第29話 27th lesson いつも通りの様で、いつも通りじゃないような晩餐を終えた俺達は、いつも通りに勉強会を始める。
「やっぱり新名先生、可愛いですね!」
教室の清掃を終えてから、いつものように駅に向かって一緒に歩く夏川先生が、少し嬉しそうに俺に言った。
「あはは、そう思わないことも無いけど、大っぴらにそんな風には言えないよ。一応上司だしね……」
どうにもリアクションに困る話だったので、俺は苦笑いで誤魔化す。
ちなみに、熱のこもった教室研修は「あまり遅くなるのも良くないので……」という新名統括長の声を受けて解散となった。
最近はこのタイミングで黒桐室長に対する夏川先生の愚痴を聞くのが常だったので、こんな風に楽しそうに話す夏川先生は久しぶりに見た気がする。
「生徒として教わっていた頃は、あんなに可愛い人だったなんて思いませんでした。新名先生って、ぱっと見はすごく綺麗でクールな印象だったのに、仕事じゃないとあんな感じなんですね…… これから新名先生が常駐してくれるなら、彼女の存在が教室の癒しになってくれそうです!」
「あはは、そうかもね……」
夏川先生の意見には俺も概ね同意だが、そういう言われ方を新名統括長はあまり好まないんだよなぁ……
「でも、お家で新名先生のお話をするときは気を付けて下さいね。瞳ちゃん、かなり新名先生のこと警戒してるみたいですから」
「……警戒って、あの人のどこをあいつはそんなに危険に感じてるんです?」
「そりゃあ、新名先生が可愛いからですよ」
「……ん? 可愛いと何が危険なんですか?」
「……はぁ、本当に冬月先生はそう言うところダメダメですよね。まぁ、だからこそ大丈夫だろうなって思えるんですけど……」
「大丈夫って何がですか?」
「いえいえ、お気になさらず…… とにかく、お家で新名先生のお話をするときは、あまり、『可愛い』とか『凄い』とか過度に褒めたりしなようにして下さい。いつもの冬月先生みたいに、淡白に話をしてあげれば大丈夫ですから」
「淡白って…… まぁ、いつも通りの感じで話せばいいってことですよね? 分かりました。夏川先生から頂いたアドバイスですし、参考にさせて貰います。あと、いつも春日の相手をして下さっていることにも感謝してます」
「いえいえ、そんな…… それでは、私はこれで失礼しますね。おつかれさまでした!」
手を振りながら駅の改札を駆け抜けていく夏川先生の背中を見送ってから、俺も歩き出した。
「まずは商店街のスーパーで、春日に頼まれたものを買い出しだな」
スマホで時間を確認すると、あまりのんびりはしていられない時間だ。
俺は駆け足でスーパーの向かった。
「よし、言われてたものは全部買えたな……」
スマホに送られてきていた買い物リストを確認して、俺は抜け漏れが無いかチェックする。
こういう時、24時間営業のスーパーがあるのは大変ありがたかった。
買ったものを入れるエコバックを取り出そうとして、俺はあるものを見つけた。
「あはは、そう言えばこんなものあったな……」
色々あってその存在をすっかり忘れていたのだが、以前買って鞄につめたままだった春日へのプレゼントを掘り当ててしまったのだ。
「いや、マジですっかり忘れてたな…… 日頃のお礼のつもりで買ったのに、こうして買ったときのテンションが冷めてから渡そうとなると、途端に恥ずかしさがこみ上げてくるな」
しかも、このタイミングで渡すと、春日には別の意味で捉えられそうな気がして心配になる。
夏川先生の話しぶりを聞く限り、春日の奴は俺と新名統括長のことを疑っているところがあるようだ。
これを渡しながら新名統括長の話題を出すと、それをこのプレゼントで誤魔化そうとしている感じにならないだろうか?
「……それは流石に考えすぎか」
俺はプレゼント用に綺麗に包装された包みを眺めて溜息をついた。
「プレゼント一つでこんなに悩むなんて…… 俺はどうしちまったんだろうな」
自分のことながら、思わず笑ってしまいそうになる。
これではまるで、全力で恋愛をしていた若い頃の自分ではないか。
「はぁ…… 本当に何をやってるんだろうな、俺は」
手に持った包みを再びじっと見つめてから、俺はそれを鞄にしまった。
「色々考えるからいけないんだな。これは日頃の感謝のしるし。渡すことにそれ以上の意味はない。それでいいじゃないか」
それが、情けない逃げなのだということは、俺自身が一番よく分かっている。
でも、そんな気付きを俺はぐっと飲み込み、エコバックを持ち直して自宅へと続く坂道を登り始める。
「あんまり待たせると、また今日も寝るのが遅くなっちまうしな」
情けない自分から目を逸らして、俺は無数の星がきらめくお気に入りの夜空を見上げて坂を上った。
「ただいまぁ~」
「あ、お帰り! 頼んでたもの買って来てくれた?」
「ああ、ここに全部入ってるはずだ」
家に帰ると、エプロンで濡れた手を拭きながら春日が小走りにやって来た。
俺からエコバックを受け取って中身を確認する。
「よしよし、ちゃんとお使いできたね。 えらいえらい!」
このお使いから返って来た子供をあやすかのような言い方は、俺のことをからかっているのだろう。
まぁ渡すならこれくらいのタイミングの方がもしかしたらいいのかも知れないな。
俺は鞄から例のプレゼントを取り出し春日に差し出した。
「なにこれ?」
包みを見つめて春日がきょとんとしていた。
流石の春日も、予想外だったようだ。
「少し前に買って渡し忘れてた、『日頃のお礼』だよ」
俺は何ともないそぶりを装って、軽く切り返す。
すると、春日はその包みを受け取って、しばらくその包みを見つめていた。
その顔からは、春日の感情は読み取れない。
「え? これ、プレゼント? アタシに?」
数秒間のフリーズの後、春日は思い出したようにそう言って俺の顔を見る。
「お前に渡してるんだから、そうに決まってるだろうが?」
俺が呆れていると、春日は俺の顔とその包みの間で視線を何往復かさせる。
「開けていい?」
「ああ」
俺に確認してから、ごそごそと春日はその包みを開けた。
中からは小さな小箱が出て来て、その子箱の中には少し意匠の凝ったネックレスが顔を出した。
「え? 可愛い…… ってか高そう!? なにこれ? どゆこと!?」
春日が『可愛い』と言ってくれたことに、内心ほっとする。
気に入らなかったらどうしようかと思っていたので、本当に良かった。
「これ、蹄の形?」
「ああ、馬蹄のデザインなんだと。『幸せを呼び込んで逃がさない』とか『お金が溜まる』とか、そういういい意味が込められたモチーフらしい。真ん中の宝石はゆすると少し動くだろ? 『ダンシングストーン』っていうデザインなんだってさ。キラキラして綺麗だし、落ち着きのない春日に似合いそうだと思ってな」
恥ずかしさを誤魔化すために、ほんの少し憎まれ口をたたいてしまったことが悔やまれる。
しかし、そんなこと気にしていないのか、春日は嬉しそうに頬を緩ませてそのネックレスを見つめていた。
「これをアタシに?」
「ああ、だからそう言ってるじゃないか」
「……つけていい?」
「も、もちろん」
玄関の身だしなみチェック用の鏡を見ながら、春日は俺の贈ったネックレスをその首にかけた。
『ダンシングストーン』が揺れて、その胸元でキラキラと光る。
「ね、似合う?」
「ああ、よく似合ってるよ」
「えへへ……」
照れるようににやける春日につたれて、なんだか俺も顔が熱くなってくる。
「ありがと、センセ。大事にする。一生大事にするね!」
顔を赤くして、嬉しそうにそう笑う春日の顔を見て、俺はそのネックレスを贈って良かったと思った。
日頃の感謝。
そんな言葉で誤魔化しても仕方がない。
俺はこの春日の笑顔が見たかったのだ。
最近、心配をかけてばかりで、不安な顔ばかりさせてしまっていたが、俺はコイツに笑顔でいて欲しいのだ。
それを、俺は痛感した。
「あ、そだ。晩御飯出来てるよ! 温め直すから、センセは早く着替えて来て!」
春日も恐らく恥ずかしかったのだろう。
そう言い残してパタパタと音を立てて、キッチンへと消えて行った。
俺も俺で、言われるまま自室に戻り、手早く部屋着に着替えてキッチンに戻る。
「えへへ……」
すると、キッチンに置いてある鏡で、ネックレスを確認してにやける春日の姿が目に入った。
「はっ!? なに、センセ? どうしたの、そんなとこで立ち止まって?」
俺の視線に気付いた春日は、にやけていた自分を誤魔化すように笑いながら相変わらず旨そうな夕飯をテーブルに並べてくれた。
「あはは、そんなに喜んで貰えたなら、そのネックレス買ってきて良かったなって思ってな」
「……っ!? ほ、ほら! そんなことは良いからさ。 センセ、晩御飯冷めちゃうし食べちゃってよ」
春日は苦笑いする俺に背を向けて、いつもは食後にやる皿洗いを始める。
そんな背中を眺めて口の端を緩めながら、彼女が腕によりをかけて作ってくれた美味しい夕飯を口に運ぶ。
「ったく、ホント、相変わらず美味いな、春日の作る飯は」
「褒めてもなんも出ないから! あ、デザートのゼリーは出るけど……」
「出るんじゃん」
「これは別に、褒めてくれなくても出す予定だったから」
「本当に、いつもありがとうな、春日」
「っ!? だ、だから、そう言うのいいから! 勉強教わってるお礼だから!!」
「あはは、そうだけどさ。ありがたいことには変わりないだろ? 感謝はいくら伝えても足りないくらいさ」
俺の言葉に顔を真っ赤にしながら、フルーツゼリーを運んでくる春日は、嬉しそうに口の端を吊り上げている。
「やっぱり、お前にはそういう顔をしてて欲しいな」
「へ? そういう顔って? どゆ顔?」
「笑顔。最近、俺が色々心配かけたから、お前いつも少し不安そうな顔してたろ? だから、そうやって笑ってるお前の顔見たら、やっぱりお前は、笑ってくれてた方が安心するなって思ってさ」
「何それ? 口説いてんの? ウケるんですけど」
変にひねくれた言い方をせず、真っ直ぐ自分の気持ちを伝えると、春日は少し困ったように、でもやっぱり嬉しそうに笑う。
「口説いてねぇよ。それにウケるようなことも言ってないだろ」
いつも通りのやり取りがそこにはあった。
もちろん、俺の中ににこれまでとは違う何かが混ざっているのも自覚している。
でも、やっぱり結論はこれだった。
「ただ、まぁ、お前には笑ってて欲しいよ、春日」
自然と笑みがこぼれた。
そんな俺の顔を、春日は不思議そうに見つめる。
「俺、色々頑張って、変わるよ。職場も、何だか環境は良くなりそうだし、お前にももう少し心配かけなくていいように出来そうだ。だから、お前の目標が叶えられる様に、これからも一緒に頑張ろう」
それは、俺の心からの言葉。
諸々腹に抱えるもやもやはあるが、それでもこれは嘘偽りのない俺の素直な気持ちだ。
「う、うん…… 分かった」
少しぎこちなく、春日は笑った。
そして、その表情のまま、コクリと頷いてくれる。
「なんなの、センセ? プレゼントして来たり、そんな風に素直になったり……もしかして、明日死ぬの?」
そして、すぐ後に春日は不安そうなジト目でこちらを睨む。
「いや、死なないよ。お前を志望校に合格させるまでは、絶対に何があっても死なない」
「いやいや、アタシを志望校に合格させた後も死なないでよ。フラグみたいで怖いじゃん……」
「死亡フラグか…… それこそ、このまま職場の環境とかそのまま働いてた方が、よっぽどその確率が高いんじゃないか? 『KAROUSHI』は英語にもなってる日本の職業病だし」
「いやホントね、センセの校舎卒業してから、興味本位で調べたけど、塾講師とか、マジでブラック過ぎて引いたよ…… 日曜日に無料でテスト対策講座とか、マジでセンセ達に給料出てないんでしょ? 速攻やめるべきだよ、あんなおかしなサービス」
「あはは、きっとみんな思ってるよ、それ」
「いや、笑えないからね……」
冗談の様で、お互い笑えない内容の会話を繰り広げつつ、俺は空になった茶碗を春日に差し出す。
よく味のしみた塩鮭の炊き込みご飯は、何度でもおかわりできそうな絶品の味付けだった。
「それはそうと、新名先生が今日校舎に来たらしいね?」
「うん? ああ、夏川先生から聞いたのか。今後の為に教室の様子とか、研修の様子とかを確認しにな」
「早速、夕海さんの心を鷲掴みにしてるみたいだけど、センセは大丈夫? 魅了されたりしてない?」
俺におかわりを付けてくれた茶碗を差し出しながら、春日は俺を睨むように見てきた。
「魅了は特にされてないぞ。まぁ、他の先生達が、新名統括長に魅了されてたのは確かだけどさ。俺的には、黒桐室長の好き勝手を防げそうなのと、教室の諸々が、正常化できそうで嬉しいってのはあるが」
「…………ふむ、ガチっぽいな。はぁ~、本当にセンセって仕事バカだよね。それで絶対色々損して来たと思うけど、今はそれに感謝かな?」
やれやれと溜息をつきながらそう言って笑う春日は、言葉とは裏腹に少しだけ嬉しそうだ。
「人の不幸は蜜の味ってか? まぁいいや。これ食ったらさっさと勉強始めるぞ」
「はぁーい……」
いつも通りの様で、いつも通りじゃないような晩餐を終えた俺達は、いつも通りに勉強会を始める。
俺は、そんな時間をかけがえのないものだと感じる自分の気持ちを、受け入れることにした。
もちろん、色々な受け入れられない気持ちもまだたくさんあるけどな。
続く――。
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