第22話 20th lesson 気合の入った挨拶をする大崎君とその仲間たちに見送られながら、俺は校舎へと小走りに向かうのだった。
「こいつら袋にして、その先公のスマホぶっ壊すぞ!」
「おおぉっ!!」
元気いっぱいに声を上げる不良高校生の皆さん。
人数は六人。
それが俺と小久保を囲む様に立ち並んでいる。
「塾講なんて俺達の敵じゃねぇ! 一気に畳みかけるぞっ!!」
リーダー格の金髪君は、そう言って仲間を叱咤する。
「せ、先生…… や、ヤバいよ、どうしよう?」
声の方に視線を向けると、小久保が俺の横でブルブル震えている。
まぁ、そうだよな。
中学生からしたら、高校生の不良なんて恐怖の象徴だろう。
小久保は元々そういう荒事には縁遠い感じだしな。
「どうしようって、なんとかここを切り抜けて、交番まで逃げるしかないだろうな……」
「でも、さっき先生だって、あいつらも俺達を逃がす気はなさそうって……」
「そりゃそうだろ。俺はあいつらがお前を脅して万引きさせた証拠を持ってるんだから、あいつらにしてみれば、俺を逃がしたら警察のお世話になっちまう訳だし……あの金髪君が言ってるように、俺からスマホを奪ってぶっ壊すつもりだろうさ」
「そ、それじゃあ……」
こちらを取り囲む不良高校生たちを視界に入れて様子を見ながら、俺は小久保とそんな会話を交わす。
見た感じリーダー格の金髪君以外は、それほど喧嘩慣れしていなさそうだ。
金髪君の拳には拳ダコがあるのが見えるが、それ以外のお仲間たちは腰が引けてるし見れば微かにその手が震えている。
恐らくは、俺が証拠を押さえたと言ったのを聞いて、『本当に自分達は逮捕されるのでは?』とビビっているのだろう。
つけ入るなら、そこかも知れないな。
「はぁ~…… まぁ、なんとかお前のことは守るから」
震える小久保に俺はそう言って、金髪君の顔を真っ直ぐ見つめた。
「あ? なんだよ先公?」
「いや、こんなのとしてていいのかなって思ってな」
「あぁ?」
俺の意味深な言葉に、金髪君は訝しそうな顔をする。
「こんな裏路地に俺みたいな大人が、何の準備もなく来ると思うか?」
「ど、どういうことだ!?」
もちろん、何の準備もしていない。
でも、こういう状況ではブラフは堂々と言った方が相手は不安になるものだ。
「お、おい…… もしかしてあのおっさん、もう警察を呼んでるんじゃ?」
「だ、だったら、逃げないとやばいんじゃないか?」
予想通り、お仲間たちが不安そうな声を上げ始める。
「馬鹿野郎! 狼狽えるんじゃねぇ!!」
「お、おうっ!」
浮足立ち始める仲間を睨みつけて、そう叫ぶ金髪君。
すると、お仲間たちも一応口を噤んだ。
ただ、その顔から不安の色は消えていない。
金髪君も、俺の背後をチラチラ気にしているようだ。
どうやら、俺のブラフはしっかり効果を成しているらしい。
よし、これくらい揺さぶれば準備は上々かな?
俺は、お仲間たちを含めた不良高校生たちを見渡して、俺と背格好の近い人物を探した。
どうやら、金髪君が一番背が近そうだ。
出来れば動揺の大きいお仲間の中にいて欲しかったが仕方がない。
深呼吸をして、覚悟を決める。
「な、なんだよ!? やんのか? あぁっ!?」
俺は真っ直ぐ金髪君の目を見つめて、そのままゆっくりと金髪君に近付いて行った。
「来んのか? あぁっ!? 痛い目見ないと分からねぇみてぇだなぁ!!」
俺の目を見つめ返して、というか睨み返しながら凄む金髪君。
ゆっくりとそのまま近付いて、気が付けば俺は金髪君の目の前まで来ていた。
「てめぇ! 黙ってないでいい加減――」
眼前50cmの距離まで近づいたとき、俺は無造作に金髪君の顎に向けて拳を突き出す。
「っえ?」
俺を見ていた金髪君のお仲間も、小久保も、ほぼ同時に驚きの声を上げる。
「うぇ?」
それに少しだけ遅れて、金髪君が間抜けな声を出した。
「はい、俺が今この拳を振り抜いてたら、金髪君やられてたよ?」
顎の真下に突き出された俺の拳の存在にやっと気づいた金髪君の顔色が一気に悪くなった。
フラフラと後ろに下がったと思ったら、金髪君はその場にそのままへたり込んでいく。
「は? なんで? コイツのパンチ、何も見えなかったぞ? ど、どうなって……」
そう、金髪君は俺の無造作に突き出した拳に、全く気付けなかったのだ。
周囲のお仲間や、小久保にも見えていた俺のなんてことはないパンチが、だ。
「なぁ、アイツやべぇんじゃね?」
「大崎君、アイツが寸止めしなければ、あのワンパンでやられてたんじゃ?」
お仲間たちがざわつき出す。
金髪君もさっきまでの余裕はもうなくなっていた。
得体のしれないものを見るような目で俺を見て、微かに膝を震わせている。
「次は普通に拳振り抜くけど、どうする?」
俺は首を捻ってボキボキと音を鳴らしながら、再びゆっくりと金髪君(どうやら大崎君というらしい)に近付いて行く。
「な、何なんだよ、あんたは⁉」
大崎君が俺を見る目は、もう完全に恐怖の色に染まっていた。
得体が知れないもの、しかも、そいつの手心がなければ自分は完全に打倒されていたという現実。
それが大崎君の頭に沁みついて、俺を自分よりもはるかに強い人間だと思い込まされているのだろう。
「何って…… 言ったろ? コイツの塾の先生だよ。もう一度言うぞ? 小久保から手を引いて、今後一切小久保に接触しないでくれないか? さもなければ、俺はここで君達を叩きのめして、この映像を警察に見せてここでの一部始終を話すことになる……」
足元でへたり込む大崎君を見下ろして、俺はそう言って笑顔を浮かべた。
この状況では、睨むより笑う方が効果的だろうと思ったからだ。
「わ、分かった! 分かったから!! もう、俺達はそいつには近づかない! だから、その映像を警察に持っていくのは勘弁してくれ!!」
俺から後ずさりながらそう言って土下座をする大崎君。
その姿を見て、同じように土下座を始めるお仲間たち。
「うん、分かった。それならそうする。君達ももうこんなことはしないで、やるんならもう少しカッコいい不良をやってくれよ」
そんな不良高校生たちを見渡して、俺はそう言って背中を向ける。
唖然としている小久保の手を引いて、その場を離れようとしてから、俺は思い出したように振り返ってみた。
「ひっ!? な、なんだよ? まだ何かあるのかよ?」
「忘れてた忘れてた…… 君達が小久保から巻き上げた万引きした商品、お店に返しに行くから…… 一緒に来てくれないか? 一緒に謝ってやるからさ」
「……へ?」
俺の言葉を聞いて、間抜けな声をだしながらポカンとする不良高校生たち。
それから少しだけ考え込んでから、何かを相談した後で、一斉に俺に向かって頭を下げる。
「分かりました! 僕たちもご一緒させて頂きます!!」
「うん、じゃあみんなで行こう。小久保、お店に案内してくれるか?」
「あ、はい! こっちです!!」
そうして俺は、不良高校生たちと小久保を伴って、小久保が万引きを働いてしまった文房具店にお詫びをしに行くのだった。
「本当に申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした!!」
「いいよ、商品は帰って来たしね…… ここは冬月先生の顔に免じて、何事もなかったことにしておくから。 ……君達ももう、こういうことをしちゃダメだよ?」
俺に続いて不良高校生たちと小久保が一斉に頭を下げると、文房具店の店主篠崎さんは笑顔でそう言って許してくれた。
「まさか、篠崎さんのお店だったとは…… うちの生徒が年上の彼らに脅されていたとはいえ、本当にすみませんでした」
「あはは、こんなことを言ったらあれだけど、万引きは慣れっこだからな…… 先生がこうして彼らを改心させて連れて来てくれただけでも良かったよ」
篠崎さんは、何年か前に卒業した生徒の保護者の方だ。
なんというか、顔見知りだったので穏便にことが済んで本当に良かった。
「それにしても、冬月先生は相変わらずみたいだね…… 生徒の為に身体をはって、生徒でもない彼らまで…… 今どき、学校の先生もそこまでしないのにさ」
「あはは、まぁ結果的に上手く行っただけですよ。お節介焼き……なんでしょうね、俺は」
懐かしそうに目を細めて笑う篠崎さんに、俺は苦笑いを浮かべる。
「うちの香澄も先生と会ったら喜んだろうな…… 良かったらまた、日を改めて顔を出してよ。多分土日なら香澄もいると思うからさ」
「分かりました。それでは、今日はこれで失礼します。本当の申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした!!」
「いやいや、そうかしこまらないで大丈夫だよ先生。それじゃあ、君達も今度はお客さんとして店に来てね」
「はい!! ありがとうございました!!」
笑顔で見送ってくれる篠崎さんに一礼して、俺は不良高校生たちと小久保を連れ立って文房具店を後にした。
「先生って、本当に色んな知り合いがいるんですね……」
感心したようにこちらを見上げる小久保。
その表情は今まで見えなかった俺に対する尊敬の念が見て取れた。
「まぁ、この地域で何年も先生やってるからな。卒業生やら保護者やらが、この辺には一杯いるんだよ」
スマホを取り出して時計を確認すると、まぁまだ遅刻にはならなそうな時間だった。
「それにしても、さっきのパンチ何だったの? あの人全く反応できなかったみたいだけど……」
「ああ、あれか」
「あ、それ、俺も知りたいっす! てか、冬月先生って本当に何者なんすか?」
何故か大崎君もそう言って俺に聞いてきた。
なんだかすっかり俺の子分のような空気を醸し出しているな……
負けた相手に対してすぐに取り入ろうと出来る変わり身の早さは、今も昔も不良君たちの特技だなと感心する。
それにしても、あのパンチのカラクリか……
まぁ、隠すようなことでもないし、種明かしをしてもいいか。
「あれは、手品みたいなもんだよ」
「手品っすか?」
「うん、いくつか条件があるんだけど、それを満たしている相手になら、ある程度練習すれば、後は度胸があれば誰でもできるよ」
「ま、まじすか……」
俺は大崎君の目を真っ直ぐ見つめる。
「な、なんすか?」
そして、そのまま無言で近付いて、先程と同様に、拳が届く距離まで近づいたら、無造作に大崎君の顎下に向けて拳をつきだいした。
「こんな風に、ね?」
「え? えぇっ?! また全く気付けなかったっす!!」
「でも、周りのみんなには見えてただろ?」
驚く大崎君を尻目に、俺が周りの不良君達にそう聞くと、みんな黙って頷いた。
「このパンチは大崎君だけ見えないパンチなんだよ」
「それって、どういう――」
驚く大崎君にも分かるように、俺は今度は誰もいない方向に向いて解説を始める。
「このパンチのポイントは、背格好が近い相手に有効だってことだ。あまりに背格好が違うと、パンチを隠せなくなるからね」
「パンチを隠す? でも、周りのみんなには見えてたんすよね?」
「うん。だから、大崎君にだけ隠してたんだよ」
「そんなのどうやって……」
大崎君が息を飲むのが分かる。
そんなたいそうなものじゃないんだけどな……
「大崎君もそうだったけど、人間って自分の目を真っ直ぐ見つめられると、その視線を外しにくいっていう性質があるんだ。ほら、不良君達もにらみ合いとかするだろ?」
「確かに、先に視線を外した方が負けなんで!」
「このパンチはその性質を利用してるんだよ。俺は大崎君の視線を俺の目に釘づけにして、その隙に君の胸から下の辺りに出来る死角からパンチを打ったんだ」
「胸から下の死角?」
「相手の顔をじっと見てるときって、大体自分の胸から下の世界って見えなくなるだろ?」
ジェスチャー交えてそう説明すると、周りの不良君たちも含めて俺のいうことを試して驚いていた。
「ほ、本当だ!? 見えない!!」
「だから、大崎君には俺のパンチが見えなかったんだよ。後は、鏡で同じように自分の目に見えないように拳を突き出す練習すれば、後は本番で相手の目を睨み続ける度胸があれば誰でも出来るわけだ」
「す、すげぇ…… 見えないパンチって、もう必殺技じゃないっすか……」
大崎君を含めた不良君たちが、感心しながら背格好の近い仲間どうして練習しているようだった。
「いや、冬月先生って、マジで何者なんすか!?」
「何者って…… ただの塾講師だよ」
「マジかよ、塾講師パネェな……」
なんだか、大崎君たちの中で『塾講師』という人種に対する認識が大幅に更新されているようだ。
「おっと、そろそろ俺は仕事に遅れるから行くけど…… 本当にもう、小久保に変なことさせないでくれよ?」
「あったり前ですよ! 見えないパンチっていう必殺技を教えてくれた師匠である冬月先生の、大事な教え子である小久保君に悪さなんてしませんよ! むしろ、俺たちが先生の塾の生徒は責任もって守らせて貰います!!」
「あはは、そんなのはいいから…… それじゃ小久保、もう脅されても万引きなんてするんじゃないぞ?」
「は、はい! ありがとうございました!!」
何やらよく分からない状況になっているが、流石にもう時間の余裕がないので俺は彼らをおいて校舎へと向かって駆け出した。
「お疲れ様です! 冬月先生!! この度は本当のお世話になりました!!」
「お世話になりました!!」
俺の背後で、気合の入った挨拶をする大崎君とその仲間たちに見送られながら、俺は校舎へと小走りに向かうのだった。
続く――。
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