第13話 12th lesson ただ、そんな楽しそうなエプロン姿に思わず一瞬見惚れてしまったことは黙って置こう。
「え? 冬月先生?」
「ん? 夏川先生。珍しいところで会いましたね」
百円ショップで商品を物色していると、日用品のコーナーで夏川先生と鉢合わせた。
彼女も学生だし、百円ショップが珍しいということも無いが、基本的に校舎でしか会わない彼女とこうしてそれ以外の場所でというのは非常に珍しい。
「冬月先生も百円ショップなんて来るんですね?」
ちなみに俺の場合は、どこで目撃されても『珍しい』カウントになるそうだ。
校舎にいる時間が長いので、そこ以外にあるイメージがないらしい。
「あはは、俺だって百円ショップくらい来るよ。家の食器は軒並みここの商品だし」
「そうなんですね……確かにここの食器たち、百円とは思えないクオリティですもんね。私もいくつか買って行こうかな?」
「オススメとまでは言わないけど、悪くはないと思うよ?」
いつもの感覚で会話を弾ませていたが、ふと今ここには春日と来ていることを思い出す。
別にやましい関係ではないので、隠し立てするようなことではないが……
卒業生と同棲状態というのは、やはり良い想像にはつながらない。
夏川先生が良からぬ噂を立てるとは思わないが、ここは伏せておいた方が良いだろう。
「それじゃあ、俺はそろそろ……」
「あ、はい。それではまた、校舎で――」
そう考えて、早々に会話を切り上げようとすると、夏川先生がその意図を汲んで別れの挨拶を言いかけた時だった。
俺の背後から、にこやかな声が飛んで来た。
「あれ? 冬月さん、その方は?」
「ふ、冬月さん!? 何で突然そんな呼び方に?」
声の主は春日だ。
俺の言葉を無視して、春日は夏川先生の前に歩み出るとこちらに笑顔を向けて続けた。
「もしかして、お仕事の同僚の方ですか?」
その笑顔の向こうに、『この人が噂の夏川先生ですよね? そうですよね?』という声が聞こえて来た。
「えっと…… 冬月先生、この方は?」
夏川先生は突然現れた春日の存在に驚いて目を白黒とさせていた。
しかし、この状況で春日を紹介しないのは流石におかしい。
何らかの紹介をしなければならないが、さてどんな風に説明したものか……
俺の思案を見透かしたように、怪しげな笑みを一瞬浮かべた春日は、夏川先生の方に振り返ってにこやかに挨拶をした。
「初めまして。もしかして、夏川先生ですか?いつも冬月さんからお話を聞いています。色々良くしてくださってる様で、ありがとうございます。アタシは冬月さんと一緒に住まわせて貰っている、
そんなことを言いながら、春日は俺の腕にその腕を絡ませる。
夏川先生に誤解をさせようとしているのは明らかだが、言っていることには全く嘘を含んでいないのが憎らしい。
「え? 一緒に住んで? でも苗字は違って…… えぇ? も、もしかして……」
「まぁ、そういうことです!」
完全に混乱している夏川先生に、春日は俺の腕に抱きついたまま笑顔で答えた。
いや、『そういうこと』ってどういうことだよ……
「えっと…… ご挨拶が遅れてすみません。私は冬月先生と同じ教室で働かせて貰っている、夏川です。私の方こそいつも冬月先生には良くして頂いていて…… いつも感謝しているんですよ」
「そうなんですね。ホント誰にでも優しいですからね、この人は……」
「ええ、だから生徒達にも人気なんですよ。私も冬月先生の生徒だったので、生徒達の気持ち分かります」
「えぇっ⁉ そうなんですか!? 実は私もなんですよ!」
「えぇ~っ!?」
明らかに誤解されたまま、そんなことなどお構いなしに進んでいく会話。
ここで変に訂正するのもおかしいし、この調子だと間違いなく春日に邪魔される。
これは後日、改めて訂正した方がいいかも知れないな。
「やっぱり夏川さんの頃もそうだったんですか?」
「ええ、『ロボ』って言われたりしてました。それじゃあ春日さんの頃も?」
「はい。他にも色々言われてましたよ。『衛星通信で別科目のデータをダウンロードしてる』とか、『目にセンサーが付いてて肘付く生徒を感知してる』とか……」
「あはは、それうちの代でも言われてました!」
俺が思考を巡らせているほんの少しの間に、二人は勝手に打ち解けているようだ。
春日のそういう社交性や順応性は本当に驚愕に値する能力だと思う。
「LINEの連絡先交換しません?」
「是非お願いします! 職場での冬月さんの話とか、色々聞かせて下さい!」
「あはは、まかせておいてください! 無茶しないようにしっかり監視しておきます!」
「よろしくお願いします!!」
いつの間にか、そんな監視網まで敷かれている。
すっかり仲良くなっているようだ。
これはもう、変に誤魔化そうとすると逆に面倒になりそうな雰囲気だ。
「それでは、お二人のお買い物をお邪魔するのも申し訳ないので、私はそろそろ退散しますね。春日さん、また連絡します!」
「ありがとうございます。また色々お話ししましょうね、夏川さん!!」
笑顔で手を振って去って行く夏川先生を、春日は同じく笑顔を浮かべて手を振って見送る。
そのままエスカレーターに乗って夏川先生が見えなくなるまで、春日は俺の腕に抱きついたままそうしていた。
「……おい、春日」
「何です? 冬月さん?」
俺の言いたいことは全部分かっているという顔で、春日はこちらを振り向き笑顔を浮かべた。
「どういうつもりだ?」
「どういうって、牽制だよ、牽制。 動物の縄張り争いみたいなもんかな?」
「縄張りってお前な……」
「後は、なんかセンセが私のことをあの人に隠したそうだったから、隠せないように先に釘を差したって感じ?」
「ぐっ…… 確かに隠そうと考えてたが…… お前の親公認とはいえ、卒業生と一緒に住んでるとか知られるのは……」
「変に隠し立てして変な想像をさせるより、『そういうことだ』って伝えた方が多分安全だよ? 彼女みたいな良い人は、その方が気を遣ってアタシたちのことを秘密にしてくれるしね」
「そこまで考えてたのか……」
春日の言うことは的を射ていた。
恐らく夏川先生はそう言う人だ。
ただ、それにしては、演出が過剰だった気がする。
俺の腕に抱きついたりする必要は果たしてあっただろうか?
……とは思うものの、言ってもなにがしかの屁理屈を言われて終わる気がして、俺はもう追求するのをやめた。
実際、一緒に住んでいるわけだし、こうして仲良く買い物にも来ているわけだしな。
「でも、やっぱり後で夏川先生には、俺とお前は『そういう関係じゃない』って伝えておくよ」
「『そういう関係』って、どういう関係?」
俺が敢えてぼやかせて言った部分を、春日は笑顔で追求してきた。
完全に俺をいじり倒すつもりらしい。
「……恋人ではないってことだよ」
「『今は』だけどね! これから先どうなるかは分からないよ?」
「どうもならん。なる訳がないだろ?」
「あはは! センセ顔真っ赤だよ?」
楽しそうに笑う春日に、俺は釘を刺すように言った。
「あのなぁ…… 俺をからかうのが楽しいのは分かるが、そんな風にしていたら、誤解されるのは俺だけじゃないんだぞ? 変な噂とかが立ったら、お前だって困るだろ」
「うーん…… アタシは別に困らないんだけど…… これ以上はセンセも怒りそうだし。今日はこの辺で勘弁してあげよう。色々繋がりも作れたし……成果は上々だしね!」
春日は「あー、楽しかった!」なんて言ってけらけら笑う。
俺はといえば、今度夏川先生に会ったときの言い訳を考えて頭を抱えた。
「あっと、そうだった。センセ、食器もそうだけど、諸々の雑貨を放り込んでたら、カゴが満杯になっちゃったんだよね…… アタシ的には必要だと思うものしか入れてないんだけど、センセ的に必要かどうか見てくれない?」
「……いや、そのカゴはどこにあるんだよ?」
「ああ、重いからあっちに置いて来ちゃったんだっけ…… こっちこっち、ついて来て!」
俺の手を引いて歩き出す春日に、引きずられるようについて行く。
結局、カゴの中身を確認したが、どれも必要そうなものだったので全部買うことにした。
合わせてそれを詰め込めるエコバックも、一緒にレジへと持っていった。
「ふぅ~…… お疲れ様、センセ」
「本当にな」
自宅に戻って、担いでいた荷物を下ろした俺の肩を叩いて春日は笑う。
大きな家具やらなにやらは、この後夜までには届くらしい。
それを運び込むスペースを作るため、これから家の大掃除を始めようと買って来た雑巾などを用意していたら、春日からジャージを投げつけられた。
「なんだこれ?」
「一応最近は簡単なお掃除はしてたけど、家具動かしたりとかするなら絶対汚れるから、汚れてもいい服に着替えてねって話」
「……なるほど」
「汚れによっては落とすの大変になるかもだから、センセの少ない普段着を汚せないでしょ?」
「ああ、確かに……」
本当に、家事に関しては完璧だな、コイツは。
感心しながら俺が渡されたジャージを持って自室となった元書斎に歩いて行くと、俺の背中に向けて春日は言葉を投げて来た。
「あ、ついでにセンセの部屋のタンスから、埃被った段ボールとガムテープ持って来て! 使わなそうなものとか詰めてしまっちゃいたいから!!」
「分かったよ! てか、何でお前はそんなことまで知ってるんだよ?」
「この家の掃除をしてるのはアタシだよ? どこに何があるのかくらい、もうとっくに把握済みだっての」
「……本当に頼りになる奴だよ、お前は」
「でしょ? 優良物件だよ? やったね、センセ!」
俺に向かってウインクして投げキッスをしてくる春日に、俺は「あほか」と吐き捨てた。
「よし! それじゃあ、まずはダイニングからだね! 細々したものは私がやるから、センセは打ち合わせ通りに家具を動かしちゃって!」
「OK」
春日の指示のもと、俺の家の大掃除が始まった。
ダイニングは二人の共有スペースになるので、お互いの利便性を考えて大幅な家具の配置換えをすることにする。
床に傷を付けないように注意しながら、俺は大きな家具たちを一つ一つ移動させる。
その間に春日は、部屋に点在する小物たちを一度一か所に集めて、必要か不要かを分別してくれた。
驚くのは、その分別が完璧なことだ。
俺が分かりやすいということなのか、それとも春日が俺のことを知り尽くしているのか。
どちらにしても頭の痛いことなので、俺は一度それを考えることを止めて自分の作業に終始した。
「それじゃあ、この段ボールはセンセの部屋の押し入れ行きで」
「了解だ」
「それじゃあ次はそのままセンセの部屋の模様替えだね!」
「ああ、そうだな」
そのまま俺の部屋となった書斎の整理を始める。
春日に勉強を教えるのに使う諸々の本や教材は、ダイニングの共用スペースに移動して春日の部屋になった寝室にあったものを俺の部屋に移動。
当然そこでも俺は家具の移動を担当し、春日は小物の整理だ。
そうしていらなそうなもの達は再び段ボールに詰められて、俺の部屋の押し入れに……。
「この辺のものは、何なら今度リサイクルショップに売りに行くだな」
「それくらいならアタシがやっておくけど?」
「結構重いし、まとめて車で運んだ方が楽だろ」
「それじゃあ、次のお休みは、この辺のものを売って小銭稼ぎだね!」
「小銭って…… まぁそうなるんだろうが……」
「さぁ、どんどんやらないと! 荷物が来ちゃう!」
「分かった分かった……」
春日に急かされるようにして、そのままの勢いで春日の部屋になった寝室の整理をしていく。
ここにも色々運び込んで貰うので、家具を移動して入念に掃除をした。
「よぉーし! 完成!! センセ、お疲れ様! よく頑張りました!!」
俺の後ろに回り込んで、肩をもむ様にしてそういう春日。
一応一通りのものを運び込み終えて、春日の部屋を含めた、家の模様替えは終了した。
「しかし、こんな充実した自室が用意されるとは…… いよいよアタシは自分の家に帰る理由がなくなったなぁ」
「……いや、受験が終わったら帰って貰うからな」
「えぇ~…… せっかくここに我が城が出来たのに~……」
そう言いながら嬉しそうに買ってやったモノ達を見つめる春日の横顔を見て、俺は一人満足する。
いろいろ思うところはあるものの、しばらくは一緒に住むのだ。
コイツには何不自由なく過ごして、出来る限り受験勉強に打ち込んで欲しい。
「さて、それじゃあ諸々のお礼に、夕飯は奮発して美味しいものを作りますか!」
張り切ってエプロンを付けて台所に向かう春日に、俺は釘を差すように言った。
「腕を振るってくれるのは嬉しいが、 その後の勉強に体力を残しておけよ?」
「ぐぬ…… わかってるよぉ~だ!」
本当に分かっているのかはあやしい。
ただ、そんな楽しそうなエプロン姿に、思わず一瞬見惚れてしまったことは黙って置こう。
例によって、春日の料理は最高に美味かった。
続く――。
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