第34話 31th lesson 俺に向かって嬉しそうに笑うと、御子柴さんはそのまま颯爽と玄関を出て、軽快な音を立てて階段を下りて行った。
「ねぇ、センセ。この問題はどうしてこうなるわけ?」
「ああ、それはだな……」
春日の質問に俺はいつものように答える。
「ああ、そういうことか! なるほどね…… センセありがとね」
「おう」
いつも通りのやり取りなのだが、それをじっと見つめる御子柴さんの視線のせいで何だか俺は緊張していた。
「……御子柴さんも何か分からないことあったら遠慮なく聞いてね?」
「ああ、はい。とりあえずはさっきの説明で大丈夫です」
一応俺が声をかけるが、御子柴さんはノートをさっと眺めてからコクリと頷いてそう答えた。
「というか、冬月先生の説明すごく分かりやすいです。ホントに高校の方は専門外なんですか? 学校の先生の説明ではここまで理解できなかったのに……」
「あはは、お褒めに預かり光栄だけど、俺は普段から小学生と中学生しか教えてないから…… 高校の勉強は本当に専門外だよ。ただ、なんだかんだで結構春日の勉強見て来たから、そのお陰で教えるのが上手くなったのかも?」
「なるほど……」
俺の返答を聞いて、御子柴さんはコクコクと頷く。
そしてそのまま、何かを考え込む様にして口元を手で覆って首を傾げた。
「何か気になることでもあった?」
不安になってそう質問すると、御子柴さんははたと何かに気付いたように俺の顔を見上げる。
「いえ、そこらの塾に通うより冬月先生に習った方が分かりやすいって、瞳が言っていた意味がよく分かったなと思いまして」
「あ、こら! 秋良、そういうことは言わないでよ! なんか恥ずかしいでしょ!」
「あはははは…… なんか光栄です、ハイ……」
俺の質問に答えてくれた御子柴さんの言葉を聞いて、春日は真っ赤な顔をして照れていた。
俺も俺で、そんな風に友人に話していたということが分かって、思わず照れてしまう。
「それにしても、本当に仲がいいですよね。私には上に兄が何人かいるんですけど、結構仲が良いんですよ。でもお二人はそんなうちの兄弟よりも仲が良いように見えますよ?」
「えへへぇ~、そうかなぁ?」
俺達の様子をじっと見つめて、そんな風に評する御子柴さんの言葉に、春日は嬉しそうに照れていた。
俺はそんな春日に呆れる。
確か春日は俺達の関係を怪しまれないようにするために、この御子柴さんの前で演技をしているはずだった。
それなのに春日の奴と来たら、俺と仲が良いと言われて嬉しそうに照れているのだ。
これでは逆に、俺と春日の関係を疑われてしまうではないか。
「仲が良いって、まぁなんだかんだ言って付き合いも長いしなぁ…… 御子柴さんのところはそんなに兄妹の仲がいいの?」
「はい。毎年誕生日にはプレゼントを贈り合ったり、年に一回、兄弟で一緒に舞浜のテーマパークに遊びに行ったり…… うちではそれが普通なんですけど、それを友達に話すと、大抵『それは仲良すぎない?』とかって言われるので、一般的な兄妹よりは仲がいいんじゃないかと」
「それは確かに仲いいね…… 俺にも妹居るけど、そんなことは全然しないし」
「やっぱりそうなんですね…… まぁ、私はあまり気にしませんけど。さっきも言いましたけど、普通だと思ってるので。それに、兄たちと仲が良いことで、別に困ってませんし」
「まぁ、兄妹が仲が良いことは君の言うように悪いことじゃないし、きっとご両親的には喜ばしいことだと思うから俺もいいと思うよ」
「ありがとうございます。冬月先生は、お優しいんですね」
「そうかな? 俺は思ったことを言っただけだけど?」
「……自覚なしですか、これは瞳が苦労するわけですね」
最後に溜息交じりで御子柴さんが呟いた言葉は、その表情から察するに、あまりいい意味ではなさなそうだったので、聞き返すことはしなかった。
「すみません、おトイレをお借り出来ますか?」
「え? あ、扉を出て左だよ?」
「はい、ありがとうございます」
俺に一礼してダイニングを出て行く御子柴さんの背中を見送って、彼女がトイレに入ったのを確認してから俺は春日にこそっと話しかける。
「お前なぁ…… 仲が良いって言われて喜んでどうするよ? そこは『そんなことない!』って否定するところだろうが……」
そんな俺の言葉に春日は呆れたように返答する。
「いやいや、あそこでアタシが照れることで、今の程度の仲良さ具合で嬉しくなっちゃう程度にしか、アタシたちの仲は進展してないってアピれるんじゃん! 分かってないなぁ、センセは」
「そうなのか? うーん……」
春日がドヤ顔で説明するロジックは、腑に落ちないところはありながらも一応納得できるものではあった。
実際、御子柴さんはそれ以上ツッコんで来なかったしな。
人心の掌握に長けている春日が言うのだからと、俺は一応その主張を飲み込むことにする。
「で? これをいつまで続けるんだ? そろそろいい時間じゃないか?」
「うーん…… どうだろ? センセの目から見て、秋良がアタシたちに向けてる疑いって晴れたと思う?」
「ぐ…… そう言われると判断は難しいが……」
御子柴さんの顔を思い出してみるが、どうだろうか?
まだ俺のことを疑っているようにも思えるし、なんとなく何かに納得していたようにも見えた気がする。
「……なんだか、やっぱり仲良さそうですね」
「うぇっ!? 御子柴さん?」
気が付くと、その御子柴さんが廊下から俺と春日の様子をじっと見つめていた。
「いや、だから付き合い長いし、ここ最近もこうして勉強見ているから、仲が良いのは当然だと思うけど?」
俺がそう言い訳をすると、御子柴さんはこちらをジトっとした目で見つめて溜息交じりに続ける。
「ですから、先生と生徒という関係の仲の良さには、
とても見えないという意味で言ったんですが?」
「そうかな? 俺と春日は、それこそ俺が塾で教えてた頃から、こんな感じの関係性だったけど…… 御子柴さんも知ってると思うけど、春日って基本的にこういう距離感でしょ?」
とにかく、春日と俺の同居関係を隠そうと、必死に言い訳をする。
「まぁ、確かに瞳は基本的に誰とでもそんな感じではありますが…… でもそれは、同性の友人限定だと思います」
俺の言い訳に若干納得しつつ、そう切り返してくる御子柴さんの言い分は至極まっとうだった。
しかし、俺はそれを認めるわけにはいかない。
「だとしたら、俺は異性に思われていないんじゃないかな? そもそも、友達ってカウントじゃないんだと思うよ。『先生』ってカテゴリだよ、きっと。たまにいるでしょ? やたら仲良くなる先生ってさ」
自分でも何を言っているのかだんだん分からなくなって来ていたが、それでも俺は苦しい言い訳を続けた。
「しかし……」
「そもそも、御子柴さんは俺と春日の間に、どんな関係があると思ってるの?」
「もちろん、恋人関係です。お互いの家を行き来して、こんな遅い時間に二人きりで過ごす…… そんなの、普通に考えればそれ以外ないじゃないですか?」
「なるほど……」
やはり、御子柴さんの言い分は真っ当だった。
でも、それは世間一般の常識の範疇での話だ。
「確かにそう考えれば、俺と春日の関係はそうとしか見えないかも知れない。でも、この状況には色々事情があるんだ。春日からどこまで、どんなふうに説明されているかは分からないけど、俺と春日の間には、御子柴さんが心配するような関係はないよ」
俺は御子柴さんの言い分を真正面から受け止めた上で、そう切り返す。
「まず、互いの家を行き来していたり、こんな時間に会っている理由だけど、それは御子柴さんもご存じの通り、俺の仕事のせいだ。塾講師は昼から働いて、夜中に仕事が終わるからね。仕事が終わってから春日の勉強を見ようと思うと、どうしてもこんな時間になってしまう。でも、こんな時間に春日の家に俺が押し掛けるのはご家族に迷惑だよね? 彼女のお父さんは朝から働いているから…… だから、春日には悪いんだけど、ここに来てもらってる。ここは彼女の家から目と鼻の先だ。来るのも帰るのも、基本的にはそんなに危険はないだろう?」
「それは…… そうですけど……」
「それに、見て貰った通り、この時間に会って俺達がやってるのは、勉強と食事くらいでそれ以外は何もやってない。時間が時間だしね。余計なことをやっている時間がないんだ。そして、こうして勉強が終わったら、俺は彼女を家に送って別れる…… 恋人らしいことは何一つしてないよ」
本当は一つ屋根の下で一緒に暮らしているのだが、それを完全に伏せたまま俺はしれっと嘘をついた。
ただ、『恋人らしいことは何一つしてない』というのは嘘ではない。
どちらかと言えば、俺達の日常は『家族のそれ』に近い気がする。
だから、御子柴さんが自身兄妹との関係と比較して、『仲が良い』と評したのはあながち間違いではないのだろう。
「そうですか……」
俺がはっきりと言い切ったのもあって、御子柴さんはそれ以上俺に食い下がるのをやめ納得してくれたみたいた。
そして、晴れやかな顔で俺に微笑みかけた後、御子柴さんは春日の方を向いて笑った。
「大事にされてるじゃん、瞳」
「え? 秋良、どゆこと?」
そんな御子柴さんの態度に、春日は驚いて声を上げる。
すると、御子柴さんはスッと席から立ち上がり、俺に向かって深々と頭を下げた。
「色々と失礼なことを言ってすみませんでした。今夜のことは全部、冬月先生のあることを知りたかった瞳と、冬月先生がどんな人か確かめたかった私が共謀して、二人で計画したことだったんです」
「ちょ、ちょっと、秋良! 何でそれを今ここでばらしちゃうのよ! え? どゆこと? どゆこと? ねえ?」
状況が呑み込めずに混乱する俺よりも、春日の方が混乱していた。
しかし、春日野言う通りどういうことだろう?
今夜のことが、御子柴さんと春日の計画?
これは俺と春日の関係を怪しんだ御子柴さんの疑いを晴らすためのものじゃなかったのか?
「冬月先生はすごくいい人だし、ちゃんと瞳のことも考えてくれてる。こんなことをして、変な探りを入れなくても、瞳は自分の考えるようにすればきっと大丈夫だよ」
「え? でも、こんな風にセンセにバラしちゃったら――」
「変に嘘を重ねるよりも、ここでバラした方がいい。そうじゃないと、これからの生活でも色々嘘つかなきゃいけなくなるでしょ? だんだんしんどくなるのは瞳の方だよ?」
真っ直ぐに春日の目を見つめて、御子柴さんはそう言った。
「え? これからの生活って?」
春日が動揺してそう問い返すと、御子柴さんはニンマリと笑って続けた。
「瞳、隠してるつもりだったんだろうけど、バレバレだから。あんた、ここで冬月先生と一緒に暮らしてるでしょ?」
「え? な、何言ってるの? アタシはここには住んでなんて――」
「さっきトイレ借りたときに確認したんだ。ツッパリ棚の上のストック類。ペーパーのストックの陰に、あんたが愛用してる生理用品がしまってあったよ? 普段からそこにあることに気付いてない冬月先生じゃ、あれは隠せなかったよね」
「……ぐぅ。しまった、忘れてた」
「……えっと、状況が見えないんだけど?」
御子柴さんの言葉にぐうの音も出なくなってしまった春日。
そんな春日に代わって、御子柴さんが丁寧に説明してくれた。
「あはは、すみません。多分瞳は、冬月先生に『私が二人の同居を疑っているから、隠すのを手伝って欲しい』とか、そんなことを言ったんだと思います。でも、事の真相はそうじゃなかったんです。今日のこの一件は、瞳が私にこの家を見せて、冬月先生のあることを調べて貰うためにでっち上げたことなんですよ」
「…………」
御子柴さんの説明を聞いて、春日はバツが悪そうにそっぽを向いていた。
どうやら、彼女の話が事実らしい。
「まぁ、実際に私は瞳と冬月先生の同居を疑ってたんですけどね。それを誤魔化す瞳の言い訳を信じたふりをして、瞳からこの件を相談されたときに、冬月先生がヤバい人じゃないかどうかを確認するつもりでこの計画に乗ったんです」
そして、今夜の件がこうして実行されたらしい。
春日が御子柴さんに調べて欲しかったことについては、御子柴さんは最後まで明かすことはしなかった。それは春日に聞けとのことだ。
「色々やり取りをして、冬月先生は瞳の為に一生懸命に嘘をついて、私と瞳の関係も守ってくれようとしてくれた。先生が瞳のことを大事にしてくれていることは、もう充分分かったので、私の目的は果たせた…… それに、これ以上はさっきも言った通り、今後瞳がここで生活していく上で、変なシコリになると思ったので、全部バラスことを選択しました。本当に騙すようなことをしてすみませんでした」
そう言って、御子柴さんはもう一度、俺に向かって深々と頭を下げた。
「いや、なんだかまだよく分からないけど、御子柴さんが春日を想ってそうしたことは分かったから」
「あはは、冬月先生なら、そう言ってくれると思ってました。後、瞳のことも怒らないでやって下さい。こんなことをしたのは、先生に喜んで欲しかっただけなんで」
「ああ、それもよく分からないけど、怒る気はないよ。それよりも、俺と春日のことなんだけど……」
「大丈夫です。先生が心配するような変な誤解はしてません。お二人はあくまで『先生』と『生徒』で、恋人同士でも世間から後ろ指をさされるような関係でもない。二人ともお互いを大事に思っている、健全な関係だって分かってますから」
「えっと…… ありがとう」
御子柴さんは思った以上に聡明な子だったようだ。
なんだか色々混乱はあるものの、春日が困るような状況にはなっていない様でホッとする。
「あはは、そこで瞳のことを心配して溜息をつける冬月先生だったら、一緒に生活していても大丈夫だって思えるんで、私も安心しました」
そう言って笑う御子柴さんは、視線で俺に春日の方を示した。
見ると、春日は先程からずっと、居心地悪そうにもじもじしていた。
「後はまぁ、二人で色々話してみて下さい。私はもう帰りますんで……」
机の上の勉強道具を手早く片付けて、御子柴さんはそう言ってダイニングを出て行こうとする。
「待って! もう遅いし、明るいところまで送るよ」
「大丈夫です。兄に車で迎えに来てもらってるんで」
そう言って、窓の外を指差す御子柴さん。窓の外には既に車が止まっていて、ハザードランプを点滅させていた。
「それじゃ瞳、後は自分でどうにかすること」
「……秋良、後で覚えておけよ」
「あはは、自業自得でしょ? ま、覚悟はして置くよ。では、お邪魔しました、冬月先生。瞳のこと、色々よろしくお願いしますね」
「う、うん。分かった」
俺に向かって嬉しそうに笑うと、御子柴さんはそのまま颯爽と玄関を出て、軽快な音を立てて階段を下りて行った。
すぐ後に、車のドアが閉まる音がして、家の前に停まっていた車は、エンジン音を立てて走り去っていく。
「……あ、えっと、あはは……」
ダイニングには気まずい空気と、居心地の悪そうな春日。
そして、未だに状況の掴み切れない俺が、取り残されるのだった。
続く――。
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