第16話 14th lesson そう言って浮かべた苦笑いが、彼女が高校でどれだけ苦労してきたかを物語っているようだった。


『元教え子とかそうじゃないとか関係なしに、キチンと相手のことを見て結論を出して欲しいってこと』


 布団に横になって目を閉じたときに頭を過ったのは、春日の言った言葉だった。


か……」


 その言葉に俺は何も言い返せなかった。

 ぐぅの音も出なかったのだ。

 まさに春日の言う通りだったから。


って言うのは、俺の気持ちとは言えないもんな……」


 好きだという告白は、相手のむき出しの気持ちだ。

 それに対して『講師と生徒だから』と立場を言い訳にして断るのは、確かに相手のことをキチンと考えているとは言い難い。

 どちらかと言えば思考停止に近い判断だ。

 『それでは諦めもつかない』という春日の言葉も尤もだと思ってしまった。


「もっとはっきり、『そういう対象には見れない』と言うべきだったよな……」


 少なくとも、校舎に通ってくれる生徒達に対しては、そうやってハッキリと俺の気持ちを伝えることこそ必要なのだと思った。

 傷付けないようにと考えて、結果的に中途半端なことを言って混乱させていたかも知れないな……

 中途半端な優しさが一番良くないということを、俺は生徒への入試指導で嫌と言うほど知っていたはずなのに。


「こんなこと言ったら、きっと春日には『それとこれとは話は別でしょ』とか言われそうだが、本当に昔から俺は、……」


 昔、尊敬する人から苦笑いと共に告げられた言葉を思い出した。

 どうやら俺は、あの頃からまるで成長していないらしい。


「ただ、春日や夏川先生はなぁ……」


 確かにというのは建前で、春日にも夏川先生にもドキッとさせられることはこれまでに何度かあった。

 でも、やはりどこまでいっても彼女達は俺にとってだ。

 そこについては、俺の嘘偽りのない気持ちだというのも本当なのだ。

 彼女達が女性として非常に魅力的なのは間違いない。

 でも、どんなに可愛くても妹は妹なのと同じで、彼女達がどんなに魅力的でも、大事な生徒なのもまた変わらないのだ。

 言い訳にしか聞こえないかも知れないが……


ってところを取っ払ったら、か……」


 俺は目を閉じて試しに想像してみた。

 春日や夏川先生が俺の教える教室に来ていなかったら…… と。


「あはは…… それだとそもそも、俺と彼女達が出会うわけないんだよな……」


 俺は顔がいいわけでもないし、これと言って取り柄のないパッとしない男だ。

 塾で講師として教える側に立ち、彼女達の未来に寄り添って来たという過去があるからこそ、今の彼女達の俺への好意があるのだと思う。

 その前提を取っ払って、まっさらな自分として彼女達と向き合ったとしたら、俺の心に浮き上がるのは『俺なんかよりもっと相応しい相手がいるはずだ』という感情だった。


「我ながら、随分と低い自己評価だな……」


 勉強が出来たわけでもないし、一浪で三流大学に滑り込んだような奴だ。

 スポーツも苦手ではないが、これと言って目立った成績もないし、どこにでもいるモブの一人。それが俺だ。

 彼女達のみたいな映画やドラマのヒロインのような女の子と関わったことなど、俺の短くない人生でほとんどなかった。

 そんな凡庸な俺と彼女達を繋いでいるのが、という関係なのだから、それを抜きにしてというのは、やっぱりどうしても難しい。


「こんな俺に執着してくれる女の子なんて、きっともう現れないんだろうな……」


 学校の教師達や両親達との間に立って、自分の将来に寄り添ってくれる塾講師という存在に憧れを抱く子供は少なくない。

 それまでの人生でされたことが無かった告白を、この仕事に就いてから数えるほどではあるが経験した過去を振り返ると、それらの殆どが憧れであって恋愛感情ではなかったと思う。

 だから、卒業してからこうして俺に好意を向けてくれるなんて間違いなく二度と起こらないだろう奇跡だ。

 ただ、だからこそ、俺はそれに飛びついたらいけないと思う。

 俺にとっては奇跡のような幸運だが、それは同時に彼女達にとっては不運でしかないからだ。

 だって、俺がもし女の子だったら、俺なんかと一緒になったら不幸に感じるだろうから。


「結局、春日達も学生時代の憧れと恋愛感情をごっちゃにしてるだけだ……俺なんかとくっついても、幸せにはなれないし……それに……」


 他にも何か考えていた気がするのだが、眠気には抗えず俺はそのまま眠りへ落ちてしまった。



「あ、おはよセンセ。って、大丈夫? 目の下、クマが酷いよ?」

「そうか?」


 朝、家の廊下で会った春日に驚かれた。

 確かに、昨晩は夢見が悪くて何度も目が覚めってしまった。

 睡眠時間は短くても平気なつもりでいたが、寝た気がしないとこうも身体にダメージがあるとは……

 もしかすると、俺ももう若くないということか?

 昔、大学の教授たちに『君達ももう少し年を取れば分かる』と言われていた、加齢による基礎体力の減衰を痛感して悲しくなる。


 洗面所に行って鏡で顔を確認すると、確かに目の下にはくっきりとクマが出来ていた。

 正直、目の下のうっすらしたクマは通常営業なのだが、ここまではっきりと出るのは初めてかも知れない。


「昔ハマった漫画に出て来た、世界的名探偵みたいだな、これ」


 これでもし、白い長そでのTシャツにジーンズを着たら、ボサボサの髪もあいまって、もうそのキャラにしか見えなそうだ。

 しかし、残念ながら、俺にはあのキャラのような超絶推理力などない。


「ってか、今の子にあのキャラを引き合いに出しても、誰も分からないよな……」


 スマホで時間を確認すると、まだまだ出勤までに時間がありそうだったので、俺は自室に戻って白い長そでのTシャツにジーンズ着替えてみた。

 

「あれ? センセ、どうしたの? やっぱ体調悪い系? ……へ?」


 すると、ダイニングにやってこない俺を心配してやって来た春日が、俺の姿を見つめて固まった。


「いや、確かに調子は良くはないが、ただの寝不足だし――」

「アハハハハッ! めっちゃ龍崎じゃん!! え? 待って、メッチャ似てるんですけど!! メッチャウケる! ねぇねぇ、そこのスマホ汚いものつまむ感じで人差し指と親指で持ち上げてよ!! 早く!!」

「こ、こうか?」


 爆笑する春日に言われるままにスマホを持つと、春日は自分のスマホを取り出して俺のその姿を写真に収めてる。


「あ、おい! そんな写真撮るなよ! 恥ずかしいだろ!!」

「送信っと…… これは絶対夕海さんも爆笑だよ」

「ちょっと待て! それを夏川先生に送ったのか!? 春日お前、なんてことを……」


 批難の声を上げる俺に、春日は笑い過ぎて息も絶え絶えになりながら答える。


「はぁ~…… はぁ~…… ひぃ~…… ひぃ~…… あぁ~ 笑ったぁ…… いや、マジで似すぎだから。 完全再現にも程があるから。

 そりゃ送るよね。この奇跡は誰かと共有しないと勿体ないし。 てか、いっそもうその恰好で仕事行けば? 多分人気になると思うよ?」


 目の端の涙を指先で拭いながら、春日は『こちらをじっと見つめて噴き出す』というのを何度か繰り返す。

 いや、流石に失礼だろ。


「あ、ほら見てよ。 夕海さんも大喜びだよ。速攻で保存したってさ」


 そう言って春日が見せてくれたスマホの画面には、無数のスタンプと『待ち受けにします』というメッセージが表示されていた。


「待ち受けは勘弁して欲しいなぁ…… そういえば、お前も夏川先生も知ってるんだな『死神の手帳』」

「そりゃ知ってるでしょ。 アニメや実写映画にもなった、超有名漫画じゃん。 映画は見に行ったし…… 確かアタシ小学生とかだったけど」

「そうか…… てっきりもう通じないネタかと思ったが。 案外そうでもないんだな」

「まぁね。センセの世代の有名どころはアタシ達世代でも結構流行ってたと思うよ? 多分、センセが思ってるほど、ジェネレーションギャップはないんじゃない?」

「マジか……」


 元上司の『北斗の拳』ネタとかが、生徒に全然通じていなかったのでこれもそうだと思っていたが、どうやらギリギリ通じるネタだったらしい。


「はぁ~…… もう心配して損した。 そんな風にネタに出来るなら、まぁ大丈夫だよね? 面白いからしばらくはその恰好でいてよ」


 そう言って部屋を後にする春日の後について行く。


「あ、ああ…… 体調に関してもさっきも言いかけたがただの睡眠不足だしな…… ただ、このクマは流石に目立つし、なんとか出勤までに改善を図らないとかな?」


 別に減るものでもないので、俺はその恰好のままダイニングに向かって歩きながら春日の言葉に返答した。


「ああ、それならアタシがメイクで隠してあげよっか?」

「いや、化粧は流石に抵抗がある。仮眠をとるなり、目元を温めるなりして何とかするから、その辺は気にしないでくれ」

「そっか、まぁそれならいいけど……てか、そっか。ずっとセンセって誰かに似てるって思ってたけど、龍崎だったんだ…… そっかそっか、あはは。マジウケる」


 いつものならここで「いやウケないだろ」と言うところだが、今日に限っては『ウケる』が妥当な状況なのでその言葉はぐっとこらえた。

 朝、同居人がコスプレをしていたら流石に俺も笑うだろうからな。


「それにしても、コスプレかぁ…… 前から興味あったし、今度アタシもやってみようかなぁ…… センセはアタシにはどんなコスが似合うと思う?」


 言われて色々想像してみた。

 普通に考えて、春日は顔立ちも整っているしスタイルも抜群に良いので、そういう美形のコスプレならどんな格好をしても似合いそうだと思った。


「お前なら、多分なんのコスプレしても似合うだろ」

「ふぇっ!?」


 寝不足のせいか、思わず思ったままの言葉が口をついて出てしまう。

 すると春日は真っ赤になった顔をお盆で隠して、シドロモドロになっていた。


「セ、センセってたまにそういうこと言うよね。ホント、そういうとこだよ……」


 あからさまに照れている春日は、確かに可愛いと思う。

 というか、恐らくだが、彼女は学校でかなり人気なのではないだろうか?

 社交性もあるし、この見た目だ。

 周囲の男子たちが放って置くとは思えない。


「そう言えば、あまり聞いたことがなかったが、もしかしてお前ってモテるんじゃないか?」

「え? それってアタシが可愛いってこと?」

「んまぁ、ザックリと言えばそういうことになるか……」

「っ!?」


 自分の質問を振り返って、これまた思ったままに言葉を返したら、春日は先程以上に顔を赤くして噴き出した。


「なに? 何なの? 昨日の話を気にして、自己改善を図ったの!? なんかセンセが素直過ぎて怖いんですけど!!」

「いや、そういうのは特にはないが……?」

「いや、絶対おかしいと思うけど…… で、なんだっけ? アタシがモテるかって話だっけ?」

「あ、ああ。お前って誰とでも分け隔てなく話せそうだし、スタイルもいいだろ? それにその顔だ…… 周囲の男子が放って置くとは思えないって思ってな」

「――っ!? マジでなんなの、センセ? もしかしてアタシ今日死ぬの?」

「いや、何でだよ?」


 俺の言葉に目を白黒させる春日。

 そこまで変なことを言っているだろうか?

 客観的に見ても春日は可愛いと思うので、そう的外れなことを言ってはいないと思うのだが……


「はぁ~…… やっぱセンセちょっと変だよ、大丈夫?」

「問題ないぞ。大丈夫だ」

「いや、そんなコスして言われても」

「この格好をしたままでいろと言ったのはお前だろうが?」

「でも、その恰好を自主的にしたのはセンセでしょ?」

「……確かに」


 言われてみれば、確かに少しおかしい気もして来た。

 もしかして、俺は寝不足で少しボケているのかも知れないな。


「で、モテるかって話に関してだけど、答えは『全然』だよ。告白とかされたことないし、正直全然モテてないんですなぁこれが。ホントみんな見る目ないよね?」

「そうだな。俺がお前と同じ学校に通ってる高校生だったら、多分お前のことが気になってたと思うぞ?」

「っっっ!? ホントもうやめてってば!!」


 疲れた顔で首を振って、春日は俺を真っ赤な顔で睨みつけて来た。

 その後、盛大に溜息をついてから、やれやれと言った感じで言葉を続ける。


「入学当初変に悪目立ちしたのとその後の都落ちのせいで、同学年の生徒達からは腫物扱い。それがそのまま後輩たちにも伝播しちゃってるからね…… 男子も女子も友達以外は全然寄ってこないよ」

「そうなのか…… それはなんか、勿体ないな。お前は本当にいい奴なのに……」

「……もうこれ以上センセの言葉には翻弄されてやらないから!」

「あ、ああ」


 春日の話は意外だった。

 しかし、以前聞いた彼女の話を振り返って、それが嘘ではないだろうことも分かった。

 入学当初の教師たちの盛り上がりと勝手な落胆。

 それは恐らく、彼女の学年の生徒達に大きく影響を与えたのだろう。

 高校生とはいえ、まだ半分は子供だ。

 どうしたって身近な大人の影響を受けてしまう。

 学年を担当する教師たちが彼女に対してあからさまに落胆していれば、周囲も同じように彼女に対してそういう態度をとったのだろう。

 もしかすると、これもまた彼女が高校の勉強を嫌いになった理由の一つなのかも知れない。

 そんな状況でも友人を作ることが出来たのは、春日自身の人柄のお陰なのだろう。


「けどよかったな。お前の魅力がちゃんと分かる人間がいて」

「あはは…… もう今日のセンセの言葉は真面目に受け取るの止めようっと…… そうだね。それは本当に感謝してる…… かな?」


 そう言って浮かべた苦笑いが、彼女が高校でどれだけ苦労してきたかを物語っているようだった。

 同時に、春日の高校生活に少しだけ興味がわいた。

 もちろん、俺にはそれをあずかり知ることは出来ないのだけれど……



 続く――。

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