第12話 11th lesson ちらりと見えた引き締まった白いお腹に思わずドキリとさせられてしまった俺は、そんな風に彼女に注意する。


「まずは、お前の部屋に勉強用の机と椅子を買わないとな……」


 俺と春日は、昨年の4月に大きくリニューアルしたショッピングモールにやって来ていた。

 リニューアルと言っても、外装は大きく変わっていない。

 ただ、出店テナントや内装が大きく入れ替わった感じだ。


「それじゃあ、ホトリかな? あ、未印でも売ってるか」


 スタスタとエスカレーターに向かって歩いていく春日の背中を追いかけて、俺も横に並んで歩く。


「ベッドはどうする? 今は来客用の布団を使って貰ってるが、必要なら買ってやるぞ」

「いや、今でも不便はないしいいよ。ベッドあると確かに寝心地はいいけどさ……部屋狭くなるし、掃除しにくくなるし、前は使ってたけど、必要性は感じないや」

「そうか……」

「あ、けどマットレスは欲しいかも。布団だけだとちょっと硬くて……」

「了解」


 作業用のデスクのコーナーで寝具の話をする俺達を、店員さんは少し不思議そうに見つめていた。

 ふと、目に入ったのは大企業御用達のチェアメーカーのデスクチェア。

 これなら、長時間の勉強にも耐えられそうだ。


「なぁ春日、ちょっとこの椅子に座ってみてくれないか?」

「ん? いいよ。あ、このデスクチェア可愛いかも!」


 全体的に丸いデザインのその椅子を気に入ったのか、春日もノリノリで座る。

 

「おお! 見た目もいいけど、座り心地がダンチだねこの椅子! どれどれお値段は如何ほどかなぁ――」


 座る人間の荷重に合わせて微かに変形し、体を支える機構になっているのだろう。

 しっかりとフィットする椅子に一瞬うっとりした後で、春日は値札を見たまま固まった。


「って、ちょっと高くないっ!? ゼロの数おかしいんですけど!!  これじゃあ『お値打ち以上』じゃなくて、『お値打ち異常』だよ!?」


 そして、そのまま飛び退くように立ち上がり、椅子から離れて俺を睨んだ。


「いや、良い家具は基本こんなもんだろ。『安かろう悪かろう』って言うからな。良いものはそこそこ値が張るもんだよ」

「にしてもさぁ……こんな今どき高く感じるスマホがキャッシュで買えるような椅子は、高すぎて安心して使えないからやだよ」

「そうか? まぁ、お前がそう言うなら別のにするが……」


 長時間身体を預ける椅子やベッドについては、十数万という値段だとしても高い買い物だとは思わないのだが……


「なんなのその金銭感覚? 塾講師って実はものすごく金持ちなの? バカなの?」


 なんだか、春日に呆れられてしまったようで心外だった。

 普段はどちらかと言うと俺の方が春日に呆れることが多いのだが……

 まぁただ、これもある意味塾講師あるあるかも知れない。

 基本休みが皆無に等しく金を使うタイミングがないので、貯金が無駄に多い為、いざ何か買い物をしようとすると、値段をあまり気にせずに買えてしまうのだ。


「あ、これがいいかも? 値段も正常だし、可愛いし!」

「分かった。ならこれにしよう。家具の可愛いか可愛くないかはよく分からないが、座った感じを見る限り、春日の身体にも合ってそうだしな」


 俺自身が学生時代から思っていた疑問だが、よく女子が使う『可愛い』の定義がいまいち理解できない。

 机や椅子に対して可愛いというのだが、一体どこが可愛いのだろうか。

 別に何か装飾があるわけでもないし、何かキャラクターが描かれている訳でもない。どこを見てそう言っているのだろうか?

 動物や子供などを見て『可愛い』と言われれば、それには同意できるのだが……


「ホント、センセって顔に出るよね。今、アタシが『可愛い』って言ったあの机と椅子にたいして、『どこが可愛いんだろう?』って思ってたでしょ」

「うっ…… 確かにそうだが、そんな顔に出ていたか? 校舎じゃ同僚の先生方や生徒達から、『先生は顔色が変わらないから何考えてるのかよく分からない』って良く言われるんだが……」


 春日に自身の考えを見透かされて驚く。

 学生時代も俺はポーカーフェイスだと言われてきた。

 顔に出るなんて、これまで言われたことはない。

 そんなことを言ったのは、せいぜい、俺の母親くらいだ。


「あーね! センセ、アタシの代の子達からも、『ロボット』って言われてたしね。確かに表情は読みにくいけど、そこはほら、長年の勘的な?」

「いや、俺とお前はそこまで付き合いは長くないだろ? 出会ってからの年数で言えば確かに長いが、こうして顔付き合わせてやりとりした期間なんて、お前がうちの教室に在籍していた数年と、ここ数日くらいだぞ?」

「へ? あはは、まぁあれだよ。あれ。女の勘的な? そういう系だよ」


 俺の指摘に、春日は少し狼狽えた様子で目を逸らした。

 その説明には釈然としない部分もあったが、昔から鋭い奴だったのでそういうこともあるのかと結論付ける。


「そうか……お前にはあまり隠し事とか出来そうにないから少し怖いな。まぁ、別にお前に隠し事をするつもりもないからいいか」

「へっ!? ホ、ホント、そういうとこだよセンセ」


 こちらの顔色から内心を見透かしてくる春日に一瞬脅威を感じたが、よくよく考えたら別に恐れる必要はないことに気付いて胸を撫でおろす。

 しかし、そんな俺が思わずこぼした言葉に春日は顔を赤くしていた。


「ん? 何の話だ?」

「別に! こっちの話! さぁ、次はマットレスでしょ。早く見に行こうよ!!」

「あ、ああ……」


 聞き返す俺の手を取って、春日は寝具コーナーへと駆け出した。



「ふぅ…… 家具の類はこんなものか。 次は家電を見に行くとしよう」


 必要なものをあらかた買って、配送の手続きも済ませる。


「……あのさ、調子に乗って色々買って貰っておいてなんだけど、流石に買い過ぎじゃない? 大丈夫?」

「ん? 別にキチンと間取りとサイズは確認したし、部屋に収まらないってことは無いだろから問題ないぞ?」

「いや、そうじゃなくて…… はあぁ~、なんていうか本当にセンセって自分より他人だよね。ちょっと心配になるくらいにさ」


 俺の返答を受けて、春日は困ったように笑う。


「別に、必要だと思うから買っただけだぞ? お前のお母さんにもキチンと預かるって約束しているし、春日が生活する上で困らないようにはしてやりたい。それに、誰に対してもこんな風に大盤振る舞いはしないさ。他でもないお前だから、こうして俺は色々買ってるんだ。だから、変に遠慮なんてするな」

「っ~~!? はぁ~…… ホントにもうセンセは」


 顔を赤くしたと思えば、疲れたように片手で顔を覆ってあきれ顔になる春日。


「それで? アタシの聞き間違いじゃなければ、『家電』とか言ってたけど、あの部屋普通にクーラーもあるし、他に家電なんて必要なくない?」

「いや、お前があの部屋で生活するんなら、パソコンとテレビはあった方がいいだろ? パソコンは俺の書斎にあるが、今どき共用って言うのは色々不便だろうしな」


 まぁ、男子高校生ではないので、検索履歴とかそういうものを心配するとか春日は無いかも知れないが……

 今どきPC内の情報は立派なプライバシーだと思うので、セパレートしておく方がトラブルの種を減らせるだろう。


「いやいや、そんなそこまで甘えられないって――」

「いや、パソコンとテレビは受験勉強にも必要なものだと思うぞ? 出願から合格発表の確認まで今はほぼネットだし、オンラインで無料で視聴できる学習動画も多い。テレビはやっぱり時事問題を攻略する上で必須だ」

「……あはは、ホント、センセってそういう感じだよね。分かった。その辺は任せるよ。けど、さっきの家具も含めて全部出世払いでキチンと返すから!」


 今度こそ俺の発言に呆れたような溜息をついた春日は、ピシャリと言ってこちらを見つめた。


「そんなの必要は――」

「そうしないとアタシの気が済まないの!」


 そう言われてしまっては、もう返す言葉はない。

 借りを作ったままにして置きたくない。

 その気持ちはよく分かるしな。


「まぁ、もしも色々上手く行って、、その必要はないかもだけど……」


 最後付け足すようにこぼれた言葉は尻すぼみになっていて聞き取れなかったが。


「まぁ、お前がそう言うなら構わないけどな……」

「ただ、パソコンもテレビも、本当に必要最低限のスペックでいいからね? 安くていいから!!」

「けど……」

「将来のアタシの借金をあんまり大きくしないでって話! 分かるでしょ?」

「……分かった、そう言うならそうしよう」



 会計を待つ間、春日はやはり呆れたように呟いた。


「結局、そこそこいい値段のするもの買ってるし……」

「あまりに安すぎるものは、流石にすぐ壊れたりしたら嫌だろうが」

「それ、最近の家電を馬鹿にし過ぎだからね? 前にテレビでも見たけど、ジェネリック家電って言って、安くてもいいものも沢山あるんだからね?」

「分かったよ…… さて、他にも色々細々したものを買わないとだが、その前に食事にでもするか?」

「さんせー! アタシもうお腹ペコペコだよ」


 会計を済ませた家電たちは、先程の家具と同じく配送を頼む。

 そのまま俺達は階を移動してレストラン街へと向かった。



「てっきりお前は、あっちのケーキとパスタの店にすると思ってたが……」

「は? たまの外食なら、普段作れないようなものを食べるに決まってんじゃん? やっぱホイホイ買うには抵抗がある分厚い牛肉とサラダバーは鉄板だよ。まぁ、あっちのすき焼き&しゃぶしゃぶと迷ったけど…… 今日はステーキな気分なの」


 案内された席で巨大なステーキを注文した春日に呆れていると、そう言って豪快に笑う。

 俺の中の女子像は、もしかすると前時代的なものなのかも知れない。

 もう長らく女性とのお付き合いをしていなかった弊害が、こんなところで浮き彫りになった。


「さて、センセ。サラダバーは食のセンスが問われるんだけど…… センセはそういうセンスがなさそうだから、アタシが代わりに取ってきてあげる」

「いや、それくらい俺が――」

「ストップ! ここまであんなに色々買って貰っちゃったアタシは、今非常に心苦しいの。そのもやもやを晴らさせてあげる為にも、ここはアタシの好意に甘えてくれないと困るんですけど?」


 半眼でそんなことを言われては、席から立ち上がれなくなってしまう。


「まぁ見ててってば。ここしばらくでセンセの好みは全部把握したから、センセも驚く大満足のサラダプレートを用意してあげるって!!」


 そこらのグラビアアイドルが羨むような大きな胸を力強く自分の拳で叩くと、春日は軽やかな足取りでサラダバーコーナーへと行ってしまう。

 手元のお冷を一口飲んで、ふと、周囲の視線が気になった。

 果たして俺と春日は、周囲からどんな風に見えているのだろうか?

 親子…… は流石に見えないだろう。

 兄妹…… には見えなくもないだろうか。

 でも、普通に考えれば、やはり年の離れた恋人とかに見えているのだろうか?


「援助交際とかに見えてないといいんだが……」

「いやいや、それは流石に心配し過ぎでしょ。センセって自分が思ってる以上に若作りだから」


 思わずこぼれた俺の言葉に、サラダを盛り付けた皿を持って現れた春日が呆れて笑った。


「若作りって…… お前には俺がいくつくらいに見えてるんだよ?」

「ん~…… アタシには実年齢通りに見えてるけど、見ようによっては十代に見えないことも無いよ?」

「流石にそれは嘘だって分かるぞ?」

「そう言うなら、後で料理持ってきた店員さんに、ワインを注文してみてよ、センセ」

「あのなぁ、俺は今日車を運転して来たんだが?」

「いいから! やっぱりいいですって断ればいいんだし」

「……別に構わないが」

「そ・れ・よ・り・も…… 何か感想はないわけ?」


 俺の見た目に関するくだらないやり取りを終えると、春日は持って来てくれた皿を並べるて、その視線で『どうですか、お客様?』と問いかけて来た。


「……悔しいが、完璧だな」

「ふっふ~ん!!」


 悔しいが負けを認める他なかった。

 本当に完璧なチョイスだったのだ。

 盛り付けられているメニューは全て俺の好みのものだったし、その量や配置まで本当に文句の付け所がない。

 コーンスープに敢えてサラダに入れる為に用意されているスイートコーンを入れているのも心憎い演出だった。

 これを全て食べても、これから持ってこられるメインディッシュをキチンと腹に収められそうな量も申し分ない。


「いや、本当に完璧だ…… お前のお母さんも言っていたが、家事スキルのレベルはもう、俺では遠く及ばなそうだ」

「だんだんセンセも分かってっ来たみたいだね。アタシはそうやって褒めてくれると頑張れるから忘れないでね!」


 もしこれが漫画やアニメであれば、きっと春日の鼻は高々とのびていたことだろう。

 ドヤ顔とはこういうものなのだと言わんばかりの得意げな顔。

 そんな顔を見て、『可愛いな』と思ってしまったことを、俺は絶対に春日に覚られまいと平静を装う。

 しかし、


「ふっふっふぅ~…… どうやらアタシの魅力に、センセはすっかりやられちゃったみたいね!」

「ぐぬ…… 本当にお前は俺の心が読めるのか?」


 すっかり見抜かれて、そのドヤ顔に拍車をかけてしまった。



「ふぅ~、食った食ったぁ~……」

「春日、女の子がそんな腹を捲って叩くもんじゃないぞ?」


 ちらりと見えた引き締まった白いお腹に思わずドキリとさせられてしまった俺は、そんな風に彼女に注意する。


「あはは! 何赤くなってるの、センセ? アタシのセクシーなお腹に照れちゃった? 可愛いとこあるよね、センセって」


 それを見て、ここぞとばかりにからかってくる春日。

 そんな彼女に一矢報いようと、俺も必死に頭を回した。


「お前はお前自身が思った以上に魅力的だってことを自覚しろ。そういう無防備なことをやって、相手に誤解されたら危ないぞ?」


 恐らく春日はこういう真っ直ぐな誉め言葉に弱い。

 そう思って放った言葉だったが、改めて思い返すと俺自身もかなり恥ずかしい。

 しかし、なんとか気合で自分の顔に血液が上って来るのを抑えた。


「~~~っっっ!!」


 その甲斐あってか、効果は覿面だった。

 春日は、今までで一番顔を赤く染めて、言葉を失っていた。

 一瞬泣いてしまったのかと心配になったが、すぐにドヤ顔と照れ顔の中間のような可愛らしい表情で俺に向かって胸を張ったので安心する。


「ふ、ふん! やっと私の魅力に気付いたなんて、センセもまだまだね!!」


 そう言って、春日はずかずかと百円ショップに向かって歩いていく。

 俺はそんな春日の背中を駆け足で追った。


 ちなみに、レストランの店員さんにワインを注文したら、

『お客様、失礼ですが身分証の提示をお願いいただけますでしょうか?』

 と真顔で言われた。

 身分証を見せたら、慌てていた店員さんに聞いたところ、なんと俺が未成年だと思ったらしい。

 伴っていた春日との会話のノリも多少影響はしているのだろうが、なるほど、彼女の言っていた『若作り』というのも、あながち言い過ぎではなかったらしい。

 ……正直、マジか? と思ったのはここだけの秘密だ。



 続く――。



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