第33話 30th lesson 何やら納得したような顔で頷いた後、「あがっていい?」と俺に聞いてから、春日は俺の部屋に踏み入れた。
さて、そんなこんなで何やら気まずい雰囲気を抱えたまま、お互いそれに気付かないふりをして数日が過ぎた。
「おはよう、春日」
「あ、おはよ、センセ。朝ご飯できてるよ。食べるでしょ?」
「ああ」
表面上はいつも通りの朝の光景だが、お互い微妙に目を合わせられない何とも言えない空気。
『まったく、そんな可愛い顔をあんまり近づけるなよな。
思わずキスとかしちまいそうになるだろうが……』
今思い返しても、バカなことを言ってしまったと後悔する。
春日は『聞かなかったことにする』とは言ってくれたが、あれからの彼女の態度を見る限り、気にしているであろうことは火を見るより明らかだった。
「はぁ~……」
「ん? 大丈夫、センセ? ちょっと疲れてる?」
思わずほとばしった盛大なため息に、春日が反応して俺を心配げな顔で見上げる。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事をしてただけだから……」
「考え事? また校舎で何かあったん?」
「うーん…… まぁそんなところだ。 大したことじゃないから、気にしないでくれ」
「そう? まぁ、アタシじゃ力になれないかもだけど、話聞くくらいならできるから言ってね?」
「おう、サンキュウな」
「ほわぁっ!?」
心配してくれる春日を安心させようと何の気なしに頭を撫でると、春日は突然妙な声を出して真っ赤になった。
「す、すまん。 昔の延長でつい……」
「いやいや、大丈夫! 不意打ちで頭ナデナデされて、ちょっとびっくりしただけだから! 怒ってないし、嫌じゃないから!!」
「お、おう……」
真っ赤な顔で春日は必死に言い訳をする。
しかし、その慌てぶりが全然大丈夫じゃないことを如実に表しているではないだろうか。
「本当だよ? アタシ全然怒ってないし、全然困ってないから!!」
俺の表情を見て、春日がそう言って念を押して来た。
相変わらず、俺は顔に色々出てしまっているらしい。
「ああ、分かった。ありがとな、春日」
「う、うん……」
こんな感じのやり取りを、最近は毎朝繰り返している気がする。
いい加減どうにか改善をはかりたいのだが、なかなかどうしてうまく行かないのだ。
「あ、あのさ…… センセ」
「ん? どうした?」
すると、不意に春日が俺の方を向いて、何か言いにくそうにもじもじとしだした。
「えっとね…… その、ちょっとお願いがあって……」
いつになく歯切れの悪いその様子に、俺は頭の中を渦巻くモヤモヤした諸々の感情を一旦全部放り出して、春日の話を真面目に聞くことにする。
昔から、こういう様子の春日から飛び出してくるのは、結構ガチめの悩みだったからだ。
「ああ、何でも言ってみろ。俺に出来ることなら、出来る限り協力するぞ?」
「たはは…… そこで真面目なセンセモードはズルいなぁ……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何でもない」
「そうか」
春日が小声で呟いた言葉は聞こえていたが、「何でもない」というのでスルーする。
「で、お願いって言うのはね、アタシの友達の前で、一芝居打って欲しいいんだ……」
「一芝居打つ? どういうことだ?」
何やら深刻な話なのかと思って身構えていたが、春日の口から出て来たのは予想とは少し違った言葉だった。
「あのね、最近色々相談してる友達がいるんだけど、その友達と色々話してるうちに、その子がアタシがセンセの家に同居してることに感付きそうになってて……」
「ん? お前友達にはこの同居生活のこと隠してたのか」
「え? あ、うん。流石に学生同士の噂話で変な風に伝わって、センセに迷惑かけたくなかったし。友達の中には心配する子もいるだろうし……」
ご近所や夏川先生に積極的に同居の件をばらしていた春日だったので、周囲にも触れ回っているのかと思っていたが、春日もその辺はキチンと考えていたらしい。
「なるほどな。で、その友達に同居の件がバレそうだから、俺に芝居を売って欲しいってことか?」
「そうそう。アタシはあくまで、先生の部屋に勉強を教わりに通ってるだけって、その友達に思わせる為にね……」
「友達の前でってことは、その友達も今夜ここに来るってことか?」
「うん…… ダメかな?」
困ったような顔で俺のことを見上げて小首を傾げる春日。
ダメなことはないが、突然の話で混乱する頭の中を整理しながら、俺は春日に確認する。
「ええと、つまりお前は、その友達と夜この部屋にやって来て、俺はお前とその友達に勉強を教えた後で、お前達を見送って…… って感じでいいのか?」
「そう! そんな感じ!!」
「それは別に構わないが…… ことはそう簡単じゃないんじゃないか?」
「え? なんで?」
俺の意図が分からないと言った顔で、春日は眉根を寄せる。
「いや、勉強をこのダイニングで見るとして、このダイニングにも今やお前の私物はごろごろしてるし、勉強道具で何か忘れ物でもして、お前がいつもの調子で自分の部屋に取りに行ったりしたら、ここでお前が生活していることがもろバレだろ? 友達をここに連れて来て芝居を打つのは結構リスキーだと思うが?」
「うぐぅ…… 確かに…… でも、もうそう言っちゃったし……」
「付け焼刃だが、お前の家のお前の部屋に俺が勉強を教えに行く方が、まだボロが出ないと思うんだが……」
「でもそれじゃあ計画が……」
「……計画?」
「ううん、何でもない。話の流れで、アタシがセンセの部屋のことに詳しいってバレちゃって、それを誤魔化そうとして『勉強習いに通ってる』って説明しちゃってるから、アタシの部屋でってのは無理なんだよね」
「そうなのか……」
途中に挟まった『計画』という言葉は気になったが、そういう事情があるのなら仕方がないかと俺は一応納得した。
「なら、ちょくちょく来ているからお前の私物が増えていることに、俺は不満を持っているていで、『その辺の私物いい加減持ち帰れよ』的なことを言えばいいか…… 頼むから、考えなしに自分の部屋に入るなよ?」
「アイアイ・サー!」
春日は調子よさげにそう言って敬礼の真似事をする。
「でも、俺が仕事終わるまでお前はどうするんだ? 駅前のファストフード店で時間でも潰してるのか?」
「ああ、センセが返ってくるまでは、アタシは自分の家でその友達と作戦会…… じゃなかった、勉強して待ってるから大丈夫。センセへの夕飯の差し入れも家で作って持ってくから、別にセンセは外で夕飯とか調達しなくていいから安心して!」
「そうか、それは助かるけど…… それじゃあ、俺が帰って部屋の準備が出来たら、お前のスマホに連絡すればいいか?」
「うん、それでヨロ!」
「分かった」
そんなわけで俺は、春日と共にその友人の前で小芝居することになった。
入念な台本とかを用意すると帰って不自然になるということで、春日と俺の中で最低限の設定だけを決めて、後は臨機応変に対応するという、なんとも不確かで不安しかない作戦だが、そこはもう仕方がないと諦める。
とにかく、突然降ってわいたこのミッションを完遂するべく、俺は俺なりに色々と考えて心の準備をしておくことにする。
そして、元気よく学校へと出かけて行った春日を見送ってから、流石に色々疑われそうな春日の私物を片付けて、ダイニングと廊下、それにトイレと洗面所を掃除した。
「はぁ…… 思った以上にそこら中にあるな、春日の痕跡……」
洗面所の洗顔フォームや歯ブラシはもちろんのこと、風呂場のシャンプーやコンディショナー、玄関のスリッパ、春日の部屋のルームプレート、洗濯かごに入った春日の脱いだ服たち……
ダイニングに散らばっていた諸々よりも、よっぽどリスキーなアイテムが、家の至る所に散りばめられていた。
「これで一通りは片付けたとは思うけど…… この辺のものが見つかってたら、もう言い逃れ出来なかったんじゃないか?」
本当に、家事は完璧なのだが、こういうところは抜けている春日に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「って、なんかこれ、昭和の漫画とかでよく見る『彼女との同棲を隠していた男が、実家からやって来る家族を乗り切るために必死に偽装工作する』みたいな図だな…… 同居の事実を隠したい奴がこんないい加減で、本当に隠し切れるのか?」
俺は一抹の不安を感じつつ、再度家の中を見回って春日の痕跡を出来るだけ隠す作業に徹した。
結局、俺的にある程度納得がいくまで色々片付けていたら、それで出勤時間になってしまう。
「後はもう、野となれ山となれだな」
俺はある種の覚悟を決めてから、気持ちを切り替えて職場へと出勤した。
「ふぅ…… 今日ほど仕事があっという間に感じた日は無かったな」
駅前で夏川先生と別れた俺は、そんなことを呟いて自宅に続く坂を登っていた。
「それにしても、春日の友達か…… どんな子なんだろうな?」
類は友を呼ぶというから、春日のようなノリの子なのだろうか?
春日が校舎に通っていた頃の彼女の交友関係をぼんやりと思い出してみたが、アイツは結構分け隔てなく周囲と付き合っていたようで、過去の彼女の周囲から今日連れて来るだろう友達の姿は全く想像がつかなかった。
「まぁ、アイツが大事にしている友人に変な心配をかけないようにするためにも、今夜はしっかりとしないとな」
仮に春日がどんな子を連れて来たとしても、俺のやることは変わらない。
春日と俺の関係を、その友人に変な風に思われないように、せいぜい『先生らしく』振舞うとしよう。
そう言うのは俺の得意とするところだしな。
自分の部屋が見えてきたところで、俺はゆっくりと深呼吸をする。
そして、久しぶりに誰も待っていない自分の家へと俺は一人帰り着いた。
「ただいまぁ~…… っと」
もちろん、俺のその声に応える春日は今日はこの家にはいない。
今頃は春日の家の自室で、その友達と共に待っていることだろう。
勉強していてくれればうれしいのだが……
まぁ、『作戦会議』などと言っていた気がするので、恐らくは勉強ですらないのだろうな。
「さて、シャワー浴びて、着替えて、ダイニングの準備をしたら、春日にLINEだったな……」
俺は早足に脱衣所へと向かい、そのまま手早くシャワーを済ませる。
そして、部屋着に着替えてから、ダイニングに勉強道具やらを用意して、春日に連絡を入れた。
ピコンッ――
すると、すぐに返信が来た。
『OK、すぐに行くね!』
実際、アイツの家と俺の部屋は目と鼻の先なので、文字通りすぐにやってくるのだろう。
すると、思った通りカンカンと階段を登って来る足音が聞こえて来る。
軽快に駆け上がって来るのが春日の足音。そして、踏みしめるようにゆっくりと上がって来るのが、春日の友人の足音だろう。
ピンポーンッ――
呼び鈴の音が家に響く。
思えば久しくこの音に対応していない気がする。
最近はほとんど、春日が対応してくれているからだ。
「はいはい、今開けますよ……」
どうやら、春日は打ち合わせ通りにやってくれている様だ。
ここでアイツが合鍵なんか使った日には、その時点でこの作戦は台無しになってしまうからな。
「おう、来たな春日。用意は出来てるぞ」
「今日もよろしくね、センセ。貢物の夕飯はこちらでございますゆえ……」
「ありがとな、助かるよ。 ……で、そっちが話してた…… 友達の……?」
春日の後ろに伴ってやって来た彼女の友人を見て、俺は言葉を失った。
「君は確か、前に春日と……?」
「へ? センセ、アタシと秋良が一緒のとこ見たことあるの?」
思わずもれた言葉に、春日が反応する。
「どうも、私は
春日の言葉に何と答えるかを考えていたら、そこに御子柴さんが丁寧にあいさつをしてくれた。
そう、この子はあの夜、春日が仲良さそうに歩いていた男性だった。
しかし、おかしなことに、その人物は何故がスカートをはいていた。
だから俺は余計に混乱した。男性だと思っていた人物が、女子高生の恰好をしているのだ。混乱しないわけがない。
「君は女の子だったのか……?」
「ええ、れっきとした女子ですが…… よく男子に間違われます。もしかして、瞳と私が歩いているのを見て、彼氏か何かだと思ったんですか?」
御子柴さんは俺の顔を覗き込んで、にんまりと悪戯っぽく笑った。
その顔は、確かに凛々しいイケメンのようにも見えるが、驚くほど美人の女の子だった。
「いや、『女の子だったのか?』なんて失礼だったね。俺は冬月。春日が昔通っていた塾の講師で、今は色々あって春日の家庭教師もやってるんだ。今日はよろしくね、御子柴さん」
「ええ、よろしく」
俺と御子柴さんの顔を交互に見つめながら、俺達のやり取りを眺めていた春日は困ったような笑みを浮かべて首を傾げる。
「センセはいつ、アタシと秋良が一緒のとこを見たの?」
「いや、前に偶然駅前で見かけたんだ。でも、邪魔しちゃ悪いと思って声をかけるのをやめてたんだよ」
「そうだったの? 声かけてくれれば良かったのに……」
何やら納得したような顔で頷いた後、「あがっていい?」と俺に聞いてから、春日は俺の部屋に踏み入れた。
勝手知ったる他人の家というていで、ダイニングへと歩いていく春日の後に、御子柴さんがついて行く。
俺はそんな二人の後姿を見つめながら、ホッと胸を撫でおろすのだった。
続く――。
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