第11話 10th lesson 最近コイツは驚くほど頑張っているので、少しは褒めてもいいかなとも思うのだが……
さて、塾講師という仕事でいいところは、早起きをしなくて済むところともう一つある。
それは、基本的に平日に休暇があるということだ。
何故かといえば、土曜日が仕事だから。
土曜日というのは世間一般的には休暇の日になることが多いと思うのだが、塾に通う中学生は部活動などで学校に行く生徒が多く、その曜日に塾の授業を用意してあげた方が効率よく学年を分けた経営が出来る。
まぁ、と言っても、それも塾によって大きく違うのだろうが、少なくともこの近辺の大手の塾はほとんどが土曜は通塾日だ。
そんな訳で、俺は基本的に、日曜日以外に火曜日に『週休』と呼ばれる休暇日を持っている。
ここ最近、テスト対策授業などがあって日曜日が潰れることも多く、講師不足で火曜日も出勤を命じられていたのだが……
今週からやっと講師の補充がされたお陰で、俺の元に『週休』が返って来た。
「よし、伝達の連絡も済んだし、久々に今日は休みに出来そうだな」
スマホを操作しながら朝食を食べていた俺がそんなことを呟くと、目の前の春日が驚いて箸を机に落としていた。
「え? センセ、今日休みなの?」
その顔は『驚愕していた』とか言った方が相応しそうだ。
「そんな驚くことか?」
「いやいやいや、センセ、アタシが生徒の頃から、ずっと校舎にいたじゃん? アタシがここに通うようになっても、アタシがここに住む様になってからも、火曜日も日曜日も休んでなかったし……」
「そりゃテ対だったし、火曜は人手不足だったんだよ。今週から晴れお役御免ってわけだ……」
春日の用意してくれた、エッグベネディクトなる朝食は非常に美味だった。
ベネディクトなんて聞くと、どうしてもアルカリ性に反応する試薬や、ローマ法王のことを思い出してしまうが、それとは全然関係のないお洒落な卵料理だった。
「それって、その人が辞めちゃったりしたら、またお鉢が回って来るってことでしょ? もうそんなのフラグにしか聞こえないんですけど……」
「いやなことを言うなよ、俺もそれは分かってるんだからさ……」
春日は誰もが思い付くであろう俺の未来を予言する。
この火曜の休日は、つかの間の夢となるのだろう。
何故って、俺が休むということは、すなわち黒桐室長がいじめる相手が俺以外の誰かになるということだからだ。
彼は基本的に、誰かを詰めることが仕事だと勘違いしているクラッシャー上司。
なので、彼と仕事をしていれば普通の人であれば、一カ月はもたないだろう。
「黒桐とセットで働くとか、そんなのセンセくらいしか耐えられないでしょ?良くて一カ月と見た……」
「あはは……」
驚くほど正確な見立てに驚く。
本当にコイツは、講師達をよく観察している。
「まぁ、その俺もお前に再会する直前は、その黒桐室長とのセットが耐えられなくて、辞めるつもりでいたんだけどね」
「え? 辞めればいいのに。それで、アタシの専属の家庭教師になってよ!!」
さらりと無責任なことを……
仕事を辞めることがどれだけ多くの人に迷惑をかけるのかとか、そういう部分は見えていない。
「そう簡単に辞められないんだよ。俺がいないと一カ月同僚がもたないってことは、生徒にも同じことが言えるだろ?この時期に多塾に移るとか、リスクしかない。そう簡単に、大事な生徒達の未来を投げ出せないよ」
かぼちゃのポタージュスープを飲む俺に、春日は溜息をこぼす。
「まぁ、センセのいうことも分かるけどさ、その黒桐の教室にいるっていう不幸から、センセが辞めることで生徒達を救えるって考え方もあるでしょ? あんなんでも一定数の支持者はいるんだろうし、センセが一生懸命に身を削って緩衝材になって繋ぎ止めてる生徒達が、本当に幸いかなんて分かんなくない?」
そう言われて、残念ながら反論が出来なかった。
俺が必死になって守ろうとしている生徒達に、黒桐室長が少なからず害を与えているのは間違いない。
『言動がおかしい』とか『一部の生徒を贔屓している』とか、そういうクレームを貰っている現状もある。
冷静に考えれば、そうやって不満の声を上げている生徒達は、他塾で頑張って貰った方が幸せなのかも知れない。
「えへへ、ちなみに『本当の幸い』って言うのは、最近学校で習った『銀河鉄道の夜』の中の言葉ね。ま、センセは知ってるだろうけど」
「作中で様々な登場人物が繰り返した言葉だな。多分作者である宮沢先生が思い至った、人生のテーマか何かなんだろう」
「ほらね、やっぱ知ってたし」
「そりゃな」
春日がぶっこんで来た話題にのって、その件についてはお茶を濁した。
今掘り下げても、きっといいことは無い。
既にこれが『逃げ』であることはなんとなく自覚していた。
「で、それはそうと、お前はそろそろ時間大丈夫なのか?」
そう言って時計を顎で指すと、春日はニンマリと笑った。
「ふっふっふっ~! 何を隠そう、今日はうちの学校創立記念日なのでした!!」
目元にピースサインを真横にして当て、某製菓会社のイメージキャラクターのごとく舌を出しウインクをする春日。
「本当だろうな?」
すかさずスマホで彼女の高校のホームページを確認する。
「あ、今センセうちの学校のこと調べたでしょ? ちょっと失礼じゃない? それ……」
「悪いな。でも、高校生って何かと理由をつけて休みたがるイメージがあるからな……」
「それ、誰のイメージ? アタシ一応、これまで無遅刻無欠席なんですけど?」
「マジか、もし本当なら申し訳ない濡れ衣をかけたな。でも、流石に皆勤賞は信じ難いんだが……」
彼女の性格を考えれば、皆勤賞もあり得ない話ではないとは思う。
しかし、講師を試すために塾を休んだような奴だ。
一度や二度、学校をサボっていてもおかしくはない。
「……なんでバレたの? アタシ、そんないい加減な奴に見える? まぁ、実際何回かサボってたから、いい加減な奴か……」
あっさりと真実を白状した。
そういう素直なところは変わっていないし好感が持てる。
「いや、学校をサボるくらい普通だろ? 別にいい加減だなんて思ってないぞ。暗に俺が学生だったときに大抵の奴がサボってたし、俺もサボってたってだけだよ」
「へぇ~ センセもサボるような生徒だったんだ。なんか今のお堅いセンセからは想像がつかないけど」
この仕事を始めるようになって、周囲から『堅くなった』と言われることが増えたので、彼女の評は的を射ているのだろう。
生徒の将来に関わる仕事をるようになって、『真面目にせざるを得なくなった』というのが、最もふさわしい真相だろうか。
「うっせぇわ……」
「あはは、流行りだよね」
「ああ、確かにそうか」
そんなつもりはなかったのだが、言われてみれば流行りのフレーズだった。
「ね、センセ?」
「なんだよ? ってか、学校が休みなら、何でお前は制服姿なんだ?」
若干怪しげな笑みを浮かべた春日に、牽制を入れると、痛いところを突かれたという顔をした。
「正直に白状すると、朝起きたタイミングでは創立記念日のことを忘れてたの。朝食の準備が終わって、おきっぱにしてたスマホのメッセージ見て気づいた感じ」
ということらしい。
まぁ、そういうイレギュラーな休みって、忘れがちなので俺もその気持ちはよく分かる。
『あれ? 今日って休みだったっけ?』
というセリフを、俺は何度となくメールで友人に送った記憶がある。
「それでさ、センセ。話を戻すけど……」
「あ、ああ……」
残念ながら、話をそらすことには失敗したようだった。
「今日さ、色々買い出しに行かない?」
「買い出し?」
俺は食後のデザートのフルーツゼリーを食べながら聞き返した。
「そ。ここで生活していくのに、色々足りないものあるし、お互い休みが奇跡的に重なった今日、買いに行かない手はないでしょ?」
確かに、彼女用の諸々を買ってあげなければとは思っていた。
「行かない手はないことはないだろうが、まぁ、断る理由もないしな……お前の言うように、色々買いに行くとするか」
ので、彼女の申し出をあっさりと受け入れる。
「いやいや、そんなこと言わずに…… って、え? いいの? これってもうデートだよ?」
すると、自分からけしかけて来たくせに、春日は顔を赤らめて、困ったように視線を泳がせる。
「デートじゃないだろ? 既に一緒に住んでるのに、ただ一緒に出掛けることにどぎまぎしてどうするんだよ」
呆れる俺に、春日は誤魔化すように笑う。
「あはは、まぁ、別にアタシはいいんだけどね? やっぱりセンセも、アタシみたいな女の子と一緒のところを、見られたくはないかなぁって思ってたんだけど」
確かに生徒の視線は気になる。
が、この年で女性とのデート一つこなせないへっぽことも思われたくない。
なら、これを機にそういう俺の姿を、生徒達に見せつけてやるのも悪くないかも知れない。
「別にいいぞ? 今更休みの日に生徒と出会うことを嫌がるような理由もないしな」
食べ終わった食器を流しに持っていく。
すると、春日が後を追うようにやって来た。
「それくらいやるよ?」
「それはこっちの台詞だ」
皿洗いを変わろうとスポンジに手を伸ばす春日ををひらりと避けて、流しの食器たちを手早く洗ってしまう。
「なにその気配り、ときめくんだが!」
「知らんわ。で? どこに行くんだ?」
「え? と、特に考えてなかったけど……色々買うなら、やっぱりあそこじゃない?」
「まぁ、それが無難か」
お互い地元民なので、あそこで通じてしまう。
どうにもツーカーの仲の様でむず痒かったが仕方がない。
この辺りに住んでいる人間が、日用品や衣類など多岐に渡る買い物をしようと思ったときに行く場所は決まっている。
最近大きな改修工事が入って、収容店舗が大きく変わったショッピングモールだ。
「けど、ここから行こうと思うとちょっと面倒だよね……駅から結構歩くじゃん?」
「ん? 買うものも多いだろうし、普通に俺が車を出すから大丈夫だろ?」
「え? センセ車持ってるの?」
「ああ、軽だけどな」
「いや、軽だろうが車は車じゃん。ってか、休みもろくにない癖に、何で車なんて?」
相変わらず痛いところを突かれる。
確かに、ほとんど使う機会がないので、最近は維持する意味があるのか疑問に思い始めていたくらいだ。
だか、稀にこうして出番があるし、何より運転は好きなので手放せないでいるとは言えなかった。
「流石に車くらいは持ってないとな……年齢的にもさ」
「車を持たなきゃいけない年齢ってあるんだ……知らなかった」
適当な言い訳をしたら、あっさり信じられてしまった。
コイツの俺に対する信頼度の高さは、少々異常な数値な気がするのだがどうだろうか?
「けど、それなら色々買い込めるね! お米とか、重いものも思い切って買っちゃおうかな?
軽自動車だけど」
「……それ別に、上手いこと言えてないからな」
「チェッ、少しは褒めてくれてもいいじゃん。アタシは褒めて伸びるタイプだと思うんだよね!」
嬉しそうにそう言って俺の背中をバシバシ叩く春日。
こういうやつって、たいてい甘やかされたいだけで、褒めても伸びない奴が多い。
俺の無駄に長い塾講経験則がソースだ。
最近コイツは驚くほど頑張っているので、少しは褒めてもいいかなとも思うのだが……
「はぁ…… ガンバッテルンジャナイカナ?」
「何その棒読み!」
真正面から褒めると、多分調子に乗る気がして、そんな褒め方に留めておいた。
続く――。
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