第14話 13th lesson あんなに可愛い女子大生を嘘とはいえ彼女にするチャンスを棒に振るとは……俺も偉くなったものだな。
そうして、春日との生活が本格始動してから一週間が経過した。
「あ、おはよセンセ。 アタシ今日は午後登校だから、先生と一緒に家出るね!」
寝ぼけまなこを手の甲でこすりながらダイニングにやって来た俺に、春日は朝食をテーブルに並べながら言った。
「お~…… そういえば昨日そんなこと言ってたな。 けど一緒にかぁ…… うーむ……」
「センセさぁ、今更世間体気にしても仕方なくない? 私達はもうご近所公認のカップルなんだからさ!」
「ご近所公認のカップルってなぁ……」
「だって、下の階の冨塚さんでしょ、お隣の大宮さんでしょ、それにうちの両親に、はす向かいの三木谷さん…… みんな『お似合いだねぇ』って言ってくれてるじゃん?」
「ははは…… 主に近所の爺さん婆さんたちだけどな……」
それもこれも、春日が積極的にご近所さんに交流を図ったからだ。
元々コイツはこの辺りで『気立てのいい娘さん』で有名だったらしい。
そいつが俺の家に住み着いたことを、周囲に知らしめるかのように春日はこの一週間振る舞った。
俺がゴミ捨てに出たあとで、敢えて部屋から飛び出して追加のゴミを出すように声をかけて来たり……
回覧板を持って来てくれたご近所さんに丁寧にあいさつをして井戸端会議をしてみたり……
その結果、俺の部屋にコイツが転がり込んで一緒に暮らしていることが、この町内ではすっかり知れ渡ってしまっていた。
最初はその事実が春日のお父さんに伝わって問題になるのでは? と心配したのだが、その辺は円華さん(春日のお母さんの名前だ)がしっかりと旦那さんにも話を通していたらしい。
円華さんの話だと、春日のお父さんも飛び出した娘が何処とも知れないところに行く位なら、近所にいてくれる方が安心だと言っているそうだ。
ご近所への俺の評判が、お父さんの俺への評価を底上げしてくれたとは、円華さんの談だ。
そんなわけで、春日的には俺と春日は親公認の同棲ということになったらしい。
「いや、俺が気にしてるのは、この辺に住んでる生徒達に、お前さんと歩いてるところを見られないかってことだよ。俺が制服を来た女子高生と歩いてたってなるとちょっとな……」
ご近所の評判は、諸々の下地があったおかげで変な噂には繋がらなかった。
が、生徒達に見られて変な噂が立たないとも限らない。
女子高生と塾講師の同棲なんて、変な噂しかたたないだろう。
「そのときは親公認の許嫁って言えば――」
「いや、それじゃあ結局のところ根本的な解決には……」
「でもさ、一緒に住んでるのは事実なんだし、そんな風に気にしててもいつかバレるよ? だったら、この前の夏川先生のときみたいに、こっちから公言して認めさせちゃった方がいいと思うけど?」
「あれはお前が勝手にやったんだろうが……」
「でも、結果的にはいい感じにまとまったんでしょ?」
悔しいが言い返すことが出来なかった。
春日の言う通りだからだ。
どうやらあの後、夏川先生にSNSを通じて色々事情を説明してくれたらしい。
翌日出勤した俺に、夏川先生は「瞳ちゃんの受験の応援、頑張ってくださいね」と笑ってくれた。
夏川先生は春日に抱き込まれてしまったようだ。
その日、帰り際「瞳ちゃんのこと、絶対合格させてあげて下さいね!」と参考書やらをくれたくらいだからな……
「それに関しては感謝してるよ。夏川先生が完全に春日の味方になってるなんてな。本当にお前のコミュニケーション能力の高さには驚かされるよ……」
「えへへ、そんな褒めないでよセンセ! まじウケるんですけど! まぁ、それほどでもあるけどね!」
しかし、これだけ人心掌握に長けているというのに、どうしてこいつはその高性能な脳みそを勉強の方に活かせないのか……
塾の講師をしていると、こういうもったいない生徒にはよく出会う。
鉄道大好きで、日本全国の全駅名とその駅に乗り入れている路線と時刻表を暗唱出来る程の記憶力を持ちながら、鉄道以外に興味が全く持てないせいで成績がオール1だった生徒。
本を読むのが大好きで、並み居るコンクールでその文章を入選させるほどの文章力と国語の学力を持ちながら、理系科目で赤点塗れだった生徒。
数学の超難問を嬉々として解く癖に、国語英語の語学系科目で壊滅的な成績を取っていた生徒。
正直な話、大人になって社会に出ればその『長所』を活かす形で生きていければ、その子達はその道で大成したのだろう。
だが、生憎とこの日本では学生時代にはそういう『長所』だけを評価してあげられる仕組みが存在しないのだ。
そういう一点特化の化け物達も、成績という総合評価では落第生というカテゴリーに放り込まれる場合が多い。
俺が出会ってきたその子達も、大体はそうだった。
でも大抵の場合その子達は、苦手科目の面白さを教えて興味を向けてあげれば、問題は概ね解決した。
一点に特化するだけの能力を持つ子供は、その他の部分も学ばせ方次第で何とかなるものなのだ。
そもそも、その一点を特化させるだけの能力を持っているのだからな。
そういう意味では、春日もまたそのタイプの人間であることは明白だった。
彼女の話術や洞察力は、文系科目に対する適性を、相手を言いくるめる論理や確率の計算は、理系科目への適性を示している。
結局は、彼女も諸々のコンプレックスで勉強に対する興味を持つことが出来なかっただけなのだ。
その部分を誰かが補助してやれば、今のように知識をどんどん吸収し、それを実力に変えることが出来るわけだ。
「ああ、本当にお前は大した奴だよ」
「ふぇっ!? 『調子に乗るな』って言わないの!? そんな真面目に褒められたら、照れちゃうじゃん!!」
それにコイツは典型的な褒めて伸びるタイプだ。
まぁ、こうして真正面からの誉め言葉には弱いようだが……
それでも間違いなくモチベーションには繋がっているはずだ。
ただ……
「だからこそ、お前に変な評判が立って、お前の将来に響くようなことは避けたいんだよ。確かに俺とお前のことを公言して外堀を埋めるってのは悪い作戦じゃないと思う。けどな、お前が関われる人達の他にもそういう噂は広がるんだ。そうなったとき、その噂を広める奴らは、こんな『女子高生と塾講師の同居』なんていじり甲斐のあるネタを、事実のまま広げやしないんだ。間違いなく悪意のある嘘を交えて広げる。そんな形で歪んだ情報が、お前の周囲や、学校に伝われば……お前の高校の教師達はその噂を無視出来ない。お前の評価に間違いなく悪影響を与えるんだ」
「そんなの可能性の話じゃん?」
俺の言葉に対して、春日の目が言っていた。
『そんなのセンセの考えすぎだ』と。
俺もそう思う。
でも、そういうものなのだ。
人間は、善意だけの存在じゃない。
どんな真っ当な人間でも、悪意に満ちた情報に、尤もらしい理屈や偽の正当性を被せてしまえば、その悪意に気付かずに情報を拡散してしまう。
SNSで拡散されている嘘情報の殆どが、そんな悪意に気付かない善意によるものだ。
「万が一を考えて対策を講じるのが俺の仕事だ。この生活を受け入れた俺には、そういう可能性からお前を守る責任があるんだよ。だから、やっぱり制服姿のお前と一緒に出歩くことは極力避けたい」
春日はみるみる不満そうな顔になるが仕方がない。
「悪いな、春日。お前は出る時間を変える必要はないから、俺が少し早めに出て校舎で作業でもするよ」
何か言いたげな顔をした春日は、その俺の意見に口を挟むことはしなかった。
ただ、やれやれと天を仰いでから、大盛のご飯の入った俺の茶碗を差し出すのだった。
「悪いな、色々」
「いいよ。センセが私のこと一生懸命考えてくれたのは、その顔見れば分かるし。しょうがないって分かってるから」
苦笑いを浮かべる寂しそうな春日に、俺はもう一度「悪いな」と付け加えて朝食に手を付けた。
本当に相変わらず、春日の作るご飯は美味かった。
「思ったんですけど、先生と瞳ちゃんの変な噂を避ける意味でも、先生にはキチンとした恋人がいた方がいいと思うんですよね」
その日の業後、いつものように居残り作業に付き合ってくれた帰り道で、夏川先生はそんなことを俺に言った。
「……? 何でそれが変な噂を避けることになるんです?」
俺の返答を聞いて、夏川先生は少し驚いたような顔をした。
「一緒に住んでいるって聞けば、絶対に野暮な想像をして、変な噂をする人は出て来ると思うんです。でも、先生にベタぼれの奥さんとか、彼女さんがいれば、『けど、あの人には決まった人がいるしな……』って考えて、悪意ある噂を立てづらくなるんじゃないかなって……」
「ああ、なるほど……悪くなさそうなアイデアだけど、その案には一つ大きな問題があるよ」
夏川先生の説明を聞いて、やっとその意図を理解した俺は苦笑いを浮かべる。
「残念ながら、俺にはその『恋人候補』が存在しない。相手を探して、恋愛に漕ぎつけて彼女にする頃には、多分、春日の受験が終わってると思うよ」
そう。
唯一にして最初で最後の恋人に振られてしまってから、かれこれもう何年経っただろうか?
それ以降俺が出会った女性と言えば夏川先生や春日を含む卒業生か、現生徒とその保護者くらいだ……
どれもがそう言う対象としては問題ある相手ばかりだった。
確かに俺が決まった相手を作るというアイデアは悪くない。
でも実現の可能性は極めて低いのだ。
「そ、その……本当の彼女である必要はないと思うんです。彼女のフリをしてくれる女性がいるだけでも、その効果は十分に期待できると……」
「まぁ、確かにそうかも知れないけど、この仕事を始めてから、俺どんどん友達減っちゃったからな……夏川先生も知っての通り、唯一連絡とってる友人も赤木だけだし」
そんな恥ずかしいことを、頬を指でかきながら告白する。
しかし、いないものはいないのだから仕方がない。
ここで強がって『そういう人もいる』なんて嘘をついても、何の解決にもならないし。
そんな風に、ある意味開き直って苦笑いを浮かべる俺に、夏川先生は顔を真っ赤にして俯いた。
「わ、私じゃ…… ダメですか? 冬月先生の嘘の恋人役、私じゃダメでしょうか?」
恥ずかしそうに視線を泳がせながら、夏川先生は俺の方をチラチラ見る。
「えっと…… 本気?」
辛うじて口から出たのはそんな言葉だ。
夏川先生が俺をからかおうとしていないことは、その顔を見れば分かる。
真面目に、俺と春日のことを考えて、そう提案してくれたのだろう。
ただ…… と俺は思わず考えてしまった。
高校生との同居生活を誤魔化すために、同僚とはいえ女子大生との恋愛関係を演じるというのはどうなのだろうか? と。
夏川先生もまた、春日と同じ俺があの校舎から送り出した卒業生だ。
年齢だって、春日とそう変わらない。
そんな彼女を恋人として公言したとする。
すると、面白おかしく噂を広めようとする悪意ある人間は、『卒業生にとっかえひっかえ手を出す最低男』として俺の噂を立てるだろう。
勿論そうはならないかも知れない。
でも、そのリスクは無視出来なかった。
「ほ、本気です!! 私は先生のことが――」
「ごめん、ありがたい申し出だけど、やめておくよ。それはそれで悪い噂の種になりかねないからね」
春日のことを考えて、そんなことを言ってくれた夏川先生に申し訳ないと思う。
でも、ここで彼女の優しさに甘えて、後々彼女や春日に迷惑をかけるのは良くない。
「め、迷惑なんて、そんなこと――」
「誤解しないでね、夏川先生。先生に魅力が無いとかじゃない。むしろ、俺には勿体ないくらい、夏川先生は魅力的な女性だ。でも、君も春日と同じ卒業生で、大学生。年齢も春日とそう変わらない。だから、君も春日と一緒くたにされて、悪い噂の種にされてしまう可能性すらある…… 俺は、大事な生徒達にそんな危険なことさせられない」
もしかすると俺は、夏川先生を傷付けてしまったかも知れない。
でも、無関係の彼女を巻き込む訳にはいかなかった。
「そ、そうですね…… 確かに先生の言う通りかも知れません」
「うん、ごめんね。でも、色々考えてくれたこと、春日の為にそうやって提案してくれたこと、本当に嬉しかったよ。ありがとう」
「いえ、そんな、気にしないで下さい!!」
そんな話をしていたら、あっと今に駅についてしまう。
俺は改札をくぐって駅に入っていく夏川先生にもう一度お礼を言った。
「それじゃあ、夏川先生。また明日。今日は本当にありがとう!」
夏川先生は会釈をしてから、小さく手を振って駅の雑踏へと消えて行った。
しかし、春日といい夏川先生といい、俺には本当によく出来た卒業生が沢山いるな。
そんな風に考えていたら、何だか少し嬉しくなった。
ただあんなに可愛い女子大生を、嘘とはいえ彼女にするチャンスを棒に振るとは……
俺も偉くなったものだ。
見上げた月が綺麗だったからだろうか。
自分の寒々しい考えに、急に虚しさを感じた。
急いで帰ろう。
春日が夕ご飯を作って待っていてくれるのだから。
続く――。
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