういう春日に合わせて、俺も真面目な顔でそう返す。

 すると、春日は少しだけ眉を寄せて、


「ねぇ、センセ。やっぱ怒ってない?」


 と聞いてきた。


「だから、全然怒ってないし、この後も多分怒らないから話してくれ」


 そんな春日に、俺はやれやれと溜息をついてから、そう言って苦笑いを浮かべた。



「……というのが、今日の一件の真相です…… どう? 怒ってない?」


 俺の顔を覗き込んで、春日はもう何度目か分からないような質問をしてくる。


「だから怒ってないよ」


 俺はそれに、もう何度目か分からない返答をして、頭の中で春日の話をまとめた。


 何でも、春日は男兄弟が多い御子柴さんに、俺について何かの相談をした。

 その相談内容は、まだ明かして貰っていないのだが、御子柴さんがその相談に応えるには、彼女が俺の人となりを知る必要だあったようだ。

 なので、彼女をこの部屋に招いて、トイレに行くと席を立ち、実際には俺の部屋に入って色々物色して貰う予定だったのだ。

 そして、そんな春日の考えた浅はかな計画を、御子柴さんが利用したわけだ。

 春日は御子柴さんが自分と俺とが同居しているという事実を誤魔化せた気でいたらが、御子柴さんはそれを見抜き、その上で同居する俺が春日に害ある人間か否かを調べようとした訳だ。

 その辺は、彼女が俺に暴露した通りの様だ。

 春日も、御子柴さんにすっかり騙されてしまったようだった。


「で? お前は、御子柴さんに俺の何を相談してたんだ?」

「えっと…… それはぁ……」


 俺が核心をつく質問を春日に投げかけると、真っ赤な顔をしてもじもじとしだした。

 そんなに言いにくいようなことを彼女に相談していたのだろうか?

 しかし、もしそうなら、御子柴さんがあんな風に話をおぜん立てするとは思えない。

 まぁ、春日に灸をすえてやるつもりだったとか、そういう可能性がゼロではないのだろうが……


「何度も言ってると思うけど、お前がどんなことをしようとしていたとしても、俺はそのことでお前を怒るとかそういうことはないぞ? まぁ、人としてやってはいけないことをしようとしていたってなら、話は別になって来るが…… それはないだろ? そんなことを、あの御子柴さんが手伝おうとするはずないからな」

「センセ、ちょっとしか話してない秋良への信頼が、異常なほどに高くない? 下手したら、アタシへの信頼を超えてない?」

「少なくとも、俺を騙して何かをしようとしたお前よりは、現段階では信頼してるかもな」

「うぐぅ…… 返す言葉もない……」


 そう言って言葉を失う春日。

 それから、たっぷり数十秒考え込んでから、ようやっと彼女はその企みの全容を白状した。


「ええとデスネ…… アタシが秋良に相談というか、お願いしてたのは…… センセの好みを調べて貰おうと思って」

「俺の好み?」

「うん…… この前センセ、アタシにプレゼントくれたでしょ? 『日頃のお礼』とか言ってさ…… 日頃からお世話になってるのはアタシも変わらないのにさ。だから、それならアタシもセンセに何かお礼をしようと思って、何かプレゼントしたいなって思ったんだけど…… よく考えたらアタシ、センセの好みとか分からないなって……」


 もじもじと身をよじりながら、恥ずかしそうに語る春日は、なんと言うかいつもより殊勝で可愛かった。

 まぁ、それを口に出すほど、俺も流石に愚かではないが。


「それで、男兄弟のいる御子柴さんに相談したのか?」

「うん…… お兄さんが何人かいる秋良なら、センセの特徴とか伝えたら分かるかなって思ったんだけど…… やっぱり、センセの人となりとかを直接見て見て、家の本棚とかを確認しないと正確な好みは分からないって、秋良がいうから…… こんなことを計画してしまいました」

「なるほどな……」


 しかし、まさかそんな理由で春日がこんなことをしたとは……

 流石に俺も予想がつかなかった。


「俺の好みなんて気にしなくてもいいのに…… っていうか、お礼なんていらないぞ、俺は」

「センセならそう言うと思ったから、秋良にこっそり調べて貰って、サプライズでプレゼントをあげようと思ったの。プレゼント用意しちゃえば、センセは必ず受け取ってくれると思ったし、それがもしセンセの好みのものなら、喜んで貰えるかなって……」


 そう言って、また俯いてもじもじしだす春日。

 俺はそんな彼女の胸を内を聞いて、内心嬉しかった。

 彼女が俺に、日々の感謝を感じていてくれたこと。

 そして、それをプレゼントという形で表現しようとしてくれたこと。

 日頃の感謝を伝える為に贈り物をされるということが、こんなに嬉しいものなのだとは知らなかった。

 母の日とか、父の日に贈り物を受け取って、嬉しそうにする両親の気持ちが初めて分かった気がした。


「こんなことを言ったら、お前を困らせるのかも知れないけど、俺は普通に、何を贈って貰っても凄く嬉しいよ。それが、お前が一生懸命選んでくれたものならさ」

「センセ…… でも、折角贈るなら、その人が欲しいものを贈りたいじゃん! その人の記憶に残るようなさ!」

「あはは…… そう言うところは、本当にお前らしい発想だよな。そうか、お前がそんなことを悩んでたなんて、俺は全然気付かなかったな」


 思わず、苦笑いがこぼれてしまう。

 そんな俺を見て、春日は不満そうに頬を膨らませた。


「はぁ~…… 何でこんなことになっちゃったんだろ? 本当は、センセを驚かせるはずだったのに、秋良のせいでサプライズ計画はもろバレになっちゃったし、こんな恥ずかしいことを、センセに白状することになったし……」

「まぁ、サプライズって言うなら、これがもう十分にサプライズになってるけどな」

「こんなサプライズは嫌だもん! センセがプレゼントをもらって、泣きながらアタシに感謝する…… そういうサプライズが良かったの、アタシは!!」


 再び机に突っ伏す春日に、俺は少し考えてからこんなことを伝えた。


「なら、お前の思う『俺の好物』を、全力で作ってくれないか? 全く知らなかったときとは驚きの大きさはどうしてもスケールダウンするだろうが、それでも、『これを作ってくれたのか!』っていう風には、俺も驚けると思うし…… 何より、俺はお前の作るご飯が、ここ最近は一番好みなんだ」

「へっ!? アタシの料理が一番の好みなの?」

「ああ…… この前、お前が友達と飯を食べてくるって言った日あっただろ? あの日、俺はお前がうちに来るようになる前と同じように、何かを適当に食べようと思ったのに、気が付くと『ああ、今日は春日のご飯が食えないのか』って、なんだかがっかりする俺がいたんだ。それくらい、俺はお前の料理にがっちり胃袋を掴まれちまってるんだ」

「そ、そうなんだ…… ふぅん~…… そっかぁ…… センセはアタシの手料理が好きなんだぁ~ えへへ~……」


 分かりやすいくらい嬉しそうに笑う春日に、俺も思わず頬が緩む。


「し、しょうがないなぁ…… それじゃあ、日頃のお礼ってことで、私がセンセの好物で構成する豪華なディナーを腕を振るって作ってあげるとしますか!」

「ああ、そうしてくれ」


 口ではそんなことを言いながらも、顔はすっかり上機嫌になっている春日に、俺はホッと胸を撫でおろした。


 なんとなく、ここ最近こそこそしていたように感じていた春日の様子の理由が分かったからというのもあるのだろうが、それよりも何よりも、こうして春日が俺の為に何かをしようとしてくれたことに、どうやら俺はホッとしているらしい。


「まったく…… 本当にしょうがない奴だよな……」

「ん? センセ何か言った?」

「いいや、何も言ってないよ」


 不意にこぼれてしまった独り言は、どうしようもない自分に当てたものだったが、それが微かに聞こえていたらしい春日の質問には俺は答えない。


「えぇ~! 絶対何か言ってたよ? ねぇ、なんて言ったの? センセってばぁ~!」

「そんなことはもういいから、さっさと片付けて寝るぞ? 明日も学校だろうが?」

「えぇ~…… 気になるじゃん! って、ヤバ、もうこんな時間なの? あぁ…… なんか時間に気付いたら眠くなって来たかも……」


 時計はもう午前三時を指し示していた。

 色々なごたごたのせいで、いつの間にかこんな時間になってしまっていたのだ。

 急激な眠気に襲われ始める春日の尻を叩くようにして、俺はダイニングの片付けを行うと、手の甲で目を擦る春日を自室に押し込んだ。


「今度、御子柴さんにキチンとお礼を言わなきゃな……」


 そんなことを考えて、色々あった長い夜を振り返った俺は、大きく伸びをしてから自分の部屋へと向かって家の廊下を歩くのだった。



 続く――。


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